庭の草むしりを配信したら、なぜか視聴者が震え上がっている件
空気が、美味い。
ただ呼吸をしているだけなのに体の細胞の一つひとつが歓喜の声を上げているのがわかる。
「……やっぱり、ばあちゃんの家は最高だなあ」
俺、雨宮海人はボロボロの軽トラックの運転席から降り立つと思い切り伸びをした。
目の前に広がるのは鬱蒼とした原生林とその奥にひっそりと佇む古民家だ。
柱は太く屋根は茅葺き。
築何年なのか検討もつかないが不思議と威圧感のある立派な家である。
ここに来るまでが大変だった。
埼玉県の山奥にあるとは聞いていたが、舗装された道路は途中で途切れカーナビは「目的地周辺です」と告げたまま沈黙。
最後は獣道としか思えない急斜面を軽トラのサスペンションをきしませながら登りきったのだ。
携帯のアンテナを確認する。
当然のように『圏外』の文字。
「ま、いいか。ブラック企業からの電話も鳴らないってことだし」
俺は一週間前まで都内のシステム開発会社に勤めていた。
月残業百五十時間、上司からのパワハラは日常茶飯事、終電で帰って始発で出社する生活。
心も体も限界を迎え、駅のホームで倒れたところを救急搬送され――そのまま辞表を叩きつけた。
そんな俺を救ってくれたのが先月他界した祖母の遺言だった。
『海人や。都会で辛くなったらこの家にお帰り。あそこは空気も濃いし野菜も元気がいい。お前ならきっと楽しく暮らせるはずじゃ』
弁護士を通じて渡された鍵と権利書。
俺は逃げるようにしてこの山奥へとやってきたのだ。
「さてと、荷物を運び込むか」
誰もいないはずの山中だが不思議と寂しさは感じない。
むしろ、森全体が「おかえり」と歓迎してくれているような気配すらある。
幼い頃、夏休みになるたびに預けられていた場所だからだろうか。
あの頃は祖母のスパルタ教育――薪割りの角度だの、熊との相撲の取り方だの――に泣かされた記憶があるが、今となってはそれも良い思い出だ。
家の中に入ると埃一つ落ちていないことに驚かされた。
祖母が亡くなって一ヶ月は経っているはずなのにまるで昨日まで誰かが住んでいたかのように清浄な空気が満ちている。
「電気は……通ってるな。水道も出る。ガスはプロパンか」
そして何より驚いたのが居間のちゃぶ台の上に置かれていた黒いルーターのような機械だ。
表面に『Magic Wi-Fi』と油性ペンで書かれている。
コンセントに繋がっていないのにランプが青く点灯していた。
「ばあちゃんの形見かな。……うわ、早っ」
スマホを繋いでみるとアンテナがバリ3本立ち、動画サイトが爆速で読み込まれた。
光回線どころの騒ぎではない。
ライフラインは完璧だ。
貯金は雀の涙ほどしかないが、ここなら畑もあるしなんとかなるだろう。
「よし。じゃあまずは生存報告といきますか」
俺はスマホを手に取った。
会社を辞めた勢いで動画配信サイト『D-Tube』のアカウントを作っておいたのだ。
どうせ田舎暮らしをするならその様子をVlogとして記録に残そうと思っていた。
あわよくば、収益化して生活費の足しになればラッキーくらいの気持ちで。
チャンネル名は『海人のスローライフ日記』。
登録者数ゼロ。
アイコンは初期設定のまま。
「テスト配信、テスト配信。……よし、映ってるな」
三脚代わりに空のペットボトルにスマホを立てかけインカメラにする。
画面には、パーカーに作業ズボンという冴えない格好の俺と、背後の古民家が映し出されていた。
同時接続者数は『0人』。
まあ平日の昼間だし、告知もしていないのだから当然だ。
「えー、初めまして。海人と言います。今日からこの山奥の家で暮らすことになりました。まずは手始めに……そうだな」
俺はカメラを持って縁側に出た。
目の前に広がるのはかつて祖母が手入れしていた家庭菜園だ。
しかし一ヶ月の放置は致命的だったらしい。
そこは野菜畑というより魔境と呼ぶにふさわしい有様になっていた。
「すごいなこれ……。雑草の生命力が強すぎる」
大人の背丈ほどもある赤黒い草がうねるように生い茂っている。
普通の雑草ではない。
茎には棘があり葉からは紫色の謎の煙が立ち上っているように見える。
山奥特有の植物だろうか。
「とりあえず今日はこの草むしりをしようと思います。畑を使えるようにしないと明日からのご飯に困るんで」
俺は納屋から使い慣れた鎌と軍手を取り出しカメラを畑の前にセットした。
タイトルを【田舎暮らし】庭の草むしりします【初見さん歓迎】と入力し配信スタート。
視聴者はまだ0人。
独り言みたいで恥ずかしいが、記録用だと割り切ろう。
「じゃあ、一番手前のこれから抜いていきますね」
俺は畑の入り口に鎮座する特に巨大な雑草に手を伸ばした。
根元がカブのように膨らんでいて、そこから人間の腕のような太いツルが何本も伸びている。
ガシッ、と根元を掴む。
軍手越しにも妙に生温かい感触が伝わってきた。
「んっ、硬いな……。よいしょっ!」
腰を入れて一気に引き抜く。
ズズズズズ……ッ!
地響きのような音と共に土が盛り上がる。
祖母に叩き込まれた足腰の使い方は体が覚えていた。
俺の筋力は一般人並みのはずだが、祖母直伝の『鍬の呼吸』を使うと不思議と力が湧いてくるのだ。
スポンッ!!
小気味よい音と共にその雑草は土から抜け出した。
全長二メートル近い異様な形の根っこだ。
その瞬間だった。
『ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!』
鼓膜をつんざくような甲高い絶叫が響き渡った。
風が吹き荒れ、紫色の煙が爆発的に広がる。
引き抜かれた根っこの表面には苦悶の表情を浮かべた人の顔のような模様が浮かび上がり、そこから悲鳴を上げているのだ。
「うおっ、うるさ!」
俺は思わず耳を塞いだ。
最近の雑草は抜かれると音が出るのか? 虫除けのための進化だろうか。
それにしても近所迷惑だ。
この山に近所なんてないけれど。
「こら、静かにしろ。ご近所さんに聞こえるだろ」
俺は悲鳴を上げる根っこの「おでこ」にあたる部分を親指と中指でピンッと弾いた。
デコピンである。
パァンッ!!
乾いた破裂音が響いた。
空気を切り裂く衝撃波が生まれ雑草の「顔」部分がひしゃげる。
悲鳴がピタリと止まった。
根っこは白目を剥くようにしてダラリと脱力し動かなくなった。
「ふう、やっと静かになった。……あ、もしかして貴重な山菜だったかな? まあいいや、肥料にしよう」
俺は動かなくなった雑草を「燃えるゴミ」と書いたスペースへ放り投げた。
手をパンパンと払い、カメラに向き直る。
「えー、見ての通り、ここの雑草はちょっと元気みたいです。根っこが深くて大変ですがどんどん抜いていきますね」
そう言って笑顔を作ったときふとスマホの画面を見て気づいた。
いつの間にか、『同時接続者数:1人』になっていたのだ。
「お、一人来てくれた! こんにちは、初めまして!」
初めての視聴者だ。
俺は嬉しくなって画面を覗き込む。
コメント欄に文字が流れていた。
ーーーーー
【コメント欄】
ダンジョンマニアLv.55:
え? ちょ、待って 今映ってるの、本物のマンドラゴラ・アビス(深淵の悲鳴草)じゃないですか? いや、CGか?それにしては質感がリアルすぎる
「マンドラゴラ・アビス? 詳しいですね。この辺では『オオナキ草』って呼んでる雑草ですよ。こいつらうるさいんで、見つけたらすぐシメないとダメなんです」
ダンジョンマニアLv.55:
雑草!?シメる!?嘘だろ、あれSランク指定の即死トラップだぞ
音波だけでレベル30以下の探索者は脳が破壊されるんだが
なんでお兄さん、耳栓なしでピンピンしてるの?
「あはは、面白い冗談ですね。確かにすごい音でしたけど、脳が破壊されるなんて大げさですよ。俺なんてブラック企業で部長の怒鳴り声聞き慣れてるんで、これくらいへっちゃらです」
ダンジョンマニアLv.55:
いや、そういう問題じゃなくて
しかも今のデコピン、衝撃波見えたぞ…… 音速超えてなかったか?
ここ、どこのスタジオ?
「スタジオじゃないですよ。埼玉の山奥のばあちゃんの家です。じゃあ次いきますねー」
俺は視聴者さんの冗談(ロールプレイというやつだろうか?)を適当に受け流し次の獲物へと向かった。 次に目をつけたのはまるで鉄パイプのように硬いトゲが生えたツル植物だ。
祖母の家には鎌しかなかったが、まあ祖母の鎌は切れ味が鋭いから大丈夫だろう。
「次はこいつです。硬そうに見えますけど節のところを狙えば……」
俺は錆びついた鎌を構える。
呼吸を整える。
『農具の呼吸・壱ノ型――夏草刈り』。
ヒュンッ、と風を切る音と共に鎌が閃いた。
カキンッ!!
金属音のような音が響き鋼鉄のツルがバターのように両断された。
切断面からドクドクと赤い液体が噴き出しツルがのたうち回るが、俺は慣れた手付きでそれを細切れにしていく。
「はい、一丁上がり。お、また一人増えましたね」
スマホを見ると同接が『5人』に増えていた。
先ほどのマニアさんが拡散してくれたのだろうか。
ーーーーー
【コメント欄】
ダンジョンマニアLv.55:
拡散してきた。
お前らこれ見ろ、ヤバいぞ
通りすがりの剣士:
何これ、特撮?
魔法使い見習い:
うわ、アイアン・ヴァイン(鉄装蔦)じゃん! 物理無効の魔植物だよこれ
なんで鎌一本で切れてるの???
ダンジョンマニアLv.55:
しかもあの鎌、ただの農具だぞ。
魔力付与の輝きが見えない
通りすがりの剣士:
合成乙。そんな場所日本にあるわけない
「あ、コメントありがとうございます! 合成じゃないですよー。ちょっと手入れサボってたんで荒れ放題ですけど、空気はいいところです」
俺は額の汗を拭いながら爽やかに笑いかけた。
画面の向こうで視聴者たちが戦慄していることなど露知らず。
俺はただ、久しぶりの土いじりの楽しさと、ブラック企業のストレスから解放された喜びに浸っていたのだ。
だが、この時の俺はまだ知らない。
俺が「ばあちゃんの家」だと思っているこの場所が、世界中の探索者が到達を夢見ながら誰も辿り着けなかった人類未踏の地――『SSSランクダンジョン・天界の山麓』の最深部エリアであることを。
そして、俺が「雑草」として処理しているのが国家予算レベルの素材や、軍隊を壊滅させるような魔物たちであることを。
――同接数、10人突破。
伝説の勘違いスローライフ配信は、こうして静かに、しかし確実に幕を開けたのだった。




