その名はあんこ。
目を開けると知らない天井だった。
飾り気のない白い壁紙はタバコのヤニだろうか、薄く黄ばんでいる。
「お、やっと起きたか」
声の方に目をやると私の傍らには知らない女の人。
白いブラウスに黒のパンツ。飾り気のない恰好が自然と似合う中性的な雰囲気の女性だった。切れ長の目がこちらを気遣うように窺う。
「良く眠れたか?」
こくりとうなずくと女は満足そうに相槌を打った。
「なら良かった。いかんせん万年床の煎餅蒲団だからな」
「あの……あなたは?それにここは?」
自然と訊ねていた。
「あぁ、私は森本千代。皆からはもちとかもち先生って呼ばれてる。ここは私の家だよ。昨晩のこと覚えてるか?」
首を横に振る。言われて気付く。昨晩どころか過去にまつわる記憶が無い。思い出そうとうんうん唸っていると
「寝起きに考え事は辛いだろ、眠ければまだ寝てて良いぞ」
「う、うん。ありがと……ええと……」
「そうだ名前、名前だけ聞いておいて良いか?」
なんと返して良いか分からずもごもごしているうちに次の質問が来た。
名前。そうだ、私の名前はなんというのだっけ。
必死に思い出そうとしていると
―コロン
頭の片隅で音が鳴った。
「小色。安中小色。私の名前は安中小色って言うの」
はっきりとした声で私は告げた。
「安中小色。良い名前だ。聞けて良かった」
そう言うと彼女はカラリと笑った。
「ありがと……も、もち先生?」
そう返すと彼女は少しだけ驚いたような顔をする。
何故だろう。彼女とは初めて話すはずなのに。名前だってお互い知らなかったのに。私にとってこの会話は当たり前のように心地よかった。
「安中小色ちゃん。じゃあ縮めてあんこちゃんですね!先輩と併せてあんころ餅だ!!」
突然隣の部屋からもう一人知らない女性が転がり出てきた。ベージュのパンツに緑のセーター。もちと名乗った女性と違って中性的ではなく凛とした雰囲気を感じさせる美人だった。
「みどり、いきなり現れて勝手にニックネームを付けるな。高いんだぞ。命名権」
「えぇ~でもぴったりなお名前じゃないですか?」
「それを決めるのはお前じゃないよ。」
言いながらもちは私の方を見る。
「良い」
「え」
「良いと思う。私は安中小色。だからあんこ。そう呼んでくれるの?もち先生?」
言いながら真っ直ぐもち先生の方を見る。
彼女は先ほどまでとは打って変わった驚いたような顔を一瞬したけれど、
「あぁ、確かに。良い名前だな。あんこ」
すぐに私へのあだ名を呼んでくれた。
素直に嬉しい。だって、あだ名は親愛の証だもの。そうでしょ?
起きて五分と経たないまどろみの中、私の心は甘く揺蕩っていた。