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ループ100回目の悪役令嬢は、もう平穏に昼寝がしたい  作者: 河合ゆうじ
安眠妨害の元凶を排除いたしますわ

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第43話 温かい感情は、安眠の敵か、味方か(下)

「いかがですかな、お姫様。過去の、ご自身の、絶望の遺産と、知恵比べを、してみる気は、おありですかい? それとも、ここで逃げ出して、快適な寝椅子の上で、この、厄介な問題は、見なかったことにして、お昼寝にでも、戻られますかな?」


逃げ出す。

その言葉が、わたくしの、心の、最も、触れられたくない部分を、ちくり、と刺した。

再び、あの、忌々しい壁に、挑む?

ひどく、面倒だ。結果が、分かっているのなら、まだしも、今度は、どうなるか、分からない。不確定要素の多い賭けなど、わたくしの、最も嫌うところだ。


けれど。

このまま、この問題を、放置しておく?

それは、それで、ひどく、寝覚めが悪い。まるで、喉の奥に、小さな魚の骨が、ずっと、引っかかっているかのような、不快な感覚。

そして、何よりも。


(……この、胡散臭い男に、『逃げた』などと、思われるのは、我慢がなりませんわね)


その、極めて、個人的で、そして、子供じみた、プライド。

それが、わたくしの、最後の、決断を、後押しした。


「……はぁ」


わたくしは、本日、何度目になるか分からない、最も、深くて、そして、重いため息をついた。

それは、諦観と、決意と、そして、底知れぬ疲労が混じり合った、複雑な音色をしていた。


「……よろしいでしょう」

わたくしは、ゆっくりと、立ち上がった。そして、差し伸べられた、ノアの手を、無視して、彼の横を、すり抜ける。

「試して、差し上げますわ。わたくしの、安眠の妨げになるものは、たとえ、それが、過去のわたくし自身が作り出した、感傷的な壁であろうとも、完璧に、排除するまでですわ」


その、どこまでも傲岸不遜な返答に、ノアは、心の底から楽しそうに、声を立てて笑った。

「ええ、ええ。それでこそ、俺たちの『女王陛下』だ」


ひんやりとした、静寂に満ちた、地下通路。

わたくしたちの足音だけが、闇の奥へと、吸い込まれていくように、響いている。

やがて、目の前に、あの、忌々しい壁が、姿を現した。

一見、ただの、何の変哲もない、石の壁。しかし、その表面には、禍々しいほどの、負の魔力が、まるで、澱のように、こびりついている。九十九回分の、わたくしの絶望が、作り出した、怨念の化石。


わたくしは、その壁の前に、静かに、立った。

かつてのように、心を「無」にしようとは、しない。そんなことをしても、無駄だと、もう、知っているから。

わたくしは、ゆっくりと、目を閉じた。

そして、意識を、自分の、心の内側へと、深く、深く、沈めていく。


そこに、浮かび上がってきたのは。

やはり、あの、三人の、厄介な顔だった。


カイン様の、あの、暑苦しいほどの、まっすぐな瞳。彼の、その、あまりに純粋な忠誠心は、わたくしの、完璧に計算された日常を、いとも容易く、破壊していく。面倒だ。実に、面倒だ。けれど、あの、翠の瞳に見つめられると、わたくしの、この、凍てついた心臓が、なぜか、力強く、脈打つのだ。


ノアの、あの、胡散臭い、銀の瞳。彼の、その、全てを見透かすような視線と、悪魔のような囁きは、わたくしの、平穏な思考を、かき乱していく。腹立たしい。実に、腹立たしい。けれど、彼と、知的な遊戯を交わしている時の、あの、脳髄が痺れるような高揚感は、九十九回の退屈を、忘れさせてくれる、唯一の劇薬だった。


エミリアさんの、あの、太陽のような、ヘーゼルナッツ色の瞳。彼女の、その、何の打算もない、無垢な善意は、わたくしの、完璧な孤独の聖域を、土足で、踏み荒らしていく。迷惑だ。実に、迷惑だ。けれど、彼女がくれた、少し焦げたクッキーの、あの、不器用で、優しい甘さは、わたくしの、ささくれ立った心を、不思議と、癒してくれるのだ。


面倒で。

腹立たしくて。

迷惑で。

そして、ひどく、厄介で。

けれど。


――温かい。


その、矛盾した感情の、渦。

それこそが、今の、この、百回目の、わたくしだけの、宝物。


その時だった。

わたくしの、魂の、奥底から。

今まで、感じたことのない、温かく、そして、力強い光が、溢れ出してきた。

それは、聖女の奇跡などという、大げさなものではない。

ただの、人間が、誰かを想う時に、自然と生まれる、ささやかで、そして、何よりも、尊い、黄金色の、光。


その光が、わたくしの体から、ふわりと、放たれ、目の前の、禍々しい壁へと、吸い込まれていく。


――ゴ、ゴゴ、ゴ……。


壁が、震えた。

今まで、どんな物理的な力も、どんな強力な魔法も、跳ね返し続けてきた、あの、絶望の壁が、まるで、呻き声を上げるかのように、震え始めたのだ。


壁に刻まれた、禍々しいルーン文字が、次々と、黄金色の光を放ち始める。

それは、まるで、長い、長い、冬の呪いが解けて、春の光が、差し込んでいくかのようだった。

負の魔力が、浄化されていく。絶望が、希望に、塗り替えられていく。


やがて、壁は、その震えを止め、一つの、巨大な、光の門へと、その姿を変えていた。

そして、重々しい、地響きのような音を立てながら、ゆっくりと、ゆっくりと、内側へと、その扉を、開いていく。


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ―――ッ!


何百年、いや、何千年も、閉ざされていたであろう、その扉が、ついに、開かれた。

その向こう側には、ただ、どこまでも深い、星屑を散りばめたような、美しい闇が、広がっていた。


その、荘厳で、神秘的な光景を。

わたくしは、そして、隣に立つノアは、ただ、息を呑んで、見つめていた。


わたくしは、そっと、自分の胸に、手を当てた。

そこには、あの、奇妙な「微熱」が、今までにないほど、確かに、そして、力強く、存在していた。

それは、もはや、不快な症状などではない。

わたくしの、この、凍てついた世界を、内側から、溶かしていく、新しいエンジンのような、頼もしく、そして、どこか、くすぐったい、温かさだった。


「……面白いでは、ありませんか」


わたくしは、開かれた、闇の向こうを見つめながら、誰にともなく、そう呟いた。

その声には、自分でも気づかないうちに、ほんの少しだけ、楽しげな色が、混じっていた。


「上等ですわ。この、面倒な世界の、本当の謎解きを、始めて差し上げますから」


わたくしの、その、挑戦的な横顔を、ノアは、満足げな、そして、どこか、誇らしげな笑みを浮かべて、見つめていた。

物語が、ついに、本当の意味で、動き出した。

その、確かな予感が、この、静かな地下聖域に、満ちていた。

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