第二十四話 信頼
今までで1番の難産だった……。
フェレスは、戦況を冷静に観察していた。勝ち目を考えていた。生き残るだけの、道筋を探っていた。
敵は“荒土”の魔王、大地を乱し、揺らし、荒らすことで支配する魔王だ。自分は悪魔であり、影を扱う者。相方はツィテリア、一流の剣士――この状況でどう勝つか。
どう勝つか、というのは同時にどう攻撃するか、という意味であり、フェレスとツィテリアは今、攻めあぐねていた。というか、攻めることができないでいた。
“荒土”は自分の周りにバリケードのように低く大地を盛り上げて警戒しているのだ。こちらから影を伸ばせば、即座にその大地は空高くまで隆起し、遮る壁となるだろう。――ちなみに低くしているのは、たんに視覚でこちらを確認するためだ。故に大地の隆起は少ししたら元の低さに下がってくる。1度、その下がった瞬間を狙って攻撃してみたが、ダメだった。やはり影より大地のほうが僅か速いらしい。
影が届かなければ、フェレスは攻撃できず、ツィテリアには足場がないため近接できない。
そんな感じで、こちらからの攻撃は八方ふさがりだった。
とはいえ“荒土”の攻撃も、大地からならば影で防ぐことができる。足元に敷いた影の領域により、真下からの攻撃は完全に遮断しているからだ。そう、真下からの攻撃は。
「今度は、8つでどう?」
“荒土”はどれくらいで死ぬのか、そんな実験でもするかのように言った。
――そして、空から大地が降ってきた。
正確に言えば、空に浮かせた土の塊を8つ落とす攻撃、だが。
そう、“荒土”は下からの攻撃を諦め、影の届かない大地から土を剥がして固めて、上からの攻撃に切り替えてきたのだ。
これでは、影で防げようもない。影は、あくまで地面に映りこむモノなのだから。上からの攻撃にはとことん弱い。
「ち」
「くっ」
フェレスとツィテリアは、狭い影の領域内――最大まで広げておよそ直径6メートルの円形――で空から飛来する超重量の土の塊を回避しなければならない。領域から外にでれば、大地という“荒土”のテリトリーであり、一瞬だって生きてはいられないのは先の落とし穴で実証済みである。
土の塊の大きさは1メートル前後、それが降ってくる。回避は困難だ。ひゅるるぅ、と間抜けな落下音に反して、恐るべき破砕力の土の塊はフェレスとツィテリアを砕かんと迫る。
「く、そ」
ぼやいて、土の塊の軌道を見定める。
ふたりは互いにぶつかったりしないように注意して、どうにか身体を捻り、右に避け、左に避け、回避しきれなかったのなら、影で砕き、剣で斬り裂くことでやり過ごす。
しかしこうやって防いでいるのも限度がある。剣は土の塊を斬り裂く度に刃こぼれし、やがて折れる。すでにツィテリアの剣は3本目――最後の1本――だ。フェレスもフェレスで、敷いた領域と降り来る土の塊の迎撃で魔力を消費し続けている。幾ら悪魔であろうと、所詮は神に創られしヒトであることには変わりなく、ヒトには限界というもがあった。フェレスの魔力は枯渇が近付いていた。
どうにか今回の土の塊の群れを退けられた――では次は?
フェレスは冷や汗を流し、ツィテリアは奥歯を噛み締める。
対する“荒土”は、めんどくさそうにため息をつく。
「はぁ、だる」
「くっそ、大地を扱うくせに上から攻撃するなんて反則だろ」
“荒土”がまた土を剥がそうとするのを見て、フェレスは慌てて悪態をつく。一時的にでも攻撃の手を止めようという感情が働いていた。
その言葉に“荒土”は本当に手を止め、意外にも気まずげに視線をそらす。
「しょうがないだろ、お前たちが下からの攻撃じゃ死なないんだから」
“荒土”は両手を広げて、参ったというポーズをとった。
「あーめんどくさい、かったるい、だるぃ。もうとっとと殺されてくれよ、頼むから」
「いやだね、殺されてやるつもりはないって、さっき言っただろ?」
「お前さんは?」
ツィテリアに向けて、“荒土”は問う。ツィテリアは隙を窺いながら、慎重に答える。
「お断りします」
「そこを曲げて、なんとか頼むよ」
なぜか低姿勢な魔王だった。フェレスは呆れたようにかぶりを振る。
「アンタが本気だせば、アタシらなんて簡単に殺せるだろ? なんで頼み込んでんだよ」
「まあ、そのほうが楽だろ。けど、やっぱ駄目かぁ」
“荒土”は肩を落として、落胆のように息をはく。そして、ス、と表情を切り替える。
「じゃあ、全力でいかせてもらうよ。頼んで駄目ならそれが一番、楽な方法だから――ね」
“荒土”はゆらりと右手を掲げ挙げる。手のひらを、大きく広げてみせる。すると、大地が崩落したかの轟音が耳をつんざく。
それは先ほどから“荒土”が行っていた行為と同じだった。先ほどのように悪魔の影が届かぬ位置から大地を剥がし、先ほどと同じように剥がした大地を浮かせて固め、先ほどと同じように暴力の結晶のような塊を造り出す。
――けれどひとつ違ったのは、剥がした大地の規模だった。
暗く、世界は闇に呑まれる。まず、起こった変化はそれだった。
唐突な明暗の変化に、フェレスとツィテリアは光降り注ぐはずの天を仰ぐ。
「なん……だとっ?」
「こんな、こと……」
ふたりは、ちっぽけなヒトどもは言葉をなくし呆然と立ち尽くす。眼に映る世界が、信じられないというように。
その眼に映るのは、青空をも覆い隠す途方もないくらい大量の土――否、天に浮かぶ大地という、圧倒的で非現実的な馬鹿げた光景。
浮かび上がった膨大な質量の土は――“荒土”は広げた手のひらを握り締める。まるでなにかを握りつぶすように――集束するかのように塊と化し、巨大で強大、凶悪なる岩塊を造り上げる。
大きさは先ほどの比ではなく、およそ70メートル。回避など、不可能だ。さらに絶望を言えば、あの超絶大質量を、70メートルに圧縮したのだとしたら、それはこの上なくありえない破壊力なのではないだろうか?
“荒土”は、嘲笑のように問いかける。
「さて、どうする?」
声を向けられたふたり――フェレスは苦い表情を浮かべ、ツィテリアは恐怖に引きつった顔――ヘルムに隠れて顔は見えないが――をする。
「こりゃ、死んだかも」
「くっ、フェレス様、なにか手はないのですかッ!?」
悲鳴にも似た、叫びだった。フェレスは天の大地を睨みつつ、あきらめたようにため息を吐く。それから頭の中にライ・スヴェンガルドを浮かべる。
――ライなら、この状況をどうするだろうか。
あの非常識ばかのことだ、どうせ気にせず突貫でもするのではないだろうか。大地を相手に真っ向からブッ潰すと言ってのけるのではないだろうか。
それとも考えもつかないアホな行動に出て、誰もが呆れる中で勝つと言い張るだろうか。こんな敗北確定、絶対死ぬしかないだろ的な状況で、それでもライはいつものように不敵に無敵に素敵に笑うのだろうか。
ああ――本当に、ライは面白い。共にいて飽きない。全くもって不思議な男だ。
欠片も根拠はないのに、死ぬわけがないと、そう思わせてくれる。こんなよわっちぃ自分でさえ、ライと共にいれば全て上手くいくような気がする。傍にいない今でさえ、その信頼は揺るがない。
そう。そうだ。そうなのだ。フェレスはライと共にある。ライを信頼している。だから、フェレスはライを真似るように大見得を切る。ライのように、不敵で無敵で素敵な笑みを浮かべて。
「わかった、この状況をなんとかしてやる。そんでそのまま反撃だ。けど、あんま細かく喋ってるヒマはねえ、わりぃが後はアドリブで頼むぜ」
「? なにを……」
ツィテリアの言葉は最後まで続かず、“荒土”が掲げた手を、振り下ろした。
まさに世界がまるごと落下してきたような絶望が、空からやってきた。
「!!」
「っぅ」
そうして勿論、人間と悪魔には70メートルもの巨岩を回避できる術が、あるはずもなかった。
――――!!!
世界が砕けて、終わった――そんな錯覚さえ信じられそうな壮絶なる轟爆音が鳴り響く。その音量だけで、生半可な生物なら死滅してしまうだろう。
音だけでは終わらない。岩塊が大地に衝突した瞬間に衝撃波が生まれ、それは熱波となり周囲を吹き荒れる。大地は悲鳴のように鳴動し、先の地震などは比べ物にならないほどの大震災を呼び起こす。振動は駆け抜けるように都市中を震わせた。
そうして岩塊は、周辺全てのものを跡形もなく消し去り、大地を喰らったかのように岩塊の数十倍の大きさのクレーターを深く広く穿った。
まるで隕石の墜落を思わせる、凄絶なる“荒土”の超破壊の跡。
これこそが魔王の――世界の破壊者の、本気だった。
「流石に死んだかな」
土煙漂うクレーターの底で、“荒土”は呟いていた。
めんどうだ、と“荒土”は手を軽く回す。すると一瞬で土煙が晴れ、見渡しがよくなる。勿論どこにも人型をしたモノはなく、その死体と思われるものさえなかった。
「ふぅん、跡形もなく、か。意外だな」
おそらく、悪魔――フェレスが自分ひとりだけ助かろうと影で我が身を覆っていれば、死だけは回避できたかもしれない。それでなくとも最低、死体くらいは残っただろう。“荒土”はそんなことを考えた。だのに、あの悪魔はふたりで助かろうとした。ゆえに影は突き破られ、ふたりとも死んだ。たぶん、そういうことなのだろう。
「なんとも、残酷な結末だね」
「――勝手に、終わらせないで頂きたい!」
背後から、殺気。そしてすぐ追随するように鋭い痛みが2度走る。
「つぅ……なんだっ!?」
慌てて“荒土”は振り返る。そこには――
「まだ、戦いは終わっていません」
人間が、ツィテリア・ハルベルが剣を振るっていた。
驚愕の間に、今度は3度斬撃をもらっていた。とりあえず体勢だけを立て直す間に、2度裂かれていた。しかし所詮、影を宿したとはいえただの剣、魔王には軽傷ていどのダメージしかない。
それでも、ツィテリアは幾閃も斬撃を叩き込んだ。斬り裂き続けた。
どういうことだ、死んだんじゃなかったのか。“荒土”の頭は完全にパニックに呑まれてしまい、正確な判断もろくにできず斬られ続ける。
思考を回す――不明瞭な事象が起きた。その対策を、その理由を、それを引き起こした者を、考える。
その頃にはすでに17もの刀傷を負っていたが、“荒土”は痛みを無視してどうにか答えを導き出す。
「影を、渡ったのか」
影の魔術には影から影へと渡るという術があると聞く。
失われた術ゆえに、現在では深く知られていない影と、そして光の術であるが、“荒土”ら魔王は、自らの創造主に少しだけ話を聞いていた。
答えを理解できれば、不可解を払拭できれば、“荒土”は即刻冷静さを取り戻す。
「さっきから、痛いよ」
“荒土”はツィテリアの立つ地面を消そうとした。ツィテリアは、しかし、まるでこちらの攻撃を読んだかのようにサイドステップで墜落死を避け、“荒土”の右頬を斬り裂いた。
「な――っ!」
「見せすぎです」
きっぱりとツィテリアは言ってやる。
どれだけ強力な攻撃であろうとも、何度も見れば技の傾向、兆候などは見えてくるし、ならば対策だって思いつく。戦術など一切考えずに力押しに攻め続けた“荒土”は、ほんの少しだけ後悔した。敵は一流の戦士――己を超えるほどの強者に対する術を持っていても、なんら不思議ではなかった。
驚愕に乗じて、ツィテリアは“荒土”に密着するように接近し、剣を手首で回して細かく扱う。
「くそっ」
接近戦にもちこむ。最初から、勝ち目はそれしかなかった。
そして反撃の隙を与えず斬り続ける。傷は浅かろうと、それでも痛みはある、衝撃はある。痛みは思考にノイズを走らせる。衝撃は思考を一瞬間だけ奪う。つまり、反撃のための思考を回せない。これこそ現時点でできる最善手。ツィテリアはよくそれを理解していた。
故に猛攻、連撃、乱舞! 剣が踊る。刃が走る。銀閃が舞う。速く、早く、迅く。ただひたすらに――斬る斬る斬る!
息をつく暇さえ与えない。指先1本を動かす余裕も与えない。思考を回す――時さえ与えない。
ここまでの高速斬撃を、“荒土”は避ける術をもたない。そもそも“荒土”に接近戦の心得などない。遠距離攻撃はそのためだ。ゆえに、“荒土”は為すがままに斬り裂かれる。
「破ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアッ!!」
ツィテリアは自らを鼓舞するように叫ぶ。このまま押し切る、そう自分に言い聞かせるように叫ぶ。
――無論、人間にそんなことができるはずもなかった。
終わりは、唐突に訪れる。
ツィテリアの、脚が震えだした。視界が霞がかってきた。握る剣が重くなった気がした。
「ぅ」
それは体力の限度であり、気力の限界。
ほんの僅かだけ、剣閃が鈍った。剣速が衰えた。鬼気迫る集中力が、揺らいだ。
「隙を見せたな、人間!」
ほんの僅かだというのに、“荒土”はそれを見逃さない。すかさず反撃――できるほどの隙はないため後方へ逃避する。ツィテリアは追撃を仕掛けるか逡巡するが、危険性の高さから断念。そもそも隙を与えた時点で、ツィテリアは決定的に敗北していた。
ツィテリアはうなだれるように、重い息を吐く。
「……私の、負けです」
「はぁ、くそ、あんた人間のくせに強いな。死ぬかと思った」
“荒土”はその言葉に、勝利を確信したように肩から力を抜く。そしてツィテリアに向けて手をかざす。
「流石に余裕こいてられないからな、とっとと死んでもら――」
「まさかアタシのこと、忘れてないだろうな?」
「――――っ!」
忘れるわけがなかった。ひとりが影を渡って来れたなら、術者が来れないわけがない。わかっていた。忘れていたはずがなかった。
ただ、注意をそちらに向ける余裕がなかっただけ。目の前の剣士に、意識の全てを集中せねばならなかっただけ。
咄嗟に、両翼を広げ天に飛び立とうとした。それが影からの逃走には最適な動作なのだと、“荒土”は即座に判断していた。
――しかし、“荒土”の背には翼などすでに生えていなかった。
「なんっ!?」
だと? いつの間に! そんな言葉は続かない。黒き剣が如き影が駆け抜け、“荒土”の右腕を肘のあたりから斬り落としていた。
「っぅ!」
「なんだ? その様子だと翼斬られてたの、気付いてなかったな、お前」
姿はなくとも声は響く、フェレスは呆れたように言う。
「教えてやると……初撃だよ。ツィテリアさん、アタシのアドリブによく合わせてくれた、さんきゅうな」
そう言われてみれば、初撃の苦痛は他とは違った気がした。“荒土”はそんな風に考えを巡らすことで、腕の痛みを紛らわそうとしていた。
姿を未だ現さぬままに、フェレスは言葉を続ける。
「アタシにとって、一番ジャマだったのは天へと逃げることを可能にするその翼だったわけだ。それさえなければ、アタシは負けない」
前回の戦闘では、敵が翼を失くしても飛べるような敵だった。だからフェレスはゼルクに任せた。けれど此度の敵は翼さえ奪えば、飛行は不可能。裏を返せば、翼がある限りフェレスに勝ち目はなかった。だから、フェレスが考えていたのはただひとつ。どうやって敵の翼を潰すか。考えてる間に“荒土”は勝負を決めに来たのだが、
「それが、アタシには最大のチャンスだった」
巨大な岩塊は天の光を遮り、影を生み出した。その影が、フェレスに影渡りを許したのだ。影渡りは、使用魔力が結構多い。魔力が枯渇気味だったフェレスには使えそうになかったのだが、地の利とでもいおうか、一面に広がる影に力を借りてどうにか使用できたのだ。
「ち、びみょうに挑発されてたのはわかってたが、これを考えてたのか」
“荒土”は引きつった表情で自らの足元の影を覗き込んだ。違和感――気付く。脚が影に沈んでいた。身動きが、縛られた。
「なあ、なんで影が最強の術って呼ばれてるか、アンタ知ってるか?」
フェレスは影からぬらりと姿を現し、ニヤリと唇を三日月のように歪ませ、“荒土”に問いかけた。答えも待たず、フェレスは言葉を続ける。
「それは、単純に7種族7属性6の術で最も威力が高い、攻撃力が高い、破壊力が高い――ただそれだけの理由なんだぜ」
影が形をなす、フェレスの手の内で、大きな大きな、黒い鎌へと。
「おっと、属性軽減なんて、まさか考えてないよな?」
影と魔じゃあ、属性が、いや根本が違う。影とは7種族の持つ属性のひとつであり、魔とはそれら7属性と対極の属性に位置する、いわば8つ目の属性のことなのだ。7属性の内ではもっとも近いとはいえ、軽減が起こるほどでは、ない。
「じゃあなあ、魔王さんよ」
軽い調子で、黒き影の鎌を一閃する。“荒土”には避ける術がなく、受ける術がなく、その身体を両断された。
「か、はっ……。おれは……負けた、のか。まあ、それはそれで……めんどくさくなくて、いいのかもなぁ」
“荒土”は唇を歪め、笑ったような、嘆いたような、判断つかない表情で、消滅した。
戦闘が終了して、フェレスは大きな問題に直面していた。
「ふぅむ、この都市はでかいから大丈夫だとは思うけど、まさかさっきの隕石落下の余波、受けてないよな、他の奴ら。てか一般人とかも」
受けてたら、さすがに死んじまってるよなあ、とフェレスは頬を掻く。
まあ、見たところここは都市の中でも隅であり、大丈夫だとは思うが。
「一般人のほうは大丈夫だと思います。この区画は私ひとりで担当していましたので、他にはいないはずです」
ツィテリアが、心配事のひとつを解消してくれた。ではもうひとつの心配事。
「んー。ま、ライたちならだいじょうぶだろ」
フェレスは信頼というか、思考放棄のようにそんな結論をだしたのだった。