第十二話 VS狂嵐・下
フェレスは、リィエと魔王の戦いを眺めながら、思っていた。
――なぜ、勝てないとわかっていながら、戦えるのか?
それはフェレスにとって、数百年前から悩み続けていた問題だった。
そもそもフェレスは、勝てないとわかって逃げた口なのだ。フェレスは、それを間違った判断だと思わない。命が尽きれば、全てが終わるのだ。なにもかも、今まで生きた意味がなくなるのだ。
恐怖だ、それは、最大級の恐怖だ。どんな種族にとっても、いや、その種族を創り出した神でさえ、死だけは平等に恐ろしい存在。フェレスは、そう信じて疑わなかった。
しかし、あの時の戦争でも、そして現在にしたって、勝てないとわかりながら、戦う者がいた。いたのだ。
さっぱりわからない。理解不能、意味不明だ。
命を懸けるなんて、バカのすることだ。恐怖を知らない、バカの所業だ。
妖精では、魔王に勝てない。それが全てのはずだ。
なのに――なぜ、諦めない?
フェレスには、わからなかった。
けど。
ただひとつだけ、わかる気がしたことがある。それは――
「この戦いに割って入ったら、リィエ、怒るんだろうな」
少しだけ、フェレスは眩しそうに眼を細めた。
「今度は、アタシの番だ――魔王」
受け止めたリィエを、そっと地面に寝かせてやる。見れば、小さな身体はボロボロだった。痛々しいほど切り裂かれ、生々しいほど血が流れている。しかし、辛うじて生は繋いでいるようだ。
一安心。
フェレスは声を張る。
「おい、天使長さん! リィエを治療してやってくれ!」
「ええ、わかっています!」
翼を広げ、ゼルクがリィエの元へ急いだ。それを確認して、フェレスは前を――魔王を見据える。
「リィエを頼んだぜ、アタシは魔王をやる」
「わかりました。治療が終わり次第、私もそちらに加勢しますよ」
「ありがとよ――さて、待たせたな、短気な魔王さん」
ニヤリ、とフェレスは強気に唇を歪める。魔王を相手取っての、その不敵さ。
忘れてはいけない。忘れてはいけない。
こんなに小柄で、優しくも可愛らしい少女は――悪魔なのだ。
世界の根幹を揺るがし、最高神を裏切った、最悪の種族――悪魔なのだ。
そのことを、絶対に忘れてはいけない。
「今は滅んだ種、悪魔か。お前らは本当に気まぐれなんだなァ、ひゃはは」
魔王は舌を出して笑った。バカにしたような仕草だった。
「それともなにかぁ? そこの妖精の、仇討ちとでも言うんじゃねえだろうなァ」
ひゃーはっはっはっはっはっは、とまた魔王が笑い出す。狂笑が、嵐に乗って会場全体に響き渡る。蔑むような、愉快そうな、狂ったような笑い声だった。
フェレスは答える。表情を殺して、当たり前のことのように、答える。
「別に。妖精では魔王に勝てない――なんてことは最初からわかっていたことだ」
そう、妖精では、魔王に勝てない。それが全て。
けど。
「悪魔なら、魔王に勝てる――勝ってみせる。それだけだ!」
裂帛の声とともに、黒いなにかがが、フェレスの足下に無音で蠢きだす。
黒く、深く、渦巻く。まるでそれは黒い炎のよう。ざわざわ、と本能的な恐怖をかりたてる、嫌な黒炎だった。
その正体に気づき、魔王が驚愕を声とだす。
「それが、悪魔の魔術――影かッ!?」
地に映りこむ闇色の虚像――影。
何もかもを包み込み、如何な姿もかたどり、どうしても逃れられない。その影を、悪魔は扱う。
どの種族が操る術よりも凶悪で、禍々しく、そして最強といわれる術だった。
影が、全ての障害物を無視して、魔王の足下へと駆ける。疾く、鋭く、狙うそれは黒き剣。
魔王はその急撃に対して、逃走経路に空を選んだ。背に生える巨大な翼により、魔王は飛翔。所詮は大地にへばりつくことしかできない影を、避けた。
「逃がすかよ!」
しかし、悪魔の繰る影はそのていどでは終わらない。影は大地を離れ、物質化し、魔王を追撃する。
さしもの魔王もぎょっとしてしまい、小さな隙を見せる。
フェレスは、その隙を突く。狙い目は、魔王の両翼。薄い膜にすぎない翼は、いとも容易く影のかたどる刃に貫かれ、さらには破かれた。
「ぐぬ」
魔王の苦痛を訴える声が、小さく漏れた。そしてそのころには、翼を失った魔王は重力に引かれ、墜落を開始する。落ちれば――おぞましき影たちの歓迎が待っている。
魔王が吼える。
「甘ェ。翼をなくそうが、オレは飛べるんだよぉ!」
なぜなら、彼の名は“狂嵐”。嵐を狂わすもの。吹き狂う嵐の上にだって、立てる。
「はっ! お前ら悪魔の術は知ってるそ。大地に近いほど力がでるのだろう? だから、空から降ろすために翼を狙った。ひゃーっはっはっは、けどよぉ、ざぁんねん! オレは“狂嵐”だ!」
「――そうでもありませんよ?」
魔王の下品な哄笑の、その真後ろから、美麗な声。慌てて魔王が振り向くと、何気ない様子で天使ゼルクが微笑をたたえ、そこにいた。
「天使は、悪魔と逆で天に近いほうが力を発揮できますから」
にっこり、と微笑をさらに深めて、まばゆい笑みを浮かべる。幾つもの光刃が、その時には魔王の胸部を貫いていた。
驚愕に眼をむく魔王は、血塊を吐き、忌々しげに呟く。
「ぐ、は……っ。今度は天使の魔術、光か」
天からあまねく照らす輝き――光。
悪魔の影と対極に位置し、相克する力。
暗闇を照らし、漆黒を除く。再生を司り、他を癒す。腐り、穢れ、堕ちたものすら浄化する。万能にも近い最高の術と伝え聞く、それが光の魔術だった。
そんな浄化を込められた光刃を受けては、魔王とてただでは済まない。
「く――そぉ」
歯がゆげな言葉とともに、今度こそ魔王は大地へと落ちた。
「さて、訊きたいことがあります」
ゼルクは優雅に降り立つと、すぐに問い述べた。フェレスは少し意外そうに眼を瞬かせる。
「なんだ? 殺してなかったのかよ」
「ええ、確認したいことがありましたから」
「なにを訊くんだよ」
「それは――」
「……待ってくれ、俺も訊きたいことがある」
ふたりは後ろからきた3人目の声に驚いて、同時に振り向く。そこには、ふらつく身体を鞭打ったのだろう、辛そうな表情のレオンが立っていた。
「だいじょうぶなのか?」
フェレスが瞠目して、ともかく心配を告げる。レオンは口元を緩めて、力強く頷いてみせる。
「少し休んだから、身体を動かすていどなら、なんとか大丈夫だよ」
「……そうか」
一抹の不安もあったが、フェレスは一応納得した。
レオンが、今にも死んでしまいそうな魔王に向き直る。
「あんたら魔王の中に、氷を操る者はいるか?」
いきなり、レオンは用件だけを告げた。その声には、迸るような怒りが秘められていた。しかし、勤めて冷静さは忘れない。
「あん? “凍土”の魔王のことか?」
魔王は存外、気軽に答えた。世間話でもしているような、そんな気軽さだった。
「いるんだな!? 氷を使う魔王が! どこに、そいつは今どこにいる!? 答えろ、魔王っ!」
その言葉を聞いて、レオンは冷静さなどかなぐり捨てて、怒鳴っていた。
なにがここまで彼を熱くさせるのか、この場にわかる者はいなかった。
「……いつだったか、丸ごと凍らせたとかいう村に、まだ居座ってるはずだぜ」
その気迫にも飲まれず、やはり魔王は世間話のように軽く答えた。
ここまで軽いと、さすがにゼルクがいぶかしむ。
「やけに素直ですね、仲間ではないのですか?」
「はぁあ? 仲間? 気持ち悪いこと言うなよ、あんな奴等、ただの同族だ。それ以上でも以下でもない」
心底いやそうに、魔王は吐き捨てた。
ゼルクは、そうですか、とだけ言ってレオンに視線を向ける。
「あなたの訊きたいことは、それだけですか?」
「ああ、これだけだ。邪魔してごめんな」
「いえいえ――では、私からの質問です、魔王」
視線が、レオンから魔王へと移った途端に、鋭いものへと切り替わった。そして、神妙な声で問う。
「あなた方の言う、大魔王とは、一体なんなんですか?」
魔王は、逡巡するように数秒眼を閉じる。いかな答えが出たか、魔王はゆっくりと眼を開き、どこか疲れたように息を吐く。
「……その問いに答える、口はねえなァ」
「ほぅ、大事なところは話してくれませんか」
「話したくても、あの方のことは話せないように、オレたちはできてるからなァ」
ゼルクはその言葉を聞いて、なにかを理解したように頷く。
「そうですか。では――」
「おっとぉ! お前らに殺されるのは、なんか癪だなァ。だから――」
魔王の頭上の風が、狂いだした。フェレスが煩わしげに頭を掻く。
「まだ、足掻くのかよ?」
「いぃや、もうオレの負けだよ。てめえの始末はてめえでつけるだけさ」
言葉が終わるとともに、風が魔王を呑み込んだ。そして、跡形もなく、魔王は消失した。
「なんだ、そういうことかよ」
フェレスはほんの少しだけ、表情を曇らせた。
と、そのとき――爆発したような大歓声が起きた。
ぅおぉぉぉぉぉおおおおおおお、とか、いぇぇぇぇええええええい、とか、ともかく歓喜の叫びをあげていた。
「まだ、観客がいたのか……」
耳を両手で塞ぎながら、レオンは言った。その体勢のままゼルクとフェレスを見遣る。
「どうする? ここにいたらたぶん面倒なことになるぞ」
「面倒ごとは、嫌ですね。ここは逃げましょう」
「逃げれるのか?」
「ええ――全員、動かないでくださいよ」
ゼルクがパチン、と指を鳴らした。それだけで、レオンら5名の姿はその場から掻き消えた。




