第十八話 選択肢がいくつあろうが答えはひとつ
「氷は溶けても水はでないって、どんだけご都合主義だよ。いや、それとも気化したのか? いやいや、そもそも溶けるっていうのとは違くて、封印が解けた、ていうニュアンスのほうが近いのか? たっく、その現象を起こした張本人は死んでやがるし、永遠の謎だな」
「ライ、それはとてつもなくどうでもいい謎だと思う」
暇を持て余していたライとリィエは無駄にだべっていた。
ぶっちゃけやることがない。今回は怪我をしたとかがないため――レオンも聖剣パワーか知らんが、目立った負傷もなく――とっとと村から出る、ということも出来た。しかし、ここはレオンの故郷であり、数ヶ月ぶりの帰郷、そりゃあ積もる話もある。それに今の今まで停止していた村だ。なにか不具合が起きても不思議ではない。すこしくらいは様子見すべきだった。
とはいえ、問題のようなものは全く見えなかったが。
村は、全てが数ヶ月前と同じだったのだ。そっくりそのまま冷凍保存されていたのだから、当然といえば当然。そのお陰で、村人たちは小さな違和感こそ抱いてはいたが、日常を再開している。数ヶ月の空白など、存在しなかったとでも言うように。おそらく凍らされた前後の記憶はないだろうから、無意識での振る舞いだろう。
それでいいと思う。魔王のことなど忘却してしまえばいい。死の恐怖など記憶しなくてもいい。不安など、日常で打ち消せばいい。
なんてことを言っていたレオンは、ライとリィエの視界の端で親と語らっていた。なにを話しているのか、ここからでは聞き取れない。だが、遠目からでも安らいだ表情は見て取れた。かれこれ30分ほど談笑は続いていた。
リィエが口を開く。
「でも、ほんとによかったね、村の人たちが――レオンの親御さんが生きてて」
「ああ、そうだな」
ライはあっさり同意した。
「ありがちで、どっかで見たような展開が現実に起これば、それが1番いいんだ」
どこか遠くを見るように、ライは呟いた。そのままレオンに視線を向ける。親と語らうレオンは、見たことのないほど、本当に安らいだ表情だった。
ライは――そこで気付く。
「そぅか……これも魔王の策略だったわけだ」
「へ? どういうこと、ライ」
アゴに手を持っていき、ライは考えているような格好をとる。ポーズに反して、顔色はいたってマジメである。
「あの魔王、死に際にわざわざ凍った村人を解かしただろ」
「うん」
「なんでそんなことをしたんだ、と思ってたが、レオンを見ててわかったぞ」
「え? 物語がどうとかって言ってたじゃない」
リィエの真っ直ぐな答えに、ライは呆れたように返す。
「んなわけねえ。あんなもん繕っただけの戯言だ。あれはな、魔王が聖剣を排除するための策だったんだよ。お前もレオンの表情見てみろ、めちゃくちゃ嬉しそうだぜ」
「そんなの、見なくてもわかるよ。レオンはそのために戦ってきたんだから」
「そう、その通りだ」
ライはその答えを待ってましたと言うようにビシッ、とリィエを指刺す。
「魔王はこの村を生かすことでレオンに、この村に残る、という選択肢を与えたんだ。凍った村じゃあ、残るわけねえもんな。だから氷を解いた。そうすることで、ヤロウは1択だった――つまりオレ様たちと魔王討伐の旅を続けるっていう選択肢に、村に残るという選択肢を与えて2択にしたんだ。
もしも残れば聖剣が脅威となることはなくなり、だが、残らずとも別に今まで通り。リスクはなく、でかいリターンだけがある。それに残るっていう選択肢を選ぶ可能性は思いのほか高い。なんせ、それがレオンの物語の終着で、心を強く保つための剣で、進む道への志し――そして、主人公力の基盤だったんだからな」
「え、と……それって、レオンが村に残るってこと? お別れって、こと?」
悲しそうなリィエの問いに、ライは答えず、ただ人差し指で頭を撫でてやる。
「あの魔王、小説だか漫画だかが好きだって言ってたしな、ヒトの感情の機微をよく知ってやがる」
戦闘で負けたのなら、今度は逆に与えることで、しがみつかせる。己の敗北すら、次への布石でしかない。
ライは嘆息を零す。
「恐ろしき知略の持ち主か、それとも派手好きの演出家か――まあ、今回はあえて魔王の策に乗ってやる」
「は? なんで」
「なんでって……そりゃレオンが調子づき始めたからだろ」
「はあ?」
いきなり変わったライの口調に、リィエは驚きというより呆れに近いものに襲われた。
ライはさも重大な事実を見抜いたかのように言葉を続ける。
「だって、アイツ自分からライバル役に回ったんだぜ? ライバルって第二の主人公じゃん。オレ様を殺して、真の主人公に成り代わろうって邪な思惑が簡単に見てとれるぜ」
「んなわけないでしょっ! ていうか――」
呆れた表情を消して、リィエは優しげな眼差しをライに向ける。
「素直じゃ、ないんだから」
言われてライも、気まずそうに視線をそらし、大きく息を吐く。そしてシリアスな口調に戻す。
「家族がいるんなら、その家族といるべきだ。それが絶対、1番いい。それにあいつの物語は終わったんだ。これ以上、命懸けのバトルなんざしなくていい」
「ふぅん、ライが他人に気を遣うなんてね。よっぽどレオンが気に入ったの?」
「んなわけねえ」
不機嫌そうに言って、ライは踵を返し、レオンに背を向け歩き出した。
リィエは一瞬だけ逡巡して、けれど結局ライの頭にくっついた。
「あれ……ライたちはどこに行ったんだ?」
両親に事情の説明と、またしばらく家を空けることを伝え、さあ行こう、と思った時にはライたちの姿がなかった。先ほどまで、そこらで会話していたはずだが。
まさか迷子か。頭によぎった可能性を、レオンは完全には否定しきれなかった。
「んー。あ、そうだ。ゼルク」
思いついたように聖剣に声をかける。
『なんですか?』
すぐに優雅な声が返ってきた。レオンは早口で用件を伝える。
「ライたちの姿が見えないんだ、どこにいるか探せないか?」
『わかりました、探ってみましょう』
ふたつ返事で了解して、ゼルクは眼を閉じる。聖剣の中にいるので、レオンにはわかるわけもないが。
ゼルクは、というかある程度の魔術の熟練者なら、他者の魔力を感知し居場所を特定できる。しかし、それで個人を識別できるのは、よほどその個人が目立つ魔力を持っているか、又は探る者の力量に因る。さすがは天使長だけあって、ゼルクはすぐにライとリィエを探り当てた。
『……おや、もうすでに村から出ていますね。先ほどの森辺りにいます』
「そうか。やっぱり、ふたりに気を遣わせたみたいだな」
拗ねたような口調。もう少し、信頼してくれてもいいのにな。なんて口元を動かして、レオンは足を進める。
「追いかけるぞ」
『いいのですか? ご両親とこの村に残らなくても。分かりきっていますが、ライたちもそれを想っての行動ですよ』
ゼルクの真摯な問いかけ。レオンはそのセリフに心外だ、とでもいうように歩を速める。
「俺は行く、ライとともに行く。そう決めたんだ」
短く、しかしはっきりとした答え。ゼルクは、もうそれ以上追求しようとは思わなかった。
『そうですか。では、行きましょう』
「あ、そうだフェレス」
ライは思いついたように魔剣に声をかけた。
『ん?』
「2度手間になるから、まず出てこい」
『おぅ』
歩いて歩いて、現在は村から離れて森の中、獣道である。
そんな日常風景に、ぽっかりと穴のような闇が生じて、それは薄れていくと思ったら人型をなし、悪魔が顕現した。
登場シーンだけは、やたらカッコいいフェレスだった。
「で、なによ?」
久しぶりの開放感に思わず、んーと伸びをしながらフェレスが訊ねた。
ライは気軽に言う。
「いやさあ、お前って、空間転移の術とか使えんの? って訊きたくて。使えないんなら、移動がメンドーだと思ってさ」
「無理に決まってんだろッ! んな高等術ッ!」
0.1秒で否定された。その烈火のような否定の勢いで、空間転移がスゴイことなんだと、ライとリィエはいまさら理解した。
無駄とは思いつつ、一応ライは言葉を続ける。
「ゼルク使ってたじゃん。しかも簡単そうに」
「あれは天使長さまだからだ! アタシの知る限り空間転移を使えるヤツは神さま除けば4人だぞっ!?」
「魔王も使ってたけど?」
「おそらく、与えられたんだ! アイツらの地力じゃねえッ!」
言い終えたフェレスは肩で息をしていた。叫びに力を込め過ぎだ。ゼェハァ言いながら、もうひとつ大事なことを付け加える。
「ハア……ハア、そっ、そろそろアタシが弱いってことをわかってくれよ」
「と、言われてもなあ、実際にお前が弱いトコ、見たことないし。ちなみゼルクが強いってトコも見てないから、イマイチ腑に落ちてない」
ライは腕を組んで、唸る。リィエも同調する。
「天使ってだけで、悪魔ってだけ強そうだからねえ。わたしがコテンパンにされた魔王も倒してたし」
「それは天使長さまがやったんだ」
顔を背け、フェレスは言い張る。ライもリィエもここまでいくと、さすがにため息を漏れる。
「……お前、ほんっとに卑屈なヤロウだな。ヤロウじゃねえけど」
「なにか理由でもあるの?」
「いやいや、ライの周りの強さがいき過ぎてて、アタシにもそれを期待されると困るって言ってるだけだ。別にアタシ自身が特別弱いと思ってるわけじゃない。これでも悪魔ん中じゃあ二流くらいを自負してるよ」
「あ、なんだそういうこと」
拍子抜けしたように、ライは息をはく。逆にリィエはその発言を、しっかりと肝に銘じておく。リィエだって、特別弱くはないが、強くもない。特殊な武器を持っているわけでもない。それでも、ライとともに行くのだから、それなりの覚悟が必要だろう。いや、そんなもの、ライとともに郷を出た時から覚悟している。
フェレスには、まだそれがないのだろう。そして――
「……追いついたよ、ライ」
振り返ると、レオン・ナイトハルトがそこにいた。追いかけてきた割には息を乱していない。が、なんだか酷く不満そうだ。
ライは大きなため息で出迎える。
「あーあー、こんなトコまで出張ってきて、なんの用だよ。さよならでも言いにきたのか?」
「ライ、俺はお前とともにいく。この村に残る気はない」
ライの言葉はあえて無視。レオンは、どうやら最近強引さを持ち始めたらしい。
ライはめんどくさそうに頭を掻く。
「んなこと言われてもな。お前には、ともにいるべきヒトが別にいるだろうが。家族は、なにより大事にしなきゃいけないんだぞ」
ライが、常識的なことを言っていた。それでも、レオンは首を横に振る。
「確かに家族は大切だ。けど、ライやリィエ、ゼルクにフェレス。俺にとってみんなは、家族と同じくらい大切だ。だから、ともにいたい。一緒に旅を――続けたい」
声は平静だったが、篭る感情は強かった。本気なのだと、誰にもわからせるような、そんな口調だった。
それでもライは、レオンに背を向け歩き出す。レオンは追わない。まだ答えがかえっていないのだから。
ここで口を開いたのは、リィエだった。
「ライ、レオンの道を選ぶのは、レオンだよ」
リィエにそこまで言われて、ライは舌打つ。そして苛立ちを隠すように頭を乱暴に掻く。そして、それでも口を閉ざす。
「ライ」
もう1度、リィエが名を呼ぶ。それで、ライはようやく口を開いた。もうどうにでもなれ、といった風にレオンに告げる。
「わぁーった、わぁーったよ。もうなにも言わん、好きにしろ」
「――ああ!」
喜びに弾む心が、レオンの表情を明るくした。ライの背を追おう、としてレオンは最後に1度だけ、村のほうを振り返った。
失敗だった。
覚悟したはずなのに、決断したはずなのに、レオンは酷く泣きたくなった。
泣きたくて、帰ってしまいたくて、足が戻ってしまいそうで――レオンはそれら全てを自制する。
眼を閉じる。強く、閉じる。
「いってきます」
レオンは、搾り出すようにそれだけ告げ、眼を開く。そして、もう振り返らずに、今度こそライの背を追いかけた。




