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桜舞う季節をめぐる物語  作者: 九月 草次
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20

 二人は客席に向かい同時にお辞儀をし、

同時に歩き出し、同時に椅子に座った。

 静音が楽譜を見て驚く。

「これは……」

「私たちが弾く曲は、一つしかないでしょ」

 静音はロペスの方を見て、

「そうね……一つしかないわね」

 鍵盤へ指を置く二人。


 ロペスは沸き立つ興奮を抑えていた。

「さあ、聴かせてもらおうか。僕を受け継ぐ最高の演奏を……」


 二人は呼吸を合わせ、ふわっと弾き始めた。

 やさしい音が踊り出す。

 静まり返った会場にゆっくりと広がっていった。

 互いにその楽譜を手にした時から、密かに練習していた。

 いつかどちらかが人々の前で演奏する時、この曲を弾くと約束したのだ。


 彼の生きた証となる、

最初で最後になるはずの曲……『桜舞う季節』。


 どこまでも続く青い空の下、

広大な草原に春奈は両手を広げ立っている。

 静音は春奈の隣に腰を下ろして、

彼方を見詰めながら風を浴びていた。

 暖かくて心地よい音色が心に吹き抜けていく。


 二人は完全に同じ世界を見ていた。


 草原のいたる所から小さな植物が芽を出し、ぐんぐんと成長する。

 それらは大木となり、無数の蕾が一斉にピンク色の花を咲かせていく。

 春奈は、はしゃぎながら満開の桜の間を静音と歩いていた。

 静音は、ただ周りを眺めながら静かに歩いている。

 これが彼の描いた世界……と、心の中でつぶやく。

 自分は彼と同じ風景を見ている。

 うれしくて堪らなかった。

 静音が微笑む。


 鍵盤を走る二人の指先。

 ここにいる全ての観客が時間を忘れ、

ただ目の前の二人に見入ってしまっている。

 会場を泳ぐ華麗なハーモニーを

ひとつ残らず聴きこぼさないように必死で聴いていた。




 川原病院に運ばれてくる霧人。

 レントゲン写真を見ている川原雷蔵院長。

 肋骨の骨折部分を指で示し、別の医師に指示を出す。




 二人の演奏は続く。

 静音の中では、今までの出来事が駆け巡っていた。

 認めたくない、あと僅かなあの人との思い出。

 彼にこの曲を聴かせることが出来た嬉しさと、

初めて友達という暖かさに触れた喜びで涙がこぼれ落ちていた。


 ロペスは二人の姿を心に焼き付けていた。

 病気にならなければ自分はまだ母国でピアノを弾いていただろう。

 だが、この病気にならなかったら静音と春奈にも出会っていなかった。

 自分の夢が動き出した喜びと二人に対する感謝でいっぱいだった。

 七歳の時にレストランで弾いていた浅田菊江の姿が、

春奈の姿と重なって見えていく。

「浅田さん……ここまで来るのに二十年掛かりました。僕は、あなたに近付けたでしょうか?」

 懐かしく、嬉しく、心が熱くなっていく。

 ……自然と微笑むロペスの口元を涙が通り過ぎていった。


 演奏は激しさを増していく。

 強く、強く……。

 相手の音をかき消すように力強く奏でられていく。

 強く、強く……。


 そして、時が止まるかのように、二人の指が同時に止まった。


 ……音が消えた。

 会場にまた静寂が帰ってきた。

 静音と春奈は互いに微笑み返した。

 ゆっくり立ち上がり、客席へ一礼した直後、

豪雨のような拍手が鳴り響いた。

 二人は優越の絶頂を分かち合っていた。


 その姿を見ながらロペスが小声で呟く。

「……見事だ」


 静音は春奈に向き、軽い口調で、

「ありがと、とても楽しかったわ」

 そう言って、客席に戻って行った。

 二人はここにいる人々の為に弾いたのではなかった。

 今、静音が抱き付いているこの男、ロペスの為だけに弾いたのだった。


 静音が気付くと、ステージに春奈の姿はなかった。

「私、春奈さんと病院に行って来るわ」

 そう言って、静音はその場を離れて行った。




 控え室のドアを開けた春奈の動きが止まる。

 男の人が自分の椅子に座っていた。

 煙草の火を消した雨宮が、

ゆっくりと春奈の方へ振り向く。

「島津春奈さん……ですよね」

「どなたですか?」

「雨宮といいます。あなたの母親に頼まれて、あなたを探していました。私と一緒に来てもらえますか?」

「……」

「断れば、霧人君はもっと大変なことになりますよ。一生寝たきり……とかね」

 青ざめる春奈。

「霧人に何をしたの!」

 雨宮は不気味な笑みを浮かべただけだった。




 廊下を走って来た静音が、

春奈の控え室のドアを開けた……が、中には誰もいなかった。

「春奈さん……」




 車に乗せられて会場を後にする春奈が、雨宮に話し掛ける。

「……お願いがあります」




 派手な革ジャンを着た青木は、パチンコ屋に入って行った。

 台を選びながら店内を歩き回る。

 ふと、景気良く箱を積み上げている男に目がいく。

「あれー、柴さんじゃねぇでスか」

「おう、青木か。久しぶりやの」

 青木が若いころ、柴さんにはよく世話になっていた。

 怒らすと怖い人なのだが、顔に似合わず面倒見がよく、

今働いている鉄工所を紹介してくれたのも、この元ヤクザの柴さんだった。

 嫁さんが死んで足を洗ったと聞いていた。

「柴さん、絶好調っスね。少し頂いていきますわ」

「玉の一個でも持って行ったら、お前を山に埋めるで」

「やだなぁ、冗談ですがな」

「がはは、ワシも冗談や」

 青木には冗談に思えなかったが、柴さんの横に座って台を打ち始める。

「そう言えば、柴さん。『スティン』によく顔を出してましたよね」

「マスターとは馴染やからな。それがどないしたんなら?」

「どうやらそこの従業員、雨宮に目を付けられてまっせ」

「……」

「そいつの彼女を探しているらしいですわ。ピアノがうまいって言うてたなぁ」

「ふーん」

 柴さんは、話には興味なさそうに打ち続ける。

 しばらく遊んで、

「よし、帰るか。またな青木」

「お疲れ様です」

 換金を済ませ、柴さんは携帯を掛けた。

「ワシや。今から飲みに行くから店を開けろ。今日は懐も暖かいのよ。……ええじゃねぇか。常連を大事にしなきゃ、お前の店なんかすぐ潰れるでぇ。じゃあ後でな、拓」



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