第十六話 VS凍土・上
「あの魔王、強いな……」
一応、レオンと約束した通りバトルには参加せず、ライは戦況を眺めていた。
リィエが、そんなライの呟きに反応する。
「そうなの?」
「ああ。あいつ、聖剣に触れたら即死ってわかってやがるな。それで氷剣で受け流すことに専念して、上手くかわしてやがる」
「えっ、聖剣に触れたら即死なの?」
そこかよ、とライはめんどくさそうに顔をしかめる。それでも説明はするあたり、ライもいい人属性の欠片くらいはあるのだろう。
「聖剣は触れたモン、全てを浄化するだろ? で、魔王はもう完ッ全に魔の塊、つまり浄化が最も効くタイプの相手だ、たぶん一撃で殺れるってことくらい予測できねえのか」
「さも当然のように言わないでよ、てかなんでそんなに詳しいの」
リィエは疑問というか呆れをもって問う。
「なんでって、そりゃあ……あれ、なんでだ?」
自分で言っておいて、自分に疑問符をつけるライだった。んー、と唸りながら、腕を組んで考える。考える。考える。思い出す。
「あー、そうそう、魔剣が教えてくれたんだ」
「魔剣が、聖剣のことを?」
「ああ」
「なんで魔剣は聖剣のこと知ってるの?」
「へ? いや、それは……知らん」
「なんかテキトーだなぁ」
「知らんもんは知らん。んなことよりレオンと魔王のバトルだろうが」
自分の都合が悪くなると、すぐに話題を変えたがる。微妙に小さい男である。リィエも思ってはいるが、まあ言っていることは正しいので話をあわせる。
「それで結局どうなの? レオン、勝てそう?」
「んー、正直7対3くらいだ、レオンが3な。
レオンは一撃決めればいいんだ、焦らなきゃいい。んだけど、こんな状態じゃあ焦るなって言われても無理だろ。
んで、魔王のほうは上手く聖剣をかわし続けて、反撃の機会を窺ってやがる。レオンが痺れを切らして大振りになったら、即座に攻撃してくるんだろうな。たく、あんの魔王……言葉の上、しぐさや態度で油断を語ってやがるが、実際は欠片も警戒を緩めやがらん、喰えねぇヤロウだ」
「そんなっ! それじゃあレオンは……」
「まぁだわからん。根気良く攻めれば、あるいは――ん?」
不思議そうに、ライは眉を動かす。リィエが問う。
「なに、どうしたの、ライ」
「や、なんか、レオンのヤツ……動きが鈍くなってないか?」
一撃。
ただの一撃当てれば、それで勝てる。しかし、その一撃がどうしても当たらない。どの角度から斬撃を放とうが、どう緩急をつけて刃を振るおうが、全てのらりくらりと回避される。
焦ってはいけない。痺れを切らしてはいけない。わかってる。わかっているが、当たらない。一撃でいいのに、それが当たらない。
これで焦らぬなど、痺れを切らさぬなど――無理がある。
――それでも、無理でも、俺はやらなければならないッ! レオンは何度目かの叱咤を、心の内で叫ぶ。そして呪文のように落ち着け、と念ずる。強く念ずる。
「はは、さっきからかすりもしないぞ、レオン・ナイトハルト!」
定期的に、魔王は罵るような挑発を繰り返していた。これもまた集中力を、冷静さを乱す。
聞き流して、レオンは堅実に隙のない攻撃だけをし続ける。ライに教えてもらった通り、小振りに、コンパクトに、地道に、斬撃を積み重ねる。
レオンは未だに、集中力を切らしていなかった。
魔王は、けれども笑う。
「これだけ続けても、集中力を切らさんか。本当に強くなったものだ。が――」
「っ!」
回避に専念していた魔王が、唐突に攻勢に転ずる。
氷剣が、無造作な横斬りでレオンを襲う。しかも――そんな適当な動作に反して、それはライの斬撃並みに、速い!
「なっ!?」
ばかなっ! と、頭では動転してしまったが、身体は咄嗟にバックステップをしてくれた。
そのお陰でどうにか浅く、腹が斬り裂かれた程度で済む。痛みはほとんどない。だが、寒気が腹から広がり、ゆっくりと凍り付いていくのがわかる。
かすっただけで、身体が凍る。これでは、いずれ全身が凍りついてしまう。辺りの村人たちのように。
「くっ」
迷いは一瞬、決断も一瞬。
レオンは腹から全身に侵蝕しようとする氷を、聖剣の柄で強打した。
「――っ!」
傷をえぐるような行為だ、激痛が走る。胃の中のものを吐き出しそうになる。レオンは下唇を噛み締めて、苦悶の声を堪える。
パキリ、という音がして、侵蝕しきる前に氷は砕けた。
危なかった――その安堵は思っても見せない。死にそうなほど痛い――その苦痛は思っても見せない。どちらにせよ、隙になるから。
レオンは聖剣を構え直す。
「ほぅ、凍り付かなかったか」
魔王は別段驚きもせず、追撃もせず、余裕を見せびらかすように語りかける。
「侵蝕速度が遅かったか……。ふん、お前の大事な村と同じように、凍り付けにしてやろうと思ったんだがな」
「お断りだ。村は俺が開放する」
言葉を交わしている間も、レオンは緊張感を保ち続ける。しかし、今度は力み過ぎている。魔王の力を見て、気負い過ぎている。どんなことも、いき過ぎは害悪でしかないというのに。
魔王は、そんなレオンの状態に気付き、さらに追い討ちをかける。
「お前は、オレが速くなったと勘違いしてるようだから言ってやるが、オレは速くなんてなっていないぞ」
「なに?」
驚愕には値しないが、レオンは小さく反応を示す。
魔王は口元を三日月に歪ませて笑う。
「ふん、逆だ。お前が遅いんだよ――なぁレオン、いくら強かろうと、寒けりゃ動きは鈍るだろ」
「っ!」
今さら気付く。
ここにあるモノは全て凍り付けにされている。
凍り付け、氷付け――氷、漬け。
そうだ、ここは氷に囲まれた――永久凍土。“凍土”の魔王のテリトリー。
いつも通りに動けるわけもない。十全な力を発揮できるわけもない。
「――レオン、前向けッ!」
ライの声が耳に響いた。レオンは、そこで魔王の左拳がこちらに襲いかかっているのに気がついた。
僅かだ。ほんの僅か、思考していただけだ。確かにそれは隙だが、距離も加味すれば十分に回避は可能――そのはずだった。いつも通りなら。
しかし、ここは凍土。体温は落ちている。反応速度は落ちている。瞬発力は落ちている。
その場から跳び退いたレオンだが、回避はかなわず、魔王の拳が腹に突き刺さる。それは人外の膂力を込められた、痛烈な一撃。
めきめき、と骨が軋む音がする。肺に溜まった酸素が飛び出す。こみ上げる血塊を吐き出す。
「か、はっ」
「終わりだ。オレが直に触れたんだ、侵蝕速度は先の比ではない!」
痛みに悶える暇もなく、レオンは急速に冷えていく。腹から腕が、脚が、頭が、身体中が凍り付けになっていく。魔王の言葉通りゆっくりではなく、迅速に氷は広がり、やがて――
「く、そぉ」
レオンは、凍り付けになった。