星が紫に煙るとき
いつもの仕事だった。宇宙港で荷物を積んで、別の港で荷物を下ろす。空荷で走るのは無駄だから、何かを積んで、また別の港へ寄っていく。それを繰り返して、ぐるりと航路が一回りする。だから本社に帰ったときには、また一つ歳を重ねていた。人生に迷いもなくなった、つもりだった。
「そういうわけで、きさまの船は、あたしが指導することとなった!」
社長室へ帰社の報告に行くと、小柄な軍人に大きな態度で指を差された。自分が大柄なのは差し引いても、頭ひとつふたつ違うだろう。マスクで鼻まで隠しているが、ぱちぱちした目の幼さは、少女のようにすら見える。
「はあ」と曖昧な返事をしつつ、社長席に座る上司をちらりと見る。彼は、諦めたように小さく首を振った。
「名誉戦傷章の受章者にして、傷病除隊と聞いている! さぞ無念だったことだろう!」
「いや、あの」
「ふふん、心配するでない! ふだんの仕事とやることは変わらん!」
「そうでなくて」
戦時の統制下にあって、軍の方針には逆らえない。だが、この、赤を基調とした豪奢な軍服は戦闘部隊の士官ではない。無重力化では邪魔なはずの長髪も、いわゆる現場の人間でないことを表していた。雑に刈った短髪と、青い作業着の自分とは、色んなものが対照的だな、と思う。
彼女の右手が、マスク越しに口もとを撫でる。それにつられて左手が動く。じょり、と無精髭の感触がする。
「そうだ! 同盟政府指導将校のあたしが! きさまに再び機会を与えようと言うのだ!」
指導将校は軍の階級こそ持っているが、政府の方針を完遂するため、あらゆることに口を出す権限がある。それに目を付けられたのは、会社にとっても、率直にいえば、面倒だった。だからこそ社長は、この小柄な指導将校に見えないように、両手を合わせる仕草をした。――切り捨てられた。
「はあ。光栄です」
「そうだろうそうだろう! あーっはっはっはっはっは!!」
小さな身体で小さな胸を反らして、指導将校が高笑いする。
社長が庇ってくれるとは思っていなかった。指導将校に逆らえば、会社の存続も危ういだろう。社長は腰が低くて抜けて見えるが、そういう決断は早かった。
「で、何をやりゃあいいんです」
「きさまは輸送艦の艦長だろう、輸送をやるんだよ!」
「いや、輸送船の船長ですが」
「あたしが徴用したから輸送艦だし艦長なの! おわかり?!」
自分は軍を抜けた。おれにとっての戦争は終わったはずだった。
艦長、ねえ。口のなかで転がしてみる。その後味が気に入らなくて、胸ポケットから紙の箱を取り出した。
「あーっ、たばこ! 一本よこせ!」
そう言ったときには、すでに紙巻煙草は奪われていた。マスクを下ろした薄い唇で、くわえ煙草をぴこぴことする。仕方ないので火を点けてやる。
「子どもには早いですよ」
「指導将校に向かって子どもとは何だ、きさま!」
「はいはい、そうですね。輸送をしましょう、輸送をね」
「聞けーっ!」
煙を吐きながら、少女が抗議の声を上げる。それを聞きながら、自分の手もとにも火を点ける。吸った煙が脳に届いて、頭の醒める感覚がする。心のなかで溜息を吐く。やるしかない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
社長室を後にして、追い立てられるようにドックへ向かう。社屋自体が老朽化した大型輸送船を永久係留したものなので、その貨物スペースで一通りの整備ができるようになっている。そこへ横付けした軍の工作艦が、突貫工事で防御の武装を施していた。
「おれの……おれの船が……」
「きさまの船ではない、軍艦だ! あたしが乗るにはやや質素だが、まあ我慢してやろう!」
「つら……」
ついつい猫背になるところ、指導将校にばしんと背中を叩かれる。
「ええい、何をめそめそしておるか! もとは輸送艦だったんだろうが!」
商船には商船の美しさがあり、軍艦には軍艦の逞しさがある。指導将校の言うとおり、この船は輸送艦だったものを、払い下げを受けて商船となったものだ。だから厳密には、商船としての美しさはない。それでも商船であることが美しかった。
それが再び軍艦になる。その姿を見るのが忍びなく、足早に船橋へと滑り込む。指導将校もそれに続くが、今度は彼女が不満を叫ぶ番だった。
「せっま!」
「当然でしょう、民間の輸送船ですから」
座席は前後に配置された二つしかない。航海士と船長のぶんだが、ふだんは前席で操舵するため、船長席は折り畳まれているのがほとんどだった。客を乗せるならば貨客モジュールごと荷物として積めばいいわけで、船橋に自分以外が乗ることはまずないからだ。そういう意味でも、やはりこれは、おれの船なのだ。
「この船……輸送艦の乗員は?」
「一名です。おれが船長で、あとはAIがやってくれます」
軍艦は危ないところで危ないことをするので、人間も「予備」が必要になる。そのてん商船では、人を増やせば費用が嵩むし運ぶ荷物も減るわけで、要員は常に最低限だ。今や頭脳労働も力作業も自動化が進んでいる。
それでも船長が一人で運航するというのは少ないほうで、これは「搾りたがり」の社長の流儀だった。
だが、指導将校は、別のことが気になるようで、口もとに手を当てて呟いた。
「ふたりきり……」
「変な気を起こさんでくださいよ」
「こっちのせりふだ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「退屈だな」
「いいことですよ」
取るものも取り敢えず出航したとあって、やることはたくさんあった。今は増設された防御武装とAIの接続を調整している。一方、指導将校にやることはなく、「監査」と称して船内の居住区を探検したあとは、退屈退屈とやかましい。
「しかし、傷病除隊という割に、操艦は問題なく見えるんだが?」
「後遺症は軽微なので、ふつうの操船や日常生活には支障ありませんね」
「戦闘は? だめなのか?」
「一瞬を争う戦闘では、僅かな脳波の乱れも重大な結果を招きますので」
軍艦を含む多くの船舶に採用されているのが、脳波による操船システムだ。使用者の脳波と船舶を疑似的に接続することで、使用者は仮想空間において船舶の一部、あるいは全部をアバターとして操船する。船舶側は使用者を計算機、または意思決定装置とすることで能力を発揮する。それゆえ軍艦では人が多く乗るほうが「強い」し、大きいほど「強い」という理屈が今なお有効だった。
背後で指導将校が、口もとに手を当てた気配がする。自動操船しているうちは、身体への負荷を避けるため、船との接続は浅くしておく。だから会話に不自由はないし、本も読めれば映画も観れる。
「なるほどなー。でも、だったら操艦しない仕事をすればよかったんじゃないのか? 艦艇勤務だけが宇宙軍じゃあないだろう」
「それこそ、まあ、色々ありますが、船に乗るのが好きだったので」
たしかに会話に不自由はないが、こんな調子で話しかけられては、なかなか作業が進まない。そうこうするうちに一つ目の寄港地が近づいていた。一つ目があるからには二つ目があり、三つの寄港地で合計六つの宇宙コンテナを回収し、本国へ回航する計画らしい。ちなみに宇宙コンテナというのは海上コンテナと規格を同じくした輸送システムだ。コンテナを運ぶためのコンテナで、それ自体が小型の軍艦ほどの大きさになる。
「で?」
「は?」
「水先案内人は?」
「なんだそれ」
人類が宇宙に進出しても、港という設備がある限り、抱える課題は同じだった。つまり多数の船舶が往来し、その船舶のための船舶が活動する。また、港湾設備や自然環境によって狭隘な構造になりがちだ。それに全ての港は状況が違うから、それぞれの港を熟知して、大型船舶を誘導する専門家がいる。水先案内人だ。
まさかとは思ったが、指導将校は水先案内人を手配していなかった。軍港では軍港を管理する部署があり、そこが何とかしてくれる。だが民間の港湾では勝手が違う。港湾施設側に連絡して指示を請うのが通例だ。急いで連絡してみるが、空いた岸壁こそあるものの、水先案内人の手配には時間がかかるということだった。
「えーっ、そんなに待てるか! 何とかせい、勲章もらったんだろう!?」
「いやだから、おれのは」
「メディアの船まで来とるではないか! いいとこ見せたらんかい!!」
「……しゃあねえですなあ。シートベルトはしててくださいね」
出航からこっち忙しくて、というのは言い訳だ。確認しなかった自分にも責任がある。作業着の胸ポケットから、紙の箱を取り出す。煙草をくわえて、火を点ける。
「おい、艦橋は禁煙……」
「おれの船はいいんですよ」
「これは軍艦なの!」
「しっ。お静かに願います」
吸った煙が脳に届いて、頭の醒める感覚がする。鼓動が強くなり、寝ていた神経が目を覚ます。手指の先が、自らの脈動を感じ取る。
自動操船を解除して、脳波と船の接続を深めていく。船体に当たる小石は、左腕に触れたものだとわかる。係留してある船舶は、まるで人ごみにいる無数の肩だ。真空の宇宙で、触れない距離を肌で感じて、すり抜けていく。
「近い近い近い危ない危ない危ない」
後ろで指導将校が喚く。彼女の目には、右に大型客船が、左に浮き灯台が、モニターいっぱいに映っていることだろう。だが船の肌感覚は左右に数メートルずつ余裕がある。当たりはしない。
船舶が行き交うときは、あらかじめ避ける方向が決められている。それでも事故が起こるわけで、相手の船が、どこを見ているか、重心はどこか、手足の向きは。その一挙手一投足を見逃さず、通り過ぎていく。岸壁へ寄せるのも、大型船では曳船に押してもらうのが通例だが、そんなものは来てくれない。姿勢制御のスラスターで微調整して、さらにその慣性を回収して、ぴたりと接岸する。まるで組み立て模型のパーツのように、そこにあるべくして納まった。
「……なんだったんだ!?」
「たばこを吸ってると、なんか感覚が冴えるんですよね」
「やるではないかやるではないか!」
シートベルトを外した指導将校に、ばしばしと肩を叩かれる。痛い。
「いやでもこれ疲れるんで」
「さすがはあたしの見込んだ男!!」
「聞いて?」
「よーし! それじゃあ、あとはあたしの仕事だ! きさまはここで休んでいろ!!」
口もとに触れた手で、びっとこちらを指差してから、彼女は揚々と下船した。
下りないなら下りないで、補充してもらいたいものがあった。弾薬や燃料、食料などは工作艦が積んでくれたが、慌ただしい出航で私物をほとんど持ち込めなかった。
あとで頼んでみるか。気だるい感覚に包まれて、モニターに地元のテレビを映す。先のメディア船と岸壁からの中継らしく、港湾側も慌てている様子がわかる。慣例を無視して入港を強行したのは不満の声もありそうだが、指導将校が下りてきたとなれば文句も言えないようだった。簡素ながら行われている歓迎セレモニーで、彼女は堂々と歩き、話していた。あんなでも指導将校なのだな、と今さらながら思う。そして挨拶の応酬が終わるころ、彼女から通信が入る。
〈聞こえるか? これから宇宙コンテナを積みにかかるぞ!〉
「こちらはいつでも。そうそう、買ってきてほしいものがあるんですけど」
〈指導将校にお使いなんかさせるやつがあるか! 引き受け準備を急げ!〉
「だからこちらはいつでもいいですよ」
かつて船舶の荷役は、海上の移動よりも時間を要することがあり、これが物流のボトルネックになっていた。それが海上コンテナの出現で一変した、というのは話を省略しすぎているが、とまれ物流には革命が起きた。そして今も、小型の軍艦ほどの宇宙コンテナが、ほぼ自動化された装置によって本船に積載された。
「固縛ヨシ、重心調整ヨシ。――いつでも出航できます」
「では出航だ。なあ、またあれをやるのか?」
「いえ、港湾側から水先案内人を手配したと連絡がありました。あんなことをされては敵わない、ということでしょうね」
「うーむ。あれはあれで見たかったんだが、まあ仕方ないか」
期待を含んだ声でそう言われて、さっきのセレモニーで見せた堂々とした様子との差に、思わず小さく笑ってしまう。
「なんだ、なにがおかしい!?」
「いえ、なにも」
彼女は口もとを手で隠すが、どのみちマスクで顔半分は見えていない。
「まあ、ああいう無茶も久しぶりでしたけどね」
「また見せてくれるか!?」
「機会があれば、と言いたいですが、そんな機会はないほうがいいんですよね」
期待の声色から一転、マスクの下で、ぶーっと膨れてみせる。
そうこうするうちに水先案内人の船が来て、続航せよと信号をする。大過のない出航だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二つ目、三つ目の寄港地には、すでに噂が届いているのか、水先案内人が手配されていた。民間船舶がこんなことをすれば何時間でも何日でも待たされるのだが、指導将校の力を改めて思い知らされた。
あとは本国へ帰るだけ、と言いたいところだが、その帰るだけが難儀する。敵勢力圏の突出部を突っ切る航路だからだ。もっとも同盟政府指導将校は、そこを敵の勢力圏下と認めておらず、「敵艦が小盗人のように出没する程度」と称していたが。
「なあ、事情は訊かないのか?」
「訊いたら教えてくれるんですか」
「重要な戦略物資を運んでいる」
「それくらいのこた、わかりますよ。でもそれ以上のことは言えない、そうでしょう」
「それは、まあ」
「だから訊かないんです。まあ、言いたくなったら聞きますけどね」
「軍機だぞ、だれが言うか!」
「だから訊かないんですよ」
無言になった船橋に、警報音が鳴り響く。仮想空間ではない、実際の大音量に、指導将校も大声を出す。
「なんだ!」
「左舷に航跡! 潜宙艦の待ち伏せです!」
「早く吸え、たばこを吸え」
「うるさいですね」
そう言いながらも煙草をくわえて火を点ける。待ち伏せの雷撃を見つけられるかどうかは、いわばセンサー同士の力比べだ。今回は、この船自身が魚雷の航跡を見つけてくれた。自分の操船を手本にして、AIは学習する。だから経験を基にした勘でさえも、この船は身につけている。規格が平準化される軍艦とは違い、おれが育てたおれの船なのだ。
接続を深めてやれば、向かってくる一二本の魚雷がありありと「見え」た。発見が早かったこともあり、対処はたやすい。電磁防雷網を展開し、次々と魚雷を無効化する。
「大丈夫か。おい、大丈夫なのか」
「静かにしててください」
やかましい雑音を黙らせて、対潜爆雷を散布する。特殊な波長の光を放ち、闇に隠れる潜宙艦を見つけだす効果がある。そして姿を見られた潜宙艦に価値はない。尻をまくって逃げる相手に、追いすがることはできても、見つかっていては意味がないからだ。
「本船は直ちに逃走します。狼どもに噛みつかれないように」
「だから軍艦だと言ってるだろう。それに離脱すると言え、逃げると言うな」
そう「指導」する彼女の声は、少し疲れているようだった。
◇ ◇ ◇ ◇
航宙図をモニターに出して、ふむ、などと唸ってみる。
別に仮想空間内でやればこんな必要もないのだが、指導将校と共有するには、こちらのほうが手っ取り早い。
「どうした」
「航路の練り直しです。どうやら本船は狙われているらしいので」
「……本艦は、直ちに所定の航路へ復帰せよ」
口もとに手を当てているのか、くぐもった声で指導将校が言う。
「なぜです。危険ですよ」
「理由は必要ない」
「そういうところが嫌で、おれは軍をやめたんですよね」
「なんだと、待て。きさま、傷病除隊じゃなかったのか」
「さて、どうでしょう」
「……まあいい。本艦は所定の航路へ復帰する。これは――」
揺さぶりをかけられていると気づいたのか、口もとに手を当てたまま、いくらか平静を取り戻す。だから、さらに追い打ちをかける。
「命令ですか、任務ですか」
「両方だ。あたしの命令であり、本艦の任務だ」
「なるほど。ご立派でいらっしゃる」
「ッ……!」
若き指導将校は屈しなかった。それでもマスクの下で口の端が歪んでいる。
議論になっていない議論は終わり、再び警報が鳴り響く。潜宙艦の襲撃に際し、本船は対潜行動に入る。各員は所定の戦闘配備をなせ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
潜宙艦から遁走し、再び航路に復帰する。最初の襲撃から、敵の潜水艦隊は情報を共有しているだろう。待ち伏せされているとわかっていながら、そこへわざわざ飛び込んでいく。なるほど、軍ならやりかねないが、指導将校が直々に危険をおかすのは不可解でもある。あるいは、それも忠誠の証なのだろう。
「さっきの話だが」
「どのさっきですかね」
「きさまが軍をやめた理由だ」
「ああ、まあ、ちょっと偉い人を殴っただけですよ」
「はァ!?」
指導将校が、素っ頓狂な声を出す。
あれは、政府主催の研究発表会だった。「敵主力艦隊撃滅の構想」とか「艦隊決戦における我が方の優位性」だとかの、勇ましく華々しい発表が続いたところ、自分の研究内容は「民間商船護衛の課題」だった。場は完全に白けてしまい、主催者に発表を中断させられた。
だがおれは、まさにその、民間商船を護衛していたときに負傷したのだ。結果として商船は無事だった。勲章ももらった。しかし、軍艦乗りとしての未来は閉ざされた。だから殴った。それが間違いだったとは、今でも思っていない。
「そんなん不名誉除隊じゃないか! 経歴書には無かったぞ!?」
「そこんところは、まあ、人事課長がうまいことやってくれたみたいで」
周囲の取りなしで軍法会議は避けられたが、結果的に職を失った。馬鹿なことをしたな、と人事課長は苦笑していた。広報課長も呆れながら、船会社の就職を見つけてくれた。自分が間違っていたとは思っていないが、彼らもまた、殴りたい気持ちを抑えて仕事をしていたのだと気づいたとき、申し訳ない気持ちになった。
「そんなやつを……あたしは……」
「そんなやつとは、ご挨拶ですねえ。あなたの見こんだ男ですよ」
三度、潜宙艦の待ち伏せに遭い、三度目もこれより逃げおおせた。
指導将校も慣れたようで、慌てることもなくなった。静かなのは結構だが、簡単なことだと思われてしまえば、それも違うので悩ましい。商船にとって潜宙艦の襲撃は重大な脅威であるし、実際に本国はそれで干上がりつつある。
「もう一息で、我が勢力圏に入る。もう一息だぞ」
安堵したように指導将校が言う。うっかり「我が勢力圏」などと言ってしまうのは、敵のそれを認めていることに、彼女自身は気づいていない。
それを指摘するほど野暮ではないが、楽観ほど危険なものもない。道は九割を以て半分とせよ。モニターに艦影を映し出す。
「その一息が、しんどくなりそうですよ。――右舷方向より艦影三、いずれも小型艦です」
「敵味方識別信号は――聞くまでもないか。敵の駆逐隊だな」
ぎり、と歯ぎしりの音が低く聞こえる。
「待ち伏せの潜宙艦だけじゃなく、戦闘艦が追いつきはじめました。そろそろ覚悟を決めてくださいよ」
「やかましい! やるしかないんだ!!」
大声を出した彼女を、肩越しに見る。口もとに手を当てて、次に出す声は呻いているのに近かった。
「やるしか……」
「ま、そうですわな」
言いながら、くわえた煙草に火を点ける。脳も身体も疲れているが、そんなことは言っていられない。彼女の言う通り、やるしかない。やっていくしかない。
「で、策は」
「あるわけないでしょう。黙っててください」
もともと輸送艦として建造された本船は、一般的な輸送船に比べれば快速の部類に入る。それゆえ敵潜宙艦の脅威が顕在化してからも、護衛なしでの独航が可能だった。だが戦闘艦と正面から殴り合うとなると、そんなものに策などない。
押し黙っていた指導将校が、くぐもった声を出す。黙れと言われて黙ったのではなく、どうやら意を決していたらしい。
「この席、使っていいか」
「やっとやる気になりましたか」
「うるさい! やるしかないんだ!!」
「そうそう。人生は、やっていくしかないんですよ」
「なんでちょっと嬉しそうなんだよ。むかつくな」
なかば自棄になった指導将校が、装置を繋いで「接続」される。特別に訓練を受けたわけではなくとも、接続される人間が多いほど、船舶側の処理速度は上がる。なにもやらないよりましだというより、なにもやらずに死ぬよりましだと彼女の態度はそう見えた。
そして、三時方向に発砲炎が上がる。
「敵駆逐隊、砲撃はじめた!」
「牽制の砲撃です。足を乱さないで」
「すぐに夾叉されるぞ!」
「本命は雷撃です。我慢してください」
センサーが捉えて、瞬時に弾道を計算、行き足を乱さぬように針路をずらす。こちらの足が乱れたところを、速力に任せて突撃してくるのが駆逐艦の常套手段だ。懐に入られてしまえば、必殺の魚雷で星屑になるだろう。
「我慢するたって――ッ!?」
「今度はなんで――」
指導将校に続いて、さすがに言葉を失った。人生、悪いことは重なるものだ。
六時方向より敵艦三、急速に近づく。そのうち一つは軽巡洋艦、おそらく本船を捜索している水雷戦隊の旗艦だろう。
「軽巡、発砲する!」
「狙いは正確、出力も大、さすがですね」
「褒めてる場合か!?」
指導将校の頭脳も使って、センサーは最大限に稼働している。それに従い細かく舵を切っているが、砲撃が近くの岩塊を粉砕し、ばらばらと破片が船体を叩く。
さすがに軽巡ともなると、砲撃の修正も精度が高い。通り過ぎた至近弾が肌を焼く。直撃されるのも遠くないだろう。軍艦は人が多く乗るほうが強いし、大きいほど強い。そんな原理原則を、まざまざと思い知らされる。大きさだけでいえば本船のほうが大きいが――
「発砲炎! 直撃するぞ!!」
言われるまでもなく、回避機動に入っている。いわゆるジグザグ航行に三次元の動きを加えたもので、砲撃は先まで本船がいた空間を撃ち抜いた。
不規則な航行は、砲撃から身をかわすにはいいが、どうしても足は遅くなる。そして敵の駆逐隊は、その瞬間を待っていたのだ。
「敵駆逐隊、突撃コースに入る!」
「まあ、そうなりますわな。――回頭、三時方向」
突撃してくる駆逐隊に向かって、ぐっと大きく舵を切る。
「きさま、正気か!?」
「おれはいつだって正気ですよ。かつて政府の研究会で、指導将校を殴ったときもね」
「なに!? ちょっと待て、いまなんつった!?」
「集中してくださいよ」
「できるか馬鹿ァ! そいつ、あたしの上司じゃん!!」
すさまじい相対速度は、彼女の絶叫を置き去りにする。彼我の距離がぐんぐん近づく。駆逐艦三隻から三六もの射線で魚雷が放たれる。すでに電磁防雷網を展開できる速度ではない。
指導将校が後ろの席で、きゅっと身を小さくするのがわかる。
「一番、二番、三番コンテナ、固縛解除。上げ舵、三〇」
速度の乗った状態で解放された宇宙コンテナは、緻密に計算された弾道で駆逐隊に襲いかかった。いくつかの魚雷が衝突するが、宇宙コンテナの持った質量を覆すには至らない。結果、燃え盛る質量弾は、駆逐艦の艦体を脆くも破壊した。一つは爆散し、一つは艦体がへし折れた。もう一つは幸運と言うべきなのか、艦体の前半部分が宇宙コンテナに置き換わっていた。
一方、旗艦の直率部隊では混乱が生じていた。魚雷の爆発は確認したものの、その直後に駆逐隊との連絡が取れなくなっている。輸送艦一隻に駆逐隊が負けるわけがないという常識と、敗れたのならば救助が必要だという現実で、部隊の足並みは揃わなかった。
そんなところへ、返す刀で本船が突入する。上方から急襲した三つの宇宙コンテナは、旗艦もろとも部隊を壊滅させた。さすがに軽巡の応射は激しかったが、特に重くて黄色と黒が円く描かれたコンテナの質量には敵わなかったようだ。
「嘘だろ……生きてる……」
「いやあ、やればできるもんですね」
大きさでいえば本船のほうが大きいだろう。そう思いついたら、あとは弾道の計算と度胸だけだった。第二部隊への急襲が成功するかは賭けだったが、我々はそれに勝ったらしい。
「ていうか荷物!」
思えば本船は、ずいぶん身軽になってしまった。「重要な戦略物資」は、すでに星屑となってきらめいている。
「……まあいいか。そうだよ、お察しの通り、あれは通常の資源だ。本国も苦しいし、持ち帰れるに越したことはなかったがな」
「なにか大事な作戦があって、それの陽動ってところですか。潜水艦隊と水雷戦隊が食いついたとすれば、捜索に投入された戦力はその数倍、仕事は十分じゃないですか」
「なんだ、お見通しじゃないか」
「だてに歳食ってないですからね。――しかし、まあ、ここまでのようです」
正面、艦影三。水雷戦隊は通常、旗艦部隊のほかに二個駆逐隊を伴っている。先行していた別動隊が、復讐に燃えて戻ってきたのか。
「ここまで来たんだ、突破しよう。ほら、たばこを……」
「いや、それが、さっきのが最後の一本でしてね」
後ろから無遠慮に胸ポケットをまさぐられる。そこに入っている紙の箱は、すでになにも入っていない。
「まさか、あたしが急に出航させたから? お使いを断ったから? ――最初にもらった一本のせい?」
「ん、まあ」
死線を越えて箍が外れたのか、彼女は今にも泣きそうだった。どれもそうといえばそうだし、そうじゃないといえばそうじゃない。遡れるだけ遡るなら、あの日あのとき、指導将校を殴らなければ、今こんなことにはなっていないだろう。だが、それを言っても仕方ないのだ。
「久しぶりに楽しかったですよ。あれは何とか引き付けましょう」
「馬鹿を言え、そんなこと」
ぐし、と目を拭って指導将校が強がって見せる。
「搭載してある連絡艇を温めてあります。あなたはまだ若い、脱出してください」
「……!」
声にならない声のあとに、かちゃかちゃとシートベルトを外す音がする。振り向けば未練が残る。気配が消えるのを待たず、意識を船に集中する。
「ふう。――ぶッ!?」
かさついた唇を割って侵入してきたのが、彼女の舌だと気づくには、数秒の時間が必要だった。二つの肉が絡まって、脳に電流の走る思いがする。かすかに甘く、くせのある唾液が流し込まれる。
酸欠の鑑賞魚みたいに、二人で、ぷはあと息をする。仁王立ちした指導将校は顔を真っ赤に染めて、口を手の甲で拭っていた。
「あたしは軍人で! 指導将校で! ――大人の女だ。馬鹿にするな」
口に遺されたのは、嗅ぎ煙草だった。上唇と歯茎の間に挟んで、直接吸引する類いのものだ。思えば彼女は口もとに手を当てる癖があった。単なる癖ではなくて、嗅ぎ煙草を吸っていたなら合点がいく。
「これは……とんだご無礼を」
「やれるか」
「やってみましょう。やっていくしか、ないですからね」
そこからは、どうなったのか、あまり覚えていない。宇宙の細胞を見た気もするし、原子のなかに太陽を見た。船体表面の肌感覚は無限に広がるとも見えて、敵艦の乗員一人ひとりの息遣いまで感じられた。無数の砲雷撃に船体を食い破られながら、しかし、ことごとく心臓部を避けていた。行き違う駆逐艦と、互いの船端をぶつけあう。アームもクレーンももぎ取られながら、それでも船を前へ進めた。死ぬのは怖くなかった。だからこそ、死にたくないと強く思った。
気がついたときには、指導将校の膝で寝ていた。付近を警戒していた哨戒艇に救助されたらしい。薄目で見ると、彼女は大層心配している様子だった。安心させたい気持ちもあったが、どうにも身体が動かない。かすかに甘くて、くせのある、大人の女の匂いに抱かれて、再び眠りに就いてしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あれから、しばらく入院していた。経過観察ということだったが、口封じのために軟禁しておきたかったのが本音だろう。そして昨日になって、徴用を終えるとの書面が届いた。いずれにせよ予後は良好、日常生活に支障なしと診察されて、晴れて退院の日を迎えたわけだ。
病院のエントランスまで来たところで、大きな態度の小さな軍人がベンチに座っていることに気がついた。赤い豪奢な軍服が、病院という場で異彩を放つ。付き添いの看護師は、一礼して去っていった。
「やあ」
「おう」
「なにしに来たんですか」
「は、ご挨拶じゃないか」
相も変わらず口は悪いが、声色の端に清々しさを感じさせる。マスクで隠れた表情も、きっといい顔をしているだろう。
だが、こちとら徴用された挙句、病院に軟禁されていた。自分の操船だったとはいえ、結果的に船はスクラップ同然になった。
「お陰さまで、ひどい目にあいましたからね」
「それはこっちのせりふだ!」
彼女が大きい声を出すので、院内の衆目を集めてしまう。だいたい指導将校という存在だけで周囲は緊張するのだというのを、彼女といると忘れがちだ。
クルマで来ている、送ってやろう。そう促されて駐車場へ向かう。止まっていたのは政府仕様の高級車ではなく、実用の白いワゴン車だった。酷使されているようで、日に焼けて少し黄ばんでいた。
当然のように、運転席のシートは一番前に調整されている。助手席に乗って、シートベルトを着用する。固縛ヨシ。発進用意ヨシ。
「なぜです。陽動は成功、しかも生還したんだ、英雄でしょうに」
「それだよ! うちの上司が、きさまのことを嗅ぎつけて、有ること無いこと言うもんだから、頭に来てな」
「まさか」
「グーだぞ」
マスクの下で、にやりと笑い、握った右手を掲げて見せる。
通勤時間を外した郊外の道路は、交通量も少なくて快適だ。窓を開けると、気持ちいい風が入ってくる。どこへ送ってくれるのか聞いていなかったが、別にどこでもいいと思えた。
「やりますねえ」
「お陰で今は謹慎中の身だ。明けたら処分があるだろうから、軍服が着れるうちに礼を言いに来たのさ」
「それはご丁寧に。――これは?」
「すまない。あたしの力では、それが限界だった」
彼女はハンドルを握りしめ、前を見たままそう言った。風で長い髪が踊る。
渡された書面には、会社の損失を補填するために輸送艦を払い下げるとあった。借りたものを壊して返すのは、一般社会の道理ではない。しかし軍は一般社会ではないので、そういう無理が通ってしまう。ただし、このスクラップ同然の廃船は、おれにとっては万金の価値があるものだった。
「十分ですよ、ありがとうございます。しばらくは、こいつを直すとこからですね」
「あてがあるのはいいことだ」
「あなたは? なにかあてはあるんですか」
「なにもないよ。そうだな、たばこ屋でもやるかね」
「そうですか。いいですね」
赤信号で車が停まる。財布から紙幣を取り出して、彼女の手に握らせた。
「なんだ、タクシー代なら――ぶッ!?」
「うまい。きっと、いいたばこ屋になりますよ」
「ばかぁ!!」
そしてクルマは走り出す。
このあと、なんやかんやがあって、彼女と煙草屋をやることになるのだが――それはまた、別のお話。
―了―