第29話 騎士の葛藤
王立学園、第三訓練場。
舞い上がる砂塵と、汗と、そして、むせ返るような鉄の匂い。
カイン・アシュフィールドは、その中心にいた。
「――ハァッ!」
気合と共に、大剣が唸りを上げて振るわれる。その軌跡は、以前よりも、遥かに速く、鋭く、そして、重い。目の前に立ちはだかっていた訓練用のゴーレムが、断末魔の叫びを上げる間もなく、腰から真っ二つに断ち切られ、轟音と共に崩れ落ちた。
訓練場が、一瞬、静まり返る。
やがて、遠巻きに見守っていた騎士見習いたちの間から、畏敬の念のこもった、どよめきが上がった。
「……すごい。アシュフィールド様、あの大怪我の後、まるで別人のようだ」
「ああ。あれが、"聖女の祝福"を受けた騎士の力か……」
その賞賛の声は、しかし、カインの耳には届いていなかった。
彼は、荒い息をつきながら、手にした大剣を見つめる。
力が、みなぎっている。体内の魔力回路が、まるで新しい川のように、淀みなく、そして力強く、全身を駆け巡っているのが分かる。
これは、わたくしの力ではない。
あの日、あの人から、与えられた力だ。
けれど、彼の心は、その圧倒的な力とは裏腹に、まるで濃い霧の中を彷徨っているかのように、晴れなかった。
(あの人は、一体、何を考えていらっしゃるのだろう……)
訓練の合間、彼が思い浮かべるのは、いつも、イザベラ様の姿だった。
あの、全てを諦めたような、ガラス細工のように儚い瞳。
自分を治癒した時の、憂いを帯びた、決意の表情。
そして、自分に向けられる、決して本心を明かさない、氷のような、完璧な微笑み。
彼女は、聖女なのか?
それとも、孤独な、天才魔術師なのか?
なぜ、あれほどの力を持ちながら、まるで世界の全てが面倒であるかのように、いつも、静かに、遠くを見つめているのだろう。
分からなかった。
分からないからこそ、知りたかった。
そして、分からないからこそ、ただ、信じるしかなかった。
あの黄金の光を宿す人が、決して、間違った道を選ぶはずがない、と。
(わたくしは、あなたの剣。あなたが、その力を振るうことを望むなら、わたくしは、ただ、その切っ先となればいい。たとえ、その先に、何が待ち受けていようとも)
彼が、自らの決意を、心の中で再確認していた、その時だった。
「――これはこれは、猛犬殿。随分と、ご熱心なことで」
その声は、訓練場の熱気とは全くそぐわない、どこか涼やかで、人を食ったような響きをしていた。
音もなく、一人の男が、訓練場の隅の柱に、寄りかかっていた。
夜色の髪に、銀の瞳。情報屋、ノア。
その、場違いで、飄々とした存在感に、カインは、思わず、眉をひそめた。
「……何の用だ、情報屋。ここは、貴様のような男が、足を踏み入れる場所ではない」
「おっと、そう殺気立たないでくだされ。今日は、あなた様にとって、とびきり、名誉な話を持ってきたのですから」
ノアは、にやりと笑うと、カインのそばまで歩み寄り、周囲に聞こえぬよう、声を潜めた。
「――貴女の『一番の剣』たる、あなた様に、主君からの、極秘の指令でございます」
主君。
その一言で、カインの全身の空気が、ぴんと張り詰めた。彼の警戒心は、一瞬で、期待と緊張へと変わる。
「……イザベラ様が?」
「ええ」
ノアは、芝居がかった仕草で、重々しく頷いた。
「ユリウス王子の、近頃の目に余る横暴。そして、何の罪もない商人への、不当な弾圧。イザベラ様は、深く、深く、心を痛めておられる。これ以上、王家の横暴を許しておくことは、ヴァレンシュタイン家の、そして、この国の真の正義に反する、と」
その言葉は、カインの心の中にある、正義感を、的確に、そして激しく、揺さぶった。
やはり、そうだ。あの人は、この国の腐敗を、一人で憂いていたのだ。
「それで、わたくしに、何をしろと?」
カインは、逸る心を抑え、低い声で尋ねた。
ノアは、その銀の瞳で、カインの反応を、まるで吟味するかのように、じっと見つめた。そして、悪魔が囁くように、その唇を開いた。
「処刑当日、王都の中央広場にて、騎士団の威信をかけた、過去最大規模の『公開演習』を、執り行っていただきたい、と。これは、イザベラ様ご自身の、お言葉です」
「……っ!?」
カインは、絶句した。
処刑の場で、公開演習。それが、何を意味するのか。
騎士として、その行為が、どれほど危険な、一線を越えたものであるのか。
理解できないほど、彼は、愚かではなかった。
彼の、その動揺を、ノアは、心の底から楽しんでいるかのように、その口元に、三日月のような笑みを浮かべた。
「さて、どうしますかな? 貴女の『一番の剣』たる、あなた様」




