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16.エリザベートの部屋

【登場人物】

侍女ラナ エリザベートに仕える。お嬢様大好き。

エリザベート ロシュ公爵の愛娘。

 返してもらったノートをキュッと抱きしめて、ラナは公爵邸の廊下を歩いて行った。


(料理もだけどクランベリージュース、おいしかったな……)


 クロウたちと夕食まで食べたから、だいぶ夜も遅い時間だ。けれどエリザベートの部屋にはまだ明かりがついていて、ノックをすればすぐに返事がある。


「お嬢様、ただいまもどり……」


「ぐすっ、ラ、ラナ……」


 白いふわふわとした夜着に身を包み、髪も解いたエリザベートが、泣き腫らした顔で彼女を振りかえる。


「お、お嬢様⁉」


 ラナは真っ青になって駆け寄り、今にも崩れ落ちそうなエリザベートを支え、すぐに治癒魔法をかけた。


「ありがとう、ラナ……」


 エリザベートは体を預けるようにラナにもたれ、きつく目をつむったまま、ポロポロとまだ涙をこぼす。


 肩にかけていた彼女のカーディガンが夜着から滑り落ち、細い体が震えるさまがあまりに痛々しい。


 戻ったばかりの侍女はカーディガンを戻すと、主の震える細い体をそっと抱きしめた。


 エリザベートが好きなシトラスとフリージアの香りが、やわらかい体からふわりと香る。それだけで胸がいっぱいになり、ラナまで泣きそうになる。


「私がお側を離れたばかりに……もうしわけございません!」


 するとエリザベートはびっくりしたように顔を上げた。涙をためて潤んだ青く大きな瞳が、魔導ランプの光を受けてきらめ、パチパチとまばたきをすると、またひとしずく真珠のような涙がこぼれる。


「ち、違うの……」


「何が違うんですか。こんな時にお嬢様をおひとりにしてしまって……私ったら」


 ラナは後悔していた。いくら公爵の命令だったとはいえ、クロウの情報など後からハルトにいくらでも聞ける。


 心の中で彼女がわび続けていると、抱きしめられていたエリザベートが、ラナの背中をぽふぽふさすりながら、小さな声でモゴモゴ訴える。


「ラナ、私が泣いているのは悲しいんじゃなくて。本を読んでいたの……」


「本?」


 見るとエリザベートの膝には、クロウが図書館で勧めていた〝ビアンカの嘆き〟が置いてある。


『すっげぇ悲恋ものらしい』


 たしか彼はそう言っていた。ラナはハンカチを取りだし、エリザベートの涙を優しく押さえながら毒づいた。


「あんの黒猫……」


「あのね、ラナ。すごく素敵なお話だったの。とても切ないけど、ビアンカの強さにもしびれるの。本当に感動したわ。だから悲しいんじゃないのよ」


 そう言いながらエリザベートは、キュッとラナの体を抱き返して、その肩に顔を恥ずかしそうにうずめる。


(ああああ、お嬢様が可愛すぎるうぅ!)


 泣いていたせいか、いつもはツンと澄まして見える鼻が赤くなって、解いた髪も少し乱れている。ラナが手櫛でそれを調えていると、エリザベートはその手を取り、自分の頬にあててうれしそうに微笑んだ。


「でも涙が止まらなくて困っていたから、ラナが帰ってきてくれてよかったわ。心配かけてごめんなさい」


(いやああぁ、お嬢様がマジ天使いぃ!)


 ラナは心の中で絶叫した。あの黒猫には腹が立つけれど、『氷の令嬢』と評されるエリザベートの、こんな可愛らしい姿が見られるなんて、役得以外のなにものでもない。


 もちろん誰にも見せたくないけれど、ラナもドキドキしてしまって、ひとり占めするのも心臓に悪い。


「お嬢様、お土産があるんですよ」


「お土産?」


 街の料理屋では皿洗いも乱暴だから、割れると困るガラス製の高価な食器は使わない。ラナは銀のトレイにグラスと、わけてもらったクランベリージュースを載せる。


 サイドテーブルに置いてトクトクとグラスに注げば、魔導ランプの明かりに綺麗な赤が映えた。


「これ……」


「クランベリージュースです。酸味もあってサッパリして飲みやすいんです」


 エリザベートはグラスを掲げて、ユラユラと揺らしながら明かりに透かし、液面とガラスの境界を眺める。


「綺麗な赤ね。クロくんも飲んだの?」


「ぐびぐび飲んでました」


 それを聞いただけで、エリザベートはふわりと笑う。


「クロくんの好きな飲み物は、クランベリージュースなのね!」


 うれしそうにひと口飲んでは目を輝かせ、ちびちび味わっている。


(どうしよう。白酒の話がしづらい……)


 結局ラナは、必要がなさそうな情報は黙っていることにした。


(パンツが三枚ってのも言わなくていいわよね)


「あの黒猫、好きな色と花は、ロシュ領でお嬢様に聞かれたら答えると言っていました」


「えっ」


 不意打ちだったらしく、飲んでいたジュースにむせて、エリザベートはゴホゴホと咳きこむ。ラナは慌ててその背中をさすった。


「ケホッ、どうしよう……本当にクロくんがロシュ領まで来てくれるなんて。私どうしたらいいの?」


「お嬢様は何もしなくていいんですよ」


 エリザベートはモジモジと、ふわふわした夜着の裾をいじる。


「そうだけど……クロくんのこと、他にわかったことは?」


「六の鐘で起床して八の鐘から勤務です。カードゲームやチェスも、同僚たちと楽しむようです。それとパジャマは持ってませんでした」


「えっ」


 目を丸くしたエリザベートに、ラナは説明する。


「ズボラなんですよ。着替えるのが面倒だから、起きてすぐ衛士服を羽織って出るそうです」


(ふふん、身だしなみがちゃんとしてない男なんて、お嬢様に嫌われればいいのよ)


 ところがエリザベートは、急にソワソワと落ち着きがなくなり、ポッと赤くなった頬を両手で押さえる。


「まぁ!ではクロくんのパジャマを用意しないといけないわね。肌触りのいい最高級のシルクを、ミュゼの港から急いで取り寄せ……」


「未婚の令嬢が殿方にパジャマなど贈ってはいけません!」


 何でもすぐミュゼの港から、取り寄せようとするところは、父娘そっくりである。けれどそんなことがウワサになったら、いろいろとまずい。


 もしもパンツなんか用意しようとしたら、全力で阻止するしかない。するとエリザベートは上目遣いで、ラナを見ながら首をかしげた。


「でも……クロくんはパジャマを持ってないのでしょう?」


(ああああ、お嬢様が可愛いぃ!)


 ラナは心を鬼にして首を横に振った。


「ほっとけばいいんです。獣人なんだから、パジャマなんてなくたって平気ですよ。あの黒猫だって男なんですからね。異性にそんな物贈ったりしたら、お嬢様にどんな悪い評判が立つか……」


 そのとたん、エリザベートの大きな青い瞳から光がスッと消えた。『氷の令嬢』らしく無表情になった彼女は、低い声でぽつりとつぶやく。


「婚約破棄される以上に、悪い評判なんてあるかしら……」


(私のバカバカ!気をつけてたのに、自分で地雷踏んでどうするのおおぉ!)


 ラナは自分で自分を殴りたくなった。





「あのですね。黒猫から提案なんですけど!」


「提案?」


 困ったラナは話題を変えることにした。


「その……お嬢様には何の落ち度もないから堂々としていろと。公爵領に戻る前に、お嬢様の主催で盛大なお茶会を開けと。な、生意気ですよね。本当にあの黒猫は……」


「クロくんがそんなことをおっしゃったの?」


 目を丸くしたエリザベートに、ラナはこくこくと力いっぱいうなずいた。


「私、『そんなの無理だ』って言ったんですよ。そしたら会場に行くからって。あとエリス女官長を落とせって!」


 公爵に『お任せください』と言ったことなんてどうでもいい。ラナは必死に言い募った。


「『エリス女官長を落とせ』……そう、クロくんがそんなことを……」


「あんな怖い女官長に協力させろ、なんて無茶苦茶ですよ。私はお嬢様にこれ以上、つらい思いをしてほしくないです!」


 エリザベートは膝に置いた、〝ビアンカの嘆き〟を見下ろした。


「ラナ、エリス女官長に面会予約を取ってちょうだい。私も彼女と話したいことがあるの。それと……」


 公爵令嬢はラナがとろけてしまいそうな、微笑を花のような美しい顔に浮かべる。


「クロくんがいらっしゃるのでしょう?当日着るドレスをラナもいっしょに選んでくれる?」


 泣き顔からの笑顔に、逆らえるラナではなかった。

次回、エリス女官長です。

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