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ループ100回目の悪役令嬢は、もう平穏に昼寝がしたい  作者: 河合ゆうじ
わたくしの昼寝を邪魔するのはどなた?

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第19話 安眠妨害リスト、ナンバー3、4、5

王立古代文献研究所での日々は、わたくしの予想以上に、快適なものだった。

そこには、わたくしの安眠を妨げるものが、ほとんど存在しなかったからだ。生徒たちの甲高い声も、教師たちの退屈な説教も、母の過保護な愛情も、父の政治的な野心も、この静寂の聖域までは届かない。


わたくしは、研究所の奥深く、天球儀のそばにあるビロード張りの寝椅子を、自らの玉座と定めた。そこで、研究という大義名分のもと、心ゆくまでうたた寝に興じる。まさに、九十九回の人生で、最も理想に近い生活だった。


――そう。あの、三匹の騒がしい害虫が現れるまでは。


彼らは、王家の息がかかった、この研究所の古参の研究員だった。リーダー格の、神経質そうなシュレーダー男爵。その腰巾着である、陰湿な笑みを浮かべる男。そして、いつも何かを落としたり、こぼしたりしている、不器用な男。


彼らは、ぽっと出の、若輩の、しかも女であるわたくしが、この神聖な研究所で、最高の場所を陣取っていることが、どうにも気に入らないらしかった。


「……ふん。ヴァレンシュタインの姫君か。コネで入っただけの、お飾りが」

「奇跡の聖女だなどと、民衆は騒いでいるが、どうせ、何かインチキに決まっている」

「ああ、失礼。手が滑って、貴重なインクを……」


彼らの嫌がらせは、実に、陰湿で、そして稚拙だった。

わたくしが読んでいる(フリをしている)本の近くで、わざと大きな音を立てる。わたくしが必要とする文献を、別の書架に隠す。そして、遠巻きに、聞こえよがしに、悪意に満ちた噂話を囁く。


(……まあ、なんと、生産性のない方々でしょう。他人の足を引っ張る暇があったら、ご自身の、何年も停滞している研究でも、少しは進められたら、よろしいのに)


わたくしは、彼らの存在を、視界の隅に飛ぶ、羽虫のように、完全に無視していた。

しかし、ある日の午後。わたくしの我慢は、ついに、限界を超えた。


不器用な研究員が、「足を滑らせて」、インク壺を、わたくしがうたた寝に使っていた、お気に入りのカシミアの膝掛けの上に、ぶちまけたのだ。


上質なクリーム色に、醜い黒い染みが、じわりと広がっていく。


「……」


わたくしは、ゆっくりと、目を開けた。

そして、その、絶望的に汚れてしまった膝掛けを、ただ、静かに見つめた。

それは、わたくしがこの研究所で、最高の安眠を得るための、最も重要なパートナーだったのに。


わたくしは、内心で、静かに、三人の名前をリストに書き加えた。


(安眠妨害リスト、ナンバー3、4、5。認定。そして、これより、即時、駆除を開始いたしますわ)



その三日後。

研究所に、王立アカデミーから、高名な碩学であるフォン・ヘルダー博士が、視察に訪れた。博士は、この国の古代史研究における、最高権威の一人だ。


シュレーダー男爵をはじめとする三人は、この機会に自分たちの研究成果をアピールしようと、博士の前で、得意げに自説を開陳していた。シュレーダー男爵が発表しているのは、彼のライフワークである、『古代魔導王国の崩壊と、王国建国の関連性に関する新説』という論文だった。


「――以上のように、魔導王国が崩壊したのは、大規模な魔力災害によるものであり、我が国の建国とは、全くの無関係である、というのが、私の結論です!」


彼は、自信満々にそう締めくくった。他の研究員たちも、感心したように頷いている。


その、完璧な発表の雰囲気を、一つの、静かな声が打ち破った。


「……それは、実に興味深い説ですわね、シュレーダー男爵」


声の主は、部屋の隅の寝椅子で、うたた寝をしていたはずの、わたくしだった。

わたくしは、眠たげな目をこすりながら、大きな欠伸を一つして、続けた。


「ですが、一つだけ、初歩的な質問を、よろしいかしら?」


全ての視線が、わたくしに集まる。シュレーダーは、鼻で笑うように、言った。

「何かな、お姫様。専門外の方にも、分かりやすく説明して差し上げよう」


「ありがとうございます」

わたくしは、にっこりと微笑むと、爆弾を投下した。

「男爵のそのご立派な論文。参考文献のリストに、二百年前に刊行された、『エッシェンバッハ辺境伯の手記』が、含まれておりませんようですが……。何か、特別な理由でも、おありなのでしょうか?」


その瞬間、シュレーダー男爵の顔から、血の気が引いた。

『エッシェンバッハ辺境伯の手記』。それは、あまりにマイナーで、ほとんどの研究者が存在すら知らない、古文書だ。しかし、そこには、彼の論文の根幹を、根こそぎ覆す、決定的な記述が存在していた。


「そ、その手記は、信憑性に欠ける、ただの個人の記録にすぎん! 研究の対象には……」


「あら、そうですの?」

わたくしは、心底不思議そうに、首を傾げた。

「その手記には、『大いなる災厄の日、我らが祖先は、魔導王国の生き残りと血の契約を結び、王錫を授かる。これぞ、新たなる王国の礎なり』と、はっきりと記されておりますけれど。男爵のご専門ならば、当然、ご存知かと思っておりましたわ」


わたくしの言葉に、視察に来ていたヘルダー博士の目が、カッと見開かれた。

「なんと!? その記述は、誠か、ヴァレンシュタイン嬢!」

「ええ。わたくしの家の書庫で、先日、偶然、見つけましたの。あまりに退屈な内容でしたので、枕代わりに使っておりましたけれど」


博士は、わなわなと震えながら、シュレーダー男爵を睨みつけた。

「シュレーダー君! 君は、この、研究の根幹に関わる最重要資料を、意図的に無視して、自説を組み上げたというのかね!? それは、学者にあるまじき、背信行為だ!」


シュレーダーは、顔面蒼白になり、もはや、一言も発することができない。彼の二人の取り巻きも、自分たちのキャリアが終わったことを悟り、その場に崩れ落ちた。


わたくしは、その光景を、欠伸を噛み殺しながら、眺めていた。

そして、ヘルダー博士に向かって、にっこりと微笑む。


「博士。わたくし、少し眠くなってまいりましたので、これにて失礼いたしますわね。ああ、そうだわ。その手記、確か、まだわたくしの部屋のベッドの下に、転がっておりますわ。今度、お持ちいたしましょう」


そう言い残して、わたくしは、その場を後にした。


後日、シュレーダー男爵たちは、研究費の不正流用や、データの捏造まで暴かれ、三人揃って、アカデミーから永久追放されたという。


研究所には、再び、完璧な静寂が戻ってきた。


わたくしは、新しく新調した、極上のカシミアの膝掛けにくるまりながら、玉座(寝椅子)の上で、満足げにため息をついた。


(安眠妨害リスト、ナンバー3、4、5、一括処理完了。ああ、これでまた、心置きなく、うたた寝ができますわ)


差し込む光は、やはり暖かく、心地よい。

わたくしの、静かなる戦いは、まだ、始まったばかりだった。

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