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島津家では、警察が佐知子と雨宮たちを連れ出していた。
柴さんも救急車に乗せられ運ばれていった。
静音が、ロペスに話し掛ける。
「春奈さん、見付かるかしら……」
「探し出せるのは霧人君しかいないよ。ただ、間に合ってくれるといいが……」
「松風さん、急いでください!」
霧人は松風をせかすが、道路は渋滞していて動けないでいた。
「この分だとお寺までかなり掛かりますね」
ラジオから今日のコンサートのニュースが流れる。
「……宇佐野でピアノのコンサートが開催されました。今年、コンクールで優勝した島津春奈さんは『桜舞う季節』を演奏して……」
その放送を聞いた霧人が叫んだ。
「松風さん、行き先変えて!」
どれだけ時間が過ぎただろう……。
春奈は自分の手首を赤く染め、今にも意識が切れてしまいそうなうつろな目をしていた。
「霧人……」
霧人との思い出が浮かんでくる。
霧人と初めて出会ったこの場所……。
街で泣いている自分を見付けてくれた雨の夜……。
春奈をおぶって帰った肌寒い朝……。
生まれ変わっても必ず見付けると言ってくれた病院での約束……。
次々と浮かんでは消えていった。
「霧人、ごめん。……ごめんね」
ふと、気づくと、自分の体が揺れていた。
誰かの息遣いが聞こえる。
もうろうとする意識の中、春奈は微かに目を開けた。
景色が流れている。
そこは……、霧人の背中の上だった。
息を切らして、私をおぶって丘を駆け降りている。
声を掛ける力もなかった。
霧人、なぜ来たの?私のことなんか放っておいて……と、心で叫んだ。
「会えるよ。必ず春奈を見付けるから……」
霧人の言葉が浮かんで来た。
春奈の首で何が揺れている……桜の花のネックレスだった。
幼いころ、自分が作った桜の花の首飾りを思い出す。
それを見て喜んでくれるお母さん。
春奈は声にもならない声を上げ、泣いていた。
川原病院に駆け込んだ霧人が叫んでいる。
「誰か!誰か来て下さい!」
医師たちが慌ただしく集まって来る。
「お願いします。この子を助けてください!……お願いします!」
霧人が大声で泣きながら叫んでいる。
だが、その声はもう春奈には聞こえてなかった。
霧人の涙が頬から落ち、春奈の腕で弾ける。
「お母さん……私、霧人と一緒にいたい」
春奈の意識は、また深い闇へと落ちていった。
それから月日は流れ、また春がやって来た。
あるコンサートに招待された静音が、インタビューを受けていた。
「川原さん、今年のコンクールでの優勝、おめでとうございます」
「あの時は最悪だったわ。頭は痛いし、お腹も痛いし、足も痛くてとても辛かったわ」
「それでも優勝するなんてすごいですよね」
「あら、去年のコンクールの時は完璧だったのよ。それでも春奈さんには勝てなかったわ」
と、笑って言った。
「それでは優勝した川原静音さんに演奏してもらいましょう。故ロペス・オーセン作曲、『桜舞う季節』です」
静音の指が走り出す。
静音は心の中で語り掛ける。
ここにいる人々はこの曲を聴いて何を思うのだろう。
私は、この曲を弾くたびに掛け替えのない時間を思い出す。
ずっと忘れることのない大切な人を思い出す。
春奈さんのお母さんが浅田菊江さんと知って、
あなたはすごく驚いていたわね。
運命の糸は、本人たちが知らないところでつながっている気がしたわ。
私がこの曲を弾くたびに……あの人は私の中で甦る。
演奏は続く。
宇佐野の空にまたピンクのカーテンが舞踊る。
人々は空を見上げ春の訪れを感じている。
桜並木は鮮やかにその身を飾っていた。
今年も大桜は大勢の見物人に囲まれている。
少し離れた場所で絵を描いている霧人。
キャンパスの中には少女が一人、大桜に寄り添って幸せそうに微笑んでいた。
いつかの老夫婦が通り掛り、お婆さんがキャンパスを覗いた。
「とても素敵な絵になったわね」
と、笑顔で褒めてくれた。
お爺さんが尋ねる。
「君の大切なものは見付かったのかい?」
霧人は笑顔で、
「はい」
と、答えた。
老夫婦は軽く手を振って、歩き出した。
見送る霧人の背中に忍び寄る影……。
その影は霧人の影に飛び付いた。
「うわ、危ないだろ春奈!」
「ふふ、美人に描けてる?」
「そんなことしたら春奈じゃなくなるよ」
春奈、霧人の首に腕を回し、
「どう言う意味よ?」
「嘘は描けないってこと……」
「ほほぉ、春奈様が作ったお弁当が欲しくないようね……」
春奈の胸元で桜のネックレスが揺れる。
お母さんがいつも見守ってくれている。
私は、桜の咲くこの丘が好きです。
私は、ロペスさんの演奏が好きでした。
私は、静音さんの真っ直ぐな性格が好きです。
「弁当だけ置いて、早く教室に帰れよ。生徒が待ってんだろ?」
「まだ時間あるもん」
二度も死を選んだ少女が、
自分を受け止めてくれた青年と出会い、大切なものを手に入れた。
もし霧人が私のそばからいなくなったら、
私は考えることさえ耐えられないほど、悲しくなると思う。
霧人にも、そんな思いをさせたくない。
霧人は、私に生きる力をくれました。
桜の花びらが風に舞って二人を包む。
春奈は、霧人の左肩へ両手を添えた。
そこへ自分の頬をやさしく当てて、キャンパスを眺める。
それを見て霧人が微笑み、春奈にやさしくキスをした。
霧人の左側……そこが幸せを感じる私の居場所。
霧人の左手が春奈の左手にそっと触れる。
二人の薬指には同じ指輪が輝いていた。
… 終 …
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