第159話 左右で違う瞳
「——見ないでくださいッッッ!!」
シトリンは突然、大声をあげた。僕の手を弾くと距離をとっては僕に背中を向けてしまった。激しく興奮した息遣いが離れたこの位置まで聞こえてくる。
彼女はよほど右目を見られたくなかったらしい。
だが……あの眼は?
シトリンの左目は金色である。それは、いつも前髪を避けて見える唯一の瞳なのだから確認済みだ。
しかし、今僕は指で前髪を不躾に掻き分けて彼女の右目を見てしまった。だが、そこにあったのは金色……ではなく、翡翠のように透き通ったエメラルドグリーンの瞳であった。
つまり、シトリンは左右で目の色が違うのである。
「ご、ごめんなさい。ウィリア様。不愉快なモノを見せてしまいました」
「不愉快なモノって……一体ナニが?」
シトリンの左右の瞳の色が違うことには驚いた。だが、それは珍しいモノを見たことによる驚きであって、別に奇妙に見ているわけではない。
そう、決して……。
「私……生まれつき左右で目の色が違うんです。これのせいで家族から嫌われて村でも変なモノを見るような視線を向けられてきました。前のご主人様からも『気持ち悪い』と言われ、仕方がないので前髪で片方を隠してたんです……」
「そう……なんだ……」
「ウィリア様も気持ち悪いと感じますよね? こんな目……。今後、ウィリア様には右目が見えないように隠します。ですから、どうか私を追い出さないでください。お願いします。もう2度と晒さないと約束しますから。どうか……お願いしますッ——!」
「…………」
そうか……だからシトリンは慌てて右目を隠したのか。
気持ち悪い……かぁ……
なんだよそれ……
本当にくだらない。
「シトリン……もういい……」
「——ッ!? うぅ……」
首を振る僕が不意に言葉を呟く。これを聞いたシトリンの身体が跳ねた。彼女は目尻に皺を作って一瞬にして悲しみを表情を貼り付けた。
そして、まるで諦めてしまうかのように俯いてしまった彼女は、メイド服のスカートを掴んでは布地の表層に皺を刻んだ。その着崩れする様はシトリンの悲しみと悔しさを絵に描いたように皺の線を作り出しては僕に伝えてくる。
彼女は今——不幸のドン底に沈んでしまっていた。
だが……
僕からしたら、そんなものはどこまでもくだらなくて……
心底どうでもいい。
「——てい!」
「——きゃあッ!?」
シトリンのオデコにお見舞いする僕のデコピン。彼女の可愛らしい悲鳴がなった。
彼女はたまらず悲しみを一瞬にして忘れさり、痛みと疑問の両方の感覚に驚愕している。オデコを抑えるその腕の影から覗く顔は、シトリンの感情を伝えてくる。そんなこと簡単に分かる。
だが……うん。少しは……まともな顔になったのかな?
今にも泣き出してしまいそうな表情で俯かれるよりよっぽどいい。
「なんでその目がダメなの?」
「……え?」
「オッドアイ——って言うんだっけか? 何それ、めっちゃカッコいいじゃん!」
「カッコ……いい?」
「うん! 凄くカッコいい!」
「——ッ!?」
そう。僕がシトリンの目に感じる感想は「カッコいい」だ。だと言うのに、シトリンはそれを隠してしまうという。勿体無い!
それともあれか? 『俺の右目が疼くぜ! 封印だぁあ!』っていう厨二病ゴッコでもしたいのかな? いや、シトリンに限ってそんなことはないか。
「ねえ。もう一回見せてよ」
「——ッええ!?」
「一瞬しか見えなかったから。だけどすっごく綺麗な緑色だった。まるで翡翠のようだ」
「——ッ〜〜!!」
僕はシトリンの瞳をベタ褒めした。だが、これは正直な僕の感想さ。美しいものを美しいと言って何が悪い。凄く羨ましい。
僕って容姿は至って普通のクソガキだからさ。目の色だって至って普通だ。むしろ『目が死んでるね!』って言われるぐらなんだから……って、誰が死んだ魚の目だぁああ!!
それに比べて、シトリンは左右で瞳の色が違う。
黄金に輝く温かみに満ちた左目。
静かで緑に透き通る美しい右目。
何それ? 完璧かよ。
死んだ魚の目代表であるウィリアから見たら嫉妬してしまいそうだ。
「両目とも宝石のように綺麗じゃん。すっごく羨ましいなぁ」
「……うぃ、ウィリア様?!」
僕はゆっくりとシトリンに近づいて、手を前髪に伸ばす。
シトリンは伸びてくる僕の手にビクッとして驚いていたが、今度は弾こうとはしてこない。
直前で手を止めて首を傾げて合図を送ると、赤く頬を染めるシトリンは小さくゆっくりと頷いた。許可が降りた。触っていいらしい。
それを確認した僕は再び彼女の前髪をかき分けた。すると、エメラルドグリーンの彼女の瞳が姿を現した。瞼は震えていたが、その美しさはしっかりと確認できる。
やっぱり思った通りだ。凄く綺麗——
「君の右目は気持ち悪くなんてないよ。とっても綺麗だと思う」
「本当……ですか?」
「うん。これは僕の本音だとも。こんなこと嘘ついたって意味ないでしょう?」
「私……綺麗だなんて、初めて言われました……」
「そう? 誰でも思いそうだけどなぁ…… 両目とも宝石みたいだよ」
「——ッッッ〜〜!!!!」
僕はこれを心の底から本気で言っている。
シトリンはワチャワチャと慌てながらも僕から距離を取っている。
そんなに照れることだろうか? 思ったことをただ率直に語っただけだがな。
宝石のような瞳は嘘ではない。
右目は輝く緑の翡翠で、左目はアンバーのような黄金の……って……あれ?
「……ん? 黄金の……瞳……?」
「……ッ? どうしましたか? ウィリア様?」
ちょっと待てよ……
僕は、何かを知っているような気がする。
あれは、確か……
「……天人……?」
「——ッ!?」
この時——僕は1つ思い出したことがあったんだ。
金の瞳……そこに既視感を覚えたんだ。
ただ……
「ウィリア様は何で……そのことを知っているんですか?」
驚愕に開けたシトリンの目が……確信へと変えてくれたがな。