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君と夜空と花の色

作者: 想田 紡

「5、4、3、2、1」


花田灯(はなだあたる)がカウントを終えて、指をパチンと鳴らした。神野照(かんのてる)の後ろに

ドォンと音が鳴り響いた。照はすぐに振り向き、上を見上げた。満開に咲いた花のような大きな花火が、2人を光で包んだ。

「きれい…すっごい!ほんとにきれい!おっきい!おっきいねあたる!」

照は両手を広げて言った。

「ははっ、はしゃぎすぎだよてる!今回のは自信作らしいかんな!正直おれも驚いてる」

「ねぇ、これの名前は?」

「刹那。父ちゃんが言ってた」

「せつな?どーゆーいみなの?」

照が首を傾げる。

「あっという間ってことだよ。花火と一緒だろ」

照はぽかんと口を開けたままだった。

「父ちゃんはそんな、あっという間に消えちまう花火一発を何時間、何日もかけて作ってんだ。すげーだろ」

そう言い、灯はにこっと笑った。

「うんっ!すごい!かっこいいね灯のおとうさん!」

「俺も父ちゃんみてーなすげー花火師になるのが夢なんだ。いつか作りたい、今日の刹那よりもでっけー花火。そしたら照に1番に見せてやるよ」

「ほんとに!?約束だよ!」

照が右手の小指を差し出した。灯も右手の小指を合わせ、照の手をぎゅっと握りしめた。

「あぁ、約束だ」

ふと丘の上から灯の家を見た。あっ!と灯は声を漏らした。灯の家の明かりが点いていたのだ。

「やべぇ、父ちゃんに怒られる」

そう言いながら、灯はにひっと笑った。不安そうな顔で灯を見つめる照の頭を掻いた。

「心配すんな、大丈夫だよ。じゃあ気をつけて帰れよ、また明日な!」

そう言うと灯は丘を走り抜けるように降りていった。照も灯に手を振り終えると、丘を降りることにした。それ以来7年間、灯には会っていない。



[1]



「神野ー神野照ー。なんだ遅刻か」

担任の青島が出席簿を片手に名を呼んだ。

「はいっ!来てます来てます!ていうか今来ました!」

照が教室に駆け込んできた。

「お、なんだギリギリセーフだなー」

はぁー助かった。声を漏らしながら照は席に着いた。

「おはよっ照。相変わらずギリギリだね」

隣の水瀬千佳(みなせちか)が話しかけてきた。千佳とは小学生の頃からの付き合いだ。

「アラームが本当に鳴らないの最近。まあそれ以前に起きろって話だけどね」

「まあ青島だから大丈夫だよ」

「それもそーだね」

そう言いながら2人は青島の顔を見た。淡々と出席を続ける青島は、あまり細かい事で怒るタイプの教師ではなかった。

「よし、渡辺まで全員呼び終えたな。いきなりだけど、今日は転入生が来てる」

えー!と教室に声が飛び交う。

「先に言っておくが男子の転入生だ。そう肩を落とすな男子」

「男子だってさ照」

ざわつく教室の中、再び千佳が口を開いた。

「別に興味ないよ。せっかくウチのクラスの生徒数偶数だったのに奇数になるのが残念なくらい」

「なにそれ、どこを客観的に見てんのあんた」

「はーい、静かにしろ。入りづらくなるだろ。暖かく迎え入れてやれ。ーーーじゃあ入ってー」

青島が言った。

ドアが開きその男子が入ってきた。背が高く、髪が長い。彼は重そうに顔を上げた。照は息が止まりそうになった。照の頭に花火の音がフラッシュバックした。

稲村灯(いなむらあたる)くんだ。昔はこの辺りに住んでいたらしいんだが、ご両親の仕事の都合で一度離れた。そしてこの春、帰ってきたそうだ。ーーーじゃあ一言頼もうかな」

青島が目で合図を送った。稲村灯はこくんと頷いた。

「稲村灯です。よろしく」

ぶっきらぼうな挨拶だったが、照の耳には届かない。灯。あたる。名字が違うが、あれは灯だ。灯が帰ってきたんだ。

「あたるっ」

ガタッと音を立てて照は立ち上がった。教室中の目線が照に集まる。

「あたるっ照だよ!神野照!」

「なんだ神野知り合いだったのか。そうか、よかったな稲村」

「いえ、覚えてないです。多分人違いかと。ーーー席あそこでいいですか?」

稲村灯が左奥の空席を指差した。

「ん?なんだそうか。あぁ、あそこでいいぞ」

照は稲村灯の言った言葉の意味がよくわからなかった。あれは灯だ。間違いなく花田灯だ。でも何故だか、遠い存在のような気がした。2人の類似した人物が、この世に存在しているような感覚になった。

さっきは鮮明に思い出せた花火の音が、今度は思い出せなかった。



午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、昼休みに入った。稲村灯はすぐに女子たちに囲まれていた。転入生なんてものは最初はだいたい質問攻めから入るものだ。そんな中、群がる女子達をかき分け、お前らうるさいっ!と声を荒げたのは、岡崎太一(おかざきたいち)だった。

「ったく、昼休みは飯食う時間なんだから黙って飯食っとけ!それに、稲村は購買に行くからこっから出たいの。ほらわかったらさっさと退散する」

しっしっと岡崎は女子たちを払うようにどかせた。

「さんきゅう、えっとーーー」

「岡崎!岡崎太一!太一でいいぞ」

「あ、さんきゅう岡崎。でも何で俺が購買にいくってわかった?」

「普通昼休みだったら真っ先にみんな弁当箱広げるのによ、財布握りしめてたから誰でもわかるだろ」

そう言い岡崎はにひっと笑った。スポーツ系のガタイに短髪、白い歯がこちらを覗かせた。

「ふーん、じゃあついでに購買案内してよ」

「おう、任しとけ」

そう言うと2人は教室の外に出て行った。


「なになにどーしたの照。興味ないとか言いながらもいきなりあたるっとか呼んじゃうし、興味津々じゃん」

コーヒーとパンを交互に口に入れながら、千佳が言った。

「違うそんなんじゃないよ。しかも、本当に知ってる人だったの。でも、もうわかんない」

「私が1番よくわかんないわ、どーいう事なの」

「もー。うるさい。千佳のばか」

「はいはい」

照はそう言いながら机に倒れこんだ。小学生の頃の灯の笑った顔ばかり頭に浮かんでくる。


「なぁ灯。朝の神野何だったんだろうな」

太一がコーヒーを片手に言った。

灯はいきなり下の名前で呼ぶのかよ、と言いかけたが口をつぐんだ。

「え?あぁ、わかんねーよ。ほんとに知らないからな」

「覚えてないって可能性は?」

「んなもん」

そこまで言って灯は再び口をつぐんだ。

「それもわかんねーよ」

そう言うと灯は少し歩くスピードを早めて教室に入っていった。


結局その日は1度も灯と話す事はできなかった。話しかける事ができなかった。千佳と別れた照は、1人帰路についていた。

本当に覚えてないのかなあ。そんな考えも浮かんできた。1つ目の角を曲がったところで、同じ制服の男子が視界に入った。背丈、髪の長さ。そして忘れるわけない、あの日最後に見た後ろ姿。灯だった。

「あたるっ!」

照は駆け寄り、声をかけた。ゆっくりと灯が振り向く。

「またお前かよ。何か用?」

あの頃の優しい表情はそこには見えなかった。

「あの、本当に私の事覚えてないの?それとも覚えてないフリしてるの?灯じゃ、ないの…?」

「花田灯はもういないよ。お前の前に立ってるのは稲村灯」

耐えられなかった。照は灯から目を逸らし、足早に歩き出した。灯を追い抜かした。

「5、4」

灯が呟いた。聞き慣れた声だった。

「3、2、1」

灯がパチンと指を鳴らした。同時に照が振り向いた。

「ふはっ、お前振り向いてんじゃねーよ」

一瞬、灯があの頃のように笑った気がした。

「悪かったな照。覚えてないわけじゃない。お前の事、忘れた事なんてない。ずっと会いたかった、照」

今度は間違いなく、あの頃の笑顔だった。

「あたる…私も会いたかったよ」

「バーカ。泣く事ねぇだろ」

そう言うと灯は照の頭を撫でた。

「ただな、照。この話はこれで終わりじゃないんだ。3年前、母さんが死んだ」

唐突に打ち明けられた真実に、頭が追いつかなかった。灯の手は照から離れていた。

「母さんは精神病だったんだ。それで大きな病院に移した方がいいって。この街から出て行く事にした。でも母さんは死んじまった。だから俺は母さんの旧姓の稲村に戻したんだ」

灯の表情が強張っていくのがわかった。照は言葉を失っていた。よく通るこの道には、小さな公園がある。ブランコがゆらゆらと揺れているのが目に入った。照は自分とその姿を重ね合わせた。行き場をなくしたような気がした。

「俺だけでも、母さんと一緒に生きてく。そう決めた。だから悪い、照。俺の中に昔の俺を探すな。

んなことしたって、俺はもう花田灯には戻れない」

灯は涙目で語りかけた。照は何かを悟ったが、これだけは聞いておかなければと思った。

「花火…は…?」

「あんなもん、二度と見たかねぇよ」

淡々と語った灯は振り返り、歩き出した。その後ろ姿は子供の頃に灯が見せてくれた花火、刹那に消えたあの大きな花火のような輝きはないように思えた。花火が消えた後の静かな夏の夜のように、灯の姿はすぐに見えなくなった。



[2]


「ただいま」

「おう、帰ったか灯」

灯の父 (ともる)は今日も作業着を見に纏い工場に座っていた。

「タバコ…また吸ってんのかよ。母さんが死ぬ前はやめてたろ」

灯がテーブルの上のタバコを指差した。

「ん?あぁ、癖だよ癖。人間一度始めたもんをやめるなんてなかなかできやしねぇからなあ」

燈がタバコに火をつけた。

「ここで吸うのはやめろよ、和剤についたらどーすんだよ」

「ははっ、お前もよく覚えてんじゃねーかよ。和剤なんて言葉よく頭に残ってたな」

そう言いながら燈はまだ長いタバコの火を消した。

「うるせぇよ。それと、ここの星が甘いだろ。手抜いてんじゃねぇよ」

そう言うと灯は階段で2階に上がっていった。

星と言うのは花火の中にある火種のようなものであり、灯に指摘された部分を見てみると、確かに接着が甘かったが、よく目を凝らさなければわからない僅かなズレだった。

「クソガキが…」

そう言いながら燈は笑った。


灯は今でも思い出す。母 智子(ともこ)が亡くなった日の事を。当時中学生だった灯が学校から帰ってくると、智子は灯の部屋で首を吊っていた。その日は学校からまっすぐに帰る約束をしていた。でも灯はやっとの思いで先生が手に入れてくれた花火の本を読むのに夢中になり、帰りが遅くなった。智子は約束を破った灯に苛立ち、そして恐怖を覚え、首を吊ったんだろう。灯は家に帰り、燈を責めた。何で気付かなかったんだ、何で止められなかったんだ。

工場で花火をつくっていた燈はなかなか家には戻らない。いつも早くに出て戻ってくるのは夜遅い。

燈を責めても何も変わらないことはわかっていた。

でも、何もできない自分への怒りの矛先を、どこに向けていいのかわからなかった。燈はただただ謝り続けた。俺のせいだと豪語した。興奮した灯はこんなもん作ってんじゃねーよ!と作りかけの火玉を蹴った。その姿を見た燈は灯の頬を叩いた。

その後燈は何も言わず、散らかった星を片付け始めた。

「お前がこんなもん作ってるから母さんは死んだんだろ!」

灯が放った一言が2人の空気を一変させた。灯はそのままその場を去ってしまった。その日から2人の間には、目には見えない壁ができてしまったのだ。



「え?本当に知り合いだったの?」

千佳が覗き込むように訊いてきた。

「だから言ってたじゃん最初からそうやって」

あれから1日が経っていた。灯はクラスに溶け込み、すでに人気者になっていた。

「複雑な事情だなあとは思うけどさ、照それでいいの?」

「どういう意味?」

「ずっと好きだったんでしょ?少なからず稲村だって照のことずっと想ってたって言ってたんでしょ」

核心をつくような質問に思わず顔が歪んだ。

「そうだけど、私が踏み込んでいいのかがわからない。なんか、違う世界にいるような気がしてさ」

「そんなこと言ったって、こっちに戻ってきたってことは、やっぱり照の存在が大きいんだよ。照にとっての稲村と同じように」

「千佳…やっぱり君は親友だよ、うん」

「違和感しかないからやめてその喋り方」

とにかく!と千佳が仕切りなおした。

「ちゃんと喋ってきな。そうじゃないと何も変わんないよ。稲村が抱えてるもん全部、あんたがそれごと好きで居続けたらいいだけの話でしょ?」

「うん、わかった。千佳の言う通りだよ」

「よし、元気出せ!」

千佳が手を差し出してきた。2人は何か事あるごとに気合いを入れるためにハイタッチをしていた。

照がふふっと笑いながら、ハイタッチを交わした。

パァンと大きな音が鳴った。


「何あれ?」

灯が2人を指差して言った。

「ん?ああ、あいつら何かたまにしてるぜ、ハイタッチ。よくわかんねぇけど何か気合い入れたいんじゃねーの」

太一がパンを食べながら答えた。

「気になる?」

「やめろその顔すごい腹立つ」

「冗談だよあたるちゃん〜」

「うっせえわ」

太一はニヤニヤしながら灯を見た。

「でもやっぱりお前ら何かあんだろ、俺にはわかる」

「何だよ何かって、根拠は何だよ」

太一はコーヒーを飲み干してパックを片手で握りつぶした。

「単純な事だよ灯くん。お前今日目で神野追ってたぜ。自分でも気づかないうちにな」

灯の眉がピクッと動いた。

「気のせいだよ。お前はあれだ。ドラマの見過ぎだ」

「んなこと言ったってさあ、身体は正直なんだよ灯。やっぱり神野の事知ってんだろお前」

どこまでも核心を突くやつだと思った。どうやら目で追っていたのは本当らしい。

「まあ大体は察しがつくけどな。お前と神野は小さい頃からの友達で、何も言わずにお前が転校。そしてまた何も言わずにこっちに戻ってきたって感じかな」

灯は末恐ろしいやつだと思った。いや、今恐ろしいやつだ。

「岡崎、お前探偵になれるぜ」

「はは、ドンピシャかよ。自分でも不思議だ。灯には何か人を惹きつける能力がある」

「聞かないのか。何で黙って転校したのか」

「まあ知りたい気持ちは強いけど、お前が話したくなったら話してくれよ」

意外な返事だった。

「男は待つもんだぜ、待たせるんじゃなくてな。だから灯。神野の事待たせんなよ」

そう言い、太一は灯の胸を叩いた。

「何かお前今日、すげぇ語るな」

「臭いか?」

「いや、ありがとう太一」

そう言うと灯はにこっと笑った。初めて見せた灯の笑顔は何故か太一の目には悲しげに映った。

「初めて名前で呼んでくれたな」

こみ上げる想いを悟られるぬように、そっと呟いた。




「花火大会?」

灯が手を扇ぎ、あちぃと言いながら聞き返した。

「そう!夏の風物詩と言えば花火だぜ!」

太一が椅子の上に乗り何やら叫んでいる。

(まだやってんのか、あの花火大会)

幼い頃から、よく父の姿を見に行っていた。花火師である父にとっては年に一回の一大イベントだった。大きく咲く一輪の大花火、菊先から、細かく何度も咲く千輪まで、一気に駆け抜ける。母が死んでから何となく避けていた花火だったが、あの興奮は忘れようにも忘れられない。

「んで!それに神野達を誘おうと思ってんだ」

太一が灯を指差して言った。

「お前馬鹿か?あれ以来喋ってねーんだよ行けるわけねーだろお前馬鹿だろやっぱり馬鹿だろ」

「おーい神野ー」

「って人の話を聞けよ!」

太一は足早に去っていった。灯は机に顔を伏せた。

何故だかわからないが、太一の馬鹿野郎と思う気持ちと心のどこかで少し嬉しく思っている自分もいた。そんな思いの葛藤をかき消すために何度も首を振った。

(都合良すぎんだろ俺)

空になったコーヒーのパックをゴミ箱に投げたが、入らなかった。


「うん、わかった。じゃあ19時に星雲公園ね」

照に向かってよろしくっと言い、太一は去っていった。

「よかったじゃん、何か最近こういうイベント事少なかったもんね」

千佳が照に諭した。

「そうだね、去年は太一ともあんまり仲良くなかったし、何しろ千佳と2人だったもんね」

そう言いながら照は机に塞ぎ込んでいる灯に顔を向けた。

「来るんかね、稲村も」

その視線に気づいた千佳がすぐに呟いた。

「さぁどうだろう。でも、来て欲しいなぁ」

「岡崎が何考えてんかわかんないけど、絶対来ると思うよ。不自然すぎんでしょ、誘い方が」

「そんなことないよ。去年だってクラスの皆と行ってたみたいだし」

「ただ、私が気になるのはーーー」

「打ち上げ花火。稲村の父さんでしょ」

照の言葉を千佳が遮った。

「何でもお見通しだね千佳」

「当たり前でしょ。何年一緒だと思ってんの。それに、毎年あんたが言ってたからね、この花火大会は灯のお父さんがつくったんだって。そりゃ誰でも覚えるわ」

「あの様子だと、灯はきっとお父さんと話してない。それに、花火だって見たくないと思うし」

頭を掻き毟り、机に塞ぎ込んだ。

「何が正解かわかんないや」

「答えは花火が教えてくれるんじゃないの?あんたたちはそういう関係なんでしょ?」

「千佳…そうなのかな、でも灯はもう花火なんか見たくないってそう言っててだから」

「だから行かないっての?」

核心を突く千佳の質問に照は口をつぐんだ。

「いこう照。もう一度ちゃんと稲村と話そう」

「うん。そーだね、もう灯と離れるのは嫌だ」

「その意気だ。応援してるからな」

ありがとうと千佳に呟き、二人は帰路についた。

花火、灯、色んな思いが交錯する中、あの頃の灯の笑顔が脳裏に焼き付いて離れない自分に、何故か焦燥感が湧いた。




「なあ、話があんだけど」

工場に座る今は小さくなった父の背中に灯は声をかけた。

「なんだなんだ、家に帰ったらまずただいまだろうがクソガキ」

重い腰をゆっくりと上げ、燈は灯を見下ろした。そしてまだちっちぇなと灯の頭を撫でた。

灯はすぐにその手を振り解き燈を睨みつけた。

「余計な事してんじゃねーよ」

「んで、話ってのは何だ、こちとら明日の花火大会で忙しいんだ」

お前が脱線さしたんだろうが、という言葉を飲み込んだ。言えばまた長くなる。

「明日、最後に上げて欲しい花火がある。俺が最後の日に持ち出した花火、”刹那”」

燈の目が灯を捉えた。眼球がゴロリと動き、やがて目を逸らした。

「あーあの花火か、あれはどんだけ手間がかかるか知らねーだろお前は、今日出来てなけりゃ明日なんて間に合わねーよ。悪いけど諦めてくれ」

燈は振り返り、火玉を触り始めた。

「そーか、わかった。仕事中に悪かったな」

灯も振り返り2階に上がろうとした所で燈が呼び止めた。

「理由はあんのか」

再び灯が振り返る。

「過去を清算したい。俺のせいで悲しませちまったやつがいる。そいつと俺を繋いでくれていたのはあの花火だ。悲しむのは、俺とあんただけで充分だから」

しばらく燈の視線は一定のまま動かなかった。

「おまえ、いい男になったな」

意外な発言に灯は、なんだよと苦笑した。

「ただ、間に合わねーもんは仕方がない。わかってくれ」

「あぁ、わかってるよ」

先に振り返った父の背中に最後に灯はこう言った。

「親父、明日楽しみにしてるよ」

燈は振り返らなかった。背中で返事をしたつもりだった。



照と千佳が星雲公園に着いたのは19:15を少し過ぎた所だった。

「ちょっと早く来すぎたね」

「まあ社会人になれば15分前集合はマストよ」

「お、大人だね急に千佳」

公園に入ると、見慣れた人影が見えた。岡崎太一だった。

「おー早いな女子軍、おつかれさん」

左手をポッケに突っ込み右手を軽く挙げた。太一はTシャツに短パンという出で立ちだった。

「何、太一だけ?稲村は?」

千佳がズバリ尋ねる。

「あー。なんか灯は来れなくなったらしい。急に用事が入ったって。まあ会場行けばクラスの他のやつもいんだろ」

あぁ、そうだ。灯はまだ清算できていないんだ。期待した私が馬鹿だった。そう思った。照は1年ぶりに着る浴衣の帯に触れ、鼓動を確かめた。いつもより早くも遅くもない鼓動を感じ、大丈夫、大丈夫だと唱えた。


会場に入ると相変わらずの人だかりだった。打ち上げ開始にあたり、花火師、花田燈の挨拶があった。

実に7年ぶりの天才花火師の登場に会場は大きく揺れた。

「7年前、披露するつもりだった大作を、馬鹿息子が夜中に持ち出して上げちまったもんで、今日はそれを最後にぶっ放したいと思いやす。皆さんどうか最後まで楽しんでってください。あ、くれぐれも空から降ってくる火の粉で火傷しないように注意してくだせえよー」

燈の冗談交じりのスピーチに会場は穏やかに雰囲気に包まれた。

一緒になって笑っていた千佳が、照の異変に気付いた。

「照?どうした具合悪くなった?」

「違う…灯が来る、会いに行かないと…‼︎」

武者震いとは意味が違ってくるが、照は確かに震えていた。

「どういう意味?照、落ち着いて」

「神野。灯の急用ってあいつん家の裏山の雑草抜きだって言ってたぜ」

ありがとうっと言い残し、照は足早にその場を去っていった。

「結局、こーなると思ったぜ」

やれやれと言いながら太一は両手を挙げお手上げのポーズをとった。

「あんた、稲村に口止めされてたんじゃないの?てか雑草抜きって…するわけないでしょそんなの」

太一は千佳を一度見つめた後、ふはっと笑った。

「さあな」

「お人好しだねあんた」

「んなことより、もうすぐ花火だ。移動すんぞ。まあ俺らも二人きりになれたことだし楽しもうぜ」

「やめろその言い方きもい」

「すみません」

そう言いながら千佳は想像よりも大きかった太一の背中を見つめた。案外に頼りになるところがあるんだな、と思った。歩くの遅いっと言いながら軽く太一の背中を叩いた。太一はいてっと言いながら笑った。つられて千佳も笑った。

(照、頑張ってこい)

まだ花火が上がる前の夜空は、違う世界のように千佳の目には映った。



[3]


ドォンと大きな音が鳴り、夜空に花が咲いた。

今日の1発目は銀波先。火の粉を引き連れ、淡い銀色のように輝く粒の細かい花火だ。銀波先が消えゆく頃に牡丹と呼ばれる花火が上がった。紅の光に包まれ輝いている。紅牡丹だ。牡丹とほぼ同時に銀冠、錦冠が上がっていく。さすがだな、と灯は思った。これだけの種類の数をたかだか数分で打ち上げてゆく父の豪快さに思わず見とれてしまった。

連発で咲いていく大きな光に目を奪われてゆく。

様々な色が織りなす光の共演は空に咲くイリュージョンのようだった。種も仕掛けもあるとはわかっているが、それでもインパクトが強い。

灯はいつもの丘に寝そべって一人で見上げていた。花火大会には結局行けなかった。まだ、自分の中で整理がついていない。

その時、後方からガサガサからと音がした。

すぐに振り返ると、何やら人が倒れていた。

「てる…?」

見慣れた人影に思わず声をかけた。暗闇で見えないはずだったが、何故だかすぐにわかった。

その瞬間、次の大きな花火が上がった。

この花火によって照らされた光で、はっきりと顔がわかった。やっぱり照だ。

「お前何してんだよ一人で来たのか?え、いやあいつらは?何で?」

照は肩で息をしながらゆっくりと口を開いた。

「太一が…教えてくれて…灯がここで…一人でいるって…」

「落ち着け。ゆっくりでいいから」

照はゆっくりと灯の横まで歩き、腰掛けた。7年前は高く、遠くまで見えたこの丘からの景色も何だか今は違うように見えた。

「灯…。何で来なかったの?」

「太一から聞いたろ。急用だよ」

灯は照から目を逸らした。二人の会話を遮るように、夜空に花火は咲き続けていた。

「もう…帰ってくれ照」

「何を償おうとしてるの?私と距離をとることが灯の償い?そんなこと、私はされても嬉しくない」

「償い?そんな事じゃない。俺は自分の都合でお前より母さんを選んだんだ。お前に何も話さずに、お前から離れた。そんな俺に、お前に昔みたいに接する権利はねぇんだ」

朱色の花火が二人を照らした。

「権利なんて関係ない。私たちの間にそんなものないんだよ」

「照、7年はお前が思ってるより長いんだぜ」

「長いよ…長かったよう」

そう言うと照は泣き崩れた。

「私だって…ずっと会いたかったんだよ」

涙交じりの照の声に灯は思わず息を飲んだ。

「俺は幸せになっちゃいけねぇんだ。もちろん、お前のことも、これ以上傷つけたくない。だからーーー」

「幸せになっちゃいけない人なんていない!みんな、幸せになるために生まれてきたんだよ。それなのに…灯だってそうだよ!」

「俺が幸せを望んだから、母さんは死んだんだよ」

「違う。子供の幸せを願わない親なんてこの世にはいないんだよ」

「お前に俺の何がわかんだよ!」

「わかるよ!」

照の声は花火の音に掻き消された。余韻と静寂が2人を包んだ。

「花の色がわからない。小さい時はあんなに鮮明に見えてた、花火の色が。夜空に咲く、親父がつくった花の色が、見えないんだ」

「それが、今の灯なんだよ。一緒に変わろう。

私が全部受け止める。7年間待ってた女は強いんだよ」

照の目に、夜空が透けて映った。

「ったく。少しは悩んでる俺をいたわれよな。お前には、本当に敵わねえわ」

灯がしゃがみこむ。

「そろそろかな」

そう言うと灯は腕時計に目をやった。

「5、4、3、2、1」

灯が夜空を指差す。

ドォンと鳴り響いた夜空には7年ぶりに2人で見た”刹那”が上がった。

灯は驚いた。燈は全てお見通しだったのだ。とっくに完成させていた刹那を隠し、空に打ち上げたのだ。親父、あんたにはほんと敵わねぇや。灯はそう思った。照の方を向き、静かに手を握った。

「照、俺のことを待っててくれてありがとう」

灯は照の顔を見て言った。

「好きだ照。お前が、好きだ」

そう言うと灯は照を抱き寄せた。照も強く抱き返した。おかえり、そう声をかけた。

「わたしもだいすきだよっっ」

上手く声にならなかった。途中から涙が混じる。

夜空に咲いた一輪の花の下、灯は時間が止まっているような気がした。


花火の余韻が消え、2人は別れた。帰路についた灯はテーブルの上に置いてある、一通の手紙に気がついた。見慣れた汚い字で、

「バカ息子、あたるへ」

と書かれていた。不穏に思いながら、茶封筒を開き、読み始めた。

「灯へ。いつか話そうと思ってた。話さなくちゃいけないと思ってた。手紙を書くなんて初めてだから上手く書けるかわからんが、最後まで読んでくれ。

本題から入る。亡くなった母、智子はお前の本当の母親じゃない。お前の本当の母親、(かおる)はお前が生まれてすぐ、お前を捨てた。俺が仕事に出てる隙にお前を橋の下に捨て、逃げたんだ。そんなお前を拾ってくれたのが智子だ。そして、俺は智子と暮らし始めた。ちなみに籍は入れてない。

そして、もう1つ。智子は精神病なんかにかかってもいない。あいつはあいつなりに考えて、お前を本当のお母さんに会わせてあげたいと言った。俺はもちろん反対した。でも、智子は俺の反対を押し切り、自分が身を引くことを選んだ。私がこのまま生きていたら、きっと灯は薫さんに会いたがらないから病気を理由に死ぬ、とあいつはそう言った。

そこまでする必要はないと俺は怒鳴った。何度も何度も説得した。でもあいつの意思は揺らがなかった。どうせ私なんて長く生きられない身体だし、誰かの母親なんてもう二度となる事はないと思う。そうあいつは言った。あいつは生まれつき病弱だった。そして、精神病の本を読みあさり、症状を真似て、演じていた。精神病にかかっているフリをしていた。そうして、智子は最後までお前の母親を演じきった。そして母親として、この世を去った。智子は俺のタイミングで時期が来たらお前にこの事を伝えて欲しいと言っていた。そして俺はこの時をきっかけにした。

ずっと探していた薫の行方がわかったからだ。

ここに住所とお金を置いておく。会いに行くかどうかはお前が決めて欲しい。 ーーー燈」

灯は読み終えて、茶封筒を机に置いた。そして、座り込んだ。

ずるいよ神さまーーー 何で俺にだけこんな現実が待ってんだよ。

そう呟いたつもりが声になっていなかった。

夜の静けさが、逆にうるさく感じ耳を塞いだ。いっそのこと、記憶喪失になりたい。そんな風に思ってしまった。



[4]


翌日、灯は列車に乗っていた。手紙に記されていた住所はここからは少し距離があった。列車で4時間弱、そのくらいの距離だった。

本当の母親に会いたいとか、智子の死の理由だとか、難しい事は考えない事にしていた。ただ、これが自分が前に進むためにするべきことだと思っていた。処理する、いや言い方が違うな。よくわからない。 いつしか灯は眠ってしまっていた。

幼い頃を思い出す。灯の母親を演じていた頃の智子の顔がフラッシュバックする。そういえば、俺が生まれた頃の写真、1枚もなかったな。はは、今になって笑えてきた。何で死ぬ必要があったんだよ。

俺にとっては母親はあんただけだったんだよ。

手を繋いで歩いた並木道、何度も行った裏山。照と遊んで帰りが遅くなってよく、親父に怒られたっけな。母さんだけはいつも俺の味方をしてくれたな。最後に行った花火大会。照と俺を連れて行ってくれた。親父が初めてかっこいいと思った日だったな。

いや、違う。違う。目を背けていたのは俺の方だ。いつだって、親父や母さん、そして照。俺を照らしてくれたのはあいつだ。照だ。今、母さんに会ったら何を話そう。どんな理由で俺を捨てたんだろう、どんな気持ちで、俺を捨てたんだろう。なんだか、また笑えてきた。思い出した夜空に皆の笑顔が浮かんだ。その表情を花火に例える。いや、例えようがない。皆が俺を照らしてくれたのに、その花の名前が、色が、わからない。

「次は大江戸ー大江戸ー」

車内アナウンスが聞こえてきた。

ここで降りるように手紙には書いてあった。初めて来た場所だった。手紙によると、5分くらい歩くらしい。まだ外は暑い。灯はシャツを捲り直し、駅にある地図をみた。

手紙に記されていた通り、5分ほど歩いた所でその建物はあった。

[さくらソーシャルセンター]

中には介護施設や、親が仕事で出ている間、子供達を預かる放課後子供クラブと呼ばれるものがあった。

薫は放課後子供クラブ[egg kids]という教室で働いているらしい。灯は中に入り、辺りを見渡した。すぐ前に受付がある。

受付に立っていた女性は優しい笑顔でこんにちは、と言った。

「こんにちは」

と灯も返した。

「誰かに用事ですか?」

優しい笑顔は緩まない。名札には安東と書いてある。

「はい、こちらに薫先生という方が働いてると伺って」

「薫先生…?あぁ梨田さんの事ね。梨田さんなら2階の奥のegg kidsの先生やってるからそっちに上がってみて」

梨田薫(なしだかおる)。それが母の名前らしい。

「お知り合い?」

安東が訊いてきた。

知り合い?知り合いという括りなのか。わからないなと思った。

「知り合いかどうかを、確かめに来たんです」

灯はそう返し、軽く会釈をしてから階段に向かった。安東が首を傾げている姿が目に浮かんだ。


階段を上がり、2階の廊下に出た。壁には色々と張り紙がしてある。eggkidsは奥の部屋と言っていたな。eggkidsと書かれた教室の真向かいの壁には子供たちが書いた先生の似顔絵があった。

まなぶ、とおる、みき、ゆか。様々な子供の名前があった。皆個性的な絵で、おそらく同じ女性を描いていた。これが薫先生かい?心の中で問いかけた。個人的にはとおるくんが上手かった。

教室の方を振り返る。ノックはせずにドアを開けた。中に人の気配がある。

赤いカーディガンを羽織り、薄い茶色のズボンを履いていた。髪は肩くらいまである、長くて綺麗な髪だった。灯は聞かなくてもわかった。

「あら、ノックも聞こえずにドアが開くからびっくりしたわ。どちら様?」

そんな声だったんだね、そんな喋り方なんだね。僕を捨てた人。

「梨田…薫さんですか」

ポケットから手を出して、握った。でも握力が弱い。

「えぇ、梨田です。それで君は?私の名前知ってるって事は、知り合いなのかなあ?」

この感情の名前を知りたかった。この人は僕を捨てた人。代わりに僕を育ててくれた人を死に追いやった人。それなのになんで、


ーーー会えて嬉しいんだろうーーー


「いえ、それだけです。失礼します」

「ちょっと待っーーー」

言葉を言い終わる前に灯はその場を去った。自分の気持ちがわからない。会って、何を言おうとしたんだろう。お前のせいで僕の母さんは死んだんだ、お前が僕を捨てたせいで。と、でも言うつもりだったんだろうか。いや、違う。本当の母さんに、僕を捨てた理由を聞きにきたんだ、確かめにきたんだ。

階段を降りる前に足が止まった。とたん、後ろから足音がした。あたるっ!と呼ばれた。

「大きくなったねえ」

言葉と同時に抱きしめられた。嗚咽混じりのその声は、何故か俺には懐かしく聞こえた。

「気付いてたんだ、でもどうして」

「息子の顔を忘れる親なんていないよ」

俺を1度離し、再び抱きしめた。暖かかった。

と、同時に。この人は僕を嫌いになって捨てた人じゃないと感じた。伝ってくるそのぬくもりが、俺をそう信じさせた。


さくらソーシャルセンターの屋上は小さな広場になっていた。10分後にそこに来てと言われた灯は指示通りに屋上に上がった。そばにあった緑のベンチに腰掛けた。すぐ横に建っているビルが日差しを反射させて、身体に当たった。思わずあちっと呟いた。しばらくして、屋上のドアが開いた。コーヒーを2本持った薫が入ってきた。

「コーヒー、飲める?」

薫は横に腰掛け、そう尋ねた。

「はい」

俺は何故か敬語で答えた。

「何から話そうか」

しばらく沈黙が続いた。太陽が地面を焦がす音が聞こえてきそうな程静かだった。

「じゃあ俺から、ひとつ」

沈黙を破った。息がしづらい。

「あなたは、俺の母さんですか?」

薫は悲しそうな表情をしながら、大きく首を縦に1度振った。

「ひとつずつ、話します」

薫がゆっくりと口を開いた。

「まず。灯。あなたは双子だったの。もう1人、光って名前の女の子があなたと一緒に生まれてくるはずだった」

双子?初めて聞いた事だった。それより、語尾の言葉が引っかかった。

ーー生まれてくるはずだったーー

「あなたは帝王切開で取り出したんだけど、光を取り出す事ができなかった。私は灯を取り出したその時点で、羊水塞栓症っていう病気の疑いがあったの。3万人に1人?だったかな」

羊水塞栓症。もちろん聞いた事がない。

「医師は1度麻酔を解いて、私に聞いたの。もう一度帝王切開で光を取り出せば、私の生存確率はほぼないって。でも、ここですぐに処置を始めれば、生存の確率はあるって。もちろん母親ならここですぐそれでも生みますって答えるんだと思った。」

薫の声が震えだしたのがわかった。

「でも私は、生きてあなたに一目会いたかった。やっと生まれてきてくれた私の初めての子供を見ずに死ぬ事なんてできなかった。だから私は、生きる事を選んでしまったの。そうして、光を見殺しにした。これが、私の犯した罪。私はあなたの母親を名乗る資格なんてないの」

そこまで一気に話したところで薫が泣き出した。

話を理解し、整理するのに時間がかかった。

「親父から、聞いたの?」

母さんの事。と、続けた。智子の事だった。

「聞いてるよ。智子さんの事も全部。燈さんは1度も私を責めた事なんてなかった。でも、灯を捨てた事は本当に怒ってた。灯を橋の下に捨てて、私も死のうと思った。でも死ねなかった。そんなことしたら光が1人ぼっちになっちゃうから。それから久々に連絡がついたときは身の毛もよだつほど怒ってた。2度と俺たちの前に顔を見せるな、そうも言われた」

薫が立ち上がりゆっくりと歩き出した。

「ね、これでわかったでしょ?私はあなたと会う資格がないの。帰りの交通費渡すから、もう帰りなさい。来てくれてありがとうね」

薫は灯に背を向け、ドアに向かう。

「光に会わせてよ、最後に」

薫は黙って振り返り、

「ついてきて」

と、言った。


さくらソーシャルセンターから10分ほど歩いたところで、薫は足を止めた。その間、会話はなかった。何を話していいかわからなかった。

薫の家は小さなアパートだった。階段を上がり、ドアを開ける。

「お邪魔します」

久しぶりに声を出したので、なんだか声がうわづった。左の部屋に入ると小さな仏壇があった。遺影はない。

「初めましてだね、光」

仏壇の前に腰掛け、灯が言った。

「俺たち、双子なんだって。今日初めて聞いたよ。きっと俺は乱暴な性格だから、お腹の中でもいっぱい意地悪したんだろうなあ。ごめんな。今日は手ぶらだけど、次はちゃんと何か買ってくるからな。

安らかに眠れ、光」

そこまで言い終えてから、手を合わせ、目を閉じた。不思議と複雑な気持ちではなかった。

薫が後ろで泣いていた。


「じゃあこれ、帰りの交通費ね。わざわざありがとう」

灯は交通費を受け取り、こくんと頷いた。アパートのドアが閉まる前に言った。

「さよなら、母さん」

薫の表情の変化がわかる前にドアが閉まった。ほどなく、灯は振り返り歩き出した。ポケットから、交通費を出す。もちろん、親父は帰りの分もくれていた。

アパートを出てすぐの所に、小川があった。何で言ってないのに、金額がわかんだよ。そう思った。

それは、昔住んでいた記憶が覚えさせていたのか。いや、違う。ずっと、俺の事を思ってくれていたからだろう。今日までも変わらず、ずっと。灯は小川に薫からもらった分の交通費を投げ捨てた。チャポンと音を立てて、沈んでいった。

「はっ、なんてバチ当たりな」

笑ったつもりが涙が出た。まだ昼間なのに、真っ暗な夜になっている気がした。またひとつ、花の色がわからなくなった。



[5]


帰ってきたのは20時頃だった。相変わらず、燈は工場にいた。特に何も話さずに、ただいまとだけ言った。星を詰め込む音が1度止まり、また再開した。おう、と聞こえた。

「そういや、灯」

燈の声で振り返った。

「照ちゃんと、岡崎くんっつったかな。昼間に来てな、帰ったら連絡をよこすように言われた。連絡しとけよ」

今度は手は止めずに話した。

「あぁ、わかった。ありがとう」

「あたる」

「ん?」

「いや、なんでもない…」

「そう」

ギシギシと音を立てながら階段を上がった。


照に電話をかけると、すごい剣幕でまくしたてた。

今からそっちに行く!と言われ電話は切られた。どうやら太一も一緒に来るらしい。裏山で待つことにした。真夏なのに今日は涼しい。少し寒いくらいだ。ふと、机の上の写真に目をやった。智子と写ってるこの写真は照と一緒に行った花火大会だった。智子と今日の薫の姿を重ねて、すぐに消した。よし。一言吐き、パーカーを1枚羽織り外に出た。

「あたるっ」

呼び止められた。声の主は見ずともわかった。マジか。いくらなんでも早すぎないか。

照と太一が自転車で来た。


3人で裏山に登り、いつもの所で寝そべった。

「ねぇ灯。一体どこ行ってたの?心配したんだよ」

照が切り出す。

「あぁ、ちょっとな。野暮用で。朝からバタバタしてて学校に連絡するの忘れちまったんだ」

「わかったから、早く話せよ」

何かを察したように太一が言った。

「なんでもないとかな、ちょっとな、とかそんなん聞きに来たんじゃねーの。ちょっとは俺たちを頼れ」

こいつはすごいやつだと思った。俺がまた、何かを抱えてる事をすぐに察している。助けられてばっかだな、と思った。灯は2人に全てを打ち明けた。そして、灯が帰り道に考えたある事も一緒に。

「わかった。もちろん協力する」

「もちろん私もだよ」

太一と照が快く受け入れてくれた。2人には頭が上がらない。

「来週から夏休み。入ったら早速行ってきて欲しい」

2人は声を揃えて了解、と言い、立ち上がり、振り返って歩き出した。

「灯。お前はそっちに集中しろ、青島には俺が上手く言っといてやる」

「太一、恩にきるよ」

「なーに、楽勝だよ」

太一が軽く右手を挙げる。振り返らない。

「あたるっ、話してくれてありがとう。1人にならないでいてくれてありがとう」

照はいつもの目で、灯を優しく見た。その表情がとても綺麗に見えた。

「礼を言うのはこっちの方だ、お前には謝ってばっかりだからな。ありがとう、照」

照はにこっと笑い、振り返り歩いて行った。太一が家まで送ってくれるだろう。

「さて、早速今晩からだな」

灯はTシャツを捲り上げて、空を見上げた。昼間とは逆転、今度は何故か夜空が明るく見えた。



[6]


「課外学習?」

安東が訊き返した。

はい、と2人は声を揃えた。夏休みに入った初日、太一と照は早速さくらソーシャルセンターに足を運んでいた。外から蝉の鳴き声が聞こえる。

「もちろん。うちでは構わないけれど、具体的にどのような事を?」

「詳しくはここの事案にまとめてあります」

颯爽と太一が冊子を渡した。そこには

「聡明高校3-A 課外学習 eggkidsと夏の思い出」

と書かれていた。

「ふむふむ」

安東は回転イスでくるりとまわり、机からボールペンを取り出した。

「それじゃあ目通させてもらうから、そこにかけて待っててくれる?」

太一と照は目を合わせて頷いた。思わず頬が緩んだ。


しばらくして、安東が声をかけてきた。再び受付に足を運んだ。

「うん、内容もしっかりしてるしこれなら子供たちも喜びそう。期間的にもうちも忙しくない時期だし、是非お願いしようかな」

照と太一がハイタッチをする。こみ上げるような嬉しさがあった。

「それで、最後のページの赤文字で書かれた枠の事なんですが」

太一がすぐに仕切り直す。そうだ、これを訊かなければ。

「問題はそこなのよね、まあ時間が遅くなければ多分大丈夫だと思うわ。また、確認して折り返し連絡するという形で」

安東がウインクをした。改めて見ると本当に綺麗で爽やかな女性だと照は思った。髪、もう少し伸ばそうかな。でも今は関係ない、とすぐに消した。

「わかりました、お忙しい中ありがとうございました!来週、よろしくお願いします」

太一が深々とお辞儀をした。慌てて照も続ける。

安東に見送られさくらソーシャルセンターを後にした。

「ばっちりだな、あとは灯を待つだけだ」

あっちぃと言いながら、太一が呟いた。手をパタパタと扇いでいる。

「うん、よかった。太一って案外頼りになるんだね」

「案外は余計だよ。でも、あれだよ」

照が目で訊く。

「頼りになるんじゃなくて、頼られた事が嬉しくて一生懸命なだけだよ、俺は」

そう言って太一はにこっと笑った。最近切ったと言っていた短い髪が風に少しだけ靡いた。

「太一。私太一には幸せになって欲しいなあ」

本音だった。

「訳わかんねーのっ。おかんみてぇ」

太一がクスッと笑った。

「さぁ、じゃあ灯の様子見に行こう」

「その前にお腹すいたよ」

「それもそーだな、じゃあなんか食ってくか」

うんっと答えて走り出した照の後ろ姿を見て太一は思った。俺もお前に幸せになって欲しいよ、と。



昔、と言っても小学生の頃だ。親父にプロポーズの言葉を聞いた事があった。今思えば、智子とは籍を入れていなかったみたいだし、あの出来事は薫にしたことなんだな、と思う。

燈はその日、薫をいつもの裏山に呼び出し、一緒に星を見ようと言ったらしい。

「牡丹の花火は色々な形を作るのに適してる。だから形を創芸するときは、牡丹星を調合する時にしなきゃいかん」

昔言った燈の言葉を思い出した。

「俺は不器用で馬鹿な花火師だから、言葉より、色や形で、花火で表現するほうが好きなんだ」

よくそう言ってた。

燈は薫とともに裏山に寝そべると、カウントを始めた。

「5、4、3、2、1」

パチンッと指を鳴らした。2人が見上げている夜空にダァンと花が咲いた。それは当時の技術じゃ難しいと言われ続けていた、八重芯変化菊という3重の層から連なる大花火だった。言葉を失った薫の方を見て燈が言った。

「俺は、薫がいれば何だってできる。俺は汚い工場で毎日両手を汚して花火をつくる。だから薫は俺が打ち上げる花を、夜空で待ってて欲しい、これからもずっと」

薫は、こくりと頷いて夜空を見上げた。


口下手な割には随分くさいセリフだなっと、思い出して灯は苦笑した。大きく息を吐いて、作業を再開した。


「もしもし灯?今大丈夫か?」

電話の主は太一だった。

「ああ、大丈夫。今は休憩中だから」

「そっかよかった。良い知らせだぞ。例の件、先方がおっけーしてくれた!」

「本当か?ありがと太一、俄然やる気が出てきたよ」

「あぁ、当日まであと3日。無理せずに頑張れよ」

「うん、ありがとう。じゃあ、また連絡する」

言葉に出した通り、俄然やる気が出てきた。工程は最後の仕上げまできている。でも。ここで失敗すると全て水の泡になると考えるとなかなか進めずにいた。こんな時、親父だったらどうするんだろう。失敗なんて考えずに、サクサクと終わらすんだろうか。考えても仕方がない。やるしかない。大丈夫、必ずうまくいく。

意識が脳を伝い、掌に集中した。ふうっと息を吐いて、最後の仕上げにとりかかった。



[7]


遂に当日を迎えた。お昼を少し過ぎた頃、太一と照はさくらソーシャルセンターに到着した。安東に挨拶を交わし、2階に案内された。

「初めまして、eggkids担当の梨田薫です。今日は一緒に楽しみましょう」

綺麗な人だった。この人が灯の本当のお母さん。照は少し掌に緊張を覚えた。

「今日はよろしくお願いします」

太一が頭をさげる。慌てて照も続く。

「最初の子供たちが来るのは14時をまわった頃だと思うから、それまでは部屋の掃除をしたり、今日は何して遊ぼうとかを考えたり、そんな時間にいつもは当ててるの。ーーー2人ともお昼は済ませた?」

淡々と薫が説明を続けた。

「はい、道中に済ませてきました」

「そう」

薫がパンと手を叩いた。

「じゃあ、一緒に教室の掃除から始めましょうか」

2人で声を揃え、はいと頷いた。



「灯。出来たのか」

燈が忍び寄ってきた。何故か気配を感じなかった。

「あぁ。出来たのは出来たけど、まだ少し不安だよ」

「この職業にとって、1番大事なことは何かわかるか?」

唐突な質問に言葉が宙に舞った。ゆっくりと首を傾げた。

「見せたい人の事を考えるんだ。鮮明に。いつもな」

それからこう続けた。

「俺はいつも1人だけだ」

答えが見つかった気がした。

「そういう事か。よし、いってきます」

「間違っても、山火事とかは勘弁しろよ」

「冗談に聞こえねぇなあ。誰の息子だと思ってんだよ」

「よし、いってこい」

「おう、いってくる」

灯の姿はすぐに見えなくなった。出かける際に見送るなんて何年振りだ、と考えた。こうやってあいつも大人になってくんだなと感じると、寂しいような嬉しいような感情が沸いた。



時刻は15時をまわっていた。すでにeggkidsには沢山の子供達が来ていた。2人はオセロをしたり、子供達の宿題を見たり、各々子供達と向き合っていた。幸い、外は晴れていた。数分前に灯に送ったメールの返信が来た。

「了解、今向かってる。準備は俺1人で大丈夫だから、そっちを頼む。また連絡する」

了解!と返事を送る。

「太一兄ちゃん、次はこれ、これで遊ぼうよ」

とたん、何人もの子供達に囲まれた。たまにはこういうのも悪くないと思った。

「よーし、またお兄ちゃん勝っちゃうぞ」


「神野さん、そろそろ夕食の準備に行くから、手伝ってくれる?」

薫が声をかけた。

「はい、すぐに行きます」

「じゃあ岡崎くん、子供達をしばらくよろしくね、夕食は予定通り18時頃で」

「わかりました。照、しっかりな」

「わかってるよ」

2人を見送った。

「ねぇ、たいちはてるねぇちゃんのことすきなの?」

1人の男の子が訊いてきた。

「待て待て、何で俺だけ呼び捨てなんだよ」

コラッと頭をコツンと叩いた。

「ねえ、すきなんでしょ」

「ちがうよ、まなぶくん。ふたりはこいびとどうしなんだよ」

やれやれ、と思った。

「お兄ちゃんと照姉ちゃんはそんなんじゃないよ」

「じゃあどんなのなの?」

小学生の確信をつく質問に戸惑った。

「残念だけど、君たちが期待してるような事にはなってないよ。お友達だよお友達」

「おともだちかあ。じゃあぼくたちとおなじだね!」

「うん、そうだね」

太一は悲しげな表情でそう答えた。何で落ち込んでんだ俺は。正しい答えだ。より一層、無邪気な子供達の笑顔が眩しく映った。



「うっま!」

カレーを一口食べた太一が言った。

「何で太一が1番はしゃいでんの?」

「仕方ねぇじゃん美味いんだから」

照が1人でつくったわけではないけど、恐ろしいくらいに幸せを感じた。

「みんな美味しい?」

子供たちが口々においしーい!と答えた。時刻は18時をまわり、屋上に移動して夕食を食べていた。課外学習もクライマックスに近づいていた。

「いや、でもほんと美味しい。ほんとにうまい」

「わかったよ、そんなに言われちゃ照れる」

照が頭を掻く。

「灯のやつ、将来こんなの毎日食えんのかよお」

「え?何か言った?」

やばい、声に出てた。

「さぁ、空耳だろ」

何ともわざとらしいごまかし方だ。

「さぁ、みんな食べ終わったら食器をまとめて重ねて直してねー」

はーい、と子供たちが答える。こうして見ると本当にお母さんみたいだ。

「この後は皆で花火をするからね」

「はなび!?やったー!みんなでやるのははじめてだね!」

1人の男の子がはしゃぎだすと、まるでおもちゃ箱をひっくり返したかのように皆が騒ぎ出す。何故か、カレーを食べるスピードが早くなった。皆、早くやりたいのだろう。照はその姿を見てクスッと笑った。薫も笑っていた。


「はい、みんな注目な」

太一がパンパンと手を叩き、周りの視線を集めた。

「わかってると思うけど、花火は使い方を間違ったら火傷に繋がるからな。ちゃんとルールを守って楽しくしような。ーーーおっけー?」

はーいっ!と子供たちが答える。すっかり子供の扱いが上手くなった。

「よし。花火は絶対人に向けないこと。導火線の部分、火を点ける部分ももちろんダメ。ゴミを散らかさないこと。使い終わった花火は水を貯めたバケツを用意しておくからそこに入れること。これだけのルール、皆ちゃんと守れますか」

子供たちが頭で整理している。その姿がたまらなく可愛い。

「では、守れるって人は照姉ちゃんの所に好きな花火を取りに行っていいぞー!」

はーい!と口々に返事をし、走って照の元に駆けてゆく。灯にメールをする。

「今から花火。そっちはどうだ」

返信が早い。

「怖いくらいに順調だ。時間通りに間に合いそう」

「お前のデビュー戦だ。華やかに飾ってやれ」

「了解」

ケータイを閉じる。皆、好きな色や好きな種類の花火を持って楽しんでいる。夜なのに、屋上は昼間のように明るさを取り戻した。


「2人とも本当に今日はありがとうね」

ベンチに腰掛けていると、横に薫が座った。

「あの子たち、やっぱりいつも遅くまで親御さんたちに会えない事が多いから、ああ見えてもいつもは泣いてるの。寂しがり屋な子が多いから。ううん。子供なんてみんな、寂しがり屋。それでいいんだけどね」

「薫さん、本当にいつもあの子たちの事気にかけてるんですね」

「え?」

「実は、夕方活動日誌を書いてる時に偶然、薫さんの日記帳が目に入って、失礼ながら見てしまったんです。だって、題名がeggkidsだったから。プライベートの日記じゃないなって思って」

太一に続いて照もすみませんと頭を下げた。

「そうだったの」

「はい。そこには子供たち1人1人のページがあってとてもきめ細かく書かれていました。元気がないとか、お昼寝の時間寝つきが悪い日の事とか、献立とか。まさかオセロの勝敗表まで書いてあるとは」

「とても詳しく記されてました。尊敬しました」

太一に続いて照が言った。

「なんだか恥ずかしいね。私は母親になりたくてもなれなかった人間だから。あの子たちを子供だと思って、大切に預かってる」

灯から聞いた話通り、素敵な人だった。今までの事を乗り越えてきたからの芯が強い人なんだなと太一は思った。


「灯。そろそろだ。10分後に始めてくれ」

メールを打つ、送信。

「わかった。期待しててくれな」

「おう」



「みんな、今日は短い間だったけど、本当にありがとう。楽しかった。俺もとてもいい思い出になりました。ちゃんとルールを守ってくれて、皆で遊べて、忘れられない日になりました。また絶対遊びにくるから、俺のこと忘れないで欲しいと思います、今日は本当にありがとうございました」

花火が終わり片付けを済ませ、2人は最後の挨拶にとりかかっていた。

「みんな、今日はありがとう。オセロをして、一緒に宿題をして、花火をして、とても楽しかったです。太一兄ちゃんが言ったように、必ずまた来るからその時はまた一緒に遊ぼうね。本当に今日はありがとうございました」

子供たちが拍手をしてくれた。

「ここで、僕たちからもう1つプレゼントがあります。実はもう1人僕たちの仲間がいて、その仲間がプレゼント用意してくれました。

みんな、向こうに注目!」

太一は、山のある方角に指を差した。


ヒューと甲高い音を立てながら光が空に登って行く。そして、ダァンと音を立てる。

大きな1輪の大花火が空を飾った。青色の菊先。

「灯、タイミングばっちりだぜ」

太一が呟いた。

子供たちの声が聞こえる。皆、うぉーとかすげーとか。とにかく喜んでくれているようだ。

続けて音が鳴り響き、花が開く。紅牡丹、銀波先、錦先、そして重ね牡丹の4連発。2人とも、灯がつくった花火を見るのはこれが初めてだった。

とても綺麗だ。綺麗すぎる。美しすぎる。すげえよ灯。さっきまでの激しい花火とは一転、今度は短い音から、ゆっくり連発で光が空に散らばる。千輪。素人の俺の目には失敗に映ったのだが、恐らく違うだろう。そのまま立て続けに、わたあめを口に入れた時の食感のように、パチパチと細かく何度も光る、青蜂、銀蜂。そして、その名の通り、葉が落ちてゆく儚さのように夜空上で表現された、葉落。灯の表情が目に浮かぶ。この儚さは灯の儚さだ。この色は、灯の色だ。胸が締め付けられる。なんて切ないんだろう。それから、しばらく単色の牡丹花火が続いた。隙間を縫うような綺麗な円形の花火もあれば、ちょっと奇抜な形の花火も。とにかく1つとして同じものはなかった。そして、休むことなく続いていた演出が初めて、途切れた。ほどなくして、一筋の光が空に舞登ってゆく。そして、ダァンと低い音を鳴らし、花は開くというよりは垂れ下がって咲いている枝垂れ桜のような形状の花火だった。銀冠と呼ばれる花火だ。続いて、さっきまでとは真逆の、金色に輝く同じ形状の花火。錦冠。この花火は余韻が凄く、消えているはずなのに何故か、鮮明に眼に残っている。それからしばらく次の花火は上がらなかった。太一は、合図だと思った。

ラスト1発


ヒューと音を立てて光が昇り、1度消えた。そして、夜空一面を彩るように、完璧な色合いの八重芯変化菊が咲いた。隅で見ていた薫が涙を流す。止められなかった。

八重芯変化菊。あの時とは全く意味が違うだろう。


届いてくれるといい。全てを打ち上げ終わり、尻餅をついた灯は思った。そして、呟いた。


「さよなら、母さん」



[8]


「お前、いつの間にあんな完璧に作れるようになったんだ」

親父からの着信、すぐにそう言った。

「あんなに…って。何で知ってんだよ、今日のこと。どこかで見てたのか」

「照ちゃんが教えてくれたよ。いい花火だった」

照か。本当にあいつは。

「届いたかな、母さんに」

「あぁ、届いたさ。だってあいつのことを想ってつくったんだろう。なら大丈夫だ」

「俺はね、親父。あんたみたいな花火師になるよ。なんなら、あんたを超えてやる」

「ふふ、期待して待っといてやる。まだまだ若造なんだからな」

「あぁ…わかってる…」

声が濁る。

「どうした」

「いや、なんでもない。いや」

燈は黙ったままだった。

「ありがとう、父さん」

「お前に父さんなんて呼ばれたら気色悪くて後味が悪いな。切るぞバカ息子」

「あぁ…」

電話を切り、燈が呟いた。

「礼を言うのはこっちのほうだ、バカ息子が…」



[終]


また、夏が来た。灯はふと1年前を思い出した。あの夏から1年。灯は大学に行かずに、独学で花火の修行に出ていた。そして、今年戻ってくることになっていた。いつもの裏山で待ち合わせる。照より先に着いた。

ほどなくして、足音が聞こえてきた。小さい歩幅。足音が早くなった。照しかいない。

1年ぶりに見た照の姿は、夜空の濃い青よりも綺麗に映った。

「久しぶりだな、元気だったか」

「灯こそ、なんかおっきくなったね」

「気のせいだよ」

2人の間に穏やかな時間が流れた。

「さぁ、打ち上げるぞ、見ててくれ照。俺の今までの集大成だ」

「うん、名前は?」

「”永遠”」

「え?」

聞き返す照を遮り、灯がカウントを始めた。

「5、4、3、2、1」

ドォンと音が鳴り響く。今までとは比べものにならないくらいの大花火、いや、特大花火だった。

「これが、今の俺の色だ」

照がうんっ。うんっ。と頷く。その目には涙が浮かんでいた。

「俺がこの先の人生で、打ち上げる花。照は夜空で待っててくれますか?」

柄にもなく、あの日の親父と同じ言葉を言った。

照は涙声で

「はい」

と答えた。そう言ってくれると思った。灯はにこっと笑った。


これまで、支えてくれた人たちを想った。全て教えてくれたのは、皆だ。君たちだ。君だ。 人を信じることも、人に頼る事も、人を好きになる事も、人を(ゆる)す事も。全て君が教えてくれた。灯の目に映った、夜空に咲いた鮮やかな花は、生涯で1番色濃く映った。そして、横で泣きじゃくる照の手を、離さないと誓った。

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