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桜舞う季節をめぐる物語  作者: 九月 草次
6/24

6

 薄暗い店内には数人の客がいた。

「ちょっと待ってて」

 と言って、中年のマスターに挨拶に行く霧人。


「すいません、友達なんですけど、仕事の間ここに居させてもらえませんか?」

「あの子、未成年じゃないのか?」

「お願いしますよ、マスター」

 戸惑ながら入り口に立っている春奈のそばへ、

霧人が駆け寄って来る。

「いいってっさ。カウンターにでも座ってなよ。俺ちょっと上着脱いで来るから」

 春奈は足の届かない高い椅子に腰掛け、

初めて見る大人の世界に驚いていた。

 店の奥に置いてある黒いシーツを掛けたピアノに春奈の目が止まる。


 カウンターで飲んでいた中年の男性が春奈に声を掛けてきた。

「お嬢さん、この店初めてか?」

 常連客の柴さんだ。その顔はかなり怖かった。

 春奈は、恐る恐る頷いて返事をした。

「じゃ、おじさんが一杯おごるよ」

 困っている春奈の間にマスターが入って来て、

「ダメだ、柴。この子まだお酒飲めないんだから」

「少しくらい、いいじゃねぇか」

 マスターが春奈にジュースを差し出す。

「これでも飲んでなよ」

 春奈、ホッとしながらお礼を言う。

「ありがとうございます」

 マスターが柴さんを指差しながら、

「君は、あんな大人になったらダメだよ」

 透かさず柴さんが口を挟む。

「長く生きればなぁ、誰でも自分が汚れていくことに気付くんや。それを酒で洗って何が悪い!」

 柴さんはグラスのお酒をグイッと空けた。

「柴、お前は汚れ過ぎだよ」

「やかましいわ。おい拓、もう一杯くれ」

「店にいる時はマスターと呼べ」


 グレーのカッターシャツの袖をめくりながら霧人が奥から出て来て、

マスターに話し掛ける。

「今日は有線を付けてないんですか?」

「なんか調子悪くてな。後で修理に来てくれるそうだ」


「あの……」

 二人の話を聞いていた春奈が会話に入ってきた。


「奥にあるピアノ弾いてもいいですか?」

 霧人が驚いたように、

「君、ピアノなんか弾けるの?」

 マスターが、やさしく答える。

「構わんよ。出来ればジャズなんかがいいんだがね」

「少しなら知ってます」

 春奈はジュースを持って席を移る。

 霧人が掛けてあるシーツを外し、畳みながら、

「人前でライブだよ。大丈夫なの君?」

「なんとかなるわ」

 と、笑顔を返す春奈。

「じゃあ、よろしく」

 春奈は雰囲気に合わせて、軟らかいナンバーから弾き始めた。


 柴さんの顔がニヤける。

「おお、いいねぇ」

 賑やかな店内のざわめきが少しずつ消えていく。

 人々の手が止まり、春奈に視線が集まる。

 マスターも感心していた。

「霧人、どこで見付けて来たんだ」

「昨日会ったばかりなんですよ。ただの知り合いです」

 柴さんが冷やかし半分に口を挟む。

「霧人の彼女なのか?」

「そんなんじゃありませんって……」

 だが、霧人はピアノを弾いている春奈に少し惹かれていた。

 一曲が終わるとまばらな拍手が鳴る。

 全員でたった九人しかいない観客。

 それでも春奈は嬉しかった。

 今まで、自分の演奏を聴いてもらう為に弾いていた。

 でも、今日はお客の為に弾いた。

 春奈は恥ずかしそうに軽くお辞儀をした。

 それから何曲か弾いたが、

修理の人が来て有線を直して行った。

 春奈はカウンターに戻り、

霧人の接客姿をぼんやりと見ていた。


 客層が中年のサラリーマンから若者になり、

そして、年配のおじ様たちに変わっていく。

 春奈は霧人を感心して見ていた。

 どんなお客にでも溶け込むように会話をしていた。

 沈黙になりそうな時は、霧人から話題を作る。

「うちの大家さん面白いですよ。もう八十なのにすごく真剣に手相を見ていたんですよ。どれが生命線か分からないくらいシワシワなのに……。まあ、それ以前に今から何を占っているのって感じなんですけどね」

「恋愛運かもな」

 と、客が返してくる。

「ハハ、実る前に天国の旦那が迎えに来ますって」


 閉店間際になると、

水商売のお姉さんたちが店を占領していた。

「霧人、聞いてよ。彼氏と一週間も連絡取れないの……」

「今頃、囚人番号で呼ばれてんじゃない?」

「なんでよぉ」

 その頃、春奈は控え室のソファーでぐっすり眠っていた。


 起きた時には霧人の背中におぶさって、

薄明るい街中を歩いていた。

「あ、起きた?この先にコンビニがあるから飲み物でも買うね」

 春奈は誰もいなくなった街を見て、

みんなには帰る場所があることを知り、うらやましく思えた。

「ねぇ、昼間のあなたと夜のあなたはどっちが本当のあなたなの?」

 霧人は前を向いたまま、無言で歩いていた。

 そして、思い返しながら軽い口調で話し始める。

「前の彼女の時にさぁ、別れた理由が他に好きな男が出来たからだって……。人と付き合うってそのくらいのことなんだって思ったよ」

「そんな人ばかりじゃないと思うよ」

 春奈の言葉に辛そうに微笑む霧人。

「俺、その人しか見えてなかったからかなり傷付いたよ。自然に……人を信じなくなったね。そしたらさぁ、誰とでも話せるようになったんだ。それが夜の俺かな。いつも仮面を被って仕事している。……泣くことすら忘れたような気がするよ」

「昼間のあなたは?」

「絵を描いている時が一番落ち着くんだ。何もかも忘れて、ただ好きな絵を描いている」

「仮面を外している時の霧人さんね」

 霧人は、春奈を地面に降ろした。

「起きたなら自分で歩けよな」

 春奈は残念そうに、

「ちぇ、もう少しいけると思ったのに……」

「あーそう。ジュースおごるの止めた」

「あー、ごめんなさーい」

 霧人の後を追ってコンビニに入る春奈。


 ひとりは、人を信じれない男。

 ひとりは、居場所をなくした女。


 二人は、互いに生きることに傷付いていた。


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