18
島津家のリビングに背広を着た中年の男性が座っていた。
「私、弁護士の相原康夫と申します」
佐知子は差し出された名刺を受け取る。
「……で、娘のことってなんなの?」
「今日、春奈さんは?」
佐知子は煙草を吹かしながら、
「今、ちょっと出掛けてていないのよ」
「出来ればご同席をお願いしたいのですが、今日は用件だけにしておきましょう」
相原は鞄からファイルを取り出し、
「春奈さんの産みの親……つまり亡くなった菊江様の遺言の件なのですが……」
「既に財産分与は済んでいますけど」
「はい。これは生前菊江様が娘さんに残されたものです。春奈さんがピアノのコンクールで優勝した時に公開するように頼まれた、もうひとつの遺言です」
相原は新聞を広げ佐知子に向けて見せる。
指を示した小さな記事には優勝した春奈の写真が載っていた。
「私も関係者の方から連絡をもらい、春奈さんの優勝を知りました。遺言は春奈さんがご在宅の時に発表いたします。ご都合がよろしい時にその名刺の番号まで連絡ください」
「まだそんなのがあったのね。ねぇ、金額はいくらあるの?」
「内容に付いてはお話できません。では今日はこれで失礼いたします」
相原が家を出たのを見計らって、佐知子は電話を掛けた。
「ああ……親分さん?お久しぶりね。ちょっとお願いがあるのよ。娘を探して欲しいの。あら、私のじゃないわ。旦那の連れ子よ。私が子供嫌いなの知ってるでしょ……」
コンサート当日。
雨を呼ぶアジサイが町のいたる所で咲いているのに、
空はすがすがしく晴れていた。
教室の準備で海外へ買い付けに行っていた静音が、
久しぶりに屋敷へ戻って来ていた。
「フランスでいいピアノを見付けて来たわ。教室の内装もあと少しってところよ」
「順調そうだな」
病気が進行したロペスは車椅子に乗り、
静音に押されて屋敷の駐車場を歩いていた。
「春奈さんはもう出掛けたの?」
「ああ、打ち合わせがあるからね」
「あなたも疲れてない?ここ何日か二人とも泊り掛けで練習してたんでしょ」
「足以外は大丈夫だ。心配ないよ」
二人は松風の待つ車の前で止まった。
「おはようございます。私、今日を楽しみにしておりました」
「みんなそうよ」
と、静音は笑顔で答えた。
霧人は連絡していたタクシーを待つ為、
大通りのガードレールにもたれていた。
「君、霧人君?」
振り返ると、後ろに数人の男が立っている。
「誰ですか?」
サングラスをしたリーダー格の雨宮が近寄って来る。
「島津春奈さんって知ってるよね。今どこにいるのか教えて欲しいんだけど」
「さあ、知らないですね」
一人の男が霧人を殴る。
通りに倒れる霧人。
間一髪、車が急ハンドルで霧人を避ける。
男たちは車を無視して道路に飛び出すと、霧人を囲んだ。
雨宮が霧人の前にしゃがむ。
サングラスを外した雨宮の左目は……潰れていた。
「ご両親が心配して探しているんだよね。素直に教えてくれないかな。何日も君のとこには帰ってないよね?」
霧人、口元の血を拭い、
「……さぁ、知らねぇな」
雨宮はゆっくりその場から離れる。
他の男たちが霧人に襲い掛かる。
雨宮は街路樹にもたれて、
煙草に火をつけ吸い始める。
霧人は両腕を掴まれ、無理やり立たされる。
「頼むから何度も同じことを言わせるなよ」
と、雨宮がやさしく言った。
霧人が激しく咳き込むと、口の中の血が道路に散った。
「誰にも……あいつの邪魔はさせない」
「親が探してるんだけどね」
霧人が大声で叫ぶ。
「親でもだ!悩んで悩んで……今まで生きて、やっと自分の道を見付けて歩き出したんだ。邪魔されてたまるか!」
雨宮が鼻で笑う。男たちはまた霧人を殴り始めた。
パトカーのサイレンが近付く。
誰かが通報したのだろう。
雨宮の合図で男たちは人込みの中へまぎれ、去って行った。
頼んでいたタクシーが到着する。
霧人は警察から逃げるように乗り込んだ。
運転手は霧人の血だらけの姿を見て、
「悪いが他を当たってもらえんか?」
と、乗車拒否をした。
「お、お願いします。文化会館まで……乗せてください。警察に捕まったら遅れてしまうんです」
「こっちも面倒はごめんなんだわ」
「あ……すいません」
ふら付きながら、車を降りる霧人。
駆け寄った警官が、去って行くタクシーを見ながら、
「なんてタクシーだ。君、パトカーに乗りなさい。病院まで送ってあげるから」
警官に抱えられ、パトカーに乗せられる霧人。
抵抗する元気もない霧人が、うわ言のように、
「……文化会館まで……お願いします」
「何を言っているんだ。すぐ病院に行かないと駄目だろ?」
「今日、彼女の大事な日なんです。お願いします。お願いし……ます」
運転席の警官が、霧人にタオルを差し出す。
「これで血を拭きなさい」
気を失っていた……。
霧人の隣に座っている警官がタオルを受け取り、傷口を拭いてやる。
運転席に座る警官は無線を取り、
「こちら二号車。救急車を一台手配してほしい。……場所?場所は……文化会館まで」




