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ループ100回目の悪役令嬢は、もう平穏に昼寝がしたい  作者: 河合ゆうじ
安眠妨害の元凶を排除いたしますわ

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第46話 招かれざる客、その名は正義

星見の間の空気は、シン、と張り詰めていた。

天井に広がる、千年前の偽りの星々が、まるで、これから始まる、神々の対局を、固唾をのんで見守っているかのようだった。


「――お主の、その、たった一つの『安眠』が、この、百万の民が紡いできた、千年の『安寧』に、勝るのかどうかを」


星詠みの老人が、静かに構えた樫の杖の先端に、星々の光が集まっていく。その問いは、世界の理そのものが、わたくしに突きつけた、最後の、そして、最大の挑戦状だった。


わたくしの隣で、ノアが、ごくり、と息を呑む気配がした。おそらく、彼は、わたくしが、この、あまりに重い問いに、どう答えるのか、その一言一句を、聞き逃すまいと、全神経を集中させているのだろう。


わたくしは、ゆっくりと、息を吐いた。

それは、ため息ではない。

これから、この、物分かりの悪い、ご老人に、世界の、極めてシンプルな真理を、説いて聞かせるための、ほんの、準備運動のようなもの。


「番人殿。あなたは、どうやら、一つ、大きな、そして、根本的な、勘違いを、なさっているようですわね」

わたくしの声は、春の夜風のように、穏やかだった。


「……勘違い、じゃと?」


「ええ。あなたは、先ほどから、『百万の民の幸福』と、おっしゃる。ですが、その『百万』という数字は、わたくしにとっては、何の意味も持たない、ただの、記号に過ぎませんのよ」

わたくしは、一歩、前へと踏み出した。そして、老人の、その、星の光を宿した瞳を、真っ直ぐに、見つめ返す。


「わたくしにとって、この世界に、確かな『意味』を持つ人間は、そう多くはございません。わたくしの、安眠を妨げる、暑苦しい忠犬が、一人。わたくしの、退屈を紛らわせてくれる、胡散臭い共犯者が、一人。そして、わたくしに、少し焦げたクッキーをくれる、太陽のような少女が、一人」


わたくしは、指を折りながら、数えてみせる。

「まあ、あとは、おまけで、毎日、美味しい紅茶を淹れてくれる、侍女が一人、といったところかしら。それ以外の方々は、大変、申し訳ございませんが、わたくしの世界においては、美しい風景を構成するための、背景の一部、という認識でしてね」


その、あまりに、純粋で、あまりに、絶対的な、利己主義。

星詠みの老人は、その言葉を聞いて、初めて、その、千年の時を刻んだ顔に、理解を超えたものに対する、純粋な、困惑の色を、浮かべた。


「お主は……お主は、一体……」


「ですから、あなたのその問いは、根本から、間違っておりますの。わたくしの『安民』と、天秤にかけるべきは、『百万の民』ではございませんわ」

わたくしの口元に、三日月のような、冷たく、そして、美しい笑みが、浮かぶ。


「わたくしの、安眠を妨げるものが、もし、あの、暑苦しい忠犬や、太陽の少女の、幸福を、脅かすというのなら。その時こそ、わたくしは、生まれて初めて、真剣に、悩むことになるのでしょうね。どちらの『面倒事』を、優先して、排除すべきか、と」


その、常軌を逸した、価値基準。

星詠みの老人は、もはや、言葉を失っていた。彼は、千年の長きにわたり、数多の王と、賢者と、そして、贄となる乙女たちを、見てきたはずだ。だが、目の前の、この、白金の髪を持つ少女は、彼が知る、どの人間とも、異なっていた。

神にも、悪魔にもなれず、ただ、ひたすらに、自分自身の、心地よさだけを、世界の中心に据える、孤高の、絶対者。


「……狂っておる」

老人が、ようやく、絞り出した声は、かすれていた。「だが、その狂気は……千年の理をも、捻じ曲げる、力を持つやもしれぬ……」


「いやはや、神々の対話ですな、これは」

わたくしの背後で、ノアが、そんな、不謹慎な呟きを漏らしたのを、わたくしは、聞き逃さなかった。後で、彼のおやつのマカロンを、一つ、減らして差し上げましょう。


その、神聖ですらあった、奇妙な対話の空気を、一つの、無粋な音が、無慈悲に、引き裂いた。


ドゴォォォンッ!!


地下通路の、遥か奥。わたくしたちが、入ってきた扉の方角から、何か、巨大なものが、壁に叩きつけられるような、轟音が響き渡ったのだ。

天井から、パラパラと、砂塵が落ちてくる。


「……何事じゃ」

星詠みが、鋭く、そちらに視線を向けた。「この、星見の間の結界を、力ずくで、破ろうとしておる者が、おる。何千年と、なかったことじゃが……」


ノアが、即座に、臨戦態勢を取った。その銀の瞳が、剣呑な光を放つ。

しかし、わたくしは、まるで、うるさい隣人が、壁の工事でも始めたかのような、そんな、うんざりとした顔で、ため息をついただけだった。


「まあ、せっかくの、静かな場所が、また一つ、失われてしまいますわね。本当に、この世界は、わたくしに、安らかに眠ることを、許してはくれないらしい」


わたくしの、その、どこまでもマイペースな呟きに、ノアが、呆れたような、しかし、どこか、楽しげな視線を向けた、その時だった。


通路の奥の、崩れかけた扉の向こうから、複数の、松明の、ぎらついた光が、差し込んできた。

そして、その光と共に、複数の、乱暴な、軍靴の音が、この、神聖な空間の静寂を、土足で、踏み荒らしながら、近づいてくる。


やがて、その姿が、はっきりと、現れた。

先頭に立っていたのは、ユリウス・テオ・ド・ラ・ファイエット王子、その人だった。

彼の、完璧に整えられていたはずの金髪は乱れ、その美しい顔は、先日の屈辱と、不眠によって、病的なまでに青白い。しかし、その、空色の瞳だけは、獲物を見つけた狩人のような、狂信的な光を、不気味なほど、爛々と、輝かせていた。


「……見つけたぞ、イザベラ」


彼の声は、この神聖な空間には、あまりに不釣り合いな、俗な権力と、個人的な憎悪に、どろりと、濁っていた。

「我が国の、安寧を乱す、真の魔女め」


わたくしは、ゆっくりと、その、招かれざる客へと、視線を向けた。

そして、まるで、道端で、偶然、知り合いに会ったかのような、軽い調子で、声をかけた。


「あら、これは、ユリウス殿下。ごきげんよう。随分と、お疲れのご様子ですわね。昨夜は、よく、お眠りになれなかったのかしら?」


例の、わたくしからの『贈り物』の件を、暗に、そして、これ以上なく、優雅に、突きつける、痛烈な皮肉。

その一言で、ユリウスの、かろうじて保たれていた、理性の仮面が、ぴしり、と、音を立てて、ひび割れたのが分かった。


「……貴様ッ!」

彼の顔が、憎悪と、屈辱に、醜く歪む。


彼は、わたくしの隣に立つ、星詠みの老人を一瞥すると、すぐに、自分の都合の良いように、物語を、作り上げた。

「ほう、古の魔女と、それに連なる、闇の一族か! やはり、お前たちは、グルだったのだな! この国の禁忌に触れ、闇の力で、世界を、混乱に陥れようとは! この、わたくしが、まとめて、裁きの鉄槌を、下してやろう!」


その、あまりに、陳腐で、独善的な台詞。

わたくしは、もはや、返事をする気にもなれず、ただ、静かに、見ていた。

すると、今まで沈黙を守っていた、星詠みの老人が、初めて、ユリウスへと、その、星の瞳を向けた。


「……王家の、若獅子よ」

老人の声は、静かだったが、その一言一句に、千年の重みが、宿っていた。「お主の瞳は、驕りと、憎悪に、曇っておる。その瞳では、真実は、見えぬぞ。今すぐ、この聖域から、立ち去るがよい。さもなくば、王家の血筋とて、容赦はせぬ」


しかし、ユリウスは、その、最後の警告を、鼻で笑い飛ばした。

「黙れ、滅びゆく亡霊が! 正義は、いつの時代も、この、わたくしと共にある! お前たちのような、過去の遺物は、わたくしの、新しい時代の、礎となれば、それでよいのだ!」


ああ、始まった。

面倒くさい男たちの、独りよがりな、正義のぶつけ合いが。

わたくしは、この、不毛な光景に、心の底から、うんざりして、大きな、大きな、欠伸を、隠そうともせずに、してみせた。


「皆様、お話の途中、まことに恐縮ですが、その、陳腐な演劇は、他所で、やっていただけませんこと? わたくし、そろそろ、本当に、眠くなってまいりましたの」


その、わたくしの、あまりに、空気を読まない、一言。

それが、ユリウスの、最後の、理性の糸を、完全に、断ち切った。


「まだ、そのような口を……! いいだろう、イザベラ! お前の、その、氷の仮面を、わたくしが、この手で、剥がしてやる!」

彼の顔が、狂喜と、勝利への確信に、歪む。


「お前一人の力では、このわたくしには、到底、敵わぬ。お前の、その、小賢しい仲間たちも、ここには、いない。だが、安心するがいい。お前のための、最高の『説得役』を、わざわざ、連れてきてやったぞ」


彼の、その、芝居がかった、言葉。

それと共に、彼の背後の、暗がりから、一つの、人影が、兵士に腕を引かれ、よろめきながら、姿を現した。

栗色の髪。大きな、ヘーゼルナッツ色の瞳は、恐怖と、混乱に、絶望的に、揺れている。

その、か弱く、そして、おびえたような、人影。


わたくしの、胸の奥で、何かが、ドクン、と、大きく、そして、不快に、脈打った。


ユリウスは、その人影――エミリア・ブラウンの肩を、優しく、しかし、決して、逃がさぬように、強く、抱きしめた。

そして、その口元に、悪魔のような、勝利の笑みを、浮かべた。


「さあ、出てくるがいい、エミリア」

彼の声は、どこまでも、甘く、そして、残酷だった。


「そして、この、哀れな魔女に、真実の光を、見せてやるのだ」

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