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桜舞う季節をめぐる物語  作者: 九月 草次
9/24

9

 コンクールまで時間がないので、

次の日からロペスさんに教えてもらうことになった。

 手首の傷はそんなに深くなく、大丈夫だと思う。

 ただ、問題なのは静音さんの機嫌だった。

 私にロペスさんを取られている……原因はそれではなかった。

 静音さんの父、川原院長は、

私を出す代わりに静音さんにも出場させる条件を出したのだった。

 さすが親子である。

「出ると約束したけど優勝しろとは言われてないわ。ただ出るだけよ!」

 と言って、静音さんは全く練習をする気がなかった。

 さすが親子である。


 私はロペスさんに聞いてみた。

「静音さんてあまりピアノが好きじゃないみたいですね」

「どうかな。少なくとも彼女は聴かせてあげたい人には演奏するよ」

「今まで大会とか出なかったの?」

「あの性格だからね、興味がないらしい。でも、甘く見ない方がいいよ。コンクールのレベルでは静音さんに勝てる人はまずいないからね」

 ロペスさんは軽く私の希望を打ち砕いてくれた。

「私、無謀な挑戦をしてるということね」

「そんなことはないけど、せめて静音さんくらいの演奏はできないとね。ほら、前に言ったろ?」

「もうひとつ上の演奏?」

 ロペスさんは笑顔で頷く。

 何だか楽しそうに見えた。

「実際に聴いて、感じてみるといい」

 そう言って、ロペスさんはこの前静音さんが弾いていた『渡り鳥』を弾き始めた。

 私は椅子に座り、目を閉じた。


 柔らかい音が湧き水のように弾み、私の体を流れていく。

 やさしさと力強さが駆け巡り、次第に気持も高ぶっていった。

 私の鼓動も踊り出す。

 閉じた瞼に光が見え、大きくなっていく。

 その中に……大自然が広がっていた。

 木々が生い茂る深い森の奥。さらにその奥に壮大な湖が姿を現す。

 そこから見える山脈には雪が積もっている。

 私は湖畔に立ち、水面に浮かぶ無数の鳥の群れを眺めていた。

 一羽の合図をきっかけに鳥たちは一斉に大空へと羽ばたいた。 

 どこへ向かうのだろう……そう思うと私も空を飛んでいた。

 森を越え、町を越え、海を越え、

また次の聖域を求めて飛び続ける。

 確かに見えた。

 そこにはない世界を確かに感じていた。

「音楽ってすごい」

 初めての衝撃だった。

 私が唯一、感動できる音楽で改めて心を奪われてしまったのだ。


「いかがでした?」

 ロペスの言葉で、陶酔していた私の意識がハッと我に返る。

 気が付くと演奏は終わっていた。

「……」

「どうした?」

「すごい……見えたの。湖とか、鳥とか……。静音さんもこんな演奏が出来るの?」

「まだまだだけど、近いところまでは弾けてるよ。自信無くした?」

「違うの。その逆……嬉しいの」

 勝ち負けではなく、純粋に私もこんなピアノが弾きたいと思い、

目の前には教えてくれる先生もいる。

 コンクールなんてどうでもよく思えてきた。


 そうか……静音さんもこんな気持ちだったんだ。

 彼女もピアノが大好きなんだと知った。

 ロペスさんに出会えて本当によかったと思った。


「余り時間がないからスパルタでいくよ。かなり厳しいから覚悟するように」

 ……島津春奈、前言撤回します。




 ロペスさんはとても真剣に教えてくれた。

 それに応えたくて私も必死だった。

 練習が終わりアパートに帰ると、霧人は仕事に出掛けていなかった。

「……二人とも全く逆の生活になったんだ」

 テーブルには私の夕食が準備してあり、メモが置いてあった。

「あんまり無理すんなよ。  霧人」

 と、一言だけだった。

「口下手な奴め、愛の告白くらい添えろ」

 でもその一言で霧人のやさしさは充分伝わってきた。

 なんか文通みたいと思い、何を書こうか悩んだ。

 一人で食事を済ませ、食器を洗い、

お風呂から上がっても何を書くか決まらない。

 白紙のメモ紙に向かって三十分が過ぎた。

 眠気がピークに来た時、一言書いてベッドに向かった。

 霧人の匂いが残る場所はここだけだった。

 私はすぐに眠てしまった。

 メモには、

「さみしいよ     春奈」

 と、書いてあった。




 朝の静けさが目覚ましの音で壊される。

 春奈は無理やり身体を起こし、耳障りな電子音を止めた。

 うめき声を上げ背伸びをした時、横で眠る霧人に気付いた。

 素早くまた布団に潜り込み、霧人に抱き付いた。

 霧人が眠そうな声で、

「起きるんじゃなかったのか?」

「もう少しこのまま」

「ったく……」


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