第58話 これは、わたくしの物語
「はははははは! そうだ、それでいい! それがお前の本来の姿だ、イザベラ! 絶望にひざまずく哀れな贄の乙女!」
王の狂喜の高笑いが、崩れゆく星の塔の最上階に木霊する。
まるで砕け散ったわたくしの心の破片を、一つずつ踏みにじって愉しんでいるかのよう。
黒い影の幻影が輪を成して取り囲む。失望で見下ろす父と母。憎悪の涙を流すエミリアさん。軽蔑を投げるカイン様。すべてを嘲るように肩をすくめるノア。
無数の冷たい視線が、氷の矢となって魂に突き刺さる。
痛い。
痛い、痛い、痛い。
九十九回味わったどの物理の痛みより、深く鈍く。
世界は色を失い、モノクロームの悪夢へ変わっていく。九十九回繰り返した孤独の気配が背後から忍び寄り、冷たい指で心を鷲掴みにした。
「イザベラ様ッ!」
「お姫様ッ!」
本物のカイン様とノアの悲痛な叫びが、遠くで反響する気がした。
けれど、もう耳には届かない。心はまた、あの孤独な闇へ沈もうとしていた。
(……ああ、そう。やはり、わたくしは一人)
冷たい諦観がすべてを支配しようとした、その瞬間――
ふと、思った。
本当に、そうかしら、と。
確かに、わたくしは一人だった。九十九回、ずっと一人だった。
理解されず、愛されず、同じ絶望の舞台で同じ哀れな役を演じ続けた――事実だ。消えない傷だ。
けれど。
百回目のわたくしは、本当にまだ一人?
うなだれたまま、瞼の裏に思い浮かべる。幻影ではない、本物の彼らの顔。
暑苦しいほど真っ直ぐにわたくしを見た翠の瞳。
「俺が、必ず、あんたを守る」
あの一点の曇りもない光。面倒で騒々しく非効率――それでも、その温かさは凍てついた心をたしかに少し溶かした。
太陽みたいにただ温かく見守ったヘーゼルナッツ色の瞳。
「わたくし、イザベラ様のお力になりたいんです!」
焦げた不格好なクッキーを差し出した、あの潤んだ光。迷惑でお節介で眩しすぎた――けれど、その不器用な優しさはささくれだった心をたしかに少し癒やした。
胡散臭く楽しげに挑発してくる銀の瞳。
「最高のハッピーエンドをプレゼントしてご覧にいれますぜ」
悪戯っぽく笑った、すべてを見透かすような光。腹立たしく油断ならない――それでも、交わす知的な遊戯は退屈な日常の唯一の彩りだった。
そして父と母。
彼らはわたくしを理想の人形として見ていたのかもしれない。けれど――
わたくしが初めて自分の意志を口にした日。
「あなたの平穏を、あなた自身の手で取り戻すのです!」
涙ながらに背を押した母の震える手。
「我が娘ながら、大した大物よ」
どこか誇らしげに笑った父の不器用な横顔。
それもまた紛れもない真実。
彼らは完璧ではない。面倒で厄介で、ときに安眠を妨げる。
けれど、わたくしへ向けられた温かい感情は、王の冷たい幻影とはまるで違う。
百回目で初めて手に入れた、かけがえのない宝物。
「……ええ、そうかもしれませんわね」
か細く、しかし確かな呟きが唇からこぼれる。
王は勝利を確信し、笑みを深くした。
「そうだ、認めろ、イザベラ。お前の孤独を」
ゆっくり顔を上げる。
膝をついたまま、取り囲む絶望の幻影を一人ひとり見返した。
アメジストの瞳に、もはや絶望はない。静かで澄み切った湖面のような穏やかさだけ。
「わたくしは、一人なのかもしれませんわ」
静かな肯定。王が満足げに頷く。
「けれど――」
続ける声は穏やかで、一語一語に揺るぎない意志が宿っていた。
「わたくしが彼らを大切に想う、この気持ちは」
「わたくしだけのものですわ」
「誰にも、汚させはしませんのよ」
絶叫ではない。
世界の理そのものへ突き立てる、魂の宣言。
言葉が引き金になった。
魂の奥底から、温かく力強い黄金の光が奔流となって溢れ出す。
それは聖女の奇跡ではない。誰かに与えられた借り物ではない。
百回目で初めて自ら育んだ「絆」という感情そのものが魔力へ昇華した、わたくしだけの光。
黄金の光が身体を包み、やさしく黒い幻影に触れていく。
「――っ!?」
王が信じられないものを見るように目を見開く。
千年の呪いは、陽に解ける雪のように、温かな光の前で力を失っていく。
父母の幻影は冷たい侮蔑を崩し、最後に不器用で優しい微笑みを残して光に溶けた。
エミリアさんの幻影は憎悪の涙を止め、「ありがとう、イザベラ様」と囁いて安らかに消える。
カイン様の幻影は軽蔑を改め、騎士の最敬礼を捧げて誇らしげに消えた。
ノアの幻影は氷の仮面を外し、悪戯っぽく肩をすくめる。「さすがですぜ、我が女王陛下」と口元で呟き、満足げに消えた。
浄化ではない。
わたくしの心にある「彼らの本当の姿」が、王の偽りを上書きしたのだ。
「ば、馬鹿な……! 我が千年の呪いが、小娘一人の感傷ごときに……! ありえんッ!」
王が狼狽の声を上げる。絶対の自信が初めて揺らいだ。
幻影はすべて消え、最上階に静寂が戻る――いや、違う。
ここには、わたくしと王、そしてわたくしの仲間だけが残った。
ゆっくり立ち上がる。
全身から放たれる黄金のオーラは、崩壊する塔のなかで唯一揺るがぬ光の柱。
疲れたようで、どこか吹っ切れた表情で玉座の王を見据え、口元に不敵で、どこまでもわたくしらしい笑みを浮かべる。
「それに――」
静かな声に、もう迷いはない。
「あなたのような騒がしい方がいる限り」
「わたくし、安心して眠ることもできませんのよ」




