11歳の春その②
セシリア・スカーレットはこの国の聖女であり、貴重な回復魔法の使い手である。
貴族にとっては平民の血が混じっているというのはマイナスになるが、それよりも聖女で回復魔法が使えるというステータスがそのマイナスイメージを相殺していた。
セシリアは周りからは人格者として知られている。毎日の神の祈りは欠かさず、困っている人間に寄り添い、持てる限りの力で手助けをする。さらには明るく、人懐っこいので、特に平民や男性からは好かれていた。
反対にレティシアは貴族としての格はセシリアよりはあるが、性格的な面でいえばセシリアに劣っていた。貴族であるがゆえに傲慢で自己中心的。平民にきつく当たることも多々あり、無駄に愛想はふりまかない孤高な存在として、嫌煙されていた。
元々のレティシアであれば、何故聖女と言えども平民で、他人の男に色目を使う彼女なんかがちやほやされるのだと考えなしに彼女に嫌がらせや糾弾をしただろうが、今世のレティシアは、未来の自分の末路をわかっており、さらにはレティシアの前の人間としての記憶を持っている。
彼女と関わると碌なことがないと身をもってわかっているので、記憶を取り戻したその時、セシリアとも距離を取っていた。
とっていたが、ここ最近、聖女としての着任の儀式が終わってからというものの、セシリアは図ったようにことあるごとにレティシアの前に現れる。
人目を避けるように食事の時間も散歩の時間も勉強の時間もずらしていた彼女が、さも人目がつく場所で彼女との衝突を望んでいるかのようだと、この時のレティシアは感じていた。
…………。
「お嬢様、今日の爪紅はいかがいたしましょうか」
「ん、任せる」
「かしこま――」
「恐れながらレティシア様、本日は午後からアイーラ伯爵令嬢様主催のお茶会がございますので、華美なものは控えた方がよろしいかと存じます。アイーラ伯爵令嬢はシンプルなデザインがお好きなご様子なので、ベージュやピンク系などでいかがでしょう」
「そう?じゃあそれで……」
いつも通り、朝起きると測ったようなタイミングでノック音が鳴り、パイモン、ゼパル、フルフルが朝の身支度に必要な道具を持って現れる。
髪を梳かし、身体を拭き、予定や魔王城や領地に関する報告を聞きながら、身支度を整える。
「では、本日の予定を申し上げます――」
ゼパルとフルフルが手を動かし、パイモンが報告役といういつものスタイルが始まる。
「午前は特に予定はございませんが、午後はフルフルが申し上げたとおり、アイーラ伯爵令嬢のお茶会、その後、19時より月に一度のスカーレット家晩餐会がございます。以上でございます」
「おっけー。じゃあ次お願い」
「魔王領の状況ですが、レティシア様がお持ちになられていました異世界の知識を元に進めておりました、東大陸から入手した稲の改良が完了しました。白米なる種類の開発に成功し、ただいま量産を進めております」
「――ッ!?本当?」
「はい、樹木種などの植物の扱いに長けた同胞から情報が入りましたのでたしかかと。開発に携わった者たちに労いの言葉をかけていただければこれに勝る喜びはないです」
ここで位している傍ら、魔王領では王国ではできないようなさまざまなことを任せていた。まずは魔王領内での生活レベルの向上。衣食住は1000年前のままの基盤があり、衣住に関してはそういうのが得意な魔族がいたので、私の日本にいた頃の知識を魔法で共有し、すぐにどうにかなった。
現代日本よりも科学も技術レベルも劣っており、食文化を初めとしたさまざまな技術がそれほど発達していなかった。ので、これは生前の知識……私が覚えていなくても、今まで生きてきた中で視界に映したものを閲覧できる記憶の魔法、それを視覚化させる精神魔法、鑑定魔法で再現したいものの材料を鑑定し、組み立ての方法を解析の魔法をかけて技術担当の魔族に共有した。
そのおかげで生前の日本までとはいかないが、王国よりも遥か上のレベルで生活を遅れている。
そのほかにも地盤調査、水質調査、ダムの設置や生態調査など探知系に優れた魔族を配置した。さらには法整備や役職の設置なども行おうとしたが内政を任せようと思った魔族と、パイモンが口を揃えて
「魔王様に対し無礼を働く愚か者は存在しないので、不要かと存じます」
「もし、不届きな輩が降りましたら、このパイモンが手を下しますのでご安心ください」
と物騒な言葉を交えて圧をかけられたので、とりあえずは後回しにした。政治とか、法律とかには疎いので、簡単なルールだけ取り決めて、それを徹底させるように全魔族に通達した。
そんなこんなで有能な魔族たちと魔法様様で半年ほどだが、安定した生活を送れている様子だった。早くローゼ王国を出て魔王領で暮らすのが楽しみだ。
「そっか、フォラスたちに近々会いにいかないとね。……そういえば、今日は午前は予定がないっていったよね?久々に様子を見てこようかな」
提案に、3人は嬉しそうに語尾を跳ね上げながら答える。
「本当ですか?では、すぐに準備して参ります。フルフル、転移魔法の準備を。私は探知阻害の魔法の準備をします」
「了解しました。ゼパル、お嬢様を外行きのドレスの準備をしてもらえますか」
「了解。お嬢様、準備しますのでお手数ですがドレッサーの前に再度お座りください」
……。
――アイーラ伯爵邸中庭。
午前中に魔王城に戻り、そのままお茶会に行くための身支度を魔王城へ終え、会場へ足を運ぶ。お茶会のマナーとして、侍女は1人だけなので、魔族メイド三人衆の中で一番人間の見た目に近いパイモンを従えて、受付を済ませる。
モスグリーンの落ち着いたデザインのドレスを着こなす、アイル・アイーラ伯爵令嬢が出迎えてくれる。
「まさか、レティシア様がお茶会に参加してくださるなんて思いもよりませんでしたわ」
「アイーラ伯爵は第一王子派閥ですので、出席は当然のことです」
「それでも、レティシア様がお茶会の席に出席するのは珍しいことですので、感激ですわ」
「ありがとうございます、アイル嬢」
以前のレティシアなら、「身分の低い者に関わりたくない」と侯爵以上の令嬢のお茶会に参加しなかったからね。貴族社会は横の繋がりを広げてこそ。こういうお茶会の席の参加は自分の味方を作るためには、かかせない。1、2回目の人生ではセシリアも積極的にこういうのに顔をだして、味方を作っていたから。
「ところで、侍女の方は魔族でしょうか?……とても美しい容姿をしていますわ。どこの奴隷市場で購入したんですの?」
アイル嬢は背後に控えているパイモンにちらりと視線を動かす。陽光で煌めく白銀の髪の毛をキャップで纏め、皺ひとつないメイド服、無駄のない所作に目を奪われている。
パイモンは、アイル嬢にかけられた言葉に対して軽く頭を下げた。
「この間、うちの近くで倒れているのを見かねて保護したんですの。街中の警護隊にも
相談したのですけど、主もいない様子でしたし行く当てもないとのことなので身の回りのお世話をさせています。――パイモン、アイル嬢にご挨拶を」
パイモンはアイル嬢に向き直る。
「はじめまして、パイモンと申します」
「まぁ、声も美しい。よい拾い物で羨ましいですわ。私も魔族奴隷を買おうかしら」
「過分なお言葉光栄でございます」
「謙虚で、所作も美しいです。レティシア様の教育がよかったのでしょうね」
「そんなことはありません。パイモンの飲み込みがいいからです」
そもそもパイモンに使用人教育なんてさせたことがないんだけど。元々前魔王の身の回りのお世話もしたことがあり、さらには私の記憶の中のメイドに関しての知識を日本版、こちらのメイド版から学んで取り込んでいるらしい。
傍から見てもメイドとして完璧な身のこなしをしている。こいつ、本当に男か?とそれとなく質問をすると、胸板に手をあてられ、「生物学上男でございます」と返された。顔がいいってなんでも許されるのだな、とその時の私は深く納得した。
他愛のない会話をしていると、お茶会が本格的に始まった。お茶会といっても、特にすることはなく、ただ招かれた令嬢と最近の流行りや、噂話までなんとなく会話をするといった会だ。
レティシア自身、あまりお茶会には出席しなかったので、話についていくのがやっとだ。
「新作のドレスを父上におねだりをして買っていただいたのですが、どうでしょう?」
「さすがエイル嬢、お似合いですわ。流行色の緑をいいアクセントで取り入れられて素敵です」
「まぁ、レティシア様、今の流行色は緑ですが、その中でもモスグリーンが流行色ですのよ。アイル嬢が着られているような色味が流行っていますわね」
「しらなかったですわ。緑とひと口に表現しても、色々とあるのですね。シューヤ嬢は博識なので、知識不足の自分がお恥ずかしいです」
「レティシア様、今日のネイルはベージュ色ですのね。私、ベージュや落ち着いた色味が好きなのです。その爪紅はどこで購入できますか?」
「アイル嬢お目が高いですわ。これはオリジナルの爪紅で市販されていないんですの。爪に負担のない成分をつかっているのですが、案外取れやすくて...…」
「爪に負担が少ないのですか?」
「ネイルをしていないご様子なので、アイル嬢さえよければ試してみますか?」
「よろしいのですか?」
最近の流行とかよくわからないので、体験キャバ嬢の時になんとなくつかっていたさしすせそを駆使しながら嫌味にならないように答える。アイル嬢がフルフルおすすめのベージュ色のネイルに反応してくれたので、パイモンに爪紅を持ってこさせる。
「アイル様、失礼してもよろしいでしょうか」
「ええ、許します」
パイモンは膝をついてアイル嬢の手を取り、親指にだけネイルを施す。日本の知識を解析つくったものなので、この世界の爪紅とくらべると光沢の仕方、色のムラも段違いだ。
「ここまでシンプルで奥深い色味は初めてです」
「乾くまでにしばらく時間がかかりますので、物に触れないようにお気をつけください」
「レティシア様、ありがとうございます。あの、もしよろしければ、この爪紅を購入させていただけないでしょうか?」
うっとりと爪を見るアイル嬢は、爪紅をいたく気に入った様子だったけど、生憎この爪紅は非売品で、魔王領で生産しているので売り出す予定はない。しかし、これをあげればアイル嬢は私に好意的な目でみてくれるだろうと反応でわかっていたので、答えは決まっている。
「購入だなんてとんでもない。アイル嬢は私の家門と同じ、第一王子派閥ではありませんか。同胞から、しかも下のものから施しをうけるなどとんでもない。私の使いかけでよろしければこちらは差し上げますわ」
パイモンは一度頷くと、爪紅のふたを閉め、懐に忍ばせていた爪紅落とし、いわゆるネイル落としを手渡した。
「――よろしいんですか?こんな高そうなものを……申し訳なく思います」
「はい、私にとってはまた作ればいいものなので。それに、爪紅ひとつでアイラ嬢との仲が深くなるのなら安いですわ」
これからも仲良くしましょうね、と案に伝えると、アイル嬢は笑顔を綻ばせて、何度も頷いた。
パイモンは私の後ろの定位置に戻り、小さい声で呟いた。
「物ひとつで、人心を掌握するなんて……恐ろしい御方です」
周りの声で物ひとつで、の後が聞こえない。ちらりと後ろを様子見ると、鼻息が荒い様子で、恍惚の表情を浮かべている。その姿を表現するのだろう、変態という言葉がよぎったので、知らないフリを決め込むことにした。