野良犬(神話級フェンリル)が畑に入ろうとしたので、新聞紙で「めっ!」としたら懐かれた件
森の奥から現れたのは息を呑むほど美しい獣だった。
月光を固めて作ったような銀色の毛並み。
成牛ほどもある巨大な体躯。
そして闇夜に爛々と輝く金色の瞳。
普通の人間が見れば、その圧倒的な捕食者のオーラに腰を抜かし失禁して気絶するだろう。
だが俺、雨宮海人の感想は少し違っていた。
「うお、でっか……。秋田犬? いや、ハスキーかな?」
随分と育ちの良い野良犬だ。
毛並みもツヤツヤしている。
ただ、目つきが鋭すぎるのが玉に瑕だ。
『グルルルルル……』
野良犬は低い唸り声を上げながら、ゆっくりと俺に近づいてくる。
その一歩ごとに、周囲の空気がビリビリと震えている気がする。
俺のスマホのコメント欄は、先ほどから滝のような速度で流れていた。
ーーーーー
【コメント欄】
ダンジョンマニアLv.55:
終わった これマジで「銀の絶望」フェンリルだ
名無しの探索者:
なんでこんな所にラスボスクラスがいるんだよ!? 逃げろ兄ちゃん! 目を合わせるな! 魂ごと喰われるぞ!
獣魔ギルド職員:
ああ……あの「威圧」だけで、画面越しの俺のペット(ワイバーン)が失禁してる もう助からない。せめて苦しまずに……
視聴者たちはパニック状態だが、俺には彼らが何をそんなに怖がっているのか分からなかった。
確かにデカイし目つきは悪いが、尻尾が少し下がっている。
祖母の教えその十、『獣が唸るのは、怖いか腹が減っているかのどちらかだ』。
こいつはきっとお腹を空かせてピリピリしているだけだろう。
「よしよし、怖くないぞー。飯か? 飯が食いたいのか?」
俺は刺激しないようにゆっくりと手を差し出した。
その瞬間。
『ガァアアアアアアッ!!』
野良犬が爆発的な加速で飛びかかってきた。
速い。
普通の人間なら反応すらできない速度だろう。
だが、俺にはスローモーションに見えた。
彼(彼女?)の狙いは俺の喉元――ではなく、俺の後ろにある「干し肉」の入ったカゴだ。
そうかやっぱり腹ペコだったのか。
でも、だからといって人様の食料を勝手に奪おうとするのはマナー違反だ。
「――コラッ!」
俺は手近にあった「古新聞」を丸めた棒を手に取り、反射的に振るった。
祖母が野菜を包むのに使っていた数年前の新聞紙だ。
俺はそれを、飛びかかってくる野良犬の鼻先めがけて、軽く振り下ろした。
スパンッ!!
小気味よい音が響いた。
ただの新聞紙である。
丸めただけの紙の棒だ。
しかし、俺の『農具の呼吸・参ノ型――害獣追い』が乗ったその一撃は、物理的な衝撃だけでなく対象の「戦意」を挫く精神的なショックウェーブを伴っていたらしい。
『キャインッ!?』
野良犬の巨体が空中で不自然に静止した。
そして、まるで透明なハンマーで殴られたかのようにきりもみ回転しながら地面に叩きつけられた。
ドスンッ!!
土煙が上がる。
野良犬は地面を転がり納屋の壁にぶつかって止まった。
目を白黒させ、信じられないものを見るような顔で俺を見上げている。
ーーーーー
【コメント欄】
ダンジョンマニアLv.55:
は?
通りすがりの剣士:
いま、何が起きた? フェンリルの突進(音速超え)を、新聞紙で……迎撃した……?
魔法使い見習い:
あの新聞紙、アーティファクトか何か?
検証班A:
いや、どう見てもただの朝刊です。 フェンリルの防御力はオリハルコン並みだぞ? それが「キャイン」って……
「あー、ごめんごめん。ちょっと強く叩きすぎたか?」
俺は慌てて駆け寄った。
さすがに丸めた新聞紙とはいえ鼻先は急所だ。
痛かっただろう。
野良犬は、俺が近づくと『ヒィッ!』と短く鳴いて、体を小さく丸めた。
完全に怯えている。
耳をペタンと伏せ、尻尾を股の間に巻き込んでいる。
「怒らないから。でもな、勝手に盗み食いはダメだぞ。ちゃんと『ちょうだい』って言わないと」
俺はしゃがみ込み諭すように言った。
野良犬は恐る恐る俺の顔色を窺っている。
金色の瞳が潤んでいて、さっきまでの凶暴さはどこへやら、完全に捨て犬のそれだ。
「よし、まずは挨拶からだ。座れ」
俺は指を差して命じた。
野良犬はビクッとしたが、すぐにその巨体を器用に折りたたみちょこんと座った。
「お座り。うん、偉いぞ」
「次は、お手」
俺が手のひらを出すと、野良犬は躊躇しながらも巨大な前足を俺の手の上に乗せた。
肉球がプニプニしていて気持ちいい。
爪は鋭いが、俺を傷つけないように引っ込めているのが分かる。
賢い犬だ。
「よしよし、いい子だ。賢いなぁお前」
俺はご褒美に野良犬の頭をワシャワシャと撫で回した。
毛並みが最高だ。
シルクのような手触りの中に、鋼のような筋肉の弾力がある。
これは極上のモフモフだ。
『クゥ~ン……』
野良犬は、最初は強張っていたが俺の「マッサージ(凝りをほぐす指圧)」が気持ちよかったのか次第にトロンとした目つきになり、俺の手に頭を擦り付けてきた。
喉をゴロゴロと鳴らしている。
完全に陥落したようだ。
ーーーーー
【コメント欄】
ダンジョンマニアLv.55:
フェンリルが……お座りした……
獣魔ギルド職員:
ありえない。フェンリルは誇り高い魔獣だ。人間ごときに屈服するなんて、歴史上ありえないんだ
名無しの視聴者:
↑でも兄ちゃん、新聞紙一発で沈めたぞ。力関係が圧倒的すぎる
もふもふ勢:
待って、めっちゃ可愛いんだけど! 撫でられてる時の顔、完全にデレた犬じゃん!
スパチャ:
¥10,000 「ドッグフード代に使ってください」
「おっ、スパチャありがとうございます! ドッグフード代、助かります」
俺は画面に向かってお礼を言い、それから野良犬に向き直った。
「そうだな、お前もお腹空いてるもんな。ご褒美をやろう」
俺は先ほど狙われていたカゴの中から干し肉を取り出した。
これはただの干し肉ではない。
祖母が冷蔵庫(氷魔法石式)に残していた「コカトリスのささみジャーキー」だ。
少し賞味期限が怪しいが犬なら大丈夫だろう。
「ほら、食え」
俺が差し出すと、野良犬は『ハッ!』と目を見開き信じられないという顔をした。
まるで「この至高の供物を、我に?」とでも言いたげだ。
そして、パクっと一口で食べた。
『ハグッ、ムシャムシャ……!』
よほど美味かったのか尻尾をブンブン振っている。
風圧ですごい風が起きているが可愛いので許す。
「もっと食うか? まだあるぞ」
俺は追加で、昨日のおかずの残りである「猪肉(オークジェネラルの角煮)」も皿に出してやった。
野良犬は夢中で貪り食った。
完食すると満足げに『ワンッ!』と一鳴きして俺の足元に寝転がった。
お腹を見せて「撫でれ」と催促している。
完全に懐かれたようだ。
「ははは、可愛いなぁ。この山には友達がいなくて寂しかったからちょうどいいや」
俺は野良犬の腹――温かくて柔らかい毛皮――を撫でながら視聴者に話しかけた。
「えー、というわけでなんか野良犬を保護しました。首輪もしてないし、しばらく家で面倒を見ようと思います」
ーーーーー
【コメント欄】
ダンジョンマニアLv.55:
野良犬保護www 保健所が裸足で逃げ出すレベル
通りすがりの剣士:
もうツッコむのに疲れた。この配信、癒やし枠だわ
名無しの視聴者:
名前つけようぜ! かっこいいやつ! 「銀牙」とかどう?
中二病:
「ヴォルテクス・ファング」がいい
コメント欄では名前の議論が白熱している。
俺は野良犬の顔を覗き込んだ。
銀色の毛並みに少し間の抜けた幸せそうな寝顔。
俺の中で名前は一択だった。
「よし、お前の名前は『ポチ』だ」
『……?』
野良犬――ポチは片耳をピクリと動かしたが、嫌そうではなかった。
むしろ「主が名をくれた!」と喜んでいるようにすら見える。
「ポチ、今日からお前はうちの番犬な。畑を荒らす猪とか出たら追い払ってくれよ」
『ワォン!(承知! 我が主の領域は、我が命に代えても守り抜かん!)』
ポチは頼もしげに吠えた。
言葉は通じないが、なんとなく意思疎通ができている気がする。
俺は満足して立ち上がった。
「さて、草むしりもしたし、薪も割ったし、番犬もできた。今日は最高の初配信になりましたね」
日が暮れかけている。
山奥の夕焼けは燃えるように赤く美しい。
俺はスマホのカメラを夕焼けに向け、締めの挨拶に入った。
「そろそろ晩ごはんの支度をするので、今日の配信はこの辺で終わります。見てくれた皆さん、ありがとうございました。明日は……そうだな、畑を耕そうと思います」
俺は手を振り配信終了ボタンを押した。
『配信を終了しました』
『総視聴回数:15,430回』
『最大同時接続数:3,200人』
『獲得スーパーチャット:¥58,000』
画面に出た数字を見て俺は目を丸くした。
「ご、五万……!? 初配信で!?」
俺の手取り月給の三分の一近い額が、たった数時間の草むしりと犬の世話で稼げてしまった。
これは……もしかして、とんでもないことになるかもしれない。
俺は震える手でポチの頭を撫でた。
「ポチ、俺たち、食いっぱぐれずに済むかもしれないぞ」
『クゥン(当然だ、主よ。貴公は世界の王となる御方なのだから)』
ポチは同意するように俺の手を舐めた。
俺が「今夜は豪華にステーキ(ドラゴンの尻尾肉)にしようか」と冷蔵庫を開けている頃。
麓の街に設置された『探索者ギルド・緊急対策本部』には、一機の武装ヘリコプターが爆音と共に着陸しようとしていた。
降りてきたのは、白銀の軽鎧に身を包んだ絶世の美少女。
国内最強のSランク探索者にして『剣姫』の異名を持つ如月凛華その人である。
「状況は!?」 凛
華は回転するローターの風を切り裂き出迎えたギルド職員に叫んだ。
「最悪です! 目標地点の魔素濃度は上昇の一途! さらに現地ではフェンリルの反応が確認されています!」
「フェンリル……!?」
凛華の美しい顔が蒼白になる。
「そんな……生存者は!?」
「それが……配信は終了しましたが、直前の映像では……」
職員は言い淀みタブレットを差し出した。
そこに映っていたのは、巨大なフェンリルを枕にしてくつろぐ一人の青年の笑顔だった。
「は……?」
凛華は言葉を失った。
フェンリルを手懐けている……? この男、何者なの……?」
「わかりません。ですが、彼が今、世界で最も危険な場所で、最も危険な生物と接触していることは事実です」
凛華は唇を噛み締め腰の愛剣を強く握った。
「行くわよ。彼が何者であれ、民間人を放置するわけにはいかない。――私が必ず連れ戻す」
彼女の瞳には決死の覚悟が宿っていた。
自分が向かおうとしている場所が、死地ではなく、ただの「のどかな農家」であることなど知る由もなく。
世界最強の剣姫と無自覚最強の農家。
二人の邂逅はもう目の前に迫っていた。




