4.図書館のメガネちゃん
「あ、お待ちくだ……」
エリザベートは何か言おうとしたが、屈強な騎士たちのひとりが進みでる。礼装を見事に着こなした彼らは、全員すらっとした長身で胸板も厚く、見目麗しく堂々とした体格で、俺からは彼女の姿が見えなくなる。
「ご安心ください、エリザベート様。われわれが公爵家までお送りします」
おうおう、みんなもう狙っちゃってんの?横並びで抜け駆けなしよってか?
ま、俺には関係ねぇけど。
俺はシュタタッとその場を離れ、まずは詰め所で衛士長に状況報告をして、ついでに明日の休暇をもぎとる。ケガはないと報告したが、朝一番に医師の診察を受けるようにとのことだった。
(今夜の読書はやめにして、明日図書館でゆーっくり過ごすかぁ……)
力を使ったから今日はもう眠い。楽しみにしていたベマ戦記は図書館で読むことにして、宿舎に戻った俺はジャケットを放りだし、軽くシャワーを浴びるとさっさと休む。
シングルベッドに潜り込んでまぶたを閉じれば、腕に抱えた白いドレス越しに伝わる体の温もり、大広間で目にしたほほを上気させた微笑みがよみがえる。
(役得、になんのかなぁ……)
俺は今夜エリザベートの命を救った。甘いフリージアとシトラスの香りも、ドレスの布越しに感じた柔らかい感触も、きっとごほうびのようなもん。
それきりで終わるはずだった……。
そして翌朝、宿舎をでた俺は城の食堂で朝食を済ませ、医務室で医師の診察を受けてケガがないことを確認すると、王城図書館へといそいそと向かった。
(待ってろよぉ、俺のベマ戦記ぃ!)
城の中庭にある図書館は二階建てで、大きくとった窓から入る日差しで室内は明るい。昼休みと夕方は混み合うが、午前中は調べ物に使われるぐらいで空いている。
ベマ戦記はシリーズ物で、棚には何冊もの本が並ぶ。そこから抜きだした一冊を窓際の指定席に運び、本を広げてゆっくりと読書……とはならなかった。
昨日助けた公爵令嬢エリザベート・ハックロシュが、濃いブルーのワンピース姿で、おつきの侍女らしい黒髪の女とともに現れた。
「クロくん」
(ピンポイントで来たああぁ⁉︎)
エリザベートの顔色はよく、昨日のショックは尾を引いてなさそうだ。むしろ目を輝かせて、キラキラした笑顔で話しかけてくる。
「あの、昨日はきちんとお礼も言えなくて。クロくん、私の命を助けていただいて、ありがとうございました」
その後ろで付き添いの侍女が、俺をにらむようにして立っているけど、俺たちの会話を邪魔する気はないらしい。
「どうも。それを言いにわざわざ?」
「ええ」
うなずくとエリザベートはポッと顔を赤らめる。公爵家の情報収集能力、恐るべし。そういや連れている侍女も身のこなしにスキがない。昨日の今日だ、公爵も娘のまわりに手練れを寄越したんだろう。
とりあえず俺は隣の椅子をすすめた。公爵令嬢を立たせとくわけにもいかないだろ。侍女は立ちっぱなしだが、視線を合わせても首を横にふるだけで、座る気はないらしい。
「よくここが分かったな……ていうか、でかけて大丈夫なのか?」
彼女はこくりとうなずいた。
「はい、犯人も捕まりましたし」
俺がしっかり休んでいる間に犯人は捕まり、事件は解決したらしい。さすが俺の同僚たちだぜ。俺?俺はだってモブだもん、手柄たてるなんてガラじゃねぇし。
「それで衛士の詰め所にお礼にうかがったのですが、クロくんは休暇だと聞いて、ひょっとしてこちらかもって。そうしたらやっぱり!」
彼女の言葉に俺は飛びあがった。
「えっ、俺の趣味が読書って……だれかしゃべったのか?」
ハーフアップにした長いプラチナブロンドの髪をさらりと背中に流し、濃く青い瞳を輝かせた彼女は首を横にふると、モジモジと恥ずかしそうに両手の指を組み合わせた。
「いいえ、私が勝手にそうじゃないかって。その……以前からこちらでお見かけしていたのです。クロくんはいつも窓際のこの席で、本に夢中で真剣に読書をされて、たまにうたた寝などされていましたよね。集中すると猫背になりますけど……射しこんだ日差しにクロくんの黒髪が淡く金色に輝いて……」
「はぁ⁉」
思わずデカい声がでて、あわててあたりを見回せば、例の侍女が無言で俺をにらみつけて、ひと差し指を唇に当てる。わーってるよ、んなこと。
「じゃ、俺のこと元から知って……」
「はい。いつも見つめるだけで、私から話しかける勇気はなかったのですが」
俺はエリザベートの顔をまじまじと見た。こんなに近くで見てもきれいな顔だ。白磁のようなツヤのある透明感のある肌に大きな青い瞳で、長いプラチナブロンドはキラキラと輝いていた。
つんと先のとがった小さめの鼻も筋が通り、目と鼻の配置も申し分ない。いくら本に夢中でも、こんな美少女を俺が覚えていないわけがない。
でも俺と同じような背格好をしていて、図書館でよく会う人物……と考えて、ふと思いだした少女がいる。地味な紺色のワンピースを着た彼女は、たしか茶髪で眼鏡をかけていた。
「あーっ、アンタもしかしてメガネちゃん?」
思わずデカい声がでて、あわててあたりを見回せば、例の侍女が無言で俺をにらみつけて、今度は『私語厳禁。静粛に』と書かれた張り紙がしてある壁を指さす。
わーってるよ、んなこと。でもやっぱ、だって驚くだろ。エリザベートはパッと花がほころぶように笑った。
「そうです、覚えててくださったんですね!」
メガネちゃんは俺と同じ、図書館の常連仲間だ。といっても話をしたことは一度もない。俺が図書館にいくとメガネちゃんが本を読んでいて、逆に俺の読書中に彼女が本を探しに現れることもあった。
「やー、全然気づかなかったわ」
「髪の色も変えてメガネをしていましたので。その、図書館には息抜きに通っていたので、見つかりたくなかったのです」
城にお妃教育に通っていた彼女は、息がつまったり落ちこんだりしたときに、あてがわれた自室で休んでいることにして、こっそりと変装して図書館に避難していたらしい。
羽を伸ばすのも思うようにできないのは大変だな。なんかメガネちゃんを大広間でガン見していたかと思うと、急に照れくさくなる。ちょっと侍女の視線も意識しつつ、俺はエリザベートに質問した。
「あのさ、なんであのとき、大広間で俺見て笑ったの?」
「うれしくて」
「は?」
目元を潤ませながらエリザベートは自分のほほを手で押さえる。
「お城の舞踏会ですから私も着飾ってましたけど、クロくんもすごく素敵で。あっ、いつもの衛士服も素敵ですけど、舞踏会では金モールのついた正装でしたし、姿をお見かけするだけでも夢みたいで。しかも私と目が合ったでしょう?」
あ、ガン見バレてた。でもオッケーぽい。俺は内心胸をなでおろした。自分のほっぺたを押さえて興奮したようすでキャアキャア言ってるのは、氷の令嬢エリザベートだ。
「つまり、正装の俺にときめいちゃったのか」
「ええ、私あのとき『死んでもいい!』って思いました」
力強くうなずく彼女に、俺は思わず突っこんだ。
「自分でフラグ立てんなよ」
あんた本当に死ぬところだったんだからな?