第27話 騎士の役割
王立学園、第三訓練場。
舞い上がる砂塵と、汗と、そして、むせ返るような鉄の匂い。
カイン・アシュフィールドは、その中心にいた。
「――ハァッ!」
気合と共に、大剣が唸りを上げて振るわれる。その軌跡は、以前よりも、遥かに速く、鋭く、そして、重い。
彼が振るう剣は、もはや、ただの鋼の塊ではなかった。彼の体内を巡る、あの黄金の光――イザベラ様から与えられた、新しく、そして強靭な魔力が、剣の一振り一振りに、凄まじいまでの破壊力を与えていた。
周りの騎士見習いたちが、畏敬の念を込めて、彼の訓練を見守っている。
「……すごい。アシュフィールド様、あの大怪我の後、まるで別人のようだ」
「ああ。あれが、"聖女の祝福"を受けた騎士の力か……」
しかし、カインの心は、晴れなかった。
肉体は、力がみなぎっている。けれど、彼の魂は、まるで霧の中を彷徨っているかのようだった。
(あの人は、一体、何を考えていらっしゃるのだろう……)
訓練の合間、彼が思い浮かべるのは、いつも、イザベラ様の姿だった。
あの、全てを諦めたような、ガラス細工のように儚い瞳。
自分を治癒した時の、憂いを帯びた、決意の表情。
そして、自分に向けられる、決して本心を明かさない、氷のような、完璧な微笑み。
彼女は、聖女なのか?
それとも、孤独な、天才魔術師なのか?
なぜ、あれほどの力を持ちながら、まるで世界の全てが面倒であるかのように、いつも、静かに、遠くを見つめているのだろう。
分からなかった。
分からないからこそ、知りたかった。
そして、分からないからこそ、ただ、信じるしかなかった。
あの黄金の光を宿す人が、決して、間違った道を選ぶはずがない、と。
(わたくしは、あなたの剣。あなたが、その力を振るうことを望むなら、わたくしは、ただ、その切っ先となればいい。たとえ、その先に、何が待ち受けていようとも)
彼が、自らの決意を、心の中で再確認していた、その時だった。
「――これはこれは、猛犬殿。随分と、ご熱心なことで」
音もなく、一人の男が、訓練場の隅の柱に、寄りかかっていた。
夜色の髪に、銀の瞳。情報屋、ノア。
その、場違いで、飄々とした存在感に、カインは、思わず、眉をひそめた。
「……何の用だ、情報屋。ここは、貴様のような男が、足を踏み入れる場所ではない」
「おっと、そう殺気立たないでくだされ。今日は、あなた様にとって、とびきり、名誉な話を持ってきたのですから」
ノアは、にやりと笑うと、カインのそばまで歩み寄り、周囲に聞こえぬよう、声を潜めた。
「――貴女の『一番の剣』たる、あなた様に、主君からの、極秘の指令でございます」
主君。その一言で、カインの全身の空気が、ぴんと張り詰めた。
「……イザベラ様が?」
「ええ」と、ノアは頷く。「ユリウス王子の、近頃の目に余る横暴。そして、何の罪もない商人への、不当な弾圧。イザベラ様は、深く、心を痛めておられる。これ以上、王家の横暴を許しておくことは、ヴァレンシュタイン家の、そして、この国の真の正義に反する、と」
その言葉は、カインの心の中にある、正義感を、的確に、そして激しく、揺さぶった。
「そこで、あなた様にお願いしたい。処刑当日、王都の中央広場にて、騎士団の威信をかけた、過去最大規模の**『公開演習』**を、執り行っていただきたい、と。これは、イザベラ様ご自身の、お言葉です」
「……正気か、貴様!」
カインは、思わず、声を荒らげた。「処刑の場で、公開演習だと? それが、何を意味するか、分かっているのか! 一歩間違えば、王家への、明確な反逆と見なされるぞ!」
彼は、馬鹿ではない。その指令の、異常さと、危険性を、即座に理解した。
しかし、ノアは、動じない。ただ、静かに、銀の瞳で、カインを見つめ返すだけだ。
「ええ。分かっておりますとも。だからこそ、イザベラ様は、誰よりも信頼する、あなた様に、この役目を託されたのです。これは、ただの演習ではない。腐敗した権力に対する、ヴァレンシュタイン家の、そして、この国の真の騎士たちの、揺るぎない『意志』を示すための、儀式なのですよ」
カインは、激しく葛藤した。
騎士として、王家に剣を向けるなど、あってはならない。
けれど。
彼の脳裏に、あの黄金の光が、蘇る。自分を救ってくれた、あの、温かく、そして、どこか悲しげだった光。
(あの、誰よりも優しく、正しいお方が、ただの私怨や、権力欲で、このようなことを、命じるはずがない……!)
そうだ。これは、反逆などではない。
腐敗した王宮を正し、真の正義を取り戻すための、聖なる戦いなのだ。
彼女は、その、あまりに重い責務を、たった一人で背負い、心を痛めているに違いない。
ならば、わたくしが、彼女の剣となり、その道を切り開くのが、与えられた命への、唯一の恩返しではないか。
彼の心の中で、全ての葛藤が、一つの、燃え盛るような、純粋な決意へと、昇華されていった。
「……分かった」
カインは、低い、しかし、揺るぎない声で、そう言った。
「その役目、このカイン・アシュフィールド、謹んで、お受けしよう。イザベラ様のお心、確かに、この剣に預かった」
その返事を聞いて、ノアは、満足げに、しかし、その瞳の奥に、わずかな憐れみの色を浮かべて、頷いた。
*
その日の夜。
騎士団の、古びた作戦司令室に、カインは、自らが率いる部隊の、最も信頼する仲間たちだけを、集めていた。
部屋の空気は、張り詰め、誰もが、固唾をのんで、カインの言葉を待っている。
カインは、テーブルの上に広げられた王都の地図を見つめ、やがて、顔を上げた。
その瞳には、もはや、一片の迷いもなかった。
彼は、全てを話すことはしない。ただ、燃えるような瞳で、仲間たちの顔を、一人、一人、見つめながら、静かに、しかし、力強く、語りかけた。
「皆に、聞きたいことがある」
「今の王宮は、間違っている。俺は、そう信じている」
「だから、俺は、俺が信じる正義のために、剣を振るうと決めた。たとえ、それが、いばらの道であったとしてもだ」
彼は、一呼吸置いた。そして、魂からの、問いかけを、放った。
「――お前たちは、この俺に、ついてきてくれるか?」




