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ループ100回目の悪役令嬢は、もう平穏に昼寝がしたい  作者: 河合ゆうじ
わたくしの昼寝を邪魔するのはどなた?

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第20話 遭遇、未知の壁

王立古代文献研究所の地下は、地上の静寂とはまた質の違う、重い沈黙に支配されていた。

ひやりと肌を撫でる、湿った空気。何百年もの時を吸い込んだ、古い石とカビの匂い。わたくしたちの足音だけが、長い、長い通路に、不気味に反響している。


先導するのは、わたくしだ。ノアが掲げる、魔法の光球オーブが放つ淡い光だけを頼りに、わたくしは、迷いのない足取りで、闇の奥へと進んでいく。

この通路の構造、罠の位置、全て、わたくしの頭の中に、完璧な地図として存在しているから。


「……三歩先、床の中央に、重力感知式の落とし穴がございますわ。壁の右端に沿ってお進みなさい」

「……この先のアーチに刻まれたルーン文字。長く見つめると、軽い頭痛と吐き気をもよおしますので、お気をつけあそばせ」


わたくしは、まるで、観光名所を案内するガイドのように、淡々と、前方に待ち受ける危険を予言していく。その度に、背後からついてくるノアが、「ほう」「なるほど」と、感心したような、面白がっているような、どちらともつかない相槌を打った。


(ええ、存分に驚きなさいな。わたくしにとっては、九十九回も通った、通勤路のようなものですから)


やがて、わたくしたちは、一つの行き止まりに行き当たった。石でできた、何の変哲もない、ただの壁。


「ここですわ」

わたくしは、足を止めた。

「この壁の、中央から少し右。下から三番目の石が、隠し扉のスイッチになっておりますの」


九十九回、わたくしは、このスイッチを押してきた。そして、その先に続く「星見の間」へと、足を踏み入れてきたのだ。


わたくしは、慣れた手つきで、その石に指をかけた。

そして、押し込もうとして――違和感に気づく。


(……? 押せませんわね)


石は、まるで壁と一体化しているかのように、びくともしない。

おかしい。こんなことは、一度もなかった。

わたくしは、もう一度、力を込める。けれど、結果は同じだった。


「どうしました、お姫様? 扉が開かないので?」

ノアの、暢気な声が、背後から聞こえる。


「……少し、建付けが悪くなっているだけですわ」

わたくしは、平静を装いながら、別の可能性を探る。確か、三十七回目のループでは、このスイッチが故障していて、別の解除方法を試したはず。確か、壁のルーンを特定の順番でなぞれば……。


わたくしは、記憶を頼りに、壁の文字を指でなぞった。

しかし、何も起こらない。


その時だった。

わたくしの指先が、壁に触れた瞬間、そこが淡い光を放ち、バチッ、と静電気のような衝撃が走った。


「っ……!」


わたくしは、思わず手を引いた。

そして、目の前の光景に、絶句した。


ただの石壁だと思っていたそこには、目を凝らさなければ見えないほどの、極めて微細な魔術式が、びっしりと刻まれていたのだ。それは、わたくしの知るどの魔法体系とも違う、異質で、そして、圧倒的な力を持つ、古代の防御結界。


――知らない。

こんなもの、わたくしの九十九回の記憶の、どこにも存在しない。


(なぜ? どうして? ここは、ただの隠し扉だったはず。こんな、大掛かりな結界など、一度も……)


脳内で、必死に記憶のデータベースを検索する。一度目も、二度目も、七十回目も、九十九回目も。ここにあったのは、ただの、少しだけ埃っぽい、隠し扉だけだったはずだ。


冷たい汗が、背中をすうっと伝っていく。

足元が、ぐらりと揺らぐような感覚。

九十九回繰り返された、絶対の「事実」。わたくしの行動の、唯一の道標。それが、今、目の前で、音を立てて崩れ去った。


初めてだった。

この、百回目の人生で、初めて、わたくしは「未知」に遭遇したのだ。

筋書きのない舞台に、たった一人で、放り出されたような、底知れない恐怖。


「……どうやら、お姫様の万能さも、ここまでみたいですな」


わたくしの動揺を、ノアが見逃すはずもなかった。彼の声は、いつものように軽薄で、しかし、その銀の瞳は、わたくしの心の奥底まで、全てを見透かすように、鋭く光っている。


「さあ、どうします? ここで諦めて、地上に戻り、快適な寝椅子で、お昼寝にでも戻りますかい?」


彼の、その挑発的な言葉。

それは、わたくしの混乱した心に、小さな、しかし、確かな火種を落とした。


昼寝に、戻る?

諦める?


冗談ではない。

わたくしは、この、百回目の人生で、初めて、自らの意思で、行動を起こしたのだ。全ては、この忌々しいループを終わらせ、誰にも邪魔されない、完璧な安眠を手に入れるため。


その目的を、目の前の、ただの「壁」一枚に、邪魔されて、たまるものか。


(……悔しい)


その感情が、心の奥底から、マグマのように湧き上がってくるのを、わたくしは感じた。

計画通りにいかないことへの、苛立ち。

目の前の男に、自分の弱さを見透かされたことへの、屈辱。

そして何より、わたくしの安眠を、無慈悲に妨害する、この「未知の壁」そのものへの、純粋な怒り。


わたくしは、ゆっくりと、顔を上げた。

その紫の瞳には、もう、パニックの色はなかった。そこにあるのは、氷点下の、静かで、冷徹な光だけ。


「……面白いことを、おっしゃいますのね」


わたくしは、目の前の結界を、そして、その向こうにいるであろう「元凶」を、睨みつけた。


「わたくしの安眠を邪魔する壁があるのなら、それを壊して進むまで。それが、わたくしのやり方ですわ」


過去の知識が通用しないのなら、今、ここで、新しい答えを導き出せばいい。

一人で駄目なら、そこにいる、胡散臭いが、有能そうな駒を使えばいい。


わたくしは、ノアに向き直った。その瞳には、もはや、彼を利用するだけの傲慢さではなく、初めて、対等な「協力者」を見る色が、浮かんでいた。


「ノア。あなた、古代結界術の心得は、おありでしょうね?」

わたくしは、命令ではなく、問いかけた。

「わたくしの持つ、九十九回分の断片的な知識と、あなたの持つ、専門的な技術を組み合わせれば、あるいは……。この、面倒な壁を、こじ開けることができるかもしれませんわ」


その、初めて見せる、挑戦的な光を宿したわたくしの瞳を見て、ノアは、一瞬だけ、その銀の瞳を驚きに見開いた。

そして、次の瞬間、心の底から楽しそうに、三日月のように、その口元を歪めた。


「ええ、ええ。喜んで、お姫様の知恵比べに、お付き合いいたしましょうとも」


わたくしの、本当の戦いは、どうやら、今、この瞬間から、始まるらしかった。

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