第160話 天人《あまびと》
【天人】——それは天空に生きる種族のことだ。
僕は、チュートリアルダンジョンの先には無数のダンジョンがひしめき合う天空の世界が広がっていると——どこかで語ったと思う。
だがそれは、あの塔の先にはダンジョンだけしかない——ってわけでもないんだ。ダンジョン以外にも村があり、街があり、天空で生きる種族はそこで暮らしている。その記述は、僕が小さい頃に読んだ冒険譚の中にあったんだ。
【天人】も大空で暮らす種族の1つ。この種族は特殊な力によって大空を縦横無尽に駆けることのできる天空の支配者的存在だった。ダンジョン攻略には興味をしめさない種族なのだが、冒険譚には【天人】の力によって攻略ができたダンジョンがいくつもあったと綴られていた。
そして、【天人】の目に見える特徴が……
金の瞳——だったと言うわけだ。
「つまりシトリンは……」
「はい。私は天人で間違いありません」
「やっぱり、そうか……」
そもそも、もっと早く気づけたはずだ。
金眼なんて珍しいはずなのに——
僕はシトリンを初めて見た時から彼女の瞳の色には気づいていた。だがそれでも【天人】のことを思い出すのに1日かかってしまったわけだ。
それもこれも、昨日の濃すぎる経験が原因か?
仮冒険者試験。
ヴェルテとの狩り勝負での敗北。
トップクラン精鋭であるポッピーの襲来。
10階層ボスの攻略。
異常種とのバトル。
思わぬシトリンとクルア姉さんの説教。
と——非常に濃い1日だった。思い出している隙なんてあるはずなかった。
「ですが、私は出来損ないです。天人の能力は目に宿ると言いますが、私は生まれつき片目しか天人の特徴がありません。本当なら天人は魔力で宙に浮くことができるのですが、私には長時間の飛行は無理です。短時間の低空飛行か、精々身体や物体を軽くするぐらいが関の山ですね」
ただ、シトリンの目はたまたま金眼だったという可能性も十分にあった。だが、僕が一言【天人】とつぶやくと彼女は目の色を変えて驚いていた。
そして、その後はベットに腰を落として語り出した。表情を見て分かってはいたが、シトリンは天人で間違いないらしい。
だけどなぁ……
だとすると、1つ疑問が浮上した。
「僕が、天人について知っている理由は深く聞かないで欲しいんだけど……。シトリン……君が天人なら、なんで地上になんているの? おかしいじゃないか?」
そう……彼女が天人なら本来ならチュートリアルダンジョンを抜けた先、天空に広がる世界が彼女の住む世界であるはずだ。
ここは地上。天空が棲家であるはずの彼女が、なぜこんなところで奴隷なんてやっているのだろうか?
もし……天空と地上を繋ぐ隠し通路でも存在してしみろ?
この事実が世間に知られればチュートリアルダンジョンの秘密が知れ渡ってしまうかもしれない。これは危険だな。
これはなんとしてもシトリンから詳しく経緯を聞かなくてはいけない。僕の野望がかかっているんだからな。このまま世に知られてしまえば頓挫してしまう。
——死活問題!
「君の棲家は大空だろう? なんで……?」
「えっと……実は……」
「実は?」
「落っこちました」
「……は?」
……落っこちた?? それってどういう……
「だから、空から地上に落ちてしまいました!」
「——ッは? 落ちたぁあ??」
まさかまさかだ。
つまり……言葉の通り、シトリンは地上に向かって落ちてきたと?
「よく生きていたなぁ……」
「実は、落ちたと認識しているんですが……その時の記憶が曖昧で。気がついたら地上で倒れていました」
「ふ〜〜ん? 死に直面して天人の力を発揮したとか?」
「分からないです。でも、そう……なのでしょうか?」
「なんで疑問で返すんだよ」
「ごめんなさい……」
「いや……謝ることじゃないだろう」
シトリンはしょんぼりと視線を落としていた。
しかし、彼女には悪いが僕はホッとしている。別に天空世界への抜け道があるわけでもないとわかったんだ。なら、僕はいつも通りにチュートリアルダンジョンを利用して荒稼ぎしてやるだけだ。
「それで、天人である私にとって、地上の世界についてはまったく知識がありません。気づいた時には拾われて奴隷になって、そして今——ウィリア様が私のご主人様になっているんです」
「そうか……ところで、シトリンは故郷に帰りたい?」
「……え?」
「僕ならあのダンジョンを攻略出来ると言ったらどうする?」
「そんなことができるのですか?」
「あくまで仮の話だよ」
さて、僕にとって問題がないのは喜ばしいことだが……シトリンはどう思っているのだろうか?
もし……彼女が故郷に帰りたいと言うのなら送り届けてあげるのも吝かではない。
あのダンジョンを攻略する気は微塵もなかったのだが、塔の先へと送ってあげるぐらいはしてもいいと思ってるんだ。なぁ〜に、ついでだ。これぐらい、手間ではない。
「嫌です。帰りたくありません」
「そう……」
「はい……あそこに私の帰りを待ってる人はいませんから……」
「…………」
だが、シトリンは故郷に帰りたくないらしい。今の彼女の顔は暗く沈んでいた。そして嫌気が指してるような口ぶり。これは嘘をついてる訳ではなさそうだな。
「できることならウィリア様に一生お仕えしたいと思っています」
「僕に……?」
「私、初めてだったんです。この目が綺麗だって言ってもらうの。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、村の村長様、そして前のご主人様も……私の目を見て『気持ち悪い』とか『出来損ない』って言うんです。でも、ウィリア様は違った。この目を褒めてくれました」
だけど……シトリンが僕の話を始めた途端、その表情は柔らかい印象が増え始め、口元には笑みも見え始めていた。僕はそれを黙って眺めた。
「帰りたいなんてこれっぽっちも思ってません。それに今の私はもうウィリア様のものです。私の目を綺麗だって褒めてくれた優しいあなた様にお仕えするのが私の喜び、そして私の全てです。この時間がたまらなく幸せです。だから……どうか私をここに居させてください」
すこ〜し、この子の気持ちは重く感じるが……シトリンは笑顔を僕に向けてくる。その表情からは決して無理をしているようには感じられない。心の底から向けられた微笑みであることは当然理解できる。
シトリンが、無理をしてなくて、それでいて今が良いって言うんだったら、僕が彼女の生い立ちを気にする必要はないのかな?
なら、彼女の好きにさせてあげよう。
てか、僕が主人で彼女が奴隷。この事実は変わらないんだけどな。
ただ、彼女の胸の内を聞けたのはよかったのかもしれない。彼女が無理してないか心のどこかでは心配だったんだよね。
奴隷って、普通は喜んでやるものじゃないでしょう? どこかの誰かさんが変態だったんだ。僕の周りにいる奴が変なんだよ。
ただ……この件についてはシトリンが満足してたならいいか。
「分かった。じゃあシトリン!」
「——ッ!? はい!」
「明日からも、よろしく頼むよ。この僕を支えてくれ!」
「はい! この私にお任せください!」
天人なんて関係ない。彼女にはこのまま、僕の奴隷として頑張ってもらおうじゃないか。
勢いで「よろしく頼む」って言ってしまったが、何をよろしくしてもらうのか、まったく考えてないけどな。
「それじゃあ。シトリンの瞳に乾杯〜♪」
「瞳に乾杯?」
「うん。ただ言いたかっただけだ!」
「そうですか?」
手にした紅茶を一気にグッと呷って、彼女の今後に乾杯だな。