3.ようやく名を呼ばれた俺
【登場人物】
エリザベート・ロシュ 公爵令嬢
クロウ 黒ヒョウを守護獣に持つ猫型獣人
ラナ エリザベートの侍女
俺たち獣人族が人間の国ロックガルドで雇われているのは、その身体能力ゆえだ。
黒ヒョウを守護獣に持つ猫型獣人の俺は、ピンと立った耳を音のした方向にむけ、金に光る瞳の瞳孔をバッと広げる。
すると闇夜であっても俺の視界には、見覚えのある白いドレスがくっきりと映し出される。
(あの姫さん……あんな所で何やってんだ⁉)
俺がいる城の裏庭から見てちょうど真上、城壁からふだん使われていない塔を結ぶ回廊で、さっき婚約破棄されて大広間から退出したはずの、公爵令嬢エリザベートが何者かともみあっている。
上半身が手すりより外にはみ出して、もがき抵抗する彼女は今にもバランスを崩しそうだ。
考えるより先に俺は城壁に飛びついた。ギッと手足の爪を硬化させると、石壁に食い込ませながら壁を駆け上がる。
襲撃者の顔は下からだと、エリザベートの体に隠れてはっきりと見えない。相手のほうが力は上らしく、彼女の長い髪が宙に広がり、全身が手すりを越えて空中に投げだされた。
俺は滑るように壁を横に走る。落下する白いドレスとすれ違う瞬間、全身のバネを使って勢いよく跳躍した。
(届け!)
空中をもがくように手足を動かし、彼女へと手を伸ばす。
俺の身体能力はこういうときに役にたつ。エリザベートの高級品らしいドレスにカギ裂きのような傷を作ったが、なんとか爪にひっかけることに成功し、布ごと巻きこむように細い体を手繰り寄せた。
そのまま彼女の体を抱きかかえて、クルクルと空中で回転する。落下スピードを相殺するためだ。
背中から着地するなんてヘマはしない。俺の両足が地面をとらえ、二人分の体重がかかっているとは思えないほど、ストッと軽やかな音で着地する。
グッと両足に二人分の重みがかかり、体が深く沈みこむ。俺は爪を硬化させたままそこに踏んばり、なんとか彼女の体を抱えたまま立ち上がる。
恐怖に顔を凍りつかせたまま、彼女の青い瞳が大きく見開かれて、俺を見あげている。
「失礼」
俺は彼女を地面に下ろし、取りだした警笛を勢いよく吹く。
ピーッピピッピッピーッ!ピルリピーッ、ピー!
リズムがついているのは情報伝達のためだ。意味は「西の回廊・侵入者・人数は不明」、最後に軽く吹いたのは「要応援・中庭・一名保護」ってとこか。
逃がしゃしねぇ、俺たち衛士を舐めんなよ。
城のあちこちにつっ立ってるだけの、お飾りじゃねぇことを分からせてやる。でないと俺が衛士長からドヤされる。俺が向かってもいいが、こっちにはお姫さんがいる。まずは安全確保だ。
俺はエリザベートを見下ろ……せなかった。落ちた時にヒールは脱げたようだが、彼女の青い瞳は俺の真ん前にある。つまり目線の高さ、背の高さはほぼ同じだ。
これ、ヒール履かれたら俺が見下ろされるやつ!
俺の持論その一!
『男の価値は背丈じゃ決まらない』
負け猫の遠吠えとでも何とでも言え、とにかく背丈じゃ絶対にねぇからな。俺は衛士らしくキリッと顔を作り、ビシッと敬礼する。
「おケガはありませんか?」
「あ……」
ちゃんと丁寧語が使える俺、偉い。
「すぐに応援が参ります。ご安心を」
まぁ休憩中ではあったけど。わざわざ名乗るほどでもない。だって俺モブの衛士だし。相手は公爵令嬢だぜ?
王太子にフラれたからって、隣国の皇太子とか国境で要所を守る辺境伯とか、騎士団長とか国家魔術師とかそういうのいっぱいいる。
身の程をわきまえてる俺、偉い。
(そのまま大広間に戻るわけにもいかないし、まずは着替え……いや、きょうはラウル殿下のせいでめったに着ない正装だったな。ならこのまま引き継ぎして、さっさと宿舎にひきあげるか)
そんなことを考えていたら、エリザベートが大きな青い瞳をうるませ、想いをたっぷり込めた表情で俺の名を呼んだ。
「クロちゃんっ!」
「……なぜ俺の名を?」
けれどパチパチと目をしばたいた彼女は、驚いたように口元に手をあてる。
「ま、まさか本当にクロちゃんとおっしゃるの?」
「正確にはクロウね。あとちゃん付けはさすがにやめてくれる?」
「わかりました。ではクロ……くん」
……クロちゃんよりはいいかな。
相手は公爵令嬢だ、許す。どっちみち「許しません」と言ったって首が飛ぶ。
しかしイマイチ会話がかみ合わない。エリザベートは目が合うとポッと頬を染めた。
「ごめんなさい、昔飼っていた猫の名前が『クロちゃん』といって、雰囲気がよく似ていて……」
キタコレーー!!
獣人あるある!!
『飼ってた猫に似てました』
わかる。これ絶対、恋愛感情ないやーつ!
ここロックガルドは人間の王国。獣人たちもそこそこいるが、物珍しそうな視線はよく飛んでくる。俺みたいな華奢なタイプは珍しいからな。
そう、残念なことに俺の体は小さい。獣人だけあって身体能力はバッチリだし、そこらの騎士とも素手で対等にやり合えるのに。
けれどパッチリした金の瞳に艶のある黒髪、音に反応してピクッと動く耳……王城でもよく叫ばれるんだ。
「キャー、かわいい!」って。
ちなみにエミリア王女殿下のお茶会にもよく警備という口実で駆りだされる。で、俺を囲むエミリア王女とその取り巻きの令嬢たちの目当てはというと……俺というよりも。
「しっぽ触らせて」とか。
「耳を撫でさせて」とかそんな感じ。
あのね、俺仕事中なの。ついでに言えば成人男性なの。
お前ら淑女のくせしてセクハラ案件かましてくんじゃねーよ!
幸い王女殿下からの、俺を殿下の専属に……という申し出は、衛士長が渋い顔でビシッとうまいこと言って断ってくれた。
「こやつは獣人で、ロックガルドの常識もきちんと身につけておりません。王女殿下の前でどんな無作法をやらかすか」
衛士長サンクス!俺ひとり抜けるだけでも、ローテーションが狂うんだよ。
まぁそんな話はこの際関係ない。王城からゾロゾロと衛士や騎士たちが飛びだしてくる。
「ロシュ公爵令嬢!」
エリザベートはすぐにキラキラしい騎士たちに囲まれた。雇われの警備員的な衛士と違い、騎士の奴らは自分か親が領地持ちで、馬を飼う余裕のある者たちばかりだ。
当然貴族か金持ちの坊ちゃんで、見目麗しく品もいい。婚約破棄されたばかりの公爵令嬢と、恋に堕ちるヤツがいるかもしれない。
いろいろ大変な思いをしたロシュ公爵令嬢に、俺は最大限のいたわりスマイルを向けた。
「後のことは騎士が引き継ぎます。では!」
ようやく名前が呼ばれました、黒猫獣人のクロウ君です。