第157話 ブラッティーフェス
「ダメです! ウィリア様をイジメないでください!!」
僕を守るため、アイリスの前に立ちはだかったのは、メイド服姿の小さい女の子だった。
視界には輝く黄色の髪が飛び込んできた。その蒲公英のように温かみのある色は、たちまち僕を絶望の淵から救い出してくれる。まさしく希望を届ける一筋の光。
彼女の名はシトリン——昨日ダンジョンで拾った僕の奴隷である。
「えっとぉ……ど、どちらさまかしら? お嬢ちゃん?」
突然のリトルメイドの登場で、アイリスは動揺し半歩後ろに下がった。振り翳した剣を寸前で急停止させ、その凶器を引っ込めている。
「わ、私の大切な人を傷つけないでください! な、な、殴るなら——わ、私を殴って!」
「……ッえ! いや、そんなことできわけないわよ!?」
シトリンは震えていた。恐怖で目尻に涙を溜めているが、それでも視線をアイリスからは逸らさず睨みつけている。
いくらアグレッシブ、ヒステリック、サイコパスなアイリスでも小さな女の子には敵わないみたいだ。涙に濡れ怯えながらも、それでいて大切なモノを守ろうと強く気迫の籠った少女の眼差しに動揺が隠せない。
アイリスは剣を床に置いて膝をつく。それは、まるで自分は悪者ではないと取り繕っているかのようである。
「ねぇ〜ウィリア。こんな小さな子を差し向けて——よく私の事を卑怯者呼ばわりできたわね?」
「いや、差し向けたつもりはないんだけど……」
そして、シトリンを避けるようにジト目を僕に向けたアイリス。尖った唇で恨み言を吐露した。だが、その彼女の発言は謂れもないことだ。
僕が少女を盾にするようなことをするわけない。今のはシトリンの自発的行動に他ならないのだ。
しかし……
「だが、シトリンよくやった。助かったよ」
「わ、わ、私がウィリア様を守ります!」
シトリンの唐突な乱入に驚きはした。だが、彼女のおかげでアイリスにド突かれずに済んだ。
奴隷を拾ったことで困り果ててはいたが、僕は意外にも良い拾い物をしたんじゃなかろうか?
シトリンがまさか、アイリス抑止力として使えるとは——驚きだ。
「それでこの子。シトリンちゃん……でいいのかしら? 一体、どこの子なの? ウィリア……どこから攫ってきたのよ」
「君もか——失敬な。僕を人攫いみたに言わないでくれよ!」
「そんな事はどうでもいいのよ。早く紹介してちょうだい」
「ど、どうでもって……ック。えっと……彼女は……」
すっかり敵意を削がれたアイリスだが、シトリンの正体を気にしだした。
すると……
「私はウィリア様の忠実なる奴隷です!」
「……は?」
僕の紹介を待たずして、アイリスの発言にムッとしたシトリンがとんでもない発言を口にしてしまう。
次の瞬間——アイリスの瞳は一瞬にして色が抜け落ち、錆びついたブリキ人形のようにギギギッと首を動かしては僕に視線を固定した。
「——ッヒ!?」
その瞬間——僕は思わず乾いた悲鳴を溢す。
彼女の今の視線は、今までのアイリスらしい燃えるような印象が一切感じられず、恨みに満ちているそんな印象を与えた。ゆっくりと揺らめく青い鬼火が……その瞳の奥でフツフツと燻るような——それは再び僕を恐怖の底に叩き落とすには十分過ぎた。
「アナタ……奴隷を買ったの?」
「……え?!」
「ワタシが奴隷してあげた時は、散々好き勝手言って忌避していたわよね? ワタシはダメで、他の娘なら良いってこと?」
「いや、そう言うわけじゃ……!?」
「それにシトリンちゃん。随分と小さな子だけれど……へぇ〜〜そういう趣味? ロリコン?」
「断じて違う!! これには理由があって……!?」
「どうでもいい——今日という今日は……ウィリア? アナタを許せそうにないわね〜?」
「「——ッ!?」」
口調はどこまでも静かだが……内に燻る憤怒の炎は激しく沸る。
アイリスは我慢の限界を迎えたのか。気づけば床の剣を拾い上げては刃を引き抜いた。刃光が光る。
僕とシトリンは気づくと抱きつきあって震えていた。2人して教室の床にへたり込んで、アイリスのことを見上げていた。
おかしい。僕の方がアイリスより数倍も強いはずなんだけど……おかしい!?
どうして恐怖に震えているんだろうか?
そして……
「——コ・ロ・スッ……」
「「——ッッッ!!」」
アイリスが一言呟いた瞬間——僕は振るい落とされる青い刃を見た気がする。だが、その後のことは詳しく覚えていない。
気づいたら自室のベットの上でシトリンと一緒に毛布にくるまり怯えていた。さて、この間に一体何があったのかは僕には分からない。だが、僕の勘が告げている。それは思い出すべきではないと……。
まぁ、後に聞いた話では、学園内をメイドを抱えて令嬢から逃げる人影の話を耳にしたのだが……どうも、それが深く関わっているんじゃないかと思うんだ。だが、その話を聞くと頭がズキズキと痛むので、もう極力考えないようにしてる。
僕の精神がそれを拒否しているんだ。
だったら思い出すべきではないと……深くは考えないようにしている。
【学園アルクス】『七不思議』
——第3の噂——
『乙女の顔に三つ目は存在しない。怒りを買えば青い輝きの洗礼を受ける。決して追いつかれてはならない。刃が肉に食い込む血の祭典の開幕を招くからだ』
「申し訳ありません。ご主人様」
「……? シトリンどうしたの。なんで謝っているの?」
そして落ち着きを取り戻した自室でのこと——急にシトリンが気落ちした状態で謝ってきた。
「私はご主人様をお守りすることができませんでした。あろうことか、また守って頂いちゃて。これでは奴隷失格です」
『なんだろう?』と思っていたが、どうやら昼間の出来事を引きずっていたようだった。
「別に気にすることじゃない。アイリスはヒステリックの権化。敵わなくて当然だ。悔いることはないさ。むしろ、僕を守ろうと彼女に立ち向かえたんだから、シトリンは勇敢で十分すごいんだよ」
だが、相手が悪かった。本気でブチギレたアイリスなんて僕ですら怖いんだ。
しかし、シトリンはアイリスに対して僕を守ろうと果敢にも間に割って入った。それは小さな少女からは考えられない勇猛果敢な行動だ。伊達に奴隷としてダンジョンに潜ってはないようだな。
これに関しては冗談を抜きにして誇ってもいいと思う。
「ご主人様はお優しいです。お心遣い。痛み入ります」
「心遣い? 違う違う、本音だよ」
「そうですか?」
「そう。シトリンはよくやってくれてるよ」
「——ッ!? ふふふ……わかりました。ありがとうございます」
ここまで言ってシトリンはようやく笑顔を向けてくれた。やはり、小さな子は笑顔でいてもらわないとね。