AIR・パロディ
※当然ですが、本編とは一切関係ありません
あたし、霧島佳乃。高校生――だと思う。
ううん、ちゃんと高校へ行って、飼育委員一号さんのお仕事してるし、間違いなく高校生。
みんなは「かのりん」って呼んでくれる。あたし、人気があるのかなぁ。これだけかわいいと、それも当たり前かな……なんて、ちょっと思ったりもする。ずうずうしいかなぁ。
そうそう、あたし、お姉ちゃんと二人暮らしなんだけど、最近ね、もう一人、一緒に暮らしてる人が増えたんだ。
その人の名前は国崎往人さん。
うん。そう。女の子じゃないの。きりっとしてて、涼しげな感じで、けっこうかっこいい男の人なんだ。そうそう、ちゃんと若いって言っておかないと、誤解するよね。
それに、口は悪いけど、目つきも悪いけど、すごく優しい人。ちょっと暗い影があるところも、クールって感じでいいの。クールでニヒルは今時流行らないけど、ニヒルじゃなくてすっごく貧乏なだけ。……あ、それって全然ほめてないね。
え、えーっと……、それは置いといて。
その往人さんがね、今うちで働いているんだ。モップがけとか、カルテの整理とか、いろんなお仕事だよ。こういうの雑用っていうんだけど、往人さん、全然嫌がらないでやってるの。すごいよね。
え? カルテが何で出てくるかって?
あ、ああーっ! 言うの忘れてたーっ!
うちね、診療所なんだ。そう、霧島診療所。年中無休。
お父さんが死んで、お姉ちゃんが跡を継いだんだけど、ずっと男手がなかったから、往人さんがいてとっても大助かりなんだ。
あたしもすーっごくうれしかったんだけど……。
でもね、あたし、往人さんの秘密、知ってしまったの。
聞きたいでしょ?
……うーん、どうしようかなぁ。やっぱ、秘密にしようかなぁ。
え? 聞きたい? どうしても?
うーん、しょうがないなぁ。特別に教えてあげるね。でも、みんなには内緒だよ。
実はね、往人さん、とっても喜ぶ人だったの。
何のことか分かんない? うふふっ、それはねぇ――。
お姉ちゃん――そうそう、名前は聖っていうの。とってもいい名前。お姉ちゃんは「そこはかとなく甘美な響きがするだろう」って言うの。言われてみると、そんな気もする。……あ、うそ。言われなくてもそう思うよ。
あっ、いけない。話が飛んじゃった。
そうそう、そのお姉ちゃん、お母さんがあたしの小さいときに死んじゃって、お父さんも何年も前に死んじゃって、女手一つであたしを育ててくれたの。すっごく優しくて頼りになるお姉ちゃん。だから、そんじょそこらの男の人なんか、砂浜にめり込んじゃうくらい強いの。……だから、今も独身。超が三十個は付くくらいの美人で「ないすばでい」なのに……。ゴメンね、みんなあたしのせいだよね。
――そ、そうだった。往人さんの話だったね。
そんなお姉ちゃんだから、往人さんにもビシビシ言うの。時々、半分怒ってメス出したりとか……。
でね、あたし、見ちゃったの。
言われた往人さんの目に、怪しい……じゃない、何かうれしそうな光があったの。
厳しく言われれば言われるほど、うれしそうになるんだよ。メスが四本、お姉ちゃんの手に出てきたときなんか、もうとろけそうな感じ。
――これって、まど?
あ、違う。まろ……じゃないし、まご、じゃないなぁ、まと、まよ、まーぼ……。
うーん、何だっけ?
ま、いっか。要するに、いじめられると喜ぶ人だった、ってことなの。
いいなぁ、お姉ちゃん。あたしも往人さん、いじめたいなぁ。――
「……感想」
傍らにいた少女がつぶやく。独り言のように。
その言葉が、俺を現実の世界へと引き戻した。
俺はノートを閉じた。
もし、これが現実の出来事だとすれば、あまりにイヤすぎる。
「……」
「……」
しばらく、無言の時間が過ぎる。
木立を吹き抜ける風が少女の髪を揺らす。まるで夏の暑気を追い払うかのように。
周囲では蝉の合唱。賑やかというよりやかましい。
「……」
「……」
こいつは何を考えているのだろうか。
俺は半ば呆れていた。
女の子にしては長身だが、匂い立つような長い髪と、触れれば消えてしまいそうな端正でかつ繊細な容貌は、男なら誰でも思わず振り返ってしまいそうな美少女そのものの姿だ。
だが、こんなきれいな女の子が、こういうネタを考えるものなのか?
何度かのつき合いで、こいつ――遠野美凪が、変わったヤツだということは知っていたが――。
だが、半ばは感心している。遠野の文才に。珍妙な、ついでに題材にされた俺からすれば腹の立つネタだが、文章は悪くないと思う。さすがは成績優秀と言うべきか。
やがて、少女の方から沈黙を破った。
「……絶賛?」
俺は黙って首を振った。
「……抱腹絶倒?」
俺は同じ動作を繰り返す。
「……ハワイ旅行獲得?」
これで三度目の動作。
「残念……」
遠野はかすかにため息をつくと、うなだれてしまった。
そうなると、何となくかわいそうに思えてくる。
「なあ、遠野……」
「何でしょう、国崎さん」
「あのな、おまえの文章自体は悪くないと思う。だが、ネタが悪い。いいネタを使えば、きっといいものが書けると思うぞ」
「ネタは新鮮なのが一番……」
「寿司の話じゃないっ!」
俺は裏拳を遠野の額に叩き込んだ。もちろん、十分に手加減はしているが。
「……あ、切れ味抜群」
「……」
「相変わらず、いいツッコミですね」
「……」
俺は大きく息を吸い込むと、それ以上の勢いで吐き出した。
それを見た遠野が、何やら懐をまさぐる。
やがて、一枚の封筒を取り出した。「進呈」とかかれたいつもの封筒。それを俺に向かって差し出す。
「お見事でした。巨大なため息でしたで賞、受賞おめでとうございます。パチパチパチ……」
俺はそれを強く差し戻した。
「……違う?」
「ああ、全然違う。今は文章の話だろう?」
「そうかもしれません」
「……」
「……」
「……」
ふぅ、と聞こえないようにため息をつく。また賞が出てくるのはイヤすぎる。
「……お話の続き」
「あ、ああ。……だからな、こう、遠野が書いた文章を読んだ人が、感動するとか、楽しんでくれるとか、そういう大勢の人が喜んでくれるネタにしろ、ってことなんだよ」
「……」
遠野が軽く首を傾げる。陽光にきらめく長い髪が揺れる。
やがて、遠野は目を閉じて微笑んだ。儚げな感じのする、繊細な美しさ。
「分かりました。ありがとうございます、国崎さん」
「そうか、よかったな」
本心から言う。安堵だけでは決してない。遠野が理解してくれたことに、そしていい文章を書いてくれるだろうことに、俺はうれしさを感じていた。
だが、それは甘かった。
「今度はみちるの話を書きます。幼い少女と国崎さんの愛。ラブラブな出来事。……きっと読んでくださるみなさんに感動してもらえると思います」
「もらえるかぁぁぁッ!」
俺は怒号と同時に裏拳を繰り出した。――
体がじっとりと汗ばんでいる。
不快感に、俺は目を覚ました。
やや古ぼけた天井が視界に飛び込んでくる。
今度こそ現実――なのだろうか?
俺は体を起こしてみた。
頭がズキズキする。
その痛みが、明らかにこれが、これこそが現実であると告げていた。
安堵のため息をつく。
そういえば、昨晩、晴子にしたたかに飲まされたんだった。
エロティックだがうれしはずかしだか疾風怒濤だか――。
晴子が何を言ったかさえ覚えていない。ただ、自慢話のオンパレードだったことしか分からない。
限りなく徹夜に近かった。それほど二人で飲んだくれていた。
「……ふぅ」
ため息にさえ、酒精の匂いが強く漂う。
「おはよう、往人さん」
背後から声がかかった。
振り返るのに時間がかかった。
見ると、おだやかに微笑む少女。
後ろだけリボンで束ねた、透き通るような長い髪。細やかだが、幼さを残した容貌。かわいらしさと美しさが混在した女の子だった。この街で出会ったばかりなのに、すでに懐かしささえ覚えるほど、近い距離にいる。
「ラーメンライス一つ」
「へい、毎度あり」
見事な切り返しだった。どこでこんな技を身につけたのだろう。
「えっと……」
俺は一瞬返答に困った。多量のアルコールが余計に思考を妨げる。
「ああ。おはよう、観鈴」
ようやくのことで、俺は答える。それもろれつの回らない口調で。
この少女、観鈴とはひょんなことで出会った。
ガキどもに俺の大切な人形が蹴り飛ばされ、所在が分からなくなったときに一緒に探してくれた。空腹を抱えて路頭に迷っていたときに、食事と宿を提供してくれた。
それからまだ大した日数がすぎたわけでもない。それでも一緒にいることがごく当たり前のことになっていた。
「お酒臭いよ。またお母さんと飲んだの?」
「ああ」
「そうなんだ。……それにしてもすごい汗だよ。何か、悪い夢でも見たの?」
「ああ」
「空を飛ぶ少女の夢?」
「いや、違う」
俺は夢の中の出来事を話して聞かせた。
ノートに書き記された、とんでもなく珍妙なネタの小説。そして、それを書いた少女とのやりとり。
「……」
「どうした?」
アルコールのもやがかかった頭にも、観鈴が暗い表情をしているのが十分に分かった。
「ずるいよ……」
「何がだ?」
「お母さんとは楽しくお酒飲んでたのに」
「……」
「夢の中で他の女の子と遊んでたのに」
「……」
「あたしとはトランプ一緒にやってくれないなんて、ずるいよ」
すねたような表情。どうやら本気で言っているようだった。二日酔いの朝にこれは堪える。
「そうだな。悪かった」
俺は素直に謝った。頭の中で渦が巻いているので、このくらいしか言えない。
「うん、いいよ。往人さんのせいじゃないもんね」
明るく笑みを浮かべる。
「じゃあ、朝ご飯にするね」
「うぅ、気持ち悪い……」
「うん。分かってる。そうだろうと思って、チゲ作っておいたよ」
「チゲ?」
「韓国の鍋料理なの。すっごく辛いんだけど、その代わり二日酔いに効くんだって」
「そうか……」
「とにかく食べてみて」
「ああ……」
しばらくして、俺と観鈴は並んで家を出た。
例によって、観鈴は学校で補習がある。しかも、俺が二日酔いだったおかげで、すでに遅刻確定の時刻だった。
「大丈夫? 辛かったら、あたし一人で学校行くよ」
「いや、全然平気だ」
これは本当だ。観鈴の作ってくれた「チゲ」は実によく効いた。まだアルコールのもやは頭に残っているが、胃も気分もかなりすっきりしている。厳しい暑さの中を歩いても耐えられるくらいには回復していた。
「ありがとうな、観鈴」
破顔一笑。
そんな表現がぴったりするような、見ている方がうれしくなるような笑顔。
「……ところでね、往人さん」
「ん?」
「あのね、聞きたいことがあるの」
「何だ?」
「実はね、分からない言葉があるの」
学校への道を二人で歩きながら、のどかな会話を交わす。
「ねえ、『でっぱつ』と『とうつく』って、どういう意味?」
「そ、それはだな……」
俺は言葉を濁しつつ、まだ二日酔いの残る渦巻く頭を、別の意味でフル回転させた。
「難しい言葉だよね」
「ああ」
「あたし、頭悪いからわかんないの。どうしよう」
ちょっと表情を曇らせて観鈴が言う。
(だがな、観鈴、お前は家事全般が凄腕じゃないか。ちょっと、いや、かなり勉強ができなくったって、勉強ができて家事ができないより、何百倍も――当社比で――いいと思うぞ)
心の中でフォローを入れつつ、思考を巡らせる。
「そうか、簡単なことだ」
「え? そうなの?」
「ああ。『でっぱつ』っていうのは、『出っ歯』が『ツー』、つまり二つってことだ。つまり、前歯が飛び出てあまりにも出っ歯がすごいことの形容なんだ。『とうつく』は、『戸』を『美しく』、つまり入り口を美しくすることが大切だという喩えだ」
「そっか。往人さんは頭がいいんだね」
「まあ、それほどでもないがな」
陽は次第に高くなりつつあった。
二つの短い影がアスファルトの路面に形作られていた。――
――かくして、一見平和な日常は続いていくのであった。
つづく?
昔書いたパロディを載せました。