第十一話 VS狂嵐・上
「ひゃーはっはっはっはっはっはっはっはー!! 互いに潰し合うのを見てても良かったんだが、オレは短気でなァ!」
不可視の衝撃を受け、吹き飛ばされたふたりは、上から降る耳障りな笑い声を聞いた。見上げると、そこには闇があった。
黒い、夜のように黒い肌。背で羽ばたく翼を広げた、3メートルほどの人型。そして、血の如き双眸。それは――
レオンが酷く狼狽した様子で叫ぶ。
「ばっ、バカな!? お前は、お前は俺たちが倒したはずだぞ――魔王ぉぉおおッ!」
そう――魔王だった。
「たぶん、残り6体いる魔王の、1体だろうよ。ま、なんでここにいるのかは知らんが」
冷静な口調で、ライはなげやりな推測をした。
眼の前の魔王は偉そうに腕を組んで、わざとらしく感嘆する。
「よくわかったじゃねえか、人間。その通り、オレは七魔王がひとり、“狂嵐”の魔王だ。ちなみにお前らが殺ったのは“漆黒”、最弱の魔王だ。さらに、寛大なオレがお前の問いに答えてやると、この大会は最初からマークしていた、ていうか、オレはずっと空にいたんだぜ?」
気付かなかったか? ひゃははっ、と短く笑う。そこに込められた侮蔑に、レオンが表情を険しくした。
自分のせいだ、とレオンは激しく後悔する。ライが危惧した通り、魔王は襲ってきた。覚悟したつもりでもどこかで大丈夫だと楽観していたのだ。甘かった――この状況は、間違いなく自分の身勝手さが招いた!
際限のない自己嫌悪に陥るレオンを無視して、ライは軽薄そうに笑う。
「は! 同じ外見だと分かりやすいな。魔王ってのは魔物ん中の種族だったってわけか? だったら、お前もたかが知れてんな」
「ふん、強がるな。お前ら、もう動けねえだろ?」
「なに?」
ライの不審がるような表情が、次の瞬間には驚愕に彩られる。
身体が――動かない。
身体中、全ての筋肉が動作を拒否し、1ミリだって動けない。大量の汗が今さらのように噴き出し、全身が鉛のように重い。まるで自分の身体じゃないようで、完全に停止してしまっていた。
眼だけで横のレオンを見遣るが、こっちと似たような状態らしいことはわかった。
どうにか動く口を駆使して、ライが言葉を吐き捨てる。それだってしんどい。
「ケッ! 力を酷使しすぎたのか」
「さすがは聖剣と魔剣、凄まじい力だ。だが、使い手が未熟じゃあなァ」
「くぅ」
嘲るような魔王の声音に、レオンが心底悔しそうに歯噛みする。
「ひゃは。じゃあ、死んでもらうぜ、聖剣の使い手に魔剣の使い手」
ゆらり、とあげた魔王の手に、轟々という音とともに力が集まっていくのがわかる。あれは、風か。
「我が狂嵐の力、味わって死ね。ひゃーはー!」
魔王が手を掲げる。嵐のような暴風が、会場を吹きまわる。弾かれたように、観客たちが逃げ始めた。近くのライたちは、しかし逆に風を感じなかった。まるで嵐の目にでもいるようだ。
魔王が、風を解きはな――とうとした時、
「待ちなさい」
「待てよ」
再び、光と闇が聖魔の剣から、現れた。
「お前らは……!」
「いいタイミングじゃねえかよ」
「ゼルク! フェレス!」
魔王の驚愕と、ライの不敵なセリフと、それにレオンの喜びに満ち溢れた声を受け、天使と悪魔が――登場した。
「ここは任せてください、あなたたちは動けそうにありませんし、ね」
聞いただけで安心してしまう、心地よい天使の声。ゼルクは微笑みながらそう言った。
「そーそー、アタシたちまだ活躍してねえからな、ここらで目立っとかないと忘れ去られちまうしよ。ってことで任せておけ」
フェレスはへらへらと気楽そうに笑った。その気楽さに、思わず肩の力が抜けそうになる。
当然のように、ゼルクとフェレスは、レオンとライの味方だった。
「ああ。頼むよ、ふたりとも」
レオンは弱弱しい笑みで、けれど心底安心したような表情で、ふたりに後を頼む。
反してライは気に入らない様子で、不機嫌を隠そうともせず口を動かす。
「ち、しゃーねえな。オレ様の活躍の場面だったが、譲ってやるよ。こんだけカッコつけて登場したんだ――負けんなよ」
どこまでも強がった態度に、素直じゃないヤツ、とフェレスが苦笑して頷く。ゼルクも横で楽しそうに笑っていた。そして
「ほんっとに、ライは素直じゃないんだから」
そよ風のような声が、聞こえた。眼だけを動かすと、そこには予測通りの少女がいた。
「んん? でも、ほんとにヤバそうだね。今回は下がってなよ。いつもライばっかり目立ってるんだから、少しはわたしも頼ってよ」
「なに勝手なこと言ってやがる、てかお前は逃げろよ、リィエ」
呆れ果てたように、気を抜ききった様子で、ライはリィエに言った。リィエが舌を出して言い返す。
「やーだよ。わたしはわたしで、あいつ許せないもん」
「……ん? なんだ、マジメか」
「うん、まじめ」
「なら好きにしろ」
声も、表情も、全く変わった調子はないのに、ライはリィエの真剣さを理解した。付き合いの長さは、ダテではない。
ライは気だるげな表情で、頬を緩める。かわりに声を引き締めた。
「お前はオレ様のパーティのひとりだ、主人公パーティのひとりだ。だから――負けんなよ」
「とーぜんっ!」
ライはそれだけ聞いて、満足そうに笑った。
「ふん、終わったか? オレは短気だと言ったよな。そろそろ皆殺しにしたくて堪らなくなってきたんだが」
「てか、魔王のくせに待ってたのか?」
「意外に律儀な魔王ですね」
フェレスとゼルクが、微妙に挑発の意味を込めた言葉を投げつける。案外、ふたりは気が合うようだった。
「るせえッ!! 消えっちまいなァ!!」
魔王は簡単にキレて、叫んだ。その感情に共鳴するかのように、風も荒れる。
風が吹き荒れる。風が吹き乱れる。風が吹き狂う。
風が――発狂する。
「やめてっ!」
リィエが悲痛な声音で泣き叫んだ。3人の視線がリィエに集まる。
「やめてよ、風が泣いてるの、あなたなら聞こえてるでしょ!」
リィエは、妖精だ。
風の神の眷属であり、同時に――風の眷属だ。
それゆえ、リィエには風の声が聞こえ、意思を理解して、心を通わせることができる。
そして、今吹いている風は泣いていた。狂わされていた。無理矢理吹きまわされ、存在を歪まされていた。
「はッ! 妖精か。そういえばお前たちにとって、風は友らしいなァ? くく、だがな、オレは風なんぞ、なんとも思ってない。所詮はただの風だ」
その言葉は、風に連なる者、全てを敵に回す。魔王は、それを理解しながらも言い放つ。
「風など意思なき道具でしかないッ!」
傲慢不遜の体現である魔の君主は、何ものも恐れはしないのだ。もちろん、目の前の怒気を発する小さき妖精も。
「許さないよ……妖精として、風の眷属として、あんたは絶対許せないっ!!」
普段見せない激情。リィエは本気で頭にきていた。
人差し指を立て、くるり、と舞わす。風の斬撃が、魔王を狙う。
「しゃらくせぇ!」
魔王は、まるでそれが――風が視えているように見切り、腕を小さく動かすだけで払いのけた。
「まだまだぁ!」
くるくる、とリィエは両手の指を舞わす、舞わす、舞わす。要請に応え、風が高速で魔王を襲う。
それは息もつかせぬ連続攻撃。烈風の剣、突風の槌、竜巻の槍、旋風の鎌。その全てが、魔王を狙い撃つ。
「たかが妖精の分際で、魔王であるオレを舐めるなよ!」
「そうだよっ! わたしは妖精! 風の眷属! あんたの、敵っ!」
リィエの風が、憤怒からかさらに威力を増した。
しかし、魔王も風を狂わせ、妖精の繰る風にぶつけた。たったそれだけで、簡単に相殺されてしまった。
「くぅ」
リィエが呻く。魔王が唇を歪ませる。
「その程度か、妖精? ならば、こっちからいくぞッ!」
一瞬で、莫大な風を狂わせ、魔王は自分の指揮下に置く。その力は――大型の台風のそれに、匹敵する。
「そっ、そんな! 一瞬で、ここまで大量の風を操れるなんて……」
リィエの声に宿るのは、驚愕か絶望か。判断はつかなかった。
魔王の狂わせた風――それは、妖精ですら扱いきれないほどの風量――まさに天災規模の風だった。ヒトが、どれだけ修練を積もうと、天災には届かない。
だというのに、この“狂嵐”の魔王は、たった一瞬でそれを掌握してみせたのだ。
「これが魔王であるオレと、お前たち下等な妖精との、埋めきれない差だ。さあ、イカレタお前の友達が、お前を切り裂くぞ! くらえぇい!」
魔王が、狂った風――否――嵐を解き放つ。
嵐が、襲ってくる。
それはとても非現実的で、ありえない光景だった。リィエの眼には、しかもその風の力が視える、自分がもう切り裂かれるだけだと理解できる。
リィエは――それでも諦めない!
「負けない――ライと約束したんだからっ!!」
五指をぴん、と立て――それまでより大きく、腕まで使って――円を描くように舞わす。
「乱舞する風の刃――その身に刻み込め! 勝負だよっ、魔王!!」
「風が、嵐に勝てるものかッ! 呑まれ、足掻き、ズタボロになりなァ!!」
妖精の身であるリィエが、高らかに謳い上げる。“狂嵐”の名を持つ魔王も、それを撥ね退けるように大声を上げる。
妖精の指先から形成された幾閃もの――風の刃。
魔王に狂わされた膨大な風の塊たる――嵐の牙。
風と嵐が、激突する。
壮絶なまでの風力同士の争い。風が裂き、嵐が猛る。風が嵐を、嵐が風を、喰らい合う。
やがてそれらは交わり、世界の全てを吹き飛ばすのではないかと、錯覚してしまいそうなほど強力無比な爆風となる。
それら風の暴力、全ての発信源であるふたりは、睨み合うように視線を交錯させていた。未だ風吹きやまぬことを気にもせず、彼らは互いから眼を離そうとしない。
そして、辺りで暴れていた風がやんだ頃、フッ、と魔王が小さく息を吐き、右手を軽く回す。緩い風が、すでに気を失っていた妖精を吹き飛ばした。
――そう、風は嵐に敵わなかったのだ。
最初から、この結果はわかり切っていた。誰の眼から見ても勝ち目などなかったのである。それでもリィエは戦った。それでもライは、他の3人も止めなかった。なぜなら、それは誇りのかかった戦いだったから。
妖精の、小さな身体が吹き飛ばされる。そのまま壁に激突――
「十分だ。お前はがんばったぜ」
しなかった。その手前で、フェレスがリィエを受け止めたのだ。
「今度は、アタシの番だ――魔王」
悪魔の笑み、フェレスは口の端を吊り上げた。