アミュレット&スキニー
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ミーティングの後は、いつも気の合う同士で街に繰り出す流れになる。
ワールド・ウォー・オンラインではプレイヤー同士が議論したり、くつろいだりする為に7つの常設都市が用意されている。もちろん戦闘区にはもっと多くの都市が存在するが、それらの多くは張りぼてのようなものだし、攻撃目標としての施設や逃げ惑うだけの市民NPCが存在するだけだ。常設都市とはディティールが全く異なる。
俺とアミュレットは、そう言った常設都市の一つである“イースタン・メガロポリス”のダウンタウンに移動した。“イースタン・メガロポリス”は東京とか上海、香港など東アジアの大都市をごたまぜにしたような街だ。そこにある馴染みのバーで、俺たちは乾いた喉に飲み物を流し込んでいた。
仮想世界の提供する偽物の酒だが、昨今の味覚ハックの技術はかなりのもので、そこそこ満足出来る程度には楽しめる。
「ヴァイパー、すまなかったわね。私が足を引っ張って」そう言って彼女はグラスを舐めた。
「気にするな。大目に料金を払ってくれる雇用主に対し、ちょっとしたサービスだ」
さっき俺たちが戦ったSu-27のパイロットは、クリスナイフの言うように“チェコの狂犬”と呼ばれる手練れだった。中級レベルが相手ならアミュレットは十分やれるが今回は相手が悪すぎる。彼女を落とさせる訳にはいかず、俺は敵機の撃墜よりも僚機の生存を優先した。彼女を僚機として飛ばしたのは俺のミスだ。狂犬がこのキャンペーンに出てくるなんて全くの予想外だったのだ。
「今日でわたしとの契約は終わるわね。もう半年、契約を延長したいんだけど、どうかしら?」
早いもので、俺が彼女に操縦を教えるインストラクターを引き受けてからもう1年が過ぎていた。
俺の僚機をやらせたのは卒業試験を兼ねている。狂犬と戦うことになったのは想定外だったが、彼女は十分にやった。合格と言っていい。
……あと半年の契約延長か。それは追加であと半年の定期収入をもらえるってことを意味する。悪くは無い。だが。
「止めておこう。もうあんたは十分戦える。約束は果たした」
「……どうして? 私はもっと教えて欲しい。料金が気に入らない? それとも出来の悪い生徒に愛想が尽きた?」
「あんたは優秀だよ、アミュレット。狂犬のことは忘れていい。アレはどうしようもない。しかし、俺もそろそろ自分の仕事に集中したいんだ。昨日、知り合いから連絡があった。金持ちのカモを見つけたらしい。俺も本業に専念する頃合いだ」
「そっちを優先してくれていいのよ。あなたを縛るつもりはないし、わたしの方はヒマな時で構わないわ」
「そう言うわけには、いかないな」
「いいの、いいの。気にしない」
「……いや、流石にそれはマズいだろ」
「それでそのカモさんとデュエルするの? カモ狩りするなら、私もあなたと一緒に出たいわ」
「悪いがあんたの腕ではまだ無理だ……いいか? アミュレット。この際だからはっきり言わせてもらう。これ以上俺と絡んでも、あんたにとっていいことは何も無い。腕のいいパイロットなんて他にいくらでもいる。相応しい奴もすぐに見つかるだろう。他をあたってくれ」
「もしかして……あなたと付き合うことで、私の評判が悪くなるのを気にしてくれてる?」
「考えすぎだ。俺は本業に専念したいだけだ」
彼女は微笑んだ。まるでこっちの気持ちを見透かしたような笑み。
「ヴァイパー、いや“デフォ使いのハイエナ”さん。確かにあなたの評判は良くないわね。でも言いたい奴には言わせとけばいいのよ。わたしはそんなの気にしない。貪欲に金を稼ごうとすることが、悪いこととは、わたしには到底思えない」
「貪欲な詐欺師はそれを聞いたら喜ぶだろう。あいつらも金稼ぎには熱心だ……あきらめろ、アミュレット。もう決めたことだ」
「わたしは諦めが悪くて有名なの。だいたい詐欺師ですって? その例えはおかしくない? あなたに関して言えば、腕のいいギャンブラーが、生意気な新人をカモッてるだけじゃない。世の中って厳しいのよ」
俺は肩をすくめた。世の中の厳しさは、こいつに言われなくても十分に分かっているつもりだ。
アミュレットは不思議な女だ。戦闘の時に怖がってオタオタすることもあると思えば、そこらの男では敵わないような度胸を示すこともある。戦争ゲームをわざわざやるような女は男勝りのタイプか、仮想世界で女王様のようにちやほやされたいタイプ、で無ければ、倫理コードの甘いこのゲーム世界で男から金を巻き上げようとする商売女だ。
しかしアミュレットはそのどれでも無い。インストラクターを引き受けてしまったのは、そんな彼女の素性に興味を持ったからかも知れない。でなければ単なる気まぐれだ。もっとも、報酬に気を惹かれなかったと言えば嘘に成るが。彼女はまるで、それが自分の仕事であるかのように熱心に俺から操縦や戦闘の仕方を学んだ。
「そうそうヴァイパー、忘れてた。これを見ればあなたの考えも変わると思うわ。わたしのインストラクターを続けてくれるなら、これを……」
アミュレットは何かをバッグから取り出そうとしたが、突然驚いたような表情に成った。
「あの人……さっきの」
彼女の視線の先を追うと……あいつだ。さっきクリスナイフと一緒に、フランクに反対したスキニーだ。痩せ型で長身のアバターがちょうど店に入ってきたとこだった。俺に気がついている様子は無い。
「スキニー! こっちだ」
俺は奴に声をかけた。スキニーは気がつくと一瞬不思議そうな顔をしたが、こちらに歩いてくる。
「あんたらしくもないな、ヴァイパー。声をかけられるとは思わなかった」
「さっきの礼を言うべきだと思ったんだ。俺を助けようとするなんて、物好きな奴だとは思ったがな」
「全然礼をしたいようには聞こえんな」
「気のせいだろう。一応、ありがとうと言っておく。こっちにいるのはアミュレット。俺の生徒だ。インストラクターとして彼女に操縦を教えている」
スキニーはアミュレットに軽く挨拶し、NPCのボーイを呼び止めてビールを頼む。そして俺の隣のスツールに腰をかけた。
「そう言えば、あんたに聞いておきたいことがある。あんた米軍のパイロットか?」
「やぶからぼうに何だ……違う。俺は民間人だ。それにアメリカ人じゃない。生粋の日本人だ」
「民間人……信じられん。あんたの操縦は素人とかけ離れている。どう見ても軍人のそれだ。日本人ってのも疑わしい。もしそうだったら、もうちょっとは周りの空気を読む……まあいい。身バレは、トラブルの元だ。言いたくなければ言わなくていい。そういうことにしておくさ」
「民間だって上手い奴はいるさ。軍人の方がゲーマーより操縦が上手いなんて、軍オタの願望が入った思い込みだ。だいたいはポイントのあがりで食っているプロゲーマーも多い。上手い奴なんてごまんと居るぜ」
スキニーは鼻で嗤った。
「プロゲーマーが操縦が上手い? 嗤わしてくれるな。その手の奴らの大部分は“イキッた素人”に過ぎん。まあ心配するな。俺はおまえのような軍出身者がゲームで稼いでいるのを責めているわけじゃない」
どうやら、この男の頭の中では俺は軍パイロット出身ということで確定してるらしい。
「……そう言うあんたは軍関連か? あんた日本人だな。まさか自衛隊のパイロットか何かってオチじゃないだろうな?」
スキニーは微かに笑う。
「ここまで言ったんだ。白状しよう。確かに俺は航空自衛隊の戦闘機乗りだった。昔、小松でF-15に乗っていた」
「イーグルドライバー……ね。自衛官がゲーマーを貶す。良い絵柄じゃ無いぜ。評判も落とす」
スキニーは笑った。
「そいつは失礼。思わず本音が出た。だが許せ。俺も現役の自衛官じゃ無い。演習中に機体トラブルで緊急脱出した。命を拾ったのはいいが、脊髄をやられた。自衛隊はもう辞めている。実機を飛ばすことは俺の人生ではもう無いだろう」
そう言うことか。
このゲームではたまに聞く話だ。一度大空を飛ぶ快感を知った戦闘機乗りは、例えそれが仮想世界だとしても、もう一度味わいたくなるものらしい。因果な商売だ。
コンピューターの助けが無ければ飛ぶことも出来ない不安定な機体に押し込まれ、何かあれば即、向こうの世界へおさらばの戦闘機乗り。責任だけはたっぷり押しつけられ、民間パイロットほどの給料は貰えない。それなのに、そこから追い出されたこの男はそれを悲しんでいるように見える。
「そんな顔しなくていい。普通に生活を送る分には身体の方は問題無い。今は女房の実家を継いで和菓子屋の主人をやっている。女房は自衛隊時代より嬉しそうだ」
あんた自身はそれで良かったのか? と聞いてしまいそうになる。俺は話題を変えることにした。良くなかったとしても、こいつはもう元には戻れない。
「……ところで元自衛官殿に俺も聞きたい事がある。俺の為にチームに入ったと言ってたな? 一体どういう意味だ? もう一度勝負したいだけならチームに入る必要はないぜ。掛け金については注文をつけさせてもらうが」
「なんで同じチームに入ったか……気になるか?」
「そうだな。男に好かれるのは面倒そうだ。その類いならお断りする」
スキニーは笑った。その表情はやけに様になる。俺は確信した。こいつのリアルは女にモテる。
「楽しそうだ、と思ったからだ。お前と一緒に飛んだら楽しいんじゃないか……そう思ったからだ」
「あんた、言ってることがおかしいぜ。頭の方は大丈夫か」
「お前と戦った時、お前のF-16はとても綺麗な動きをしていた。あれだけうまくF-16を扱う人間を俺は見たことが無い……いや。違うな。正確に言えばもう一人いる。新米時代、アメリカで機材の研修を受けたことがあってな。その時にF-16同士の模擬空戦を見たんだ。凄かった。俺はポカンとして見つめていたよ。同じパイロットとしてそいつの技術が羨ましかった。後で聞いたんだが、飛んでいたパイロットは有名な男だった。湾岸戦争の英雄で米空軍最強のF-16乗り。伝説的なSEADパイロットのウィリアム・ハンプトン大佐だった……今でもあの機動が目に浮かぶ。お前の飛び方は、あの大佐とそっくりだ。お前、ハンプトン大佐を知らないか?」
俺は顔をしかめた。まさかあいつの話をここで聞くハメに陥るとは。
「……知らん」
本当は俺はその男のことを良く知っている。だがそれを言うのは躊躇した。俺にはその資格が無いからだ。
俺はこの仮想世界でひょんな事から大佐と知り合い、奴からF-16の乗り方を教わった。人に教えるのが嫌いで、戦うことだけを愛したそいつにとって、俺が最初で最後の弟子となった――今では分かる。奴は死ぬ前に自分の技量を誰かに伝えておきたかったのだ。そして結局、その願いは叶わなかった。だが俺の力ではいくら努力したところで技術を引き継ぐのは無理だった。結局、俺は奴の失敗作であり不肖の弟子と成った。
急に黙りこんだ俺をスキニーが咎めることは無かった。残ったビールをゆっくりと飲み干す。そして言った。
「今日はこれくらいにしておく。妻が待っているからな。お前と飲めて楽しかった。次回のキャンペーンでまた会おう」
「……次回があればな」
「あるさ。フランクは、お前を本気で追い出そうとなぞしていない。もしそう見えたのなら、アイツの方が役者が上ってことだ」
スキニーはそう言ってアミュレットに挨拶すると、バーから出て行った。
「変わった男だ」俺は呟いた。
「まるで自分が変わってないみたいに言うのね」アミュレットが言う。
「そのセリフ、そっくりそのまま返していいか?」
「ご自由に。でもあなた楽しそうだったわ。あの人と相性が良さそうに見えた」
「そう見えたのなら、あんた目がおかしい」
「……確かにおかしいかも。最近少し視界が霞むわ」
「この前のバージョンアップで、アバターも近眼に成るようになった。たぶん、それだな」
「えぇっ! どうやったら治せるの?」
「……冗談だ。そんなことある訳無いだろう」
アミュレットは俺の顔をじっと見てから、ふふんと笑う。失礼な奴だ。
「あなたが冗談を言うとはね。対戦相手を撃ち落とすことしか興味が無いと思ってた」
「人をNPCみたいに言うのは止めて欲しいね」
突然、背後から俺を呼ぶ声が聞こえた。