失楽園
また……
彼は、そこに立っていた。
大きな塀がある訳でもない。
川が在って向うとこちらを隔てられている訳でもない。
ただ……
お父様が出てはいけないと言ったから。
彼は、そこから外に行く事はできない。
そこは私達が住むエデンの園の、一番端っこ。
そこからは荒涼とした荒れ地が広がっているだけだ。
「アダム」
私は彼の名を呼ぶ。
彼は振り返り、私を見る。
でも……
その青い瞳は私を見ていない。
私を通り越して荒野を……
世界の果てを見ているのだ。
「蛇が来たの。お土産にお菓子を持って来てくれたの。一緒に食べようよ」
私は明るく笑う。
「蛇がまた来たのか」
アダムは黒い髪をかきあげる。
アダムは蛇があまり好きではない。
むすっと仏頂面をする。
反抗期だと蛇が言っていた。
蛇は甘いお菓子を持って来てくれるのに。
私はアダムの腕を取る。
私の手首のブレスレットがシャランと音をたてた。
「それは?」
「蛇が持って来てくれたの。ブレスレットって言うんだって」
アダムは食い入るようにブレスレットを見ている。
ふんふん。興味しんしんだね。
「これさくら貝って言うんだって。砂浜に住んでいるそうよ」
「貝? 砂浜?」
「海の近くに砂ばかりの所があるんだって。そこの砂の中で暮らしているそうよ」
「海って?」
「おっきな水たまりで、その水はとても塩辛いんだって」
「塩辛い? 岩塩みたいなものか?」
「そうね。あれぐらい辛いんじゃないの? ここには池はあるけど海はないからよく分からないわ」
アダムは外の世界の話になると、食いついてくる。
それと反対にお菓子やお洒落には無関心だ。
蛇に貰った櫛で髪の毛を梳いてあげた事があったけど。
いやがって逃げ出した。
アダムの髪は天然パーマであちこち跳ね回っている。
それに比べて私の髪はサラサラのブロンドでとても梳きやすい。
なんでこんなにアダムと私は違うのだろう?
目の色だってアダムは青い瞳だけど私は紫色だ。
体付きだって違ってきた。
昔は二人共似たようなつるんとした体をしていたのに。
成長するにしたがって、アダムの体は大きく固くなって。
私の体は丸みを帯びて柔らかい。
「お父様。お父様」
子どもの頃、不思議に思ってお父様に尋ねた事があった。
「どうして私とアダムは違うの?」
「お揃いが良かったかい?」
お父様は優しく私の頭をなでてくださった。
白い髪に白く長いお髭。
顔には深くしわが刻まれている。
瞳は黒い。背も高くがっしりした体つきだ。
お父様と私達の容姿も違う。
「ううん。この髪の色も瞳の色も好きだわ。でも不思議なの? お父様は好きに変えられるでしょ。何故この色にしたの?」
「私が好きな色をお前達に与えたんだよ」
「そうなの? お父様は黒に青に黄色に紫が好きなの?」
「そうだよ。私が好きな色だ」
「お父様は好きな色が一杯あるのね」
お父様はフフッと笑う。
「イブの好きな色はなに色だい?」
「ん~~私の好きな色は白よ。大好きなお父様の髪とお髭の色だから」
でもアダムの青い瞳の色も好きよ。
と付け加えておいた。
私はアダムの手を引っ張って蛇の所まで連れていく。
蛇はちゃぶ台にお茶とお菓子を並べて、私達を待っていてくれた。
「えへへへ。遅くなってごめんね」
私は蛇の前に座る。
蛇は4本の腕で下半身は蛇だ。
髪はライトブラウンで少々つり目だが、綺麗な顔をしている。
そして……お胸がでかい。
たわわに実った椰子の実の様。
私は自分の胸を見る。うん、普通。
普通だよね?
私も大きく成るんだろうか?
アダムは私の横に座ってお菓子を眺める。
葉っぱの上に鎮座している菓子とお茶。
「このお菓子は何ていう名前なの?」
「未来の東の果ての国に売っている【坊ちゃん団子】って言うお菓子だ」
「未来? 東の果て? よく分かんない」
蛇は時々おかしなことを言う。
未来?
東の国?
知らない言葉、知らない国。
国ってなんだろう?
それは美味しいのだろうか?
私には蛇の言うことの半分も理解できない。
「食べていい?」
「お上がり」
私はお菓子をぱくつく。
あっ!!
美味しい♡
甘い物は正義だ。
私を幸せにしてくれる。
「今は分からなくてもいいよ。時が来たら分かるから」
蛇は笑ってお茶をすする。
蛇は賢い。
何だって知っている。
お父様と同じで世界の果てを見通す事が出来るんだって。
「イブに貝をくれてありがとう」
アダムが蛇にお礼を言う。
「アダムあたし蛇にちゃんとお礼を言ったよ」
私は頬を膨らませてアダムに抗議する。
アダムは私を子ども扱いする。
失礼ね。
私は十分にレディなのに。
そう抗議すると、蛇がふき出した。
何故そこで笑うの?
私はおかしい事を何も言ってないのに?
「またエデンの端に居たの?」
蛇がアダムに尋ねる。
アダムは頷く。
アダムがいた所をエデンの端と呼んでいる。
お父様がここから出てはいけないと言った場所。
「どうしてエデンから出てはいけないの?」
私は蛇に尋ねる。
蛇は少し困った顔をして答えてくれた。
「お前達が住める場所ではないからだよ。荒野ばかりで何もない」
「でも、海があるんでしょう」
「そうだな。海がある」
「海があるなら、貝もいるんでしょう? だったら何もない事ないんじゃない」
私は蛇に笑う。
蛇は少し悲しそうな顔をして、ここが嫌いなのかと私に尋ねた。
「えっ? どうして? 嫌いじゃないよ。美味しい食べ物もあるし。お父様も蛇もいるし。でも……」
私は言葉を詰まらせる。
でも……
アダムは果てばかりをみて、ちっとも私を見てくれない。
その言葉を飲み込む。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
アダムは立ち上がりまたエデンの端に歩いて行く。
「アダムがこの頃変なの……」
「変? 体調でも悪いのか?」
「そうじゃなくて……ぼんやり考え事しているの。アダムはここから出て行きたいのかな?」
「男の子は冒険に憧れるものだよ」
「冒険って……このエデンしか人はいないんでしょ」
「そうだ。人間はアダムとイブしかいない」
「アダムは変だわ」
そして……
変なアダムを気に掛ける私も変だ。
むぐもぐと団子を咀嚼して飲み込む。
「このお団子美味しい」
「エデンには美味しい果物が一杯あるでしょう」
確かにエデンには食べきれないほどの果物が何時も実っていた。
でも……
お父様はあの二つの木の実だけは食べてはいけないと言う。
その実はエデンの真ん中に生えている。
一つはみかんによく似た実で食べると死ぬそうだ。
もう一つは無花果に似た実で食べると賢くなると言う。
毒の実を食べてはいけないと言うのは分かるが。
「お父様死ってなーに?」
まだ幼い頃お父様に聞いた事があった。
お父様は私の頭を撫でながら答えてくれた。
「死ぬとな。動かなくなって、冷たくなって笑わなくなって腐っていくんだよ」
「アダムと私も死ぬと腐ってしまうの? 昔飼っていたネズミのように‼ それは嫌だわ。お父様‼ 私あの実は食べない‼ だって腐りたくないもん‼ それにお洒落も美味しいものを食べれなくなるなんて嫌だわ‼」
私はお父様の頭の上に花冠を乗せる。
「お前はお洒落と食う事ばかりだな」
隣で聞いていたアダムが呆れて言う。
「何よ‼ アダムには花冠を作ってあげないわよ」
「いらん」
即座にアダムは答える。
ふん‼
つまらない男‼
そんな私達を見てお父様は笑っていた。
いつだってお父様は優しく微笑んでくれた。
花冠を編みながら私は木の上で葡萄を食べている蛇に尋ねた。
「どうしてお父様は知恵の実も食べてはいけないとおっしゃるのかしら?」
「知恵の身は愛の実でもあるからよ」
「愛は毒なの?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えるわね。毒と言うより病みたいなものね」
「病? 熱がでるの? 苦しいの? 苦いお薬を飲まないといけないの?」
「苦しくて、胸が締め付けられ。顔も赤くなる。病であって病ではない。つける薬はないんだよ」
蛇はいつも難しい事を言うのね? なぞなぞの様だわ」
あれから随分たつが、私は相変わらず馬鹿の様だ。
「恋はね。するものではなく、堕ちるものなのよ」
ポツリと呟いた蛇の言葉を理解したのは随分後になってからだ。
確かに恋は堕ちるものだった。
私はアダムに恋をした。
アダムの事を目でおう。
胸がドキドキして、顔も赤くなる。
いつもエデンの端から荒野を見ているアダムを見つめた。
私は理解する。
アダムは世界の果てを見たいのだ。
楽園から出ていきたいのだ。
私は決心する。
アダムと一緒にここから出ようと。
私は二つの木の所まで行くと、実をもいだ。
「アダム、アダム」
私はアダムの所までかけて行く。
息が切れて苦しい。
アダムは振り返る。
ドクドクと胸がなる。
夕日でアダムの体は赤く染まっていた。
もう、アダムは少年ではなく、立派な若者だ。
私は手に持つ実をアダムの前で齧った。
アダムはその実が何なのか気付き青ざめる。
「食べて」
私はアダムに知恵の実を差し出した。
アダムは私が齧った実を暫く見ていたが。
私の手を取ると、その実を齧った。
私達二人は、神の言い付けを破った。
その後の事はよく覚えていない。
気が付けば、私達はエデンを追放された。
荒野を抜けて海にたどり着く。
私はエデンの方を振り返る。
花ばなが、咲いている。
蛇がエデンを追放された時、私に花の種を持たせてくれたのだ。
種の入った袋には小さな穴が空いていて。
魔法の種は地に落ちると花を咲かせるのだ。
「帰りたくなったら花を辿って来ればいい」
こっそり蛇は私に囁く。
その花の種も海までで尽きた。
アダムは木を切って舟を作っている。
ここから海に出たら、多分エデンには帰れないだろう。
「うっ~あっ~あっ~」
「どうしたの?お乳が欲しいの?」
私は赤子に乳をあげる。
アダムと同じ黒い髪で青い瞳の息子。
ああ……
なんて柔らかく愛おしいのだろう。
ポタリと涙が零れる。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
言い付けを破って、ごめんなさい。
エデンにお父様だけ残して、ごめんなさい。
でも……
私は幸せだ。
エデンを出て、アダムは私を見てくれる。
お父様でも無く、蛇でも無く、荒野でも無い。
私だけを見てくれる。
私達の間に可愛い子供が産まれた。
私、良い子じゃなくてごめんなさい。
海を渡り別の土地に着いた。
どうやらここも世界の果てではないようだ。
私達は子を育て村を作り、村はやがて町になると。
子達を残して旅に出た。
太陽を追う様に、旅の途中で子孫を増やし町を作り。
数百年過ぎた。
町の離れの粗末な家に私達は住んでいた。
私は一人粗末なベッドに横たわっている。
どうやら私の寿命が尽きるようだ。
アダムは薬草を探しに出かけている。
ドアが開き懐かしい顔が現れた。
蛇だ。
「お久しぶりね。やっぱり貴女は神様だから歳を取らないのね。私はすっかり年老いてしまったわ」
皺だらけの手を差しのべて私は笑った。
蛇は優しく私の皺だらけの手を握ってくれる。
蛇は普通の女に化けていたが、私には直ぐ分かった。
だって蛇はいつも私達を暖かく見守ってくれていたから。その優しい瞳を見間違えるはずはない。
「お父様に伝えて。言い付けを破ってごめんなさい。一人にして、ごめんなさい。でも、私はお父様の子供でとても幸せだった。」
蛇は優しく微笑むと何か囁く。
よく聞こえない。
「また会いましょう」
そう言ったように聞こえた。
蛇は霧の様に消えた。
私は闇に呑まれる。
闇に呑まれる前にアダムが薬草を持って部屋に入って来るのが見えた。
アダムありがとう。
私はあなたを愛しています。
それは言葉にならなかったけど。
きっと伝わったと思う。
気が付けば、私は色々な時代に産まれ変わっていた。
時代は前後する事はあったけど、必ず女に産まれ変わっていた。
そして、私は旅をして、アダムを探す。
幾度も産まれ変わる。
でも、アダムはいない。
この国は平和だ。
私は足湯に浸かった足をパチャパチャさせる。
足湯は疲れた足を癒してくれる。
からくり時計が3時を告げて人形が現れる。
私は買ってきた坊っちゃん団子をパクつく。
美味しい。
蛇は言っていた。
未来の東の国の坊っちゃん団子だと。
ああ……
蛇が言っていたのはここだ。
蛇は未来にも過去にも行けるのだ。
流石神様だわ。
「やっと見つけた」
男の人の声がした。
震える声は今にも泣きそうだった。
私は振り返ろうとしたが、抱きすくめられ。
「つかまえた……イブ……」
男は私の耳元で呟く。
「アダム?」
私は振り返り男の顔を見上げた。
アダムは若い頃と同じ姿をしている。
私も何度も転生をして姿が変わることもあったが。
今度は一番最初の姿だ。
「やっと……出会えたね」
私は笑って坊っちゃん団子を差し出した。
「覚えてる? 蛇がくれた団子はここの団子だったんだよ。流石神様。時を超える事が出きるんだね」
「お前なら必ずここに来ると思っていた」
アダムは笑って団子を受け取る。
「お前の隣が、俺の楽園だ」
アダムはそっと私の唇にキスをした。
~ Fin ~
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2022/5/30 『小説家になろう』どんC
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登場人物紹介
★ イブ
主人公。エデンに住んでいたが、禁断の実を食べて追放された。アダムが自分を見てくれるなら追放なんて目じゃないぜ‼️少々メンヘラ。
★アダム
エデンに住んでいた男。イブが差し出した禁断の実を食べて追放された。でもエデンから出たかったからイブの策に乗った。イブに恋をしていたが、イブを見ると赤くなるので、なるたけ見つめない様にしていた。
★蛇
アダムとイブに蛇と呼ばれる神。エデンに自由に出入りしていた。神に恋をしていたが、二人の為に何かと心を砕く。エデン追放後もたまに二人に会いに来ていた。
★神
アダムとイブからお父様と呼ばれる。
エデンを造り出しアダムとイブも生み出した。
実はアダムとイブは数百組いて、エデンも一つではなかった。
だから、蛇の言った【人間はアダムとイブしかいない】と言うのは噓では無いが、本当の事でもない。
アダムとイブが出ていった後エデンは閉じられた。
禁断の実を食べたアダムとイブだけが本当の神の継続者。
二人が再会した時は蛇と二人で見守っていた。楽園を追放した時も色々持たせている。
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