3 二人っきりで案内しちゃダメですか?
――◇◆◇――
後ろから新藤さんが小声で話しかけてきた。
何でも、彼女は今日用事があったらしく、学園の案内ができないようだ。
その代わりに、ミシキくんにして貰うみたい。
ミシキくんか。
さっきは、本当に困っていたから助かった。
廊下側の方に目を移すと、3席分離れたところで、真面目に黒板の内容を写している。
あ、そうだ。折角だし、さっきのことを改めてお礼を言おう。
普通にありがとうでいい……かな。
あ、でも、もう少しいろいろ言ったほうが――。
そして、そのことばかりで頭いっぱいだった私に、身体から緊急信号が発せられる。
(――――っ!?どうしよう。トイレ行きたい!)
始めここにきてどうするかということばかり気にかけていて、忘れていた。
今考えれば、教室に入る前にその行為をする時間は十分にあった。
いえ、そもそもこの学園に入ったときにでも向かったってよかった。
なのに私は、その数々の可能性に目を向けずにここまできてしまった。
なんたる迂闊。
後悔した自分に酔っていては、状況が好転しないのも事実。
ならば、いつ行くか?いまじゃない!!
いきなりこの授業という時間に抜け出すというのは、よくわからないけれど禁忌的なものがするのはわかる。
どうしよう。もう、手詰まりだわ。
……いいえ。まだ活路はあるわ。
それは、授業の終わりまで耐え忍ぶこと。
この程度、今までにこなしてきた任務に比べれば容易いものよ。
シャロン。いい?これは窮地ではないわ。
時計を見る。
終わりの時間まで残り17分38秒。秒になおせば1058秒。
――いけるわ!!
ただ座して待つだけではいけない。
いまの私には足りないものが一つだけある。
それを補うべく、後ろの席の少女になるべく小声で話しかける。
「シンドウさん」
「どうしましたか?シャロンさん」
「ここから一番近いおトイレって……どこ?」
――◆◇◇――
ヒュン!!
ガラッ!タタタタタ!
授業が終わると同時に一陣の風が吹き、続くようにして教室の扉が開き、誰かが勢い良く飛び出す。
あんまりにも早くて、目で追いかけた先には誰もいなかった。
「すみません見識君。放課後は何かご予定がございますか?」
「ふえ?」
え?今の何?と呆けていたら、新藤さんに声をかけられた。
「特にないよ」
「それはよかった」
ポンと手を叩いて綻ぶ新藤さん。
「誠に勝手な話なのですが、本日私予定がありまして。放課後シャロンさんに学園の案内をお願いしたいです」
「いいけど、そのシャロンちゃん……は?」
当の本人がいないけど。
「了解はとってあります」
ボクの質問には触れずに、彼女は結論だけを教えてくれる。
「へ?そうなの……でも……」
いいのかな?このまま決めちゃって。
「見識君。あまり女の子のことを詮索してはいけませんよ」
ぴっ。
と、人差し指で唇を押さえられる。
「むぐ?」
「ふふ。では、失礼致しますね」
軽く微笑んだあと、教室の外へ出て行った。
新藤さんがいなくなった後。
あっさり話が進んでしまったので、あまり頭が追いついていないうちにOKしちゃったけど。
言われた内容を改めて考える。
シャロンちゃんと二人で、放課後の学園案内。
あれ?何だろう。凄くドキドキしてきたぞ?
そ、そりゃあ?
可愛い女の子だし、お話とかしたいなと思っていたよ。
まさか、こんなに早くそんな機会が訪れるなんて。
気構えの準備が全然揃っていない。あわわ、頭と心と身体のバランスが乱れまくる。
落ち着くのだボクよ。案内するくらい大丈夫だよ。
どうして緊張する必要があるんだ?何も命を代価にして、数億円単位のギャンブルに挑もうとかってわけじゃないんだよ?ただ転校してきた女の子に学園を案内するだけなんだよ。放課後に女の子と二人で……女の子と二人で、二人で……。
「あわわわわわわわ――」
「おい、どうした見識?」
「ひょえ!?」
怪訝そうな顔をした月岡に声をかけられて、めちゃくちゃにビビッてしまった。
「驚かせないでよ。月岡」
「何で呼びかけられただけで驚くようなメンタルになっているんだよ」
う……。言いたくない。
「まあ言わなくても、大体は聞こえていたからな」
う~ん。ご近所の席だと聞こえてしまうか。
「しょうがない。俺がいい場所を教えてやろう」
何か教えてくれるみたいだし、聞いてみようかな。
そう思い肯く。
「いいか?まずは保健室だな」
まあ。怪我したりすることだってあるし知っておかないとね。
「ベットもあるし、何より清潔さが確保されているのがいい。それと、放課後だったら保険医も会議に出なきゃいけないから、そこにうまく合わせられればラッキーだぜ」
ん?
「しかし、環境はいいんだがちょっと味気なさと時間帯によってリスクのムラが激しい。そういったことが気になるなら屋上だ。部活だってあるし、自分の時間を大事にしたいヤツはとっとと帰る。皆が皆、自分の青春を謳歌する中で、二人っきりの青春に戯れることができるぜ!」
ニカッっと素敵な笑顔を浮かべる月岡。
ぎゅーーーー。
この口は何を言ってやがるんだという思いを込めて、こいつの両頬をつねる。
「ひょいひょい。ひょっとひゃめ……あっやっぱりもっとお願いします」
何故途中できちんと喋れる!?どうして、これがご褒美扱いになるんだよ。
いや、いい。聞きたくない。
「かわいい子がジト目でさ~。黙ってほっぺた引っ張ってくるってさ~。切ないくらいに嬉しいんだ~」
本当にありがたいものを頂いたという笑顔を向けてくる。
「だから、聞きたくないってば!」
「ったく。日が出ている時間だっていうのに気分が乗ってきちまったじゃねえか」
「え?何、月岡。どうして首元のボタン外し始めているの?ちょっと、なんで近づいてるの?」
自分の表情が引き攣り始めているのが、鏡を見ていなくても分かる。
「俺を本気にさせちまったお前が悪いんだぜ?」
そう言って、こちらの頤を指先で上にクイッと傾け、
「見識……いや、瑠璃」
とか囁くように言う。
「ほへ?」
自分でも間の抜けた声を上げると同時に、
「瑠璃いいいいいい」
ガバーッ!!と月岡が抱きついて来てって……
「お前、本気で何考え……ちょ!?離せ……ひゃん!!おい!どこに手を突っ込んでいるんだああああああ」
もみくちゃもみくちゃ。
月岡の捕縛から抜け出すため、助けを求めようと周りを見た。
「これはいい絵ですわね~。美少年と美少ね……美少女がなんというか、なんというかですわね」
何故間違った方に言い直した。
「も、もう。何言っているのよ?お……男の子同士の友情ってやつでしょ。どっからどうみたって健全じゃないの……ゴクリ」
うん。君の台詞自体はおかしくないけど、どうして顔を赤くしながら手で目を隠しているのかな?そんで、指の隙間からこっちを見ているのかな?
「男同士が抱き合っているだけじゃねーか。こんなのどこが………………」
台詞を止める必要ないからね。君は男子なんだから、その先は否定の言葉を繋げてくれるんだよね?きっとそうなんだよね?ね?
「るりちゃんとつっきーが抱き合っていると、何だかわたしワクワクしてきたよー!」
そこでキラキラした目をしている三津屋さん。君はどうしてこういうときは、はっきり言うんだい?
教室内でおかしな空気が発生する。
なんとかこうにかどうにかして、収集をつけた。
「おいおい。機嫌直してくれよ~み~し~き~」
じたばたじたばた。
今日はもう関わらないでおこう。うん。
「さっきのは肌と肌を重ね合わせた愛情表現じゃないか」
「スキンシップって言おうね!」
今ここにシャロンちゃんがいなかったことだけが幸いだ。
そして、今日の授業が終わって放課後。
シャロンちゃんを案内する。
(案内ってどこから行こうかな?)
それにどう切り出そうか思いつかない自分が情けなさ過ぎる。
気負いすぎて変になっている。
「ミシキくん。この学校って何人くらい生徒がいるの?」
と思っていたら、意外なことにシャロンちゃんの方から話しかけてくれた。
「そうだね。一つの教室で30人くらいかな?それが6クラスくらいあるんだ」
廊下を先を指差す。
「だいたい一つの学年で180人くらい?」
「そのくらいかな?学年は3つだから600人にやや足りないくらいなはず」
「そっか。結構多いね。」
「どうだろう?一年はボクたちの学年よりは少なそうだから、全体はもっと少ないかな」
あんまり学生数なんて気にしたことなかったな~。
「ねえねえ。放課後になるとみんなどこに向かうの?直ぐに帰るんじゃないの?」
「残っている生徒は大抵部活かな?あとは、図書館で本読んだり、友達とダラダラしてたりする感じかな」
「部活動?」
「あれ?シャロンちゃんの国にはそういうの無いの?……そういえばシャロンちゃんの国って」
どこなの?と繋げようとしたら、
「あるわ!ちょっと名前の感じが違っていたから、理解が遅れたの。本当よ!ここにはどんなのがあるのかな?私、見に行きたいわ!すごく!」
「あ……う、うん」
何だろう。激しく何かを誤魔化された気がしたけど。
それより見に行きたいって言うしどこ行こうかな?
――◇◆◇――
廊下を歩きながらミシキくんのことを見る。
朝はあまりよく見えてなかったけれども、子顔で色白でかわいい顔。ううむ。これが男の子の肌であることに、やや妬ましさを覚えてしまう。
柔らかそうな髪には両サイドに変な曲がついている。この辺は無頓着なのだろう。毛並みがよさそうなだけに勿体無いと思ってしまう。
私と同じくらいの背丈かな。同世代の男子は私より背が高いから、会話するとき首が疲れる。
彼なら、そういうことが無くていいわ。
あと綺麗な手。
これがさっき引っ張ってくれたんだな~と、しげしげ見る。
ああ。そうだ。
「さっきはありがとう」
突然何のこと?とミシキくんは首を傾げる。
さっきといっても時間もたっているから、仕方ないか。
「朝のことだよ。ミシキくん。私のことを席まで引っ張ってくれた」
そう言われて気づいたらしく。顔が赤くなっていく。
「あ……えっと。その。ごめん勝手に手を握っちゃって」
「?」
何故謝るのか、何故照れ始めたかはあんまわかんなかったけど。ま、いっか。
その後、幾つかの施設を回った。体育館。美術室。音楽室。保健室。実験室と、その他いろいろ。
大体は回った。そして、私は授業の途中から感じていた違和感を持っていた。施設を回っているときも、なきゃいけないものが無い。いや、そもそもそれ自体ないことになっているみたいに。
だから途中からおかしいと思い小型の装置で測定していた。
そして、そこに表示された数値を見て私は――愕然とした。
だから、私はどうして真っ先にそこに行かなかったのかと。
想像以上に私はこの状況に浮かれていたのか?まさか。
「ねえ。本とか置いてあるとこ知らない?」
「あ」
彼自身も案内に抜けていたことに気づいた。
ただ、私はそんなことを気にしている余裕はなかった。
――◆◇◇――
シャロンちゃん急にどうしたんだろうか?
今までとは違い。どこか鬼気迫るような感じだった。
凄い読書好き?な訳はないか。あまり冗談が言えるよな状態じゃない感じだし。
「それじゃ図書室に行こうか」
図書室に入るやいなや。幾つか見た後。納得するものが見つからなかったらしく、途中から弾けるように走り出す。え!ちょっと!?
「シャロンちゃん!図書室は静かにしないと……」
海外の人は行動力があるというイメージを持っていたが、まさかこんなところで目の当たりにするとは……あ。いやいや。止めないと。
ここを利用している人数こそ多くはないが、その全員の注目をよくない感じで集めてしまっている。これはよろしくない。
教室3つ分の広さを持つここを、走る彼女。
「シャロンちゃん待って」
全然追いつけないボク。どうして本棚が入り組んでいるここを、レーシングカーがサーキット場を駆け巡るが如く走れるの?
速いというか、速過ぎる!
あの滑らかに横滑りするようなコーナリング。計算されたかのような加重移動。ただ単に走り慣れたコースだからではない。そもそも彼女はここが初めてだ。ここのコースの癖だって知らないはずなんだ。
なら、これは何だというのだ。
恐れることなく直角に突っ込む。あれを減速することなく曲がるというのか?そんなことをすればコースアウトは確実だ。そんな命知らずなことを誰がするかと、この話を聞けば全員が冗談だと笑い捨てるだろう。
だがそれを、先程から当然のように彼女はこなしている。
更に言うなら、ランダムに配置された障害物(学生)がいても滑らかに華麗に避けていく。
フェアリーライン。妖精だけが翔ることが許された究極のライン取り。あれを実現できるという人間がいるというのか!?
そんなことを本気で思い、何か小難しいなんちゃら理論がどうのこうのと解説しなくてはいけない気がしてきたけど。
そんなことは必要なく。
突発的追いかけっこは彼女が止まることで終わった。
そこはラノベコーナーである。
まあ、ボクら学生は図書室といったら基本ここしか用は無いし(偏見)
そして得心する。
彼女は外国人だ。この国の漫画やゲームは海外じゃやたら人気なこともニュースで言っている。彼女にとって、学校の図書室にラノベが置いてあるか無いかは最重要事項なのだろう。
うんうんナルホド。これで彼女が切羽詰って図書室を駆け巡るような常識を無視した行動もナットクガスルッテワケダー。そうだよね。図書室にラノベが置いてないとか困っちゃうもんね。よし。それじゃあ何かお勧めを紹介してあげよう(キリッ)
………………なわけないね。
「ねえ?ミシキくんこれ……」
深刻そうに、震える手でそれを見ていた。
可愛らしい魔法少女が表紙の本。
近くに『若くて美人の司書さん超↑↑おすすめ!激萌え魔法少女ラノベ!』書店に負けないポップが添えられてあった。『今日も全力全壊なのか?』と決め台詞とイラストも描いてあった。
「ああ。これね。『魔法少女なのか?かのか』っていうアニメやゲームにもなった魔法少女ものだよ」
気づいたら魔法少女になってしまった少女、かのかが。可愛い外見には似つかわしくないほどの渋くて潔い台詞で、事件を起こした相手は一度倒し、よく分からないお説教をして仲間にするという武闘派ストーリー。語尾に「―のか」という特徴が……
「魔法」
話の内容なんてどうでもいいといわんばかりに彼女はその一単語だけに注目した。
「ん。ああ。魔法でのバトルシーンとか見ごたえあるんだよ。小説だけだとちょっと分かりにくいけど。アニメだとわかりやすいんだ。実際にありえないものを、描いてくれるアニメ製作の人たちは凄すぎるし偉いと思うよ!」
「そう……実際にありえないんだ」
そう聞いた彼女は、落胆と納得が交じり合ったような表情を浮かべた。
「どうしたの?シャロンちゃん」
ただそれは一瞬のことで。
「ん。なんでもないよ」
声をかけると、表情を戻したシャロンちゃんは、
「あと。今日はいろいろ教えてくれてありがとね」
そう言って。彼女はボクが返事をする間も無く帰ってしまった。
――◇◆◇――
返事を待たずに去ってしまったのは失礼だとかそれにかまけてはいられなかった。
何かおかしいと思った。何か大きく変だと思った。
そして、やっぱりそれは勘違いではなかった。
「この世界には、『魔法』が無い」