第2話 眼鏡と妖精、さらに……触手(その5)
「あ、あ、あ……」
混乱しながらボレロを見る。
それまでぽかんと充駆に目を向けていたボレロが我に帰る。
そして、叫ぶ。
「イートンっ」
充駆に抱きつく。
「戻ったっすね、戻ったっすね」
充駆は顔面に押しつけられたボレロの大きな胸の感触に戸惑いながら答える。
「いや、違う。僕は充駆で……」
さらにイートンの声だけが響く。
「ち、違うよ、ボレロ。なんか変なの、おかしいの」
「なにがっすか。イートンはイートンっすよ」
一旦離れたボレロが上着のポケットから小さな手鏡を出して充駆に向ける。
充駆が覗き込んだそこに映っているのはイートンの顔だった。
どこからか聞こえるイートンの声が――
「これ……あたし?」
鏡面に視線を絡めとられた充駆が――。
「なななななな、なんで、どうして」
戸惑うふたりとは対照的にボレロが――
「ということで――」
――歓喜の表情で充駆に抱きつく。
そして、改めて名を連呼しながら自身の胸元に充駆の顔面を押し付ける。
「――イートンイートンイートンイートン」
「いやだから違うってば」
「違うのボレロ。聞いてってば」
イートンの声と歩調を合わせるように、充駆が身を捩って離れる。
イートンが続ける。
「この身体は私なんだけど私の身体じゃないみたいなの。充駆さんと私が重なって存在してるっていうか、存在が混じり合ってるっていうか」
ボレロがやっと戸惑う。
「??? イートンと充駆が一緒になって元のサイズになったっすけど、その身体はイートンのものじゃなくて……???」
「そう。私と充駆さんが存在感を共有してるみたいな感じっていうか……。それで元のサイズに戻れてるみたいな」
その言葉にボレロはようやく異常な現象が起きていることを理解したらしい。
「……なんでっすか?」
そう言われても充駆にわかるはずもなく、イートンの声も困っている。
「さあ……わかんない」
「なんでだろうな」
三人でしばらく考えてみるが、答えなど出るはずもない。
時間の無駄だと最初に諦めたボレロが微笑む。
「でも、よかったっす。イートンが元のサイズに戻って」
しかし、充駆にとってはちっともよくない。
「いやいや、僕が困る」
元の姿や生活にけして満足していたわけではないけれど、かといってこのままこの姿でいるわけにはいかない。
そう考えた次の瞬間、ずるりと意識が皮を脱ぎ捨てたような感覚に襲われた。
目の前には十センチのイートンがぽかんとした表情で浮いている。
「も、戻りましたっ。充駆さんっ」
我に帰ったイートンの声に充駆が自身を見下ろす。
「ほ、本当だ」
確かに見慣れたいつもの身体に戻っていた。
安堵の息をつく充駆に、ボレロが一転して“つまんない”とばかりに口をとがらせる。
「もう一回やってみるっす。……いやすか?」
「いや、やってみるったって……。どうやったんだっけ?」
ひとりごちる充駆の胸元に十センチのイートンがふよふよと寄ってくる。
「確か、私の身体を充駆さんが両手で包んで」
「こう?」
充駆が言われるまま小さなイートンを両手で包んで胸元に抱く。
「はい。そんな感じ、です」
その刹那、充駆の全身が痺れる。
そして、ボレロの歓声。
「できたっす。できるっす」
踊るようにはしゃぐボレロをよそに、充駆は改めて広げた両腕と自身の身体を見下ろしてイートンの姿になっていることを認識する。
もちろん、充駆にとって生まれて初めての女性の身体である。
とはいえ女性の身体に憧れがあったわけでもなければ、嫌悪があったわけでもないので特に感慨めいたものはない。
この年頃――いわゆる思春期であれば憧れや嫌悪とは違った意味で異性の身体に思うところがあってもおかしくはないのだが、充駆にはそれすらもないのは今のクラス内でのポジションと無関係ではないのだろう。
同性からも異性からも相手にされず“見下されるべき負け犬”というポジションに甘んじている充駆にとって“クラスの女子”とは嫌悪の表情と嘲笑を向けてくる存在でしかなく、女子だからといって憧れたり期待したり見栄を張ったりいろんな妄想を抱いたりするような存在ではなかったのだ。
それはそれで不健全なことであり不幸なことでもあるのだが、もとより同年代の連中より性的な成長が一歩遅れていた充駆にはそれがわかっていなかった。
だから、自分の体が女子のそれになってはみたものの、思うことはその身長差から視野が変わったくらいと穿き慣れない――というよりこれまたもちろん生涯初体験の――スカートの裾がヒザをくすぐる感触に違和感を覚えるていどのものでしかなかったのだ。
そんなていどの違和感しかなくても、所詮は他人の身体である。
落ち着かないことに変わりはない。
なので――。
「もういいだろ」
ボレロの答えを待つこともなく、イートンとの“重なり合い”を解除して本来の姿に戻す。
ボレロはくっくっくっと笑いを押し殺しつぶやく。
「中身はどうあれ、姿が戻ったってことは大会に出ることができるかもしれないってことっす。くっくっくっ」
そして、左手を開くと現れたスマホに指を這わせた。




