第三十二話 ライ・スヴェンガルドの生き様
そこは真っ暗で真っ黒。暗黒で漆黒。闇で魔だった。
本当の意味で光の一点もない、無明なる世界。そこにライはたゆたっていた。
ライは自分の姿すら見えず、感じれず、把握できなくて、自分というものを見失いそうになる。自分の意識だけがそこにあり、身体が消え去ったかのような錯覚に陥る。魂の輝きが、この暗闇に呑み込まれてしまったようにさえ感じた。
ライは、ゆっくりと首を振り、言葉をつくる。
「オレ様は、いる。オレ様は、存在する。オレ様は、オレ様だ」
鼓舞のような台詞。それが己の存在証明となる。
ライは漲る自信をもって恐怖を打ち壊し、この暗闇に自分を保って見せた。
と。
『ははっ、流石だね』
楽しげな笑い声がどこからともなく聞こえてくる。方向はわからない、距離はわからない、位置はわからない、けれども存在はわかる。
ライはどこぞとも知れぬどこかを見据え、唸るように言う。
「てめえ、魔剣か」
『その通り、僕は消滅の剣。君たちが魔剣と呼ぶもの』
「そーかい、じゃあチカラを寄越せ」
前置きもなにもなく、ライは酷く自分都合に言い放った。
魔剣は、やはり楽しげに言の葉を紡ぐ。
『ヤブから棒に、カツアゲかい?』
「うだうだ言っても、どーせ最終的にくれんだろ? ならとっとと済まそうぜ」
『まあ、そうなんだけど。
もう少し話さないか、主人公――いや、不人』
意地悪げな言葉に、ライは一瞬呆気にとられたように眉を反応させ、すぐに不敵な表情に改める。
「はっ。よっぽど主人公っぽいだろう?」
『そうかもしれないね。……っと、それはあまり重要なことじゃないし、余談だったかな。ごめんよ、なんだか君と話せるのが嬉しくてね。実は僕は、君が僕を手にしてからずっと待ち望んでいたんだよ、君とゆっくりお喋りできる機会を、ね』
魔剣は上機嫌に笑った。それをライは煩わしげに手を振って済ませる。
「いいから話を進めろ」
『ま、いいけどね。
ではさて本題。ただひとつだけ君に質問をしたくてね』
「んだよ」
『――そもそも君は、何故戦っているんだい?』
「あ? んなもん主人公だからだ」
脊髄反射のようにライは答えた。その返答には、思考など僅かも介在していなかった。
考えなしの――いや、作ったような返答に、魔剣が満足するはずもなく。
『演技はいいよ、ここは君の心の内。演技をはじめ、虚偽や欺瞞は無意味だ』
「…………」
ライは暗闇の先の魔剣を睨むように眼を細め、それから瞑目する。迷い、惑い、それからため息を吐いた。
まあ、いいか。口元を微かにそんな風に動かして。
眼を開く――ライのなにかが、言葉にできないなにかが変質した気がした。雰囲気が一変したような、存在が切り替わったような、否、元々の姿に戻ったような、そんな変わりようだった。
ライは口を開く。
「言っておくが、“おれ”にとって“オレ様”ってのも別に演技じゃない。素だ、地だ、生き様だ」
『あれ? 敵の油断を誘うのが目的の演技じゃなかったのかい』
「それもあるが、割合としては3ってとこだな。あとの3はリィエを不安がらせないため、残る4が完全におれの趣味だ」
『趣味かい、やっぱり君は楽しいよ』
からからと笑う。
なんでこんなにフレンドリーなんだ、この魔剣……。
つっこむのも面倒で、ライは話を進める。
「はあー。で、オレ様でない、おれの戦う理由だったな」
『そう。僕が聞きたいのはそれだよ』
ライは一旦、口を噤む。
てかそもそもなんでそんなことを言わなければならないのか。思ったが、しかし言わないとチカラはもらえなさそうだ。
仕方ない。
まあ、前向きに考えれば、誰かに言うのも、言葉にしてみるのも、いいかもしれない。そうすることで、きっとこの願いは誓いへと昇華するだろうから。
「すげー個人的なこと、言うぞ」
物凄く嫌そうな声音と表情で、ライは口を動かす。
「おれは、おれはな――おれに、おれらに敵対する存在全てを、駆逐しておきたいんだよ」
『は?』
全く予想外のセリフに、魔剣は間抜けな声を漏らしていた。いきなりなにを言い出すのか。けどもライは真剣だった。
「だから最初は強くなろうとした。強ければ、誰も敵対したがらないだろう? けど、おれより強い奴なんざ、どれだけでもいる。おれはまだ強くなれるだろうが、それでもその強い奴ら全員を相手どって楽勝できるようになるには、時間が足りない。おれはできうる限り早く、目的を達成したかった。
強さを諦めて、次にとったのが――」
『主人公かい? 主人公には――最終的にはだけど――敵対存在はいないから』
「……おれは主人公だ。そこは曲げねえ。この主人公っていう生き様は、目的のためじゃねえ。おれが主人公でありたいから、主人公として生きたいから、おれは名乗ってるんだ。勘違いするな」
『じゃあ、なんだい』
「逃避。だけど、それも無駄だった。この世にゃ、安息の地なんざねえ。特におれのような異端者にはな」
『当然だね』
「そして、じゃあどうするって考えた、みっつ目の案が――最強っていう称号と英雄っていう名声、そして主人公っていうことを認めさせることだ」
魔剣が、ようやく話が見えてきたと息を吐く。
『称号……つまり、本当の意味で最強でなくても、世界が君を最強と認めれば、最強と変わらない。敵対存在は少なくなるということだね。名声も、同じ理由かな。そのふたつはわかるんだけど、主人公ってのはただの願望だよね』
「うっせ。
まあ、それでもうっぜえ力試しとか来るだろうし、皆無にはならねえんだろうが、でも一気に少なくはなるはずだ。で、手っ取り早くそれらを認めさせんのが、魔王の討伐。ま、今じゃあ大魔王の討伐だが。
……とまあ、おれが戦う理由はこんな感じかな。なんか文句あっか?」
『んー』
魔剣は、なんだか納得できないように唸る。
想像したものとなにか、違う。どこか、違う。なんとなく、違う。
『なんというか……意外に私利私欲、いや、臆病なんだね、ライ』
「あ? 臆病だと?」
挑発と、理解していても反応してしまうのはライの負けず嫌いという性分か。
魔剣は唐突に声から笑みを消し去り、淡々と告げる。
『臆病なくせに、果敢だ。己の敵対存在をなくしたい。誰でも思うことだけど、そんなことを実行するなんてヒトはまずいない。それでもやろうなんて思えるヒトは、よほどの臆病者だろうね。でも臆病者なら、思っても行動にはおこさない。だって臆病だから。
たとえば確か、悪魔の少女が僕の中で寝ていたけど、その彼女も同じく臆病者だった。彼女は時間稼ぎにしかならない逃避を選んだよ。それが臆病者としては当然の行動だと思うよ。
なのに君は、それを目指して行動するなんて、意味がわからないよ。
それとも、自分勝手に生きるために敵を排除したかったのかい? 結局、私利私欲かい?』
叩きつけるような、攻め立てる言葉の連続。
受け止めてライは、笑ってやった。
「おれは臆病者なんかじゃない。ただ、私利私欲ってのは否定しない。おれは、安息が欲しいだけだ。いや違うな、おれはどうでもいい――リィエの安息が、おれは欲しい」
『……は?』
またも、魔剣は知らず間抜けな声を漏らしてしまう。
ライは続ける。
「おれは、こんな性格だから、こんな異端だから、敵が必要以上にわきやがる。だが、おれはおれを変えることはしない。できやしない。となると敵はついてくる。おれはいい。どれだけ敵が来ようが構わねえ、かかって来いだ。……おれひとりなら。
けど、おれはひとりじゃねえ。おれにはリィエがいる。おれはリィエと離れたくない。近くにいたい。絶対にともに生きる。一生よりも永く、一緒にいたい。
それら全部を成り立たせるには、敵が邪魔だ。おれの邪魔をするもんは、全部叩き斬ってやる。
そうやっておれは生きてきたし、これからもそうやって生きていく」
『……はは。それが、本音じゃないか。君は単に、彼女を護りたいだけじゃないか』
「うそは言ってねえ。それに護るなんて消極的じゃダメなんだよ、もっと積極的に攻めにいかないとな。そっちのがおれに合ってる」
『うそがないからこそ不可解だったけど、今の言葉で全部理解できたよ。本当に、心の奥底までいかないと正直になれないなんてね、どこまで素直じゃないんだか』
突然、周囲にある魔が渦巻いた。黒が晴れるわけではなく、ただ一点に集結、凝固する。
魔剣は問う。
『一応、訊こうか。なんであのコのためにそこまでするんだい?』
「あいつはおれの家族だ、おれはあいつの家族だ。それ以上、理由がいるのか?」
間髪いれずに、まるきり当たり前の常識のように、ライは答えた。ライにとって、それは本当に常識なのだろう。
魔剣は嬉々とした口調で歌うように紡ぐ。
『ははっ、ないさ。その想いが、君をここまで強く、そしてこれからも強くするんだろうね。
じゃ、意地悪な質問をしようか』
「質問はいっこじゃなかったのかよ」
『いいじゃないか。答えたくないなら、答えなくてもいいしね。
さて問いだ。君は、彼女のためなら、他の仲間を見捨てるのかい?』
ざくりと心を突き刺す、なんとも嫌な問いかけ。それはつまり、仲間を捨ててでもリィエに固執するのか。仲間を切り捨てる非情な覚悟さえもっているのか。そんなことを問うているのだ。
ライは眉をよせ、面倒くさそうにぼやく。
「確かに、意地悪な質問だ」
『悪いね、どうしても聞きたくてなってしまって』
「ち、まったく。
んー、あー、そうだな……護るのは、大切なのは、必要なのは、家族だけだ」
言い切って、でもどこか迷いがあって、ライは俯く。
「――そう、思ってたんだがな。なんか最近よくわかんねえけど、レオンとかフェレスとかゼルクとかも大切なような気がしてきたんだよ」
『ははっ』
「レオンのやつ、おれに対して家族みたいだなんて言ったんだぜ? このおれに、ヒトの皮かぶっただけのバケモノに」
家族。
その言葉は、ライにとっては途轍もなく重く、切実な意味をもつ言葉だった。その言葉が、その繋がりが、今までライを生かしてきた。
だからライにとって、なにより1番大切なものは自分などではなく、間違いなく家族だった。
その信念が、揺らいだ。同じ言葉により、揺らいだ。
「リィエ以外はどうでもよかったはずなんだ。なのに、なんかよくわかんねえ、よくわかんねえんだよ。おれ、あんま自分のこと、考えたことなかったし。だからこれ以上答えろとか言われてもわかんねえとしか言えねえ。
その時になったら、考える。この答えじゃ不満か?」
言い終えてライは、視界は回復せず暗いままなのに、けれど目の前に更なる闇の存在に気付く。
先ほど、凝固した闇か。
闇は、ちょうど剣の形をしていた。
『不満はちょっとあるけど、まあいいよ。
さて、約束通り僕の力の総てを貸すよ、不人――いや、主人公。
さあ、掴め』
ライは、促されるままに目の前の剣形の闇――魔剣を掴んだ。
「ぷはっ!」
バッ、と顔を上げて、世界の眩しさにライは眼を細める。
その様子に気付き、リィエがいの一番に心配を吐露する。
「ライっ、だいじょうぶだった?」
「んあ、リィエ。おう、だいじょぶだ」
ライはいつもどおり安心させるようにニッ、と笑う。変わらない笑みに、リィエはすっかり安堵する。
と、ライはすぐに気付いた。なんだかリィエが浮かない顔をしていることに。
どうした、と問いかける前にリィエは頭を下げた。
「ライ、ごめんっ!」
「あ? どうしたよ」
いきなり謝られても心当たりなんてない。どういうことだと、他のメンツに視線を遣り――なんとなく理解した。
ライの眼が、研ぎ澄ました刃のように尖る。
「おいヘンタイ。てめえ、ヒトの秘密バラしやがったな」
「さすがに鋭いばか弟子だ。が、別に口止めなんてされてなかったはずだぜ、誰に言おうとオレの勝手だろ?」
「プライバシーの侵害だろがっ。……まあいずれ知れることか。
で? おぃ、お前ら、どーすんよ?」
だるそうな口調を一転させ、ライは唇の端を急角度で吊り上げて、所在無さげなレオンとフェレスとゼルクに対して凄んでみせる。
「聞いての通り、オレ様はバケモノだ。お前らのようなヒトじゃあねえ。それでも、オレ様といくのか?」
「ライっ!」
すかさずリィエが泣くように叫んだ。そんなこと、ライの口から言ってほしくないと叫んだ。
ライはにべもなく切って捨てる。
「リィエ、お前は黙ってろ」
「でもっ! でもっ!」
「いいから。これはこいつらと、オレ様の問題だ」
「ライぃ」
ライはリィエの気遣いを無視して、3人に意識を戻す。
「…………」
「…………」
レオンとフェレスは、ライを直視できず眼をそらし、口を閉ざした。心の内を傷ませながら、ライは畳み掛ける。
「気持ちわりぃよなあ、ヒトじゃねえのにヒトの姿して、ヒトのように振舞って、ヒトの真似してさ。
これはな、言っちまえばバケモノのヒトごっこなんだよ」
ほんの僅かに、薄笑いの中に自嘲の色が見え隠れする。それに気付けたのはリィエだけ。
「オレ様は絶対に認めないが、絶対に認めないが、主人公ってのもある種の逃避なのかもしれねえな。いや認めねえけどよ」
主人公とは、人間であることが多い。それは物語を作るのが多くは人間だからだ。そこに、憧れが生じたのかもしれない。ヒトたりえないバケモノが、ヒトであろうと望んだ結果が、己を主人公と称することだったのかもしれない。
ライは、絶対に認めないが。
そういえば、ふとフェレスは思い出す。
主人公は大概人間だ。最初の時、ライはそう言っていなかったか。
一見軽く見えたその言葉には、果たしてどんな想いが込められていたのか。フェレスは唇を噛む。
どんよりと、沈黙は場の空気を澱ませ、沈む感情は互いを気まずくさせる。だれも口を閉ざし、視線を地面に向け、悔やむような表情で佇んでいた。
そんな意気消沈する一同の中、ゼルクはふうと息を吐いて、滔々と切り出す。
「まあ、私ははじめから知っていましたし、問題ありませんよ。今までもこれからも大して変わりなく、ともにいきます」
「そっか、知ってたか」
「ええ」
短くも、明快な答え。ゼルクはライに歩み寄り、隣に立った。
それに触発されたのか、それとも探していた言葉が見つかったのか、フェレスも想いを発する。
「アタシは……実際のところ、ライがバケモノだなんて言われても、しっくりこない。アタシにとってライは主人公で、気に入ってる。ただそれだけだ。だから、うん、アタシも大丈夫だ」
強く、ニッコリと笑う。そこには、迷いなど見て取れず、純粋に思ったことを言ったのだと、ライは悟る。
感情を抑えこみ、ライはぶっきら棒に呟く。
「はっ、ほんと、お前は恥ずかしいことを真顔で言うよな」
「本音だからな」
「ああ、知ってるよ」
「はは」
フェレスは晴れやかな笑みのままライまで歩き、隣に並び立つ。
そして最後のレオンは、ライたちにひとり相対する位置で、未だに俯いていた。
俯いているせいで、顔は見えず、その表情は見えない。眼は見えず、その感情は窺えない。
どれほどか、無言のままに時間は流れ、ようやく震える声で、レオンは言う。
「俺は、」
「なんだよ。皆がそういうから俺も、とかはなしだぜ」
「それは……わかってる」
「お前の答えを聞かせろよ、レオン・ナイトハルト」
ライの背を押すように優しく、けれども突き放すように厳しい言動。
レオンは勇気を総動員して、顔を上げる。
「そうだな。俺の、他のだれでもない俺の答えを言わなきゃな。
正直、バケモノとか不人なんていわれて、ライが凄く遠く、全然違うなにかになってしまったような気がした。今だって、俺の声が届いているのかさえ不安だ」
「届いてる。続けろ」
「それで、俺はライを一瞬でも恐いと、恐ろしいと思ってしまった」
レオンが一層、険しくも悲しい顔になる。そんな風に思った過去の自分を、殺してやりたいとでもいうように。
けれど言われた本人のライは、平静そのもので、わかりきったように頷く。
「それが当然だ」
「違うよ。そう思ってしまったのは俺の弱さだ。言葉なんかで、事実なんかで、ライが変わったはずもないのに。
ライはライで、不人とか、そういうことはただの付属部分なんだ。本質は、やっぱり俺が知ってるライなんだ」
「…………」
「ライを信頼した。ライを大切に思った。ライとともに行くと決めた。それが、後からなにかを言われたからって、変わることはないんだ。
だって、俺はライを知ってる」
ライのいいところも。ライのわるいところも。全部、全部知ってる。一緒にいたから、わかる。
ライ・スヴェンガルドは、ヒトとか不人とか、そんなものの前に――
「ライは、誰より何より主人公だ」
それがレオンの、迷って悩んで、苦しんだ末に出した結論。誇れる、レオンの回答。
ライは隠しきれない歓喜に唇の端っこだけほころばせ、大きくため息をつく。
「なんでかね、オレ様の周りはばかばっかりだな」
「それはきっと、ライの影響だ」
「オレ様がばかだってのかっ!」
そうして、ようやくいつものように、彼らは笑いあった。
「さて、じゃあ策でも練るか」
いい雰囲気なんてものを簡単にぶち壊して、ヴェンデッタは切り替えるように現実を言った。
驚いたのはライである。
「っておい! まだ練ってなかったのかよっ」
「ああ、お前の昔話に花を咲かせてたからな」
「ち、マジかよ」
「ま、大体はお前の策でいいさ。ちょろっと改造はするけどな。
で、策を練るさいにひとつ気になることがあるんだがよ」
確認事項ってやつだ、とヴェンデッタは両手の人差し指をつき立てる。
そして、それで魔剣と聖剣を指し示す。
「聖剣、それに魔剣ってよ、使い手以外でも持てるものなのか?」
会話ばかりで動きがなくて申し訳ないです。ですが、次はようやく戦闘です。気合いれます。