ボギー
◆
プラチナ級ミッション本来の目的は、VIP顧客にこずかい銭程度(彼らにとっては)を還元することだ。ある程度の歯ごたえは感じるように作られてるだろうが、達成不能なほどに難易度は高くは無いはずだった。このメンツならクリアは難しくないだろう。
「ジェリーフィッシュ ミュージック・オン」
ECM機に乗っているハニービーが電子妨害装置を起動した。
「格好いいロシアの兄ちゃん、あたいを守ってみせな!」ECM機のハニービーが怒鳴る。
「任せろ。設定からすりゃ、どうせあがってくるのはF-15(イーグル)のクローンだろう。あんなポンコツ、Su-27の敵じゃ無い」
F-15を愛するスキニーの不機嫌そうな声が響く。
「そいつは同意出来んな、ロシア人」
「気に障ったかイーグル使い。俺は根が正直でね。本当の事しか言えないのさ」
「曲芸機乗りが偉そうに。あんた戦場よりサーカス行った方が向いてるぜ」
「言ってくれるね。エンジンしか取り柄の無いポンコツ・イーグル使い」
クリスナイフの呆れた声が聞こえた。
「あんたらいい加減にしなさいな。じゃれ合うのは後にして戦闘に集中。ほら来た。ピクチャー、バンディット 1グループ。ブルズアイ1-2-0、フォー0-4-2。ターゲット エンジェルス10。ロシア機とは情報リンクが無いんだから、私の声をしっかりと聞くことね」
「心配するな。女の声は誰であろうが聞き漏らすことは無い。かみさんにいつも褒められる」とミーシャ。
「それは褒めてないだろうが」とスキニー。
俺の機のRWRにもAWACSからの情報が表示される。機種不明。恐らくミーシャが言うようにF-15のクローンだろう。奴が率いるバラクーダ隊が迎撃に向かう。敵の狙いはラブバードのECM機だ。
??!
――三時方向に何か見えた気がした。AWACSが言っているボギーと方向が違う。慌ててもう一度、確認するが何も見えない。レーダーに何も映っていない。俺はクリスナイフを呼び出した。
「ブルーホエール。こちらソードフィッシュ01。三時方向をサーチしてくれ。何か見た気がした」
「……何もいないわよ、ハイエナ。レーダーには何も映っていないわ」
「ヴァイパー、何か見たの?」とアミュレット
「私には何も見えません」とグラスホッパー
スキニーの叫び声。
「いたぞっ! ボギー、スリー・オ・クロック」
今度は俺にもかすかに見えた。青空に浮かんだ黒いシミ。肉眼で見える距離なのにレーダーに反応が無い。
ステルス機だ。しかしこの性能は……あり得ん。
ミーシャの声が聞こえた。
「バラクーダ01 タリー。ボギー、エイト・オ・クロック。こっちからも見えたぜ。こんな機体は設定に無かったはずだ」
「ごたくはいいから、早く追っ払って!」 ECM機のラブバードが叫ぶ。
戦場は一瞬で乱戦状態と化した。
◆
ミーシャ率いる護衛隊“バラクーダ”が迎撃に向かう。
敵は1機にすぎない。対してスホイ4機が襲いかかる。
重たい対地兵装を積んでヨタヨタ飛んでる俺の編隊“ソードフィッシュ”に出番は無い。ここはミーシャに頑張ってもらうしかない。
戦闘はあっけなく終わった。バラクーダ隊は叩き落とされ、護衛を失ったラブバードも落とされた。
決してミーシャの腕のせいじゃない。目立つのを嫌って大会には出ていないが、奴の腕前は“チェコの狂犬”と同じかそれ以上だ。敵が異常に強すぎる。
「バラクーダが全滅? こんなの詐欺じゃないっ! 私は運営に抗議するっ! こんな化け物みたいなステルス機が出てくるなんて一言も説明に書いてなかったわ!」
クリスナイフの怒りの声がコクピットに響いた。
確かにこれは無いだろう。
ミッション説明には敵の航空機は第四世代機までと記されていた。明らかに敵の機体は第五世代の能力を持っている。いやミーシャが為す術も無く落とされたところを見ると、それ以上なのかも知れない。
「ヴァイパー。気をつけろ」緊急周波数での呼びかけがあった。ミーシャだ。
射出座席での脱出に成功したんだろう。
「あの機動性は化け物だ。200メートル先に追い詰めてもレーダーが効かない。赤外線も駄目だ。ミサイルどころか機関砲も撃てん。どうしろってんだ?」
「敵はF-22(ラプター)じゃ無いんだな?」
「違う。あのボギーはそんなガラクタじゃ無い。ラプターと戦ったことはあるが、もっと……クソッ」
突然通信が切れた。敵につるべ打ちでもされたか。
AWACSのクリスナイフから通信。
「ハイエナ。悪いけど、私は落ちるするわ。こんな詐欺まがいの設定で、敵になぶられる趣味は無いの」
「まだ負けと決まったわけじゃない」
「護衛の戦闘機、全部落とされて何言ってるのよ」
「戦闘機なら、まだここにもいるぜ」
「……笑わせないで。対地装備のF-16に何が出来るっての! Su-27でさえ叩き落とされたのよ」
「そう馬鹿にしたもんでもない」
ボギーは、間もなくこちらに向かってくる。
「ヴァイパー、どうする? 俺は最後にあいつと戦ってみたい」スキニーが言う。
「悪いが、エレメント2(スキニーとアミュレット)は予定どおりSAM基地を攻撃してくれ。ここは俺とグラスホッパーで対処する」
「……まあいいだろう。お前の全力を見るのも悪くない。まだ勝負は捨ててないんだな」
「当然だ……グラスホッパー、全HARM(地上攻撃用レーダー波誘導ミサイル)を投棄しろ。エレメント2を守り切る」
「了解。全HARMを投棄します」
俺たちのF-16は、二本のサイドワインダーを残しそれ以外を投棄する。重たい鎖を投げ捨てた愛機は本来の機動性を取り戻した。ステルスかなんだか知らないが、CCV機の本家本元、軽戦闘機の最高傑作であるF-16の周敏さを舐めて貰っては困るのだ。
「いつものやつですね。ヴァイパー」
「そうだ。いつもの奴だ」
「あなたに一つ貸しです」
「そういうセリフは全部の借りを返してから言え……ゴー ライン・アブレスト。ヒット アフターバーナー 5セカンズ」
「グラスホッパー、ウィルコ」
アフターバーナーの咆哮と共に身体がシートに押しつけられる。その時俺は、聞き慣れた男の声を聞いたような気がした。そいつは子供みたいに勝ち誇り大声で怒鳴っていた。
“ほら見ろ、ヴァイパー! 戦場ではいつも想定外のことが起こる。言ったとおりだろう?”
“これはゲームだ。あんたのいたリアルな戦場じゃないんだぜ”
“ごたごた言わずに対処して見せろ。それともお前の腕はあの時のままか? ルーキー”
俺は苦笑する。最後にあの男の言葉を聞いたのは二年前か。
◆
俺にF-16での戦い方を教えてくれたパイロットは大人げないやつだった。
ワールド・ウォー・オンラインの世界にも慣れてきて、そこそこの戦績を残していた俺はいい気になっていた。案の定、大金を賭けたデュアルで、それまで稼いだポイントのほとんど全てを失った。しょせん俺は自分の実力を過信し、自分を上級者と思い込んでいる中級者に過ぎなかったのだ。いや。自分は才能豊かと自惚れていた分、もっとたちは悪かっただろう。
その男は滅茶苦茶に強かった。別次元の強さだった。当たり前だ。その男は西側最強の戦闘機乗りと言われ、湾岸戦争の伝説的な英雄ウィリアム・ランドルフ・ハンプトン大佐、その人だったのだから。
だがもちろん、当時の俺はそんなことは知らなかった。
ドッグファイトでは、知らぬ間に距離感を狂わせられ予測位置を外される。優位をとろうとした機動は全ていなされ無駄となる。逆転を狙った大技は、待ってましたとばかりにスキを突かれさらに事態を悪化させる。
奴は俺をこてんぱんに負かしたあげくに言った。
「お前は幸運だ。大やけどをする前に現実の自分を知ったんだからな。お前は弱い。大弱だ」
惨めすぎて言葉も出なかった。悔しさを無理矢理に抑え込み、ぶざまに立ち去ろうとする俺にそいつは追い打ちで声をかけてきた。
「ルーキー。なぜF-16を使っている? 金が無い訳じゃあるまい」
「……うるせえ。敗者をいたぶって楽しいか? あんた腕はいいかもしれないが、サディストのゲス野郎だ」
「ご挨拶だな。お前、日本人だろう? なんでF-16に固執する? たいがいの日本プレイヤーはF-15が好きだと思ってたんだが。でなければF-35か。自衛隊はF-16を使ってないからな」
おちょくっているのかと思えば、そうは見えなかった。やけに真面目に問うそいつに俺は迂闊にも本心を答えた。
「……だからだ」
「聞こえないぞ」
「……ガキの頃から憧れてたからだ。みんなデフォ装備とか言って馬鹿にするが、そんなこと関係ない。戦闘機と言えば俺にとってF-16だ。どうだこれで満足か?」
親父がまだまともだった頃、良く三沢の基地祭に連れていってくれた。俺はそこで見る米軍のF-16が大好きだった。まるで蛇の頭のように見える精悍な機体を手元に置いておきたくてプラモデルをねだった。組み上げを失敗し接着剤が醜く盛り上がったその模型は、それでも俺の子供時代の一番の宝物だった。
ウィリアムは嬉しそうに微笑んだ。
「お前は弱いがセンスはいい。確かにF-16は最高の機体だ」
「ああそうかよ。良かったな。だったらお前もF-16使えよ」
「使ってたさ。この世界のどのプレイヤーよりもな……まあ待て。どうせヒマなんだろう?」
奴はにっこりと笑ってこう言った。
「俺がF-16の乗り方を教えてやろう」
しゃくだったが、ウィリアムの提案は俺にとって願ってもないことだった。俺は戦闘の基礎から叩き込まれた。自己流で覚えたスキルは全て否定された。フライトモデルは“リアル・モード”を使った。
ワールド・ウォー・オンラインの提供するゲームレベルは、イージー、ノーマル、ハード、そしてリアルの4つから選べ、それぞれ航空機の機動に影響する。ひとことで言えばイージーは初心者向けで操作が容易で、しかし限られた機動しか許されないモードだ。リアルに近くなるほど実機と同じ操作が要求され操縦は難しくなるが、現実と同じ機動が可能となる。だが同時にフィードバックされるGも本物と近くなる。
俺のようにポイントを賭けてPvP(対人戦)をやるプレイヤーにとってはハード以上の操作を覚えることは必須だ。しかし独学ではハードまでで限界だった。
現実の戦闘パイロットと同じスキルを要求されるリアルモードの習得は一人では難しく、俺は奴に会うまで諦めていた。もちろん、金を払えば俺がアミュレットに教えているようにプロのトレイナーを雇うことは可能だ。だが、そんな金は無かったし、ウィリアムは俺から金を取らなかった。
奴はいつでも子供っぽかった。訓練で俺を負かしては勝ち誇る。
「どうだルーキー? 俺は強いだろう。なんせ人類史上、最高のSEAD乗りだからな」
「ホラ話はいい加減にしろ。いい加減聞き飽きた。だいたい俺はゲームで上手く飛びたいんであってリアルで戦争をしたいわけじゃないんだ。なんでそこまで実戦にこだわる?」
「まあそう言うな。そうそう。俺一機だけ生き残って、地上部隊の援護に行った話はもうしたけっか?」
ウィリアムは口とは裏腹に、熱心に俺を指導してくれた。俺の技量は急速に向上した。
奴の技量は、そこらのトレイナーとは比べものにならなかった。伝説のF-16パイロットなのだから当然と言えば当然なのだが、俺はそれに気がつかなかった。戦闘パイロットの出身だってことは聞いていたが、トレイナーに軍人崩れはそこそこいたから不思議には思わなかった。つまり当時の俺はその程度のことも見抜けないレベルだったってことだ。
しかし、自分のスキルが上がるにつれ彼が天才的な操縦技術を持っていることに嫌でも気がつく。それはアマチュア選手の集まりの中で、一人オリンピックの金メダリストが居るようなもんだから。
ウィリアムが自分の正体を俺に明かした次の日、奴は俺の前から姿を消した。それから半年ほど経ってから俺は奴が病死したのを知った。捕虜に成った時に受けた傷が原因と聞いた。ウィリアムに家族はおらず英雄扱いを嫌った彼は、引退後は軍隊と距離を置いていたらしい。葬儀はひっそりとしたものだったと聞く。
俺と会った時にはすでに奴の体調は悪化していたのだ。いくら仮想世界とは言え、そんな状況で俺に教えることは辛かっただろう。だがそんなそぶりは全く見せなかった。
結局、並より少しマシ程度の才能しか持っていない俺が、奴の高みに到達することは決して無かった。俺は自分の技術を誰かに伝えたいと言う、奴の望みを叶えることは出来なかった。
しかし、そんな男がたった一つだけ認めてくれたことがある。