6.ロシュ公爵
【登場人物】
クロウ・アカツキ 黒ヒョウを守護獣に持つ猫型獣人
ロシュ公爵
ザウト 公爵の従者
衛士長 クロウの上司
「ひとつ断っておきますが、俺は黒ヒョウを守護獣に持つ猫型獣人であって、『黒猫のクロちゃん』ではありません」
ちゃんと丁寧語が使える俺、偉い。獣人はそれぞれ守護獣を持つ。俺の守護獣はしなやかな肢体を持つ黒ヒョウで、ちゃんとその特徴を持っている。
兄貴たちみたいに虎とかライオンだったら、もっとガッチリめな体格だったんだけどな。
紺色のスーツに白いシャツ、首にはブルーグレイのタイを締め、胸元には同色のポケットチーフ。どうみてもクールなナイスミドルガイで威厳と風格たっぷりの公爵が、重々しくうなずいた。
「うむすまん。あまりにも……いや、そっけないその態度もなおさらっ……ぐはあぁっ!」
公爵は俺を眺めては身悶えしてやがる。ナイスミドルガイの豹変ぶりにとまどうというか、ここまでくるといっそのこと、俺にそっくりだったという黒猫のクロちゃんが気になる。
「閣下、彼は休暇中です。早く本題に入りませんと」
みかねた従者らしき男が口をはさんだ。浅黒い肌に赤い瞳を持つ侍従は黒髪を頭のうしろで束ね、プラチナブロンドに青い目の公爵とは正反対な見た目をしている。
色も体つきも灼熱の大地カーゴに住まう民の特徴だが、ゆったりとしたカーゴの服ではなく、きちっと体にフィットした黒いスーツを着ている。
スーツの上からでも鍛えられていると分かる体、その動きは洗練されていて隙がない。エリザベートが連れていた侍女と同じような、油断ならない目つきをした従者だ。
「ああザウト、そうだった。まずはクロウ・アカツキ、きみに礼を言わせてもらおう」
親子そろって俺に礼を言いたいのね。俺、たいしたことしてねぇのにな。俺はキリッと顔を作った。
「いえ、当然のことをしたまでです」
ちゃんと丁寧に言えた俺、偉い。
「娘のエリザベートも今朝からきみに礼を言いにいくといって聞かなくてな。私より先に家をでて図書館に向かったそうだが会えたかね」
娘さんを止めてくれてもよかったんですよ、公爵。もちろんそんなことは思っても言わない。こういう時の返事だってキメられる。
「はい、お怪我がなくて何よりでした」
〝衛士用想定問答集〟第三章三十五ページ六行目。『家族から感謝された場合の答え方』……バッチリだ!
しかし公爵はそれでは終わらず、まだジャブをくりだしてきた。
「きみの働きがなければ娘は死ぬところだった。ぜひ私からも礼をさせてくれ」
きたきたきた。模範解答いくぜ!
「お嬢様からもお礼の言葉をいただいたうえ、閣下からも過分なお言葉をちょうだいし恐縮です。お礼ならば衛士たち全員に。俺はたまたま居合わせ、職務を遂行しただけです」
かまずに言えた俺、偉い。それを聞いたロッシュハウト公爵はいい笑顔になった。
「衛士長の言った通りだね、きみならばそう言うだろうと。もちろんそうさせてもらったよ」
「は?」
気になってすかさず衛士長を見れば、彼は渋い顔でうなずく。
「ロシュ公爵は実はさきほど、この衛士詰め所の建て直しを提案された。これで夏のうだるような暑さでも、当直の者が寝不足にならずにすむ」
(……金持ちってやつぁ!)
たしかにこの詰め所は築四百年ぐらいたってる、ロックガルドの歴史ある建造物のひとつだ。設備も四百年前からいっさい変わっておらず、公爵の申し出は実にありがたい。
改築許可すらいろいろと手続きがめんどうで、ほったらかしになってた案件だが、公爵の鶴の一声があればなんとでもなるのだろう、神か。
衛士長も本当は嬉しいくせに笑うわけにもいかず、ギュッと歯をかみしめて渋い顔を作っているんだろう。公爵にとっては大した出費じゃないのか、あごをなでて余裕の表情だ。
「昨夜の騒ぎでは我々も後手にまわったからね、このぐらいせんと気が済まんのだよ」
(……ん?)
俺は公爵の物言いに引っかかりを覚えて、彼を問いただす。
「まさか騒ぎが起こることを知っておられた?」
「我々は何も知らされてなかったがな」
ちゃんと敬語で質問できる俺、偉い。そして俺が口にした疑問に、衛士長も苦虫をかみ潰したような顔で、事件のあらましを教えてくれた。
そもそも昨夜は婚約破棄どころか、ロシュ公爵自身も断罪される予定だったそうだ。
エリザベートの婚約破棄はその巻き添えになる形で、絶望した彼女が回廊から身を投げるという筋書きまで用意されていた。なんと遺書まで用意して殺害される計画だったらしい。
事件の黒幕は公爵領と領地を接するガロン伯爵で、公爵が有する鉱山の利権がほしかったようだ。
「なんつー無茶苦茶な計画……」
それが成功していたら俺たち衛士は残業確定どころか、徹夜で連日泊まりこみだ。そして真相は明らかにされずヤブの中という、スッキリしない終わり方をしたに違いない。
俺が読書の神に感謝していると、公爵はこともなげに言う。
「相手を酒宴の席に呼びだして屠るなぞ、古今東西よくあることだ。自分のために開かれた祝宴でそれを許可した、ラウル王子にも問題はあるがね。よほどミアという娘と結婚したかったのだろう」
計画を察知した公爵は、治水工事の遅れという名目で舞踏会を欠席、ひそかに軍を展開させた。
その動きを察知されないようガロン伯爵を欺くため、エリザベートは予定通り舞踏会に参加して婚約破棄されたらしい。
「娘は非常に緊張していたらしくてね、後からザウトに聞いたがいつにも増して無表情だったと」
この従者は会場にいたのか。褐色の肌をしたザウトは、赤い瞳を俺に向けて口をひらく。出てきたのはカーゴの民が使う言葉ではなく、滑らかなロックガルド語だった。
「我々も警戒していたが、実行犯たちが何かしら行動を起こさねば動けなかった。エリザベート様は進んで囮になられたが、きみが会場にいなければ、お命は危うかった。私からも礼を言わせてもらいたい」
いやいやいや。そんな迫力ある目つきで言われても。衛士長もそばにいるってのに、礼を言われるのになんで俺、ビビらなにゃならんの。
「じゃあ王太子殿下は……」
「もう王太子ではない。ミア・カーミスは身分を偽っていた。男爵令嬢ですらない市井の娘を選んだのだ。王弟殿下のご子息、リオル殿下が近日中に立太子される」
なんとー!
たんにカーミス男爵が持参金も用意できない貧乏貴族ってことじゃなかった!
それにリオル殿下なら俺も知ってる。近衛騎士団に所属していて、しっかりした実直な人物だ。ロックガルド王国も人材が豊富でよかったな。
(そしてラウル殿下は切り捨てられたのか……貴族社会こわっ!)
国王陛下の胸中は複雑だろうが、ロシュ公爵の怒りにふれて命があるだけまだマシだ。そして公爵は顔を少し曇らせて、俺に驚くべき提案をしてきた。
「娘は明るくふるまっているが、怖い思いをさせてしまったからね。ぜひ君を娘の護衛として引き抜きたい。衛士長にも『君が承知するなら』と許可は取った。どうかね、給料は今の三倍だそう」
「お断りします。俺はただの衛士です」
俺が即答すると公爵はあごに手をあて、意外そうに青い目をまたたく。
「ふむ。この待遇では不満かねでは領地もつけようか」
金持ちってやつぁ……俺が言いたいのは、そういうことじゃねえぇ!
「いえ、俺はこの仕事が気にいっているので」
衛士長は話の分かるおっさんだし、同僚たちも真面目ないいヤツばかりだ。それになんたって王城図書館の蔵書は捨てがたい。ベマ戦記はまだ半分しか読んでない。
ロックガルド王国は人間の国だ。もちろんここで暮らす獣人もたくさんいて、多くはその身体能力を買われて雇われている。
衛士や護衛、運送業なんかでも同類はよく見かけるし、社会保障も人間と同様でしっかりしている。獣人にとっては暮らしやすい国のひとつだ。
けれど俺はここで骨を埋めるつもりはなかった。
すっかり気に入られたクロちゃん。