グラスホッパー&ハニービー
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突然、背後から俺を呼ぶ声が聞こえた。
「やあ!ハイエナ。女性連れとは珍しい。キャンペーンはどうでした? たっぷり稼げた?」
商売仲間のグラスホッパーだった。今日はやたらと知ってる奴と会う。この店もそろそろ替え時だ。ゆっくり呑むことも出来ない。
隣の女は、ガールフレンドのハニービーだ。グラスホッパーはこの娘と現実世界でも付き合っている。
「お前か……キャンペーンの方は全然駄目だ。“狂犬”が出て来て散々な目にあった」
俺がそう答えると、グラスホッパーは不審そうに眉をひそめた。こいつのアバターは典型的な美青年タイプのそれだ。戦争ゲームの性格上、一般的には精悍な兵士タイプの1XXシリーズか、凶悪な外見でも押しが強そうな6XXシリーズの方が人気はあるが、こいつは自分のリアルが美青年だからと言う理由で、4XXシリーズの方が好みだ。恋人のハニービーは奴の言ってる事は本当だと言うが、どんなもんだろう? 俺は恋愛中の女の言う事は信じないことにしている。恋ってのは盲目だ。
グラスホッパーは言う。
「ちょっと意外です。狂犬って“チェコの狂犬”のことですよね? “デフォ使いのハイエナ”ともあろう者が、あの程度の目立ちたがり屋に遅れをとるとは……ね。体調でも悪かったんですか? でもまあ、これは天罰ですよ。結局あなたは僕たちと組むしか無いんです。フランクのチームなんかに浮気するからそういうことになる……ところで、隣のお嬢さんはどなた? 紹介してくれませんか?」
「……俺の雇い主だ。もう帰るとこさ」
隣でアミュレットが顔をしかめる。俺のセリフが気に食わなかったらしい。
「わたしは帰るなんて一言も……」
「そうそう。今から帰るなんてもったいないです! 仮想世界の夜は長い。お楽しみはこれからです。僕の名前はグラスホッパー。ハイエナの仲間で最も有能な男。あなたのお名前を伺っても?」
「わたし? あ、アミュレット……です」
「これも何かのご縁です。フレンド登録させてください」
「え~と」
困ったような顔で俺を見るアミュレット。面白いので放っておこうかとも思ったが、考えなおす。一応彼女は俺の雇い主だ。
「グラスホッパー、そこまでにしておけ。彼女はお前のことが嫌いだそうだ」
「邪魔しても無駄ですよ。いくらあなたでも、この類の勝負まで無敵ってことは無いでしょう?」
もともとお前と勝負なんかしていない。
だが俺の出番はそこまでだった。グラスホッパーは、突然伸びてきた指に頬をつねられる。と言うより肉がねじ切られそうな勢いで引っ張られる。
「い、痛いよ。ハニービー」
「あたいという者がありながら、目の前でナンパする馬鹿がどこに居るんだよっ!」
「ここに居ますね……あ。ち、ちょっと待って。これには訳が。ハイエナが連れてる女なら美人のはず。この機会を逃すわけには……いや、冗談ですっ。痛いって。わ、分かったから。分かりましたってばっ」
「邪魔したね。あたいらここから出るから」
憤然とグラスホッパーを引っ張って出口に向かうハニービーに俺は手を振った
「あんたも苦労するな」
「もう慣れたよ。こいつの悪い病気だ」だが彼女は何かを思い出したように、慌てて俺の方を振り返る。逃げようとするグラスホッパーの首をかかえ込みながら。
「そうだ、ヴァイパー。あさってのデュエルは来れるよね。ひさしぶりのいいカモだ。逃がしたくないんだ」
「行けると思う。返事が遅れて悪かった」
「頼んだよ。あたいらだけじゃ負けるかも知れない。分け前はいつもどおりで」
俺がうなずくと、彼女は安心したようにグラスホッパーを引っ張って出て行った。
グラスホッパーは自分が一番有能であるかのように言っていたが、事実は異なる。俺が一番信用しているのは恋人のハニービーの方だ。彼女はカモを見つける才能に優れ、掛け金をつりあげデュエルに持ち込むのがとてもうまい。挑発やおだてはお手の物で、必要とあらば自分の色気も躊躇無く行使する。操縦の腕もかなりのものだ。攻撃機も扱うが一番上手いのはECM機(電子戦機)などの支援機だ。
「変わった知り合いが多いのね。どんな関係?」アミュレットがあきれたように言う。
「仕事仲間だ。女の方はハニービーと言う。南アジアの某国の生まれで、クーデターのせいで命からがら日本経由でドイツに逃げ延びた。父親が政府軍の要職にあったから、残れば彼女の命も危なかったらしい。グラスホッパーのことはよく知らん。ドイツ人の技術者崩れってことだけは確かだ」
「ずいぶん詳しいのね。もしかして、昔はあなたの恋人だったとか?」
「ハニービーがか? 幸か不幸かそう言う関係じゃ無い。仕事仲間として信用はしてる……さてと、そろそろ俺は落ちるぜ。次に会う時、あんたとは敵同士……かもな」
「ちょっと待ってよ。それはもう、私のインストラクターは終わりってこと? まだ続きの話があるのよ」
「興味無い。じゃあな」
このまま居れば押し切られるのは間違いない。問答無用で立ち去るのが一番だ。
「後悔するわよヴァイパー。待って。待ちなさいよ!」
俺は振り向かずに手だけ振った……つもりだった。だが思わず振りかえってしまったのは、アミュレットが大声で叫び声をあげたからだ。
「見・な・さ・い!! これ見てっ!」
女ってのは……いつも騒げばどうにかなると思っている。少なくとも俺の姉貴とハニービー以外の女は大抵そうだ。アミュレットは何かを俺に向かって突き出していた……銀色の紙? チケット? 一緒に映画でも行こうってか? 願い下げだ。謹んでお断りする。
だが次の瞬間、俺は自分の呼吸が止まったかと思った。
違う……あれは……嘘だろ! こんなとこでそれを振り回すなっ! 気でも狂ったのか?
「止めろっ!」俺は彼女の元に駆け戻り、振り回している手を腕を抑えた。間違いない。彼女の持っていた銀色……いや違う。プラチナ色の紙片は俺の思っていたとおりのものだった。不覚にも手が震える。周りに気づかれるのはマズい。俺は彼女の肩を抱き耳元で低く囁く。名誉の為に言っておくが、手が震えたのはアミュレットのアバターを抱いたからでは無い。その銀色の紙片の正体に気がついたからだ。
「正気か? それを得ようと手段を選ばない奴は沢山居る。自分のやってることが分かっているのか?」
周りもこのチケットに気がついた可能性は高い。ここではPKは出来ないが、アバターが特定されるのは色々とまずい。危ない奴らと付き合いがある俺は、その危険性をいくらでも指摘することが出来た。
アミュレットは、俺と調子をあわせ、まるで恋人に甘えるように耳元で囁く。
「ヴァイパー、あなた思ったより大胆ね……ねえ。このチケットを自分のものにしたくない?」
「頼むからもう喋らないでくれ」
こちらを指さしている奴がいる。あまりいい雰囲気じゃない。
俺はアミュレットの腰に手を回し一緒にバーの出口に向かう。恋人同士の喧嘩とでも思ってくれるだろうか? あまり自信は無かったがとりあえず追ってくる奴はいなかった。
アミュレットが持っているプラチナ色の紙片はワールド・ウォー・オンライン社が提供する特別クエスト――このゲームではミッションと言う――への参加チケットだ。
そんじゅそこらにあるノーマルミッションじゃない。報酬が最低でも日本円で5000万円以上はあるプラチナ級ミッションのチケットだ。もちろん達成には複数のプレイヤーが必要で、各自が受け取る報酬は分割されるが、俺みたいな人間にとってはそれでも莫大な金だ。
アミュレットのやつ、自分のしてることがどれくらい危険な行為か理解してるんだろうか? リアルで言えばデトロイトのダウンタウンで群衆に札束を見せびらかすのと同じくらい危険な行為だ。まあ新宿の歌舞伎町でそれをやるより、遙かに危ないのは保証する。
知っている奴が周りにはいないことを祈りながら、俺はアミュレットを連れてバーを出た。