第17話 鳥籠からの脱出計画
わたくしの部屋は、完璧だった。
母レオノーラが神殿から取り寄せたという「聖別された錠前」が、重々しい輝きを放ち、扉を固く閉ざしている。窓には、美しいが頑丈な銀の格子がはめられ、部屋の空気は、魔法のフィルターを通して、常に花園のように清浄に保たれていた。
そして、部屋の隅には、二人の屈強な護衛騎士が、石像のように微動だにせず、わたくしの安眠(という名の軟禁生活)を見守っている。
まさに、鉄壁。
そして、息が詰まるほどの、完璧な牢獄。
(……ああ、いけませんわね。これでは、精神が休まる前に、肺が機能不全に陥ってしまいそうですわ)
わたくしは、天蓋付きのベッドの上で、本日三十回目のため息をついた。
このままでは、父の政治の道具として夜会に引きずり出されるか、母の過保護の果てに、この部屋でミイラになるか、その二つに一つ。どちらの未来も、わたくしの望む「平穏な昼寝」とは、絶望的にかけ離れていた。
ただ流されるだけでは、駄目だ。
ただ待っているだけでは、状況は悪化する一方。
九十九回、わたくしは、そうして失敗してきたのだから。
(……面倒ですけれど、仕方ありませんわね。この鳥籠、わたくし自身の手で、内側から、こじ開けるしか、道はないようですから)
わたくしは、ベッドからゆっくりと身を起こした。そして、侍女のアンナに、静かに、しかし有無を言わせぬ口調で告げた。
「アンナ。お父様と、お母様を、わたくしの部屋へお呼びしてくださる? 緊急の、そして、極めて重要な、家族会議を開きます、と」
*
「リリィ! どうしたというの! まさか、どこか具合でも!?」
血相を変えて部屋に飛び込んできた母と、いぶかしげな表情の父が、わたくしの前に揃った。護衛の騎士は、父の合図で、部屋の外へと退出している。
わたくしは、二人をソファに座らせると、自分は、その向かいに、凛とした姿勢で腰を下ろした。
「お父様、お母様。本日は、わたくしの『力』について、ご相談があって、お呼びいたしました」
わたくしは、静かに切り出した。父の眉が、ぴくりと動く。
「わたくしが、最近、奇跡などと呼ばれている力。それは、わたくし自身の意思とは無関係に、暴走し、制御できないものであることは、お二人とも、よくご存知のはずですわ」
わたくしは、まず、二人が抱いている「不安」そのものを、テーブルの上に乗せた。
「このままでは、わたくしは、いつ、どこで、誰を、この力で傷つけてしまうか、分かりません。それは、ヴァレンシュタイン家の名誉にとって、計り知れないリスクとなりましょう。そして何より……」
わたくしは、そこで言葉を切り、母の瞳を、まっすぐに見つめた。
「わたくし自身、自分の力が怖ろしくて、夜も、ろくに眠れないのです」
もちろん、大嘘だ。わたくしは、いつだって、どこだって、機会さえあれば眠れる。
しかし、母の心を動かすには、この一言が、何よりも効果的だった。
案の定、母は「まあ、リリィ……!」と、痛ましげに胸を押さえている。
わたくしは、畳み掛けるように、父へと視線を移した。
「お父様は、わたくしの力を、我が家の権威を高めるための、切り札とお考えのようですが、今のままでは、この力は、あまりに不安定な、鞘に収まらない諸刃の剣。いざという時に、我が家自身を傷つけることにも、なりかねませんわ」
父の表情が、険しくなる。彼の、最も触れられたくない部分を、的確に突いたのだ。
そして、わたくしは、完璧なタイミングで、解決策を提示した。
「――だから、わたくし、王立古代文献研究所の研究員となり、この力の正体を、自らの手で、解明したいのです」
「な……!?」
父と母が、同時に、絶句した。
父が、口を開くより早く、母が反対の声を上げる。
「だめよ、リリィ! あの研究所には、王家の者や、得体の知れない魔術師たちも出入りしているわ! そんな危険な場所に、あなたを行かせるわけには……!」
「いいえ、お母様。逆ですわ」
わたくしは、母の言葉を、優しく、しかし、きっぱりと遮った。
「この部屋にいる方が、よほど危険です。正体不明の力に怯え続けることほど、心身を蝕むものはありません。力の正体を知り、それを完全に制御できるようになることこそが、わたくしにとって、最も『安全』な道なのですわ」
そして、今度は、父に向き直る。
「お父様。この力を、ただの『奇跡』として、曖昧なままにしておくのは、三流のやり方ですわ。その起源を解明し、理論を体系化し、自在にコントロールできるようになって初めて、この力は、ヴァレンシュタイン家の、誰にも揺るがすことのできない、真の『権威』となるのではなくて?」
わたくしの言葉に、父の瞳の色が変わった。彼の野心に、火をつけたのだ。ただの奇跡ではなく、理論に裏打ちされた、再現可能な力。その価値を、彼が理解しないはずがない。
「しかし、リリィ……」
それでも、母は、まだ不安げだった。
その母の背中を、最後に押したのは、意外にも、父の一言だった。
「……レオノーラ。リリィの言う通りかもしれん」
父は、腕を組み、難しい顔で言った。
「このまま、この子を鳥籠に入れておいても、根本的な解決にはならん。ならば、いっそ、最高の警備体制を敷いた上で、王家の監視のもと、公式に研究させる方が、安全かもしれん。それに……」
父は、わたくしを見て、にやりと笑った。
「我が娘が、古代魔法の謎を解き明かしたとなれば、それは、ヴァレンシュタイン家の歴史に、新たな黄金の一ページを刻むことになるからな」
その言葉を聞いて、母は、ついに、折れた。
彼女は、涙ぐみながら、わたくしの手を取った。
「……分かったわ、リリィ。あなたが、自分の力のせいで、これ以上、苦しむのは、お母様も見たくないもの……! 行きなさい。そして、あなたの平穏を、あなた自身の手で、取り戻すのです!」
(ええ、ええ。その通りですわ、お母様)
わたくしは、内心で、深く頷いた。
(わたくしの、平穏を。わたくしの、安眠を。この手で、取り戻してみせますわ)
こうして、わたくしは、両親を完璧に言いくるめ、この聖なる牢獄から、堂々と抜け出す権利を、勝ち取ったのだ。
父と母が退出した後、わたくしは、一人、ベッドに倒れ込んだ。
ああ、疲れた。
人と話すというのは、本当に、エネルギーを使う。
けれど、これで、第一関門は突破だ。
王立研究所。その、静かで、広大な図書館。
(あそこなら、きっと、誰にも邪魔されない、最高の昼寝スポットが見つかるに違いありませんわ)
わたくしは、新たな希望を胸に、心地よい疲労感の中、ゆっくりと、意識を手放したのだった。




