第一話 主人公
「その聖剣を、渡してもらおうか」
洞窟の出口から、そんな声が聞こえてきた。低く鋭利な声は、先の少年の声とは似ても似つかない。
ライは出口へと走りながら、思考する。
なんだ? まさか、聖剣を狙う三下? もう嗅ぎつけやがったのか? あいつ、弱そうだし簡単に奪われそうだよな……って! オレ様の聖剣がッ!
「やべえ!」
ライは自分のことを完全に棚上げして、足を速めた。それを感じ取ったのか、リィエはジト目でライを眺めていた。その時ほの明るい洞窟の、さらに眩い出口の光が視界を埋めた。
光りの先には人影がふたつ。
先の少年がいた。
──魔王がいた。
「キミたちはっ!?」
焦る少年の声が遠い。
リィエは現実を疑うように、なんども瞬きを繰り返す。
え? なに、魔王? それってあの魔物の王、魔王ですか? え、え。知恵ある魔物、人類の天敵、悪の帝王、とかなんとかの、あれ? いやいや、いやあ……そんな、ないない。人型。3メートルにも届きそうな巨体。夜のように真っ黒な肌。血の如き赤い双眸。背に負う闇は翼をかたどる。そしてきわめつけ、腰に帯びた魔剣。いや、確かにどこかで聞いた魔王の外見と一致するけど、まあ、他人の空似ってやつだよ。うん。間違いない。
あはははは、とリィエは乾いた笑い声を上げた。
魔王──に似ているそれは、一瞬だけライとリィエに視線を遣って、すぐに正面──聖剣の使い手に視点を戻す。
「聖剣の使い手たる人間よ、その聖剣を渡して、早々に去れ」
「断る。俺はお前を倒すために、この聖剣を手にしたんだ、そっちから来てくれたんなら──」
少年は聖剣を構えて魔王──っぽいそれに剣先を、敵意を向ける。そして
「好都合だ、魔王ッ!」
叫び、跳んだ。最大限に剣を振りかぶり──
しかし、それに対する反応は、溜息。
「愚かな」
魔王──似のそれは手に漆黒を生み出して、迎え撃──
「待ちやがれッ!!」
とかなんとか、そんな全ての状況を一切合財無視して、シリアスな雰囲気をぶち壊すような大声。そんな声を発したライは自然、注目を集める。両者が一瞬、動きを止める。と思ったら、少年が漆黒の脅威を感じてバックステップ、距離をとる。
ライは唇の端を急角度で吊り上げた。そして魔王──らしきそれに視線を定める。
「よう、てめえが魔王、つまりオレ様の、主人公のラスボス。そうかそうか、てめえが……。おうおう、なんつか、魔王してんなあ。くく、いい感じだ。おい、お前は本当に、正真正銘の魔王なのか? 答えろよ」
最後に一応、ライは確認を取っておいた。もし勘違いだったら恥かしいし。
それに魔王──そう魔王は、威厳たっぷりに答えた。
「いかにも、我こそは魔を統べる王、死の具現、真の魔、すなわち──魔王、だ」
その答えを聞いた途端、ライは嬉しそうに、本当に嬉しそうに、心底愉快そうに、顔全体で笑った。
「そうか……そぉか! はは、それなら、それならよぉ! 覚えておけ、オレ様のことを! 顔を! 名を! 頭に叩き込んで覚えろ、忘れぬように魂に刻み込め!
――オレ様は! 世界の主人公、全ての主役、てめえの敵! ライ・スヴェンガルド様だぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!」
「お前はばかかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!」
ライの暴走に、思わずリィエが突っ込んだ。現実逃避なんてしていられなかった。
「相手は魔王なんだよ? なに大見得切ってんの? 殺されちゃうよ? ああ! なんでいっつもなにも考えないの、この童顔は! もうだめ、わたしも一緒に殺されるんだ。この大ばかのせいでわたしも死ぬんだ。まだやりたいこととかいっぱいあったのにー! もうだめだーーっ!!」
「うるせえ! 前々から主人公として魔王に宣戦布告しないと、って思ってたんだよ! そしてオレ様は童顔じゃねえ!」
元気に絶望するリィエと、大事なところの訂正は忘れないライ。
魔王の前だというのに、ふたりは全く変化がない。横で見ていた少年は密かに感嘆する。ただ、魔王は不愉快そうにライとリィエを視界から外した。存在をないことにしたらしかった。魔王は輝きのない聖剣を見つめて、少年にだけ告げる。
「貴様、まだ聖剣の力を引き出していなかったか。ならばそれは持っていろ、力なきものに用はない。……我が魔剣に匹敵するはずのその力、それを得て我は世界を滅ぼす」
「な、にを……?」
言っている意味がわからない、という風に少年はかすれた声で呟く。少年も、ライとリィエをとりあえずは無視することにしたらしかった。
ふたりはあくまでシリアスに話を進める。
「聖剣の使い手よ、我が城にまで来るがよい。その時までに聖剣を目覚めさせるのだな。今日のところは……近くの魔物とでも遊んでいろ」
一方的にそれだけ言ったと思ったら、魔王は煙のように姿を消していた。空間転移。
途端、ライが威張りだし、リィエは安堵の息を吐く。
「ふん、オレ様に恐れをなして逃げたか」
「え? 魔王、帰ったの? ……よ、よかったぁ、わたし生きててよかったぁ」
「そうも、言っていられないようだよ」
そんなふたりを少年がたしなめる。最大の脅威は、なぜか去った。が、まだ敵はいる。少年は聖剣を握り締める。
そして──
「来たかっ!」
「ぅるうぅぅぅぅううあぁぁああああッ!!」
下品な声が鼓膜を揺さぶり、吐き気を促す。発信源はみっつの黒いなにか。
少年は歯噛みする。
「……デーモン」
魔物、デーモン。二足歩行をした異形。異様に膨れ上がった上腕二頭筋。身体の大きさに全く合わない蝙蝠のような小さい羽。腐臭を放つ口にはギラギラとした短剣のような牙。
「きもー」
ライの感想だった。まあ、魔物を見たヒトの反応としては順当だが。
「どうするの、ライ」
平静なリィエの問い。言わずもわかる。戦うか逃げるか。答えも、やはり言わずもわかっていたが。
ライは幾つもあるポケットからダガーを取り出してから、答える。
「ノす!」
「……なに、を?」
なぜ、このふたりはなんの動揺もしないのだ。逆に少年が困惑してしまう。デーモンとは、かなり高位の魔物だ。並大抵の人間では歯が立たない。なのになぜ、ふたりはこれこそ日常だと言わんばかりの冷静さで話をしている?
少年の疑問などお構いなしにライは声を張る。
「いくぜ、リィエ!」
「はいはい」
ライの呼びかけに応え、リィエは人差し指をくるりと舞わす。すると、ライのダガーに風が巻き付くように宿る。
「っし!」
ライは風を確認して、駆ける──リィエがくるりと指を舞わす──と同時に風の加速術の支援を受け、人間の限界を超えた速度で瞬く間に魔物と隣接。逆手に持ったダガーを振りかぶる。高位の魔物、デーモンはしかし、その超速に反応してみせた。振り下ろした刃は、緩慢に振りあがる豪腕に受け止められる。肉と鉄のぶつかる鈍い音が響く。
「へ」
それに驚くライではない。魔物の反応速度も、硬度も、勿論強さも、全部知っている。慣れ親しんでいる。グッと柄を握り締め、
「ザコがっ!」
空いていた左手から投げナイフを投擲。狙い過たず、デーモンの眼にブッ刺さる。苦悶をあげるデーモンを無視して右のダガーを一閃。首を斬り裂く。
ズパンと小気味いい音が鳴る。が、首を落とすつもりの斬撃だったが、思ったよりも筋肉の邪魔があった。辛うじてデーモンは生きていた。
──ち、浅いか。
思っただけ。それにもやはりライは焦らない。なぜなら
「リィエ、トドメ!」
後衛に風を繰る妖精がいるのだから。
「うんっ!」
人差し指を立て、デーモンを指刺す。風が妖精に応え、指刺すデーモンの首を打ち抜く。断末魔の叫びを上げる喉さえ失った魔物は絶命。確認の必要などない。それくらいに、ライはリィエを信頼している。だから遠慮なく叫ぶ。
「次っ!」
八重歯剥き出しの好戦的な表情は、ある意味主人公っぽいかもしれない。リィエはいつもそう思っていた。今も思った。
言葉に反応したのか、残った2匹が同時に拳を突き出してくる。ダガーのような面積の小さなものでは受けきれない。そう判断し、即座にバックステップ。したところで、風が魔物どもに鉄槌と化して振り下ろされた。もちろん、リィエの援護だ。しかし、当のリィエは苦い表情を隠しきれない。
「コイツら、硬い。ライ、一点集中じゃないと倒せないよ!」
どんな力も、拡散しては威力が落ちる。風はそれが顕著な属性だった。刃のように研ぎ澄ました斬撃が最も威力を持ち、拡散して打撃とすれば広範囲攻撃には向くが、威力には些かならず欠ける。
「わかった、隙を作る」
ライは構え直し、もう一度突っ込もうとした。
時。
「──俺もやるよ」
聖剣を構えた少年が横に立った。顔には苦笑。不甲斐無さを自嘲しているような表情だった。
「ごめん、任せきってしまって。俺も、やるよ」
もう1度、己の意思を伝える。覚悟の面持ちを見せる少年は、戦士だった。
「なっ!?」
焦ったのはライ。活躍場面を脅かされるなんて途轍もなく嫌だ。とかなんとか、酷く自己中心的な理由を述べようとしたが、そこで思い出す。
──聖剣。
そう、少年が握っているのは聖剣だった。ライは興味があった、聖剣のチカラに。ていうかむしろ奪いたかった。
「ちっ、足手纏いにはなんなよ」
チラチラと聖剣を盗み見ながら悪態をつく。リィエは後ろで呆れていた。
「ああ!」
少年はライの思惑などに全く気付かず、嬉しそうに頷く。そして、素直に駆け出す。最短距離の一直線で敵に向かい、けれんもなく剣を振るう。
「だぁッ!」
動きは悪くない。意気込みも申し分ないし、剣も最上。だが──足りない。
ガキッ! と、刃はいとも容易く豪腕に止められる。そして、もう1体の拳が飛ぶ。
「くっ!」
どうにか身をよじり避けてみせるが、体勢は崩れた。立て直す間にがむしゃら剣を振るって牽制。少し横に身をそらした程度でデーモンにかわされたが、体勢はどうにか居直る。
「あいつ、戦闘経験ないだろ……」
思わずライはそんな言葉を零した。
あれは、そういう戦い方だ。どこぞで剣を習ったのだろうが、実戦経験はないに等しい。ライから見れば、一目瞭然。
「って、ライ! 呆けてないで、いくいく!」
劣勢になりつつある戦況にリィエが呼びかける。ライは嘆息で答えて、再び戦地へと赴く。
少年はどうにか魔物からの猛攻を凌いでいたが、自分でもはっきり分かっていた。このままではやられる、と。
右から来る魔の拳。避けるには速く、受けるには重い一撃。無理矢理に剣で防御。衝撃に身体中が軋む。しかし、ここで力を僅かでも緩めれば押し切られる。ほとんど気合と根性で痛みを無視して、攻撃を受け止めた。
「よし──」
そのまま反撃に転じようとする。が、逆側から向かい来る殺気にその場から跳び退く。
「ガぁルぅぁぁァア!」
もう1体のデーモンだった。
「くッ!」
さっきから、これの繰り返しであった。
少年が攻めようとすれば片方のデーモンに反撃されて、それをどうにか防ぐも、さらにもう1体がその隙を狙う。これではその内、少年の体力か気力は切れてしまう。
どうする? 少年は自問するが、答えなど出ない。ただ自分の実力不足が嘆かれる。
と。
そこで豪腕が襲い来る。咄嗟にパターン通り剣で防ごうとする。が、
「なにッ!?」
もう1体のデーモンが、聖剣の刀身を掴んでいた。いつの間に、などと言っている暇は、ない。
振るわれた剛拳が少年を砕かんと迫る。死を直前にして、少年は固まることしかできない。
――こんなところでっ!
少年は心の底でチクショウと叫んだ。
そこで。
拳は停止。どころかそのデーモンは倒れ伏す。少年は大きく眼を見開き、倒れたデーモンの後ろの黒を見た。
「はぁ、確かにピンチを救うのは主人公っぽいけど、こいつがここで死んでたら聖剣、奪えてたんだよなぁ」
なんて心の声を吐き出すほどに、ライは大きい溜息を落とした。ライの一撃が、デーモンを絶命させていたのだ。
「あ、ありがとう」
「んなこと言ってるヒマがあんなら、突貫でもしろ」
悪態をつく。ライは礼とか、そういうのが苦手だった。特にこういう真っ直ぐなのは。
少年は一瞬だけ瞳にハテナを浮かべたが、問わず敵に視線を戻す。魔物は同胞を殺されたことに憤ったのか、うるさく雄叫ぶ。
「ぎぃいぃいぃぃぁぁあああ!!」
「黙れよ、今回限りのザコキャラが!」
ライが駆ける。それに一瞬遅れて少年も駆ける。振るわれた短剣は精確にノドを絶ち、振り下ろされた聖剣は力任せに頭を砕いた。