第63話 人生 何があるのか分かったもんじゃないな
「あと、これ——中に水が入ってます。捕まってから何を食べてたか分からないですけど……体力は落ちてるでしょう? あくまで気休めですけど飲んでいいですよ」
「うん。とっても助かるわ。ありがとうウィリア」
「ただ……すいません。食料はないです。全部“犬”に食われました」
「……犬?」
外套を纏ったアイリスに、金属質の筒を渡す。コルクの栓を取ればそこから水を飲む事ができる。携行用の水筒だ。
捕まっていては、満足に食料や水分を貰えなかったんじゃないかと思って気を使って渡してやった。
アイリスは、これをグッと呷ると一気に飲み干していた。よっぽど喉が渇いてたんだな。
関節キスである事実は黙っておこう。キレかねんし……
「あと、アイリス様にこの剣を——」
「剣って……それは……」
「僕が学園から借りてる剣です。アイリス様の細身の剣に比べれば太くて勝手が違うでしょうけど……無いよりはいいでしょう?」
「いや、そうじゃなくて! それだとウィリアの分が無くなっちゃうでしょう?」
僕は、床に転がしておいたままの剣を拾うとアイリスに手渡す。だが、彼女は受け取ろうとしない。まぁ、僕の得物がなくなっちゃうからね。彼女が戸惑うのも無理はない。
だが……
「まぁ、そうなんでしょうけど……剣の腕前で言えばアイリス様の方が遥かに上ですから、僕が持ってるよりは、あなたの方がいざという時役にたつでしょう」
とは言ったが、そんな鈍がなくたって、たぶん僕が強いことには変わりない。最悪、神器だってあるんだ。もしもの時は、バレるの承知で迎撃するさ。
ただ、剣の腕前でいえば、僕が決して彼女に勝てないのも事実だろう。同じ得物、魔力使用なしであるならまず勝てない。なら、この選択が最も適している。
「僕にはナイフがありますから……剣は、アイリス様。あなたが持っていてください」
「ふぅ~ん……」
オイ。なんだよ、その『ふぅ~ん』は?
僕は最善を選択したはずだが? 解せん。なんかモヤモヤするな。
とりあえず、剣は受け取ってくれたがジトジトと纏わりつく視線が注がれたままだった。まぁ、僕には華麗なスルースキルがある。美少女のジト目ごとき僕には通用しないのさ。
「脱出口ですけど……あそこ、壁がヒビ割れているのが見えますか?」
「——ッ? えぇ」
気を取り直して……
僕は遠くに見えるヒビ割れた岩壁を指差す。するとアイリスはピクッと反応して僕に応えた。
「あの根元に地上へ出る抜け道があるそうです。急いでそこを目指しましょう」
「——ッ!? なんでウィリアがそんなこと知っているのよ!」
だが、何故か視線は鋭く、ジトジトからチクチクへと変貌を遂げてアイリスが声を荒げる。
「さっき、アグレッシブ盗ぞ……じゃなくて、向こうにいた男の人が話していたのを聞いたんです」
「はぁ? あなた……それ本気で言ってるの?」
「……? 本気って?」
「いや……なんでもないわ」
たく。つくづく解せんな。このお嬢様は何をそんなに疑ってるんだ?
別に脱出経路が分かってるに越したことはないだろうが!
あぁ……もういいや。いちいち構うとプンスカ怒りそうだし……
「どうでもいいですけど、置いていきますよ?」
「——ッ!? ま、待ちなさいよ! 今、行くから!」
良いことをしているはずなのに、僕の心は決して晴れることがない。なぜこんな目に遭うんだ?
そんなことばかり考えていると、アイリスを無視して彼女を待つ事なく足が動いてたね。ほとんど無意識の反応だ。
スタスタ〜〜と歩いて行ってしまう僕。アイリスは焦った様子。その後は大人しく背中をついてくる。
これで、ようやく静かになった。
「……ねぇ。ウィリア……」
しばらく歩くと、背後からアイリスの声……
なんだろう? まだ、僕に文句があるのか——そんなに助けて欲しくなかった?
【助けて欲しくない英雄像 第1位 ウィリア】
……とでも思っているのか? あぁ〜〜悪うございましたね。僕なんかが助けに来てしまって……チクショウ。
「なんですか? アイリス様?」
たく、文句があるならはっきり全部言い切ってくれよ。
「その……アイリス様って……やめてくれる?」
「……ん?」
と、ここで僕は意表をつかれた。いきなりなんだ?
「それと、敬語も……私にはいらないわ」
「…………? え? もしかして、また奴隷のつもりなの?」
「——ッ!? あ! 違う!? そういうんじゃなくて……!」
あまり声を張り上げないでもらえないかな? ここ盗賊さんのアジトだって、いい加減自覚してもらえないだろうか?
それにしても……彼女は一体何を言いたいんだ? 僕には、まったく検討がつかない。
「もう奴隷の真似事はしないから……あなたを困らせたくないし……。私が言いたいのは呼び方……」
「……呼び方?」
「うん。アイリスで良いわ。“様”は要らない」
「……え? でも……」
「私はもう貴族じゃないから、気は使わなくていいって言ってるの。あくまで対等。だから敬語も不要よ」
なるほど……まぁ、それぐらいなら別に聞いてやらんでもない。奴隷としてイジケるように付き従われるより何倍もマシだし、気を使わないでいいなら僕としても楽だ。貴族ではないんだったら不敬罪に問われることもないし、なにしろ本人が良いって言ってるんだから、仰せの通りにお嬢様〜〜ってもんだろう?
「わかりまし……いや、分かったよアイリス。これでいい?」
「うん。それで良いわ」
「なら、僕のことも“ウィル”でいいよ。親しい人はみんなそう呼ぶんだ」
「……分かった。ウィルね」
僕は承諾を表明するかのようにアイリスの名を呼ぶ。すると彼女は素っ気ない返事をしてきた。
果たして——アイリス自信が、満足しているのか……? いないのか……? いまいち分かりづらい反応が返ってきたものだ。
それと……
ついでに、僕のことも“ウィル”呼びを推奨しておいた。僕の家族か、田舎のしみったれたガキ共か、ご近所さんにしか呼ばれたことのない愛称だ。
しかし、都会へ出てきてはじめて“ウィル”と呼ぶことになるのがまさか公爵令嬢だったとは……僕はこれを予想できていただろうか?
人生、何があるのか分かったもんじゃないな。