2話 魔法の使い方
やっと痛みが身体に馴染んだのは少し後のことで、激痛は鈍痛に変わり、刺す痛みはかゆみのようにひりひりとした痛みに少しずつ変わっていった。とにかくこの傷の手当てをする為に荷物ウィンドウを開くが、ヒットポイントを回復するアイテムはいくつかあるのに、肝心の包帯といった物がないことに気がつく。
ゲームでは攻撃を受けるも回復するのもそれが影響したのは全てヒットポイントだった。では現実の世界ではどうか? ヒットポイントなんてものは存在しないし、軽く身体を傷つけただけでも悶えるほどの痛みが襲いかかり、治るにも時間がかかる。確認のためとはいえ、そんなことも失念していた。
ではどうしようかと俺は模索する。ベッドのシーツを破って傷口に巻くか? それとも布製の装備を引っ張り出してそれを巻くか? そんな現実的な方法を考える束の間、そう言えば、今俺の身体になっているこのアバター『メルゥ』は魔法技能を扱う職だった事を思い出す。要はヒールの魔法を使って傷を癒せるのではないかと言うことだ。
試しに俺は魔法を使ってみるため、腰に差してある鍔に白馬の装飾が施された銀色に輝く魔法の短剣『白銀のダガー』を杖の代わりに使って腕の傷に翳し、ヒールの魔法の呪文を唱えた。
「"聖なる加護のもとに、私を癒せ"」
そうして、10秒が経過した。
……何も起きなかった。
「? おっかしいなぁ……」
ゲームではこれで魔法は発動したので、少し戸惑う。なにかコツでもいるんだろうかと考えて、試してみたが、まるで反応はない。
これは根本的に何かが違うと考えた俺は、一端魔法の事は諦めて荷物内の物でどうにかしようと考えて、一つのアイテムが目に止まる。
『初級魔法指南書』。5大国の一つである『魔法発祥の国マギア』にある魔法協会に所属する新人魔法使いに配布される書物……という設定で、マギア国民且つ魔法使いで始めたプレイヤーにのみ配布される魔法の使い方が書かれたアイテムだ。ゲームでは例えば『ファイアアロー』などの射撃魔法なら杖などの魔法触媒を向けた相手に魔法が飛ぶようになっているのでそれの説明や、ヒール等の自他治癒魔法なら他人になら射撃魔法と同じように、自分になら天に掲げて呪文を唱える動作の説明等、大体脱初心者レベルになってくると効率優先の為に省略される事が多い、魔法を使うための本当に基礎的な動作が書かれている。
しかし、この指南書は開くと、
『この先に書かれているものは、この世界の内容を別の世界から来た貴方達に分かりやすく翻訳されたものであり、実際にこの本に書かれているものとは違う事が書かれている個所があります』
と言う、どの書物でもこの前置きが書かれたウィンドウが必ず現れ、後はウィンドウ越しに内容を見ることになる。つまりは実際にこの本を直接読んだことは1度もないのだ。
もしかしたら、この世界での魔法の使い方が書いてあるかも、そう思って、荷物の中からこれを取り出すと、分厚そうな本が荷物の中から現れ、さっそく本を開くが、ウィンドウは現れなかった。
いよいよこの世界の魔法が分かるのかとドキドキしながら本を読み進めようとして、ふと思った。
「……これ時間かかるな」
仕方ないので腕の傷の方を先にベッドのシーツから包帯として拝借し、それで応急処置を施してから読むことにした。
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読み始めて大体10ページは概要やらこれを書いた理由うんたらだったのでそこは飛ばして、4章の『堅実的な魔法の扱い方』を読んだ。内容はいたってシンプルで、何が重要で、それには何が必要で、それの典型的な例が書かれていた。
まず魔法を使うための一番重要なものは、自分の中の魔力の流れを感じること。そして魔力の流れを確認し、使いたい魔法の為にその流れを変更する事。呪文詠唱や身振り手振りはその為の物で、無意識的に魔力の流れを変更するためにあるらしい。
そして肝心の魔力の流れを感じる方法は、万国共通で『瞑想』らしい。
そんなんでいいの? それを見て最初に思ったが、まあ試しにやることにした。
「これでいいかな?」
所謂日本の僧侶がやる座禅を模して、ベッドの上で足を汲んで、早速心を研ぎ澄ますことにした。
……無音、ではない。
かすかに響く、外の街の音、下の酒場の音。活気のある音だ、人が何人もいて酒を楽しんでいるのが分かる。鳥のさえずりがたまに聞こえ、遠くのどこかにある市場の活気のある人の声がここまで響く。
耳が際限ないほどの音を拾ってくる。しかし、だからこそなのか、それがとても心地よい。
まるで水の中に森があって、流れるままに流れ、それらを身体全体で聞きとるように。
すると……?
「……?」
びりっと、ふと、かすかな電気が身体を走るのを感じた。それはどうも心臓の音のような、呼吸の音のような、生きているのかと思うような生命の息吹の感じがする。
これが魔力? そう思った俺はそれをもっと深く掘り下げるように集中する。そしてもっと大きくそれが聞こえる。
あとはそれを繰り返すように、深く、深く、深く、深く……。
やがて、目を開くと、そこはまるで深海の底のように上も下も右も左もわからない真っ黒い場所に俺はいて、目の前には蒼黒い光の球体があった。眩しくはなく、深みのある青い淀みのような光だ。
直観的に、それが魔力の塊であることを悟った。これが魔力の深淵。人の持つ魔の結晶とも呼ぶべき深みの光。そしてそこから流れていく魔力の激流。まるで地下から沸き出た山の水が、下の方へ流れていくようだ。
「……なるほど」
全部わかる。この深淵を見て、どこに流れるのかと、どこを流れるのかを、手に取るように。理由などない。
「……戻ろう」
ここでの要は済んだ。俺はこの場所を後にして、元の場所に戻ることにした。
「……ふぅ」
目を開けて、今度の目覚めは先ほどと違ってほどよくすっきりとしたものだと感じた。
夢を見ているようで、だがしっかりとその内容は覚えていた。人に流れる魔力の大元を探り当て、そこからどこに流れるかを探った。それはどこへ行き、どこを通るか、それもはっきりと覚えた。尋常ならない不思議で新鮮な感覚だったことも覚えている。そしてそれはおそらく、魔法を使う上で絶対に忘れてはならないだろうということも。
「……よし」
試しに魔法を使うことにした。さっきと同じヒールの魔法だ。
処置を施された腕の包帯を取り払い、未だ塞がらずにある傷を出す。俺は先ほどと同じように『白銀のダガー』を抜いて、腕の傷に翳した。そして今度は深みに入るように力を抜いて、呪文を口にした。
「――"聖なる加護の元、私を癒せ"」
するとどうだろう、翳した短剣から淡い緑色に光るオーラのようなものが現れ、それが傷に触れると、傷にぴくりとしたかゆみを感じながら、やがて傷が閉じて跡形もなく消えていった。
「……できた」
深みから立ち戻った俺は、改めて認識する。
俺は魔法が使えるようになった。……ほとんど、感情的な変動が起こることはなかったが。