Act.0057.5:……ま、いいか
始まりがなんだったのか、はっきりはしていない。
一般には、2038年に起こった全世界規模の同時多発自然災害が原因と言われている。
その時に、何かが狂ったのだと言われていた。
そこからおかしなことばかり、起こるようになっていた。
それから十数年後。
まことしやかに噂されたのが、多発した「神隠し」の原因として出てきた、通称「トラントラン」という現象だった。
【トランス・トランスフォーメーション】
【トランス・トランスファー】
【トランス・トランスレーション】
どれが元の単語なのかはわからない。
そして、どれも解釈が微妙に異なる。
ただ、共通しているのは、「トランス」がキーになるということだった。
2038年に起こった自然災害以降、人類の脳に変化が起こった。
全人類の10人に7人の割合で、開眼時のベルガーリズム(アルファ波)の発生率が平均的に高くなったのだ。
そして、極度な集中状態になった時、ベータ律動をスキップし、ガンマ波(高ベータ波とみなす場合もある)が瞬時に強く表れる傾向が見られた。
その異常速波により、彼らはとんでもない集中力や運動能力、反射神経を見せたのだ。
だが、その度が過ぎると、脳波が突然、アルファ波に切り替わる。
そして、アルファ昏睡という状態になる……というのが「病気」としての説明だった。
しかし、そこに別の解釈がいくつか現れた。
異常速波からアルファ波に切り替わった瞬間を変性意識状態とし、その瞬間に表層意識が肉体から解放され、集合的無意識と一体化するというオカルト的理論だった。
この場合の集合的無意識は、個人的無意識につながり無限に分裂する世界でありながら、すべてひとつの普遍的世界でもある。
エゴの実現化と個性の確立という中で、共通の世界観が形成され、概念的世界が生まれるというものだった。
もっと簡単に言えば、魂が肉体を離れて、みんなの望みから生まれた世界へ転移するというようなイメージである。
中には、トランス状態が超常現象的な力を生み、肉体ごと転移するという主張もあった。
だから、行方不明者が多いという理由づけだった。
だが、実際に事件が起きても、なぜか詳細がよくわかっていない。
明らかに何かの力が、事実を操作しているのだが、それが明るみに出ることはなく、噂ばかりが広まっていった。
では、なぜこんな噂が出てきたのかと言えば、先のアルファ昏睡のような状態になりながらも、数十分から長くても1日程度で意識が回復した者たちが多数いたからだった。
そして、その者たちは口々に「別の国を見てきた」「異世界を見た」と言いだしたのである。
ただし、それらは決して、異世界で冒険者となって勇者となったり、チート能力でウハウハとハーレムを創ったりというような、具体性のあるものではなかった。
彼らは、本当に見ただけだった。
ある者は、空から俯瞰した世界。
ある者は、別人から見た世界。
ある者は、幻のようにはっきりしない世界。
ただ、夢と言ってしまえば、終わるような話ではあった。
彼らが見た夢の世界観は、果てしなく共通項が多かったのだ。
世代が興味本位で調べた「トラン・トラン」に関する知識は、こんなところだった。
正直、理解しているとは言い難いが、なんとなくわかることはある。
もし、この世界が「概念的世界」ならば、ここで出会った、いちず、双葉、ミカ、フォーも、もちろん他の人々も全員実在しない。
それっぽいことを言うなら、アニムスやアニマから生まれたイメージの影だ。
異世界人である、自分やクエだけが魂を持つことになる。
いや、本当にそうなのだろうか。
アニムスには「理性としての魂」、アニマには「生命としての魂」という意味がある。
どんな形で生まれようと、それは魂ある者に違いないのではないだろうか。
ならば、概念的世界であろうと、この世界は現実なのではないだろうか?
しかし、この肉体は本物だろうか。
今、【あずまや工房】に向かって走り、息を切らせて、年下のフォーにおいていかれそうになっている、この情けない体は実体なのか?
それとも、現実の体は元の世界にあるのだろうか。
その昔に世代は、コックピットのデザインを考えるとき、生命維持装置をつけることを思いつき、意識障害についても調べたことがある。
その時に知ったのだが、意識障害レベルを調べるのに、GCSという判断基準があるらしい。
もし、現実世界にある肉体が、このGCS3(深い昏睡状態)という状態ぐらいになっていて、意識障害患者として生命維持されていなかったら……。
要するに、肉体が死んだらどうなるのだろうか?
肉体が滅んでも、この世界にいる意識=魂は、切り離されて生きているのだろうか?
まるで哲学のような難しい問題を走りながらも考えた。
「…………」
そして、世代はひとつの結論を導きだす。
「……ま、いいか。ぎりぎりまでロボット作っていられれば」
「ん? なんか言ったか、マスター」
「いや、なんでもない。急ごう」
「想定内ね」
世代は足を止めず、走り続けた。




