8.公爵の侍従ザウト
【登場人物】
ロシュ公爵
ザウト 灼熱の地カーゴ出身の侍従
エリザベ-ト 氷の令嬢と呼ばれる公爵令嬢
ラナ ザウトに育てられた少女で、エリザベートの侍女になった。治癒魔法も使える。
城で諸々の手続きを終えたロシュ公爵は、夕方近くになってようやく従者のザウトと公爵家の馬車に乗りこんだ。
ラナを連れた娘のエリザベートは、クロウに会えたら満足したのか、先に帰宅したらしい。
カラカラと車輪が動きだし、褐色の肌をした公爵の従者ザウトも、ようやく肩の力を抜いてふぅと息をつくと顔をしかめた。そんな彼に公爵は濃い青の瞳を向けた。
「ザウト、何か言いたそうだね」
「閣下、あそこまでする必要があったのですか?」
首元のクラバットを緩めながら右の眉を上げ、ザウトは皮肉っぽい口調で公爵にたずねた。
「あそこまでとは?」
「あのクロウ・アカツキを剣術指南役として、ロシュ領へ招いたことです」
「私は自分がいい判断をしたと思っているが?」
しれっと答える公爵に、腕組みをしたザウトはますます機嫌が悪くなる。ふたりきりなので、従者の仮面など取っ払っていた。
「城の衛士など大した実力ではありますまい」
「そうだな。彼らは仕事もあるし、一日中訓練だけやるわけにもいかない。ひとりひとりの実力はおそらくそこそこだ。クロウもそうだろう」
公爵は素直に認めた。なにより剣術指南役を他から招くなど、公爵家の私兵を預かり訓練して、精鋭部隊を作りあげたザウトにしてみれば、いたく矜持が傷つけられたであろうことは、彼にも予想できる。
「ザウトも衛士たちの働きを見たろう?彼らの連携は見事だし、衛士長も部下たちから信頼されている。クロウ・アカツキひとりが突出しているわけではないが、ひとりひとりが職務に忠実なのは見習いたいものだ」
衛士隊を手放しでほめる公爵に、褐色の肌をした男は顔をしかめた。
「一筋縄ではいかぬ人物を好まれるのは、あいかわらずですね」
「君みたいにね、ザウト。私は誰が信頼に足る人物かは、ちゃんと見定めているよ」
衛士長にもクロウという衛士にも、自分たちが城を支えているという気概がある。公爵の権威にも動じず、譲るべきところは譲っても、彼らは堂々と自分たちの主張を通した。
(主の性格からして、逆に好感を抱いたのだろうが……)
公爵があのクロウという若者を気にいれば、娘のためにきっと取り込もうとする。そう考えたザウトは主に忠告した。
「もう少し慎重になさるべきです。あれは獣人でロックガルド王国の出身でもない」
「ふむ。ではロシュ領へ出発する前に見極めようか」
ザウトの忠告を軽く受け流した公爵は、むしろ楽しそうに濃く青い瞳をきらめかせた。
ロシュ公爵の令嬢エリザベートは、プラチナブロンドに濃い青の瞳、外見もあいまって『氷の令嬢』とも呼ばれている。
公爵邸での彼女は、上に手がかかるふたりの兄がいたため、目立たないおとなしい少女だった。
むしろ面倒を起こさなかったため、放っておかれたとも言える。きちんと家庭教師がついて勉強していたが、ほとんど笑顔を見せたことがない。
「笑っているところを見たことがない」
「生き人形」
陰口を叩かれたのはやっかみだけではない。
ただ黙々と機械のように、王城でもお妃教育としてだされた課題をきちんと片づけるが、いかんせん人間味がない。
美貌もあいまって、とっつきにくいと思われても、本人にはそのつもりがないだけに、公爵家でも注意しづらかった。
ロシュ公爵は懐から折りたたまれた白い紙をとりだし、侍女ラナからの報告にもう一度目を通す。
「エリザベートに『親しみやすさを身につけろ』と言っても、困惑するだけだろう。それをあの衛士の青年は自然に引きだしてくれた」
図書館でクロウ・アカツキと話したエリザベートは、彼が渡した本を読みながら、ラナの治癒魔法が必要なほど、目を腫らして泣いていたらしい。
けれどその後は見違えるように笑顔になったとか。
「まさかラウル殿下のひと言を真に受けていたとはね。エリザベートの笑顔など実に何年ぶりだろうか。クロちゃ……いやクロウくんが氷を溶かしてくれたな」
「……まだ信用されるには早いかと」
にこりともせず返事をする従者にむかって、公爵は親しげな微笑を浮かべる。
「そうだね、だが彼はきっとエリザベートにいい影響を与えるだろう。心配なら君も協力したまえ。僕は盟友たる君を誰よりも信頼しているからね」
ザウトはきちんと主の意図を読みとって行動する。
苛烈な性格で知られる灼熱の大地カーゴの民が、わざわざ窮屈なスーツを身にまとってまで、自分のそばにいる意味を公爵はよく知っていた。
褐色の肌に黒髪、赤い瞳をしたこの戦士を、誰よりも近くに置くために侍従の職を与えた。
主の無防備な姿をさらけだすことは、ある意味命を預けたということであり、ロシュ公爵がザウトを信頼する証でもあった。
いつでも命が狩れる、その権利を相手に与えることで、彼はその献身を獲得していた。
(さて、エリザベート。お前は自分から主張することはあまりないが……彼のことはどうするつもりかな)
「クロウ・アカツキ……彼の故郷は大陸東端の『暁』といったか。人をやるには遠いが……ザウト、カーゴにいるお前のツテや貿易商たちから情報を集めてくれ」
「かしこまりました」
赤い瞳を光らせ、ザウトは静かに応じた。
公爵とザウトが王都にある公爵邸に到着すると、エリザベートと侍女ラナは先に戻っていると報告を受けた。
「ではエリザベートの様子を、ラナに聞こう」
「すぐに呼んで参ります」
しばらくたってザウトに連れてこられたラナは、ロシュ公爵の前でさすがに緊張している。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ラナ、報告ご苦労だった。公爵領に滞在中はエリザベートと過ごす時間も作るつもりだ」
「はい」
ラナは元々ザウトによりしつけられた少女で、治癒魔法と機械のように正確なナイフさばきが評価されていた。つまり元々表舞台に立たせるために育てた人材ではない。
エリザベートにつけられたのは、ザウトが侍従になったのと同じく、誰よりも近くに置くためで、侍女としての訓練は最低限しか受けていない。
(ラナでは貴族のやり取りや習慣まで知らず、必要な時にエリザベートに助言を与えることも難しかったろう)
城の衛士であるクロウは図書館でのやり取りだけで、それを理解したのだろう。衛士長室で公爵にそれを指摘した。
『ロシュ公爵、あなたには責任がある』
へりくだることもなくまっすぐに淡々と。少し調べさせた限りでは俸給もコツコツと貯金し、たまの楽しみは図書館通いぐらいで、堅実に宿舎暮らしをしているようだ。それでいて卑屈にもならず、ひょうひょうとしている。
「気まぐれながら、誰にもおもねることのないあの態度……まさしくクロちゃん!」
「閣下……」
うっかりデレかけた公爵は、従者と侍女の冷たい視線を感じてハッと我に返る。コホンと咳払いをしてラナに告げた。
「クロウ・アカツキを剣術指南役としてロシェに招く。それをエリザベートに教えてやりなさい」
「……えっ?」
ラナが侍女らしくない態度で、変な顔をして聞き返したため、公爵はもう少し詳しく説明した。
「クロウ・アカツキはロシェ公爵邸本館に滞在する。二階にある図書室は北部随一の蔵書量を誇るし、彼も退屈しないだろう。エリザベートともひとつ屋根の下で過ごすことになる。そこで……」
「……かしこまりました」
ラナは両目を血走らせ、ガッと両の拳を打ち合わせた。ザウトがほどこした訓練のたまものだが、公爵令嬢につく本物の侍女は、もちろんそんなことはしない。
ロックガルド王国広しといえど、『ロシュ公爵家のラナ』と言えば、戦闘能力に特化した唯一の武闘派侍女だった。
「もちろんあの黒猫には、このラナの身命を賭しまして、お嬢様には指一本触れさせません!」