7
霧人たちは大通りから離れ、狭い路地へと入って行く。
春奈は時代錯誤に陥った。
昔ながらの古い家が続き、
小京都のような町並みが広がっていた。
宇佐野の町にこんな場所があったなんて知らなかった。
近代的なビルに囲まれて、今まで気付かないでいたのだ。
建物の影から小さな公園が見えてきた。
細い桜の木が一本だけ植えてある。
こんな日当たりの悪い場所でも一生懸命に花を咲かせている。
二人は公園を横切って、目の前の古いアパートへと向かう。
二階の突き当りが霧人の部屋だった。
中は殺風景な六畳一間。
春奈がカーテンを開けると、下にさっきの公園が見えた。
暖房をつけた霧人が、
「ベッドを使っていいよ」
「私、あまり眠くない」
霧人はテレビをつけ、
「じゃ、テレビかDVDでも見てなよ。俺、少し寝るから」
と言って、床に横になった。
春奈はカーテンを閉めベッドに座り、テレビの音を小さくした。
チャンネルを変えても面白い番組がなかったので、テレビを消した。
「ねぇ、ベッドで寝なよ」
「床で充分だよ。おやすみ」
春奈は立ち上がって、
「じゃ、私も床で寝る」
霧人の横に寝転んだ。
「床って結構冷えるね」
霧人は呆れて、
「もう、分かったから。俺もベッドで寝るよ」
霧人は立ち上がり、ベッドへと移動する。
「俺も?じゃ私もベッドでいいんだね」
「はいはい、電気消すよ」
春奈は霧人の横に潜り込む。
霧人は照れて春奈に背中を向ける。
数秒の沈黙が過ぎ、霧人が静かにつぶやいた。
「あのさぁ……家に帰りたくないなら、ここにいてもいいよ……」
「……ありがと」
春奈は、はにかむように微笑んだ。
朝、目を覚ますとベッドに霧人の姿はなかった。
と言っても、もう昼前だった。
起き上がり、寝ボケ顔で部屋を見回す。
狭い台所に立っている霧人の横顔。
近付くと卵を焼いていた。
霧人はチラッと春奈を見て、笑顔で挨拶を交わした。
春奈は霧人の後ろへ回り込み、そっと手を回して抱き付く。
背中に頬を当て、目を閉じた。
そうしているとすごく落ち着いた。
家族とは違う大事なものを捕まえた……そんな気持ちになった。
「もう直ぐできるから顔を洗ってきなよ」
「……うん」
まだ夢から覚めてないような顔で返事をして、洗面所へ行く。
新しい歯ブラシを開け、歯を磨いた。
自分の顔を鏡で見た時、ハッと我に返った。
慌てて霧人に尋ねる。
「ねねね……私、今何かしなかった?」
「俺の背中に抱き付いた」
真っ赤になった春奈が、霧人に向かって悲鳴をあげた。
「きゃああー」
霧人は料理を持って春奈の前を通りながら、至って普通に、
「君、目玉焼きにはソース派?それとも醤油派?」
春奈、今度は鏡に映る自分に向かって、
「きゃああー」
「早く来ないと君の分も食べるよ」
素っ気無い霧人の言葉で膨れっ面になり、
急いで顔を洗う。
使った歯ブラシをどこに置こうか迷ったあげく、
霧人と同じコップに歯ブラシを入れた。
霧人の前に座る春奈。
小さなテーブルには霧人が作った料理が並ぶ。
それは味噌汁に焼き魚やお漬物、どれもありふれたものだったが、
春奈には懐かしい家庭料理だった。
「いつも自分で作ってるの?」
「当たり前じゃん。こう見えても一人暮らしは長いからね」
「……」
一人暮らし……春奈にはとてもすごいことに感じた。
自分は一人ぼっちになった時、その怖さに震えて泣いていた。
でも、霧人は真っ直ぐ前を向いて歩いていた。
「霧人は偉いね。世の中を一人で生きてるから……」
「みんなしてるよ」
「私は何も出来ないから……」
「春奈はピアノうまいじゃん」
「ピアノはお金掛かるもん」
「そりゃ、難しいね」
……春奈は照れていた。
初めて霧人が自分の名前を呼んでくれたことと、
「霧人」と呼び捨てにした自分にドキドキした。
霧人は別に気にする様子を見せなかった。
少しだけ霧人に近付けた気になって、嬉しかった。
「どうしたの?ニヤニヤして」
「ううん、何でもない」
「これ食べてからまた絵を描きに行くけど、一緒に行く?」
「うん」




