7.公爵に拉致られる俺
俺はいつか、大陸の東端にある俺の故郷、アカツキの国に帰るつもりだ。
移動だけでも何年もかかる長旅だから、衛士の給料から少しずつ旅費を積み立てている。
公爵はちらりと衛士長を見たが、俺が断固として首を縦にふらないと知っているおっさんは、口を引き結んだまま言葉を発しない。
貴族の横暴にもガンガン文句言ってくれるし、コワモテの衛士長はこういう時、マジで頼りになる。
するといきなり従者のザウトが、スタスタと部屋を横切って窓枠に手をかけた。衛士長が突然動いた彼の行動をとがめる。
「おい、なにを……」
「ちょっと失礼」
開いた窓から飛びこんできた白い鳥が、ザウトの手のひらで折り紙に姿を変える。それを解いて中に書かれた文面にざっと目を通し、彼は公爵に紙を渡した。
「ラナからの報告です」
「ほう」
ラナって言ったら、さっき図書館でエリザベートと一緒にいた、あの栗色の髪をした侍女か?
ソファーに座るロシュ公爵は優雅に長い脚を組み、ラナの報告を最後まで読むと満足そうにうなずいた。
(なにが書いてあるんだ?)
「衛士長、君が言う通り彼の引き抜きは失敗したよ」
「そうなるだろうと言いました」
眉を下げて話しかけてくる公爵に、渋い顔で衛士長は重々しく答える。エレガントなナイスミドルガイと、歴戦の勇者みたいなゴツゴツした衛士長は対照的だが、どっちも迫力があって言い勝負だ。
けれどそれで引き下がる公爵ではなかった。待って公爵、俺をガン見するのやめて。
「ついては第二案だ。衛士隊にロシュ領へ剣術指南役の派遣を依頼する。期間はひと月、長期のため妻帯していない身軽な者が望ましい」
面白そうに彼は青い瞳をきらめかせて、まったく新しい提案をしてきた。なんでそこまでマジモード?
「該当する者は何人かおります」
衛士長は眉間にグッとシワを寄せ、口をへの字に曲げて答える。俺を行かせるとは言わないおっさん、さすが!
「そうだね、でもまずはクロウくんの返事を聞いてみないとね」
だが公爵は俺を視線でロックオンしたまま、整った端正な顔立ちにゆったりと笑みを浮かべる。仕草すべてが洗練されていて優雅で絵になるおっさんだ。さすがはエリザベートの父ちゃんだな。
「クロウくん、ラナの報告だと君は図書館で、軍師リューンを主人公にしたベマ戦記を読みふけっていたとか」
「それがなにか」
(あんの侍女ぉお、余計なこと書いてんじゃねぇえ!)
背筋はビシッとしたまま答えれば、ロシュ公爵は両手の指を組んで、にっこりと俺に笑いかける。勝ちを確信したような、余裕のある表情だ
「我々がいま手がけている治水工事が、ちょうどベマ湿原の辺りでね。君さえよければザウトに古戦場の跡を案内させよう。それにベマ戦記なら公爵邸本館にある図書室の方が、王城図書館よりも資料が豊富だよ」
(な、なんだとおおお⁉)
ベマ戦記ファンなら間違いなく食いつくネタに加え、公爵はトドメの一撃を放った。
「ついでに言えば軍師リューンの生家にある蔵書庫のカギも、我々が管理している。門外不出の手記などもある。これも君が望むなら滞在中、いつでも見られるよう手配しよう」
(軍師リューンの生家だとおおおぉ⁉)
そんなん拝めたら、俺死ぬ。一生に一度見られるチャンスがあるなら絶対にほしい。だが……。
「その前に今回の件で、ご令嬢の婚約破棄について、俺から公爵閣下にご意見を申し上げてもよろしいでしょうか」
「なにかね?」
(うおぉ、長めの文章をきちんと丁寧に言えた俺、偉い!)
自分の成長に自分で感心しつつ、衛士長の渋い顔に気を引き締める。万が一俺が公爵の機嫌を損ねたら、後のことは引き取ってくれよ、おっさん!
衛士長にバチッとアイコンタクトを決めた俺は、背筋をビッと伸ばして公爵に向きなおった。
「今回の婚約破棄について、ご令嬢には何の落ち度もありません。ですがロシュ公爵、あなたには責任があると、私は考えております」
「ほぉ」
ロシュ公爵の顔から笑みが消えると、その気性というか冷酷さがあらわになる。もともと北方地域に様々な利権を持つ権力者だ。俺みたいな雇われ獣人など、ひとひねりで潰せる。
(エリザベートが『氷の令嬢』と呼ばれるのは絶対、父ちゃんに似た美貌のせいだろうな)
俺は公爵の迫力というか圧にひるまないよう、必死に頭を働かせて慣れないしゃべりかたをする。
「ラナは優秀な侍女ですが、ご令嬢は明らかに王城で孤立しておられた。俺から見ても一生懸命努力されていましたが、すべてが空回りして悪い方に事態が転がって行ったと思われます」
「それが私の責任だと?」
公爵の青い瞳がキラリと光る。俺は大きくうなずいた。
「そうです。領地の利権が絡んだにしろ、大広間で婚約破棄など大きな傷になりましょう。公爵ならご令嬢を巻き込まず、事態を収拾することができたのではありませんか?」
「…………」
青い瞳を冷たく光らせた公爵が無言でいると、物凄い迫力がある。情けないことに俺はちょっとチビりそうだ。
けれどもしラナの報告書に、図書館で泣いていたエリザベートのことが書いてあったなら。少なくとも公爵は、満足そうに笑ったりできないはずだ。
「王城に預けたご令嬢から笑顔が消えた時に、公爵家がきちんと彼女をフォローすべきでした。たとえ親でも助けを求められない……そんな時だってあります」
あのまんま死んでいたら、エリザベートは公爵家に見捨てられたのと同じだ。ただ公爵家に有利な状況を作りだすための捨て駒……そういうことになる。
侍女のラナだって昨夜、エリザベートについていられなかったのを、悔しがっていた。だから俺への当たりだってキツかったんだ。
とんだとばっちりだが、そこにロシュ公爵の意志があるなら、俺はいくらでも文句が言いたい。
自分の娘泣かせてんじゃねぇ!
(……と、怒鳴りつけたいとこだけどな)
グッとこらえた俺、偉い。だが俺が結局口にしなかった言葉は、公爵にもきちんと届いたろう。
「……肝に銘じよう。エリザベートもロシュ公爵領に戻し、しばらく静養させる」
「それだけでなく、将来のこととか……きちんとご令嬢の気持ちを尊重して下さい。ご令嬢が肝心なところで自分の気持ちを告げず、王太子に遠ざけられたのは、公爵との関係が影を落としていると思います」
「私との関係が?」
俺はグッと拳を握り、腹に力を込めた。ここで気迫負けするわけにいかない。
「そうです。ご令嬢には言いたいことを言わず、飲みこむ癖がある。本当はきちんと自分の意思があるのに、それを出す前に諦めてしまう。『氷の令嬢』なんて言われるのはそのせいだ」
「クロウ、言葉が過ぎるぞ!」
「かまわん、衛士長。彼の言うことももっともだ」
さすがに衛士長から厳しい叱責が飛ぶ。けれどきちんと最後まで言わせてくれた。いつだって人間は身勝手で、それに振り回される誰かがいる。
だけどそれを許せない時は、相手にきちんと伝えなきゃいけない。それでも押さえつけてくるようなら、別の手段を考える。
そうやって人は少しずつ賢くなっていく。今回のことで元々賢いエリザベートはさらに賢く、そしてよりいっそう用心深くなるだろう。
(でもま、泣かずに済むのが一番だけどよ……)
やべぇな。成り行きで命を助けたとはいえ、俺も図書館で静かに涙をこぼすエリザベートを見て、情が湧いちまったのかもしれねぇ。
「クロウくん、君の忠告に感謝する。エリザベートとはまず対話をしよう。将来についても彼女の意思を尊重すると約束する」
「そっすか……」
つい地がでた。
「気丈にふるまっているが、まだエリザベートは不安定だ。君の目からも見て、気づいたことがあれば教えてほしい。剣術指南役としての働きにも期待している。どうかロシュ領へ来てくれないだろうか」
そこまで言われちゃ、俺も素直に陥落するしかない。こうして俺は公爵に拉致られ……もとい、ロシュ領に派遣されることになった。