5.侍女のラナ
【登場人物】
クロウ・アカツキ 黒ヒョウを守護獣に持つ猫型獣人
エリザベート・ロシュ 公爵令嬢
ラナ エリザベートの侍女
ロシュ公爵
衛士長 クロウの上司
「お嬢様、そんなことを言えばこの者が勘違いします」
ツンケンした侍女がにこりともせず、俺にクギを刺すように言い放つ。
へーへー、分かってますって。俺はモブの衛士、身の程はわきまえてますって。
それでも相手がメガネちゃんだと思うと、俺も気が楽になった。
「なんかさぁ、それ前から俺のこと好きみたいじゃん」
プハッと笑って顔を見れば、エリザベートはみるみる真っ赤になる。
(え、マジ?)
どこが氷の令嬢だよ、こんなにわかりやすく表情が変わる。俺はあっけにとられて首をかしげた。
「もっとそうやって笑えばよかったのに。あの王子といるとき、ぜんぜんそんな笑顔見せなかったよな」
「ラウル殿下といっしょにいる私を、ご覧になったのですか?」
硬い声になった彼女の顔からスッと表情が消え、いつもの氷の令嬢に戻ってしまった。俺はなんとなくもったいない気分になり、言い訳がましく説明する。
「殿下の予定は、衛士たちにも共有されるし。俺、仕事ぶりは真面目だかんね」
「そうですね……私も時々、警護や見回りされているクロくんをお見かけしてました」
エリザベートはこくりとうなずく。どうでもいいけど背後にいる侍女が、ずっと俺をにらんでいる。
あのさ、俺あんたの主人の命を助けた恩人だかんね、どう考えてもにらまれる理由ないんだが。
けれど侍女は我慢できなくなったらしく、身をかがめてエリザベートにささやいた。
「お嬢様……この男、馴れ馴れしすぎです!」
「ラナ、この方は私を助けてくださったのよ?」
ひそひそ交わす声がしっかり聞こえる。いいね、もっと言ってやって。ていうか侍女の名前はラナってのか、ふうん。どうにも隙がなくて、ただの侍女って感じはしねぇな。
「あーわりぃ。俺も今はオフだから。仕事中は言葉遣いだってちゃんとしてるぜ?」
けれど相手がメガネちゃんだと分かって、気安くなり過ぎた自覚はある。王太子妃候補筆頭だった公爵令嬢だもんな。縁談ひとつ壊れたからって困んねぇだろうし、衛士の俺とは仲良くさせたくないだろう。
「この……」
「ラナ!」
侍女のラナは俺の態度が気にいらないらしく、好戦的に拳をグッと握りしめたが、エリザベートがすかさず止めてくれた。サンキュ。
でも落ち着いて読書はできそうにない。俺は諦めて広げていた本をパタリと閉じた。すると横に座るエリザベートはうつむいて、小さな声でポツリと言う。
「その……笑うなといわれたのです、ラウル殿下に」
「あ?」
「だれかれかまわず気安く笑いかけるな、そうラウル殿下に言われてから、王城ではうかつに笑えなくなりました」
「んだよ、それ……」
エリザベートは美しい。輝くプラチナブロンドに濃い青の瞳は鮮やかで、ぬけるような白い肌のなかで唇だけがふるりと赤い。
こいつがちょっと笑うだけで、大輪の花が咲いたみたいだ。だれもが彼女に目を奪われる。つまりラウル殿下は、それが面白くなかったんだろう。
ああいうタイプはつねに自分が一番で、まわりからおだててもらわないと気が済まない。裏を返せばそれだけ自信がないってことなんだろうが。
身近な婚約者をおとしめることでしか、心の平安を保てないなんてちっちぇ男だな。背は俺より高いけど!
うむ、男の価値は背丈じゃ決まらない。俺の持論その一に、貴重なサンプルが一個追加された。
「ですが……笑わぬように心がけていたら、こんどは『つまらぬ女』だと」
人形のように血の気を失くした、エリザベートの表情が固くこわばった。そうか、そうやって氷の令嬢はできたのか。素直な彼女は殿下の気持ちが理解できず、いわれた通りただ従ってしまった。
「泣きたきゃ泣いていいんだぜ?」
「でも、このような場所で泣くなんて」
俺は席を立ち、本棚から目当ての本を探す。特徴のある背表紙だから、すぐに分かった。
「ほら、これがいい」
エリザベートは本の表紙を見つめ、パチリとまばたきをしてタイトルを読みあげる。
「〝ビアンカの嘆き〟?」
メガネちゃんはいつも教養書の棚のあたりをウロウロしていた。きっとお妃教育に追われて、恋愛小説なんか読んだことがないんだろう。
「すっげぇ悲恋ものらしい。前にエリス女官長が目を真っ赤にして読んでてさ、だからアンタも今読めよ。それなら鼻すすりながら読んだって、だれも不思議に思わないから」
本を受けとったエリザベートは目を見開いた。
「エリス女官長って……あの厳格な方が?」
「ちゃんと泣いてやれ、自分のために。頑張ったのに上手くいかなかった自分を、憐れんで悲しんで嘆くんだ。アンタが笑うのはそれからだ」
「はい……」
こうして俺はようやく、目的のベマ戦記を読むことができた。その横でポロポロと静かに涙をこぼして、エリザベートは本のページをめくりながら泣いている。
(顔をゆがめて泣きじゃくったっていいのによ。どんな姿だってあんたは綺麗なんだから)
そう思ったけど口に出したら、きっと侍女からぶん殴られる。わきまえている俺、偉い。
日が高くなり、図書館には昼休みになったスタッフが、チラホラと姿を見せ始める。目を赤くしたエリザベートはだいじそうに本を抱えた。
「ぐすっ、結局〝ビアンカの嘆き〟は最後まで読めませんでしたわ。お借りして家で読むことにします」
「ああ、またな」
俺はヒラヒラと手を振った。「またな」と言ったのはただの社交辞令だ。お妃教育からはずれた彼女は王城から去るだろう。もう俺との接点はなくなる。
「お嬢様」
侍女のラナが近寄ってきて、エリザベートの目元に軽く治癒魔法をかけた。赤くなってぽってりとしたまぶたの腫れがすっと引き、その鮮やかな手並みに俺は感心する。
「ありがとう、ラナ」
「昨夜も私がついていれば、この者などに後れをとりませんでしたものを」
たしかにそうだろう。治癒魔法まで使える侍女……公爵家子飼いの女なんてヤバい感がヒシヒシだ。
だからこそなおさら、昨日エリザベートを危険にさらしたことが、ラナにとっても大きなダメージとなっているに違いない。
ラナは好戦的で俺にも敵意を向けているが、エリザベートには忠実なようで、俺のことはにらみつけるだけで終わった。
「じゃあな」
二人と別れた俺は中庭にでて、衛士の詰め所を目指した。
「ちょっくら顔出して、事件の顛末でも聞くかなぁ」
そしてそんな俺を待ちかまえていたように、詰め所でザワザワしていた同僚たちは、俺の姿をみるとすっ飛んでくる。
「クロウか、ちょうどお前を呼びに宿舎へ人をやるところだった。ロシュ公爵がいらしてる!」
「へっ?」
「すぐ衛士長室へ!」
同僚たちにガシッと捕まって、俺は引きずられるように衛士長の前に連れて行かれた。するとソファーにゆったりと座っていた脚長紳士が立ち上がる。
さっきまで一緒にいたエリザベートと同じ、プラチナブロンドに青い瞳の持ち主だ。きっとロシュ公爵だろう。後ろに侍従らしき男が、隙のない身のこなしで立っている。
秀でた額に鼻筋がスッと通った美形で、年齢にふさわしい威厳と風格を備えた公爵は、俺の顔を見るなりいきなり、デッレデレの笑顔になった。
「クロちゃん……!」
……公爵、あんたもか!
キタコレーー!!
獣人あるある!!
『飼ってた猫に似てました』
どうせあんたも「昔飼っていた猫の名前が『クロちゃん』といって、雰囲気がよく似ていて……」とか言いだすんだろ!
言っとくけど俺は黒ヒョウを守護獣に持つ猫型獣人であって、断じて黒猫ではないからな!