1話 目覚め
「――は!?」
俺は、唐突に目が覚めた。あの苦痛の時から解放されたかのように。
死んでいないのか? そう思って周りを確認し、とある一室にて眠っていた事を確認する。
まず、ここは俺の部屋ではなかった。俺の部屋には窓が、入口から入って右側の壁と前の壁の二つあるが、ここには左側の壁にしか窓がない。それに家具の配置も全然違っているし、何より家はどこにでもあるような普通の家で、こんなログハウスのような部屋じゃない。
そしてなにより、この部屋は『ヌイの世界』にて、メインキャラクター『オルフェン』とは別に新規に作成したサブキャラクター『メルゥ』が、最後にログアウトした場所だった。
と、言うことは……
「……ログインできたのか」
そう言って、声もしっかり変っていることに気づく。胸の膨らみがあり、男なら絶対にある局部のアレがなく、部屋にあった化粧用のハンドミラーを見て、ピンク色の髪が特徴的な、セミロングの少女が移っていることも確認する。
しっかりと、俺はログインに成功し、その身体は俺がメイクしたキャラクター『メルゥ』の身体なっていた。
「とりあえず……一段落か」
ようやく俺は安堵できた。一時はどうなる事かと思ったが、俺は問題なくログインに成功し、俺の五感は今ここで活動出来ている。
だが、一段落はしたものの、気を抜くのはまだ早い。ともかく、今後ログイン時の障害が起こらないよう、一度ログアウトして周辺機器のメンテナンスを行う必要があると俺は考えた。失費が嵩むが、まあしょうがない。
「"開け窓"」
俺は手を前に翳し、そう唱えると、『メルゥ』の中指に填められていた指輪型端末からウィンドウが現れた。これでゲーム内の設定やログアウト等の操作が行える。
俺はそこからログアウトの項目を探すが――
「……あれ?」
ない。ないのだ。ログアウトのコマンドが。
と言うか、グラフィック密度や音声の設定をいじる為のコンフィグの項目すべてが、ウィンドウから消えていたのだ。
「これ、もしかしてさっきの不具合の一部か?」
マジかー……。これはちょっとしんどいぞ。
こうなってくると、ゲーム内にいるユーザーでは自己解決は非常に難しい。ログイン時、脳から伝わる身体への命令はすべてこちらに送られている為、外にある身体はトランス状態になっており、外部の操作は自分ではできなくなる。そうなると後はGM頼りになるが……。
「今19時だから……後1時間か」
GMコールの受付は平日は午後8時からなので、後1時間ほど待たなければならない。あの不具合の事もあるのでできれば早くログアウトしたいけど……。
「……南下の為の準備するか」
ログアウトできない以上は仕方ないので、俺は今日やるはずだった予定の準備を進めることにする。とりあえずはこの部屋を出るために寝間着だった服装から、いつもの装備に着替える。
装備画面、荷物画面を開いて、荷物画面にある防具アイコンをタッチ&ドラッグで装備画面の防具枠に持って行く。すると肉体の方でも変化が起こった。寝間着のキャミソールは吸い込まれるように鞄の中に消えていき、代わりに鞄の中から吸い出されるように光が現れて、そしてそれは俺が選んだ防具を形作り、『メルゥ』の身体に纏われた。
この動作を上から頭・胴体・腕・脚・足の五つに行う。すると先ほどまでの可愛らしいキャミソール姿だった『メルゥ』のアバターが、冒険者と魔法使いを足して2で割ったような、凛々しさと可愛らしさが両立したかのような冒険者の姿になった。
ちなみに、女キャラにしたのは確かに下心もあるが、それ以上にこのゲームにおける魔法職は、女性キャラの方がMPが多く燃費が比較的良いからだった。元々男キャラでプレイしていた際はMP総量と燃費で随分悩まされていたので、どうせサブでも魔法職やるなら女性の方が良いだろうと言うことでそうしている。実際、男キャラの時の悩みは吹っ飛んでしまったので、メインは戦士職にするか女にすればよかったと後悔しているし、女体をインナー込みだが自分の物として堪能することもできるという点や、あまり綺麗なものではないが女性キャラで愛想よくしているとパーティなどにも誘われる事が多い。はっきりいって役得だ。
さて、服を引っ張り出して着替えるだけの作業も終わり、俺は部屋から出て、下の酒場の方に降りた。
すると、
「う……くっさ!?」
1階に充満する強烈な異臭が鼻に突き刺さった。
(これもしかして全部お酒? いやタバコもにおいもするな……。どんだけ飲んだんだよ……)
見ると、どうも大きな宴会が開かれた後のようで、そこらじゅうに散らばっている空のボトルや、灰皿の無数の吸い殻、雄々しく立派な鎧を纏った男どもが耳を劈くほどのいびきをかいて寝ていた。
どこかの高難度のダンジョンをクリアした後なのだろうかと、そう思っていると、
「あら、おはようございます冒険者さま」
「ああ、おはようございます」
この酒場の従業員である際どいウェイトレス服を着た綺麗な女性にあいさつされた。このゲームではNPCにあいさつされることはままあることで、よく出来たAIだと思っている。
そして話を聞くと、どうやら北の方の国境付近で戦闘があったようで、ここにいる兵士たちは援軍として出向き、今その帰りにここで祝杯をあげていたらしい。この様子を見るに勝利を収めたようで、大変な後片付けの割に合う十分な料金をもらえたので、こちらとしては満足しているらしい。
まあ、俺としては実に不快だが、全員ネームが表示されないのでおそらくNPCの行動の一つだろう。マナー違反にもほどがある。このようなプレイヤー側を不快にさせるようなことは今までなかったはずだが……。
「……ん?」
とそこで俺は、唐突に、違和感を感じた。臭いだ。
おかしい。『異臭』に分類されるデータがここまで刺激の強い物なわけないのだ。本来不快に思われるそういった物はクレーマーの恰好の的なので、サンプルで取る時点から比較的マイルドなものをデータ化して、その上で刺激の強弱を設定する。その為リアルなまま反映している所はどこにもない。
(ならアップデート? ……んなわけないよなぁ)
このゲームのアップデートは、基本的にイベントなどの、運営側がゲーム内に介入し、内容に関わることは絶対にしない。あくまでプレイヤーの行動次第で変化する世界を舞台にしている為だ。だから大抵、解像度などの設定関連のアップデートしかしないので、あるとすればそこだろう。しかし、さっきと同じ理由で意図的にする理由が分からない。
なんでだろう? そう思って、思い到ったのが仮想空間に於ける『現実の完全再現』という途方もない夢を語る噂だった。
所謂仮想世界に現実世界と同等以上の情報量を与え、サーバー内に新たな世界を創造すると言う胡散臭いものだが、それは現在先進国が国を上げて開発が進んでいる量子コンピューターさえ上回る処理速度がなければ到底実現不可能とされている為、一企業がそこまでの技術力を持っているとは思えない。
では、ここはどこか? やっぱりゲームの中? それとも……。
思い当たる節を見出した俺は、一度部屋に戻ることにした。
……そして、自分の腕を切り刻む所に至った、と言うわけである。