第五話 天使の事情、悪魔の事情、主人公の事情
「ぅわーーーんっ! ライーーーっ!!」
そんな声が、寝ぼけたようなライの頭に響いた。聞きなれた、風のような声。
ああ、リィエか。
そんなぼやけた頭は、喚き続けるリィエに無理矢理起こされる。
全く――
「うるせぇよ」
「ぇ……え? ら、らい? ライーーっ!!」
リィエは赤くはれた眼から、安堵と歓喜に涙をこぼす。
おいおい、とライが思った時には、ライの黒髪にしがみついて、またわんわん泣き出す。レオンもレオンで、うっすらとだが眼の端に涙が見える。
言葉もなく、ふたりはライの帰還を喜んだ。
「――たく」
ライの悪態が、どことなく優しい声音だと気づけた者は、この場にはいなかった。
「さて。それにしても、よく魔剣に喰われませんでしたね」
暫くして、全員が落ち着いた頃合いを見計らって、ゼルクが切り出した。単刀直入に、最大の疑問を。しかし、答はあっけらかんとしたものだった。
「そりゃ、オレ様は主人公だからな」
「…………。ならば中で、悪魔に会いませんでしたか?」
ライに追求しても無駄と判断して、ゼルクは事実の確認だけしておくことにした。
ライは考えるようにコメカミに指を置いて、んー、と唸る。そして数秒経って、指を天に向け、あー! と声を上げる。
「覚えてるぞ――フェレスのことだろ?」
「なっ!?」
さらりと述べられた単語に、ゼルクは言葉を失ってしてしまう。
それは名。悪魔の名。剣に宿りし魂は、名を鍵として深き底から――顕現する。
無音で魔が、闇を伴い空間を支配する。辺りの温度が急激に下がり、ぞくり、と背に悪寒が走りぬける。誰もがそこに生じた闇を凝視する。やがて闇は溶け消え、残る魔は――
「ふぅ。さんきゅな、ライ」
小柄な少女だった。
紅い髪。燃えるように、血のように、ルビーのように紅く長い髪。それに対照的なまでに白い、雪のような肌。小柄のくせに生意気そうなツリ眼は、漆黒色の闇を浮かべていた。そして、その背にちょこんとついた黒いコウモリのような羽。ついでに黒いしっぽ。
――まあ、悪魔だった。
「もう驚かねぇよ?」
すかさずライは、先に突っ込んでおいた。驚愕耐性がついたらしかった。未だに耐性の弱い他の面々は驚きを、それぞれ表現する。
「今度は悪魔かいっ!」
「あく、ま?」
「く、私以外に宿っていた者がいたとは……!」
と思ったら、どうやら心底驚いているのはレオンだけのようだ。しかしこれで耐性がついた、もうなにが起きても、きっとレオンも驚かないだろうなぁ。ライはそんなどうでもいいことを思った。
リィエが手を挙げて問う。
「あのぅ、どうでもいい質問なんですけど、悪魔もやっぱり絶滅したはずじゃなかったんですか?」
何故か敬語だった。
「えっ? 悪魔って絶滅したのか?」
そんな声を漏らしたのは、意外にも悪魔その人だった。ゼルクが怪訝の色を浮かべる。
「あなたはいつ、剣に宿り眠ったのですか?」
「そりゃあ……ってぇぇぇぇええっ!?」
案外律儀なフェレスはゼルクの疑問に答えようと、視線を合わせた。そしてそのとき漸くゼルクの、天使の存在に気づいたフェレスは狼狽して、叫んだ。それはそれは盛大に。
「てっ、ててて、天使長ゼルク……!」
「はい。はじめまして、悪魔さん」
天使の微笑み。世の全ての存在に生きる活力を与えるだろう、美麗なスマイルだった。
「ところで悪魔さん、あなたの階級は?」
「…………」
「階級って?」
ダンマリを決め込むフェレスの代わりに、ライが質問を発する。ゼルクはフェレスを少し見つめてから、ライに視線をやる。
「天使と悪魔には強さを表す階級が存在するのですよ。ちなみに私は最高位に七位です」
「ついでに言えば、天使たちを纏める6人の隊長のひとりだ」
わざわざ補足するフェレスを見て、やっぱりいいヤツだな、とライはひとりでうんうん、と頷く。未だ頭にくっついているリィエは、それと同時に揺れる。
レオンは感心したように息を吐く。
「すごかったんだな、ゼルクは」
「いえ、そんなことはありませんよ」
…………。
あー、なんというか――
「人が多すぎてめんどー! オレ様の影が薄くなるぅ! 天使に悪魔に妖精に金髪って、オレ様は主人公だぞコラァ! もっと周りは地味な方向へ自重せんかいッ!!」
ライは心の叫びを吐露した。が、どれだけかの沈黙がおりて、
「……アタシの階級は、四位だよ」
拗ねたように、そっぽ向きながらフェレスは呟いた。ゼルクは眼を見開いて、疑問を言葉と出す。
「たかだか四位が、何故その剣に宿っていたのですか?」
「それは……」
「…………」
フェレスは言いにくそうに言葉を濁した。しかしゼルクの無言の追求に無意味を悟り、あきらめたようなため息を吐いた。
「……死にたく、なかったから」
ボソッ、と唇を尖らせながらフェレスは言った。言葉は続く。
「あんな超ド級の戦争で、アタシが生き残れるとは思えなかったんだよ」
「それは……下手な言い訳よりは、ずっと信じられますね」
ゼルクは一瞬あっけにとられたような表情をしてから、苦笑いを浮かべた。レオンは眉を曇らせる。
「戦争って、神話にある、あれのことか?」
「おそらく、そうです」
ずっと昔に、天使と悪魔が戦争を起こした。
壮絶、壮大な大戦争だったらしく、世界中を巻き込んで拡大、大陸に大きな傷跡を残したとか。最終的に天使と悪魔、両種族の絶滅で決着が着いたという。
そんな神話があったのを、レオンは思い出したのだ。
「ねえ、今でも天使さまは悪魔を目の敵にしてるの?」
リィエは不安そうに、そんな疑問を口にした。
もしそうならば、天使と悪魔の喧嘩――神話レベルの大喧嘩が勃発するということになる。それは、そこはかとなくライやリィエ、レオンも巻き込まれるだろう。
天使は答える。先と変わらぬ苦笑で。
「いえ、まあ、無害のようですし――あなたはこれからどうするんですか?」
「アタシか? アタシは、とりあえず魔剣に認められたライについていくかな。個人的にも面白そうだし」
「ではレオン、あなたもライとともに行くのですよね?」
「ああ、勿論だ」
「だったら、監視という名目ができますね」
どうやら、最悪の事態は回避されたようだ。リィエはライの頭に向かってホッ、と息を落とした。ところで気づく、ライが小刻みに震えていることに。
――あ、やば。
リィエは咄嗟にライから離れた。とほぼ同時に
「ぅっがぁぁあああ!! もう許さんぞ、てめえらッ!! 主人公を無視するなーーッ!!」
ライが爆発したようにキレた。