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気が付くと春奈は夕焼けの桜並木を歩いていた。
見回してもあの絵描きの青年はいなかった。
ゆっくりと日が沈んでいく。
光が吸い込まれるように、辺りは暗くなっていった。
病院には親が連絡していると思った。
……もう帰る場所がない。
今までにも一人ぼっちと思ったことはあった。
だが、この感じはそれとは違っていた。
世の中の全てが私を拒絶し、
ひとり取り残された……そんな恐怖に襲われていた。
春奈は生まれて初めて孤独の怖さを知った。
雨が降り出してきた。
黒い空を見上げるその顔は、
母親に助けを求める子供のようだった。
春奈は傘を差して歩き始めた。
どこを歩いているのかも分からず、
ただ明るい場所へ向かってさ迷っていた。
人通りが増えてきた。
春奈は、いつの間にかネオンが輝く繁華街を歩いていた。
なぜみんなこんな遅くに街へ集まるのだろうと不思議に思う。
通行人が春奈にぶつかる。
その人は当たり前のように行ってしまった。
誰も私を知らない他人ばかり。
そんな街でもたくさんの人がいることで、
春奈の心を少しでも和らげてくれる。
春奈は近くのビルの軒下に腰を下ろした。
流れる人混みをぼんやりと眺める。
昼間見慣れた街でも、夜の風景は全く違っていた。
みんな私なんか気にせず、急いでどこかへ向かっている。
ここでは私も他人の一人……。
傘で身を隠した。
もうどこへ行っても孤独からは逃げられない……そう思うと、
春奈は小さなうめき声をあげ、泣いていた。
「おーい。何やってんの?」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げると黒いスーツを着た、昨日の絵描きさんだった。
……霧人だ。
「僕の傘だったから、あれって……やっぱり君だったか。俺のこと、覚えてる?」
と言って、霧人は春奈の右側に座った。
「服、汚れちゃうよ」
「別に気にしない」
春奈は目の前を早足で過ぎて行く夜の住人たちを見ながら、
「ここにいる人たちは、みんな幸せなの?」
「どうかな。ここは淋しがり屋が集まる所だからね。嫌なことを忘れる為に……」
「あなたも?」
霧人はその質問に答えなかった。
「俺、今から仕事に行くとこなんだ」
「何してるの?」
「バーで働いている。絵描きでは食べていけないしね」
「……私も行っていい?」
「んー、お酒飲むとこだよ。君まだ二十歳きてないっしょ」
「じゃ、仕事が終わるの、ここで待ってる」
「ダメダメ、ここは危ないよ。……しょうがないな、来な」
春奈は微笑んだ。
二人は人混みを掻き分け、歩いて行く。
霧人を見失わないように必死で付いて行く春奈だが、
酔っ払いに道を塞がれてしまう。
「おじさんと一緒に飲みに行かない?」
戸惑う春奈の手を、戻って来た霧人が掴んで引っ張って行く。
「あんなの相手にしちゃダメだよ。無視していいから」
「……うん」
春奈は顔を赤らめて返事をした。
ドレスを着たきれいなお姉さんたちが至る所で通行人に声を掛けている。
そこは、子供だけがいない夜のお祭りみたいだった。
自分はまだ来てはいけない場所で緊張していた。
ただ、人を掻き分けて進む霧人とつないだ手に身を委ねて付いて行った。
二人は華やかなビルに駆け込んで、エレベーターに乗り込んだ。
狭い空間の中、霧人はまだ私の右手をつないでくれていた。
私の早まった鼓動は少しずつ落ち着いていく。
多分、霧人にもそれは伝わっている。
三階でドアが開いた。
霧人が『スティン』の看板の扉を開ける。
二人は中へと入って行った。




